2008年6月26日木曜日

第七十二段 アフガニスタンの溜息

去りし2008年4月、アフガニスタンでカルザイ大統領の暗殺未遂事件がありました。当初はアル・カイーダ等のイスラム過激派組織の関与が疑われておりましたが、6月26日に共同通信が伝えた所によると、アフガン当局はパキスタンの三軍統合情報部(以下「ISI」と表記)が当該事件に関与していると発表したそうです。(出典:共同通信)

そもそもカルザイ・アフガン大統領は「テロとの戦い」を旗印に掲げる米国によって擁立された存在。それに対して、何故「テロとの戦い」で米国に協力しているパキスタンの情報部が暗殺を仕掛けることになったのか? 

話は89年代まで遡ります。当時、アフガン現地の共産党政権へのテコ入れとイランのイスラム革命封じ込めを目的としてアフガニスタンに侵攻・駐留していたソ連軍が撤退を始めます。すると対ソ連ゲリラ戦を展開していた勢力が各地で軍閥と化し、自分達の権益を拡大するため、血で血を争う抗争を開始します(日本の戦国時代をイメージしてもらうと事態が把握し易くなるかと思います)。
そうなると困ったのが隣国パキスタン。何故なら一方でインドとの対立を抱え、一方ではアフガニスタンの混乱に対処しなければならないからです。そこで考えられたのが、パキスタンに協力的な勢力を育成し、彼らにアフガニスタンを統一させ、難民の流入防止、インドとの戦争が発生した場合の後方支援地帯確保等を同時に達成しようという計画。その中心になったのが、今回カルザイ・アフガン大統領の暗殺を謀ったとされるISI。そのISIによって育成された組織が有名なタリバンとなります。

ISIの工作は成功し、90年代を通じてタリバンはアフガニスタンの9割程度を手中に収めます。問題はタリバンがイスラム教に基づく厳格な支配を掲げていたこと。ロシアやインドは、タリバンのアフガン制圧が
自国のイスラム過激派を活気づけることを恐れ、旧軍閥勢力の連合体である「北部同盟」に支援を開始します(要するに「敵の敵は味方」という理論です)。

対するタリバンもISIを通じて新たなスポンサーを獲得します。それが有名なアル・カイーダ。そして世界は911を迎え、タリバンはアル・カイーダと一心同体とみなされ、米国を中心とした多国籍軍と北部同盟の連携攻撃によって敗走。ISIもムシャラフ・パキスタン大統領が対米協力を打ち出したことから、タリバンを表立って支援することが難しくなります。
やがてアフガニスタンにカルザイ政権が誕生しますが、それはISIにとって長年の敵であった北部同盟主体の政権。従ってカルザイ政権当初からアフガン政府とISIは強い緊張関係にありました。

もし共同通信の報じるニュースが事実だとすれば、2008年4月の暗殺未遂事件は、現アフガン政府とISIの緊張関係が遂に火を噴いたものと言えます。
そして問題は、パキスタン最高権力者として対米協力を掲げている筈のムシャラフ大統領の意向がISIには及んでいなかったということ。当ブログの七十一段でも触れましたが、パキスタンは核兵器保有国。そこでは軍部の中枢組織が最高権力者(とされている人物)の方針とは無関係に活動している・・・。
存在するかしないかわからない幽霊や呪いの類よりも、こっちの方がよっぽどホラーじゃないかと思う管理人でした。( ̄△ ̄;)