2008年3月11日火曜日

第十二段 音速の遅い読書『ブラックホーク・ダウン 上下(文庫版)』

『Foresight』2008年3月号(新潮社刊)を読んでいると、池内恵氏の担当されている「中東―危機の震源を読む」という連載で、2008年1月末に発生した「アレクサンドリア沖海底ケーブル切断」を取り上げていた。その中で「現代のグローバルなコミュニケーションを扼す地点」として紅海とアラビア海・インド洋の接点ジブチに触れている個所があった。

そこを読んだ時、そのジブチのすぐ南にあるソマリアに連想が及び、手に取ったのが『ブラックホーク・ダウン 上下(文庫版)』(早川書房 上下とも2002年発行)である。現在ソマリアでは、西側諸国が支援するエチオピア・ソマリア暫定政府連合軍とイスラム過激派との繋がりが指摘される「イスラム法廷会議」軍が内戦を繰り広げているが、本書が対象としているのは、その前史ともいうべき1992年~1995年までの国連PKO部隊展開時期に発生した、米軍特殊部隊のマン・ハント作戦とその顛末である。(作戦は1993年10月3日に実施された)

時に作戦に参加した米軍兵士や司令官、またある時はソマリアの民兵や市民と視点を変えて首都モガディシオで繰り広げられた凄惨な市街戦を鮮明に浮き彫りにしていく描写が、この作品の肝であることは論を俟たない。しかし、管理人にとって最も印象深いのは、エピローグで語られる国務省高官の言葉である。「(前略)、国民のすべてが憎み合い、戦いに没頭している国があるとする。(中略)、そういう国―最近の例はボスニアだ―の人々は、平和を望んでいない。彼らは勝利を望んでいる。彼らは権力が欲しい。男女老若を問わずそうなのだ。ソマリアは、そういう地域の人々がいまのような状態にあるのは、彼らに大きな責任があることを教えてくれた。憎悪と殺しあいが続くのは、彼らがそう望むからだ。あるいは、彼らが、それをやめようと思うほどには、平和を望んでいないからだ

この高官の言葉は、不幸なことに2003年のイラクでも繰り返されることになった。民族・宗派の憎悪・緊張が絶えない地域である程度安定した秩序を保っていくには、王制であれ一党独裁制であれ、かなりの強権支配が必要とされる。いわばサダム・フセイン政権は、中東地域の地理的中心であり世界有数の原油埋蔵地であるイラクを「万人の万人に対する闘争」という大悪から遠ざけるための小悪だったのだ(特に対外的な牙をほぼ無力化された湾岸戦争以後は)。しかし、アメリカはサダム・フセイン政権の功罪、歴史的背景、利用価値を冷静に比較考量することもなく、弊履の如くサダム・フセイン政権を駆逐し、自ら進んで大悪を招き入れてしまった。恐らくイラクの混迷は内戦を繰り広げる各勢力が殺し合いに飽き、疲れ果てるまで続くだろう。やがてイラクの事例は時代の覇権国が「必要悪を容赦する」というバランス感覚を失った場合にどんな悲劇が発生するかについて恰好のケーススタディとなるだろう。

今後の世界情勢を予測して見ても、民族や宗教間の憎悪が解決する見込みはなく、天然資源に対する需要の高まりと供給の逼迫が更に政治的緊張を高め、内戦やテロがより多くの地域を蝕んでいく可能性は高い。そのような場合に世論をリードし、権力を動かしかねない理想家たち(左右問わず)の戯言に対する解毒剤として、この作品には十二分の価値があるのではないだろうか。