2008年4月15日火曜日

第二十九段 音速の遅い読書『懲毖録』

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは『懲毖録』(初版1979年 平凡社)。本の概要としては、16世紀李氏朝鮮の柳成竜という人物が宰相として対処に当たった豊臣秀吉の二度にわたる朝鮮侵攻の顛末を記した書物である。と言うと、何やら口やかましい儒学者が「豊臣政権(日本)=悪、李朝=善」という単純化した図式を用いて朝鮮の小中華主義を称揚した一冊のようにも思えるが、そんなことは無い(無論豊臣政権軍を「賊」と表記したりはしているが、著者柳成竜の立場からすればそれほど驚くべき表現ではない)。
そもそも本の題名は『詩経』の「予其懲而毖後患(予、其れに懲りて後の患いを毖む(つつしむ))」という一文から採られている。一文は「私は過去の過ちを戒め、災いがないよう注意する」といった意味である。要するにこの一冊は、秀吉の二度の朝鮮侵攻という惨禍の中から著者柳成竜がつかみ取った教訓を後代に遺すために著された一冊なのだ。従ってそこには有事だというのに団結を欠いた李朝の内部事情、来援に現れたものの積極的には戦おうとしない明朝軍とそれに振り回される著者や李朝高官の姿も抑えた筆致で克明に記されている。

この本で管理人が面白いと感じたのは、内容に現代21世紀の国際情勢と重ね合わせて読める箇所が多々あることだ。例えば優れた火器と戦い慣れた精兵で李朝側を圧倒した豊臣政権軍が、占領後の統治機構確立と兵站に失敗し、やがて各地で吹きあがった「義兵決起」に消耗戦を余儀なくされていく様は、イラク戦争とその後の米軍の有り様と殆ど重なるものがある。
また、東アジア地域の超大国たる明王朝とその覇権に挑戦しようとする新興国日本、その狭間で確たる安全保障戦略もないまま戦火に呑まれた李朝という構図と現在の東アジア安全保障環境を比較してみるのも非常に興味深い。
他にも明軍、李朝軍や豊臣政権軍の間に於ける二重スパイの暗躍や虚々実々の駆引きから、いわゆるインテリジェンスの重要性について思いを巡らせるのもまた一興。
無論、単純に著者柳成竜や彼に抜擢された名将李舜臣の苦闘・活躍に手に汗握るという楽しみ方もできる。

これを書いているとボブ・ウッドワードのブッシュ三部作や欧州と中東の間で苦悩するヴェネツィア外交を活写した塩野七海の『海の都の物語(上下)』もまた読みたくなってきた。

一冊で色々な観点から楽しめる他、イマジネーションというか連想を刺激してくれる逸品だ。