2008年7月22日火曜日

第九十一段 音速の遅い読書『宇治拾遺物語』

『宇治拾遺物語』という作品が御座います。
書誌的な情報としては、13世紀前半頃に成立した説話集であり、作者は判然としておりません(Wiki参照)。全15巻197話からなり、日本、唐土や天竺にわたる様々の話を載せています。
2008年7月に至るまで影印から完全現代語訳までが様々な出版社から出版されていますが、ここのブログで取り上げるものは、小学館の日本古典文学全集28(1973年初版)によります。
(とはいっても、あらすじにおける抜粋・現代語訳の責は、管理人にあります。)

全15巻197話もある中から今回取り上げるのは、巻8の第6話「猟師仏を射る事」。
話のあらすじは以下の通りです。
 1.昔、愛宕の山に長年修業を積んできた僧侶が住んでいた。
 2.近くにはその僧侶を慕う猟師が住んでいた。
 3.ある日、僧侶は猟師に対して「最近、自分の所に普賢菩薩がお見えになるのだ」と告げ、
   今晩は僧坊に泊って共に有難い菩薩に礼拝することを勧める。
 4.猟師は僧侶の申し出を快諾する。
 5.深夜になり、僧侶、猟師とそのお供の童の所に神々しい光と共に普賢菩薩が姿を現す。
 6.僧侶は感激して深く祈りを捧げる。
 7.一方の猟師は「長年修業を積まれたお坊様にのみ菩薩が見えるなら兎も角、
   仏事などロクにせず、罪深い殺生を重ねてきた自分や童子にまで菩薩が見
   えるのはおかしい」と訝る。
 8.やおら猟師は弓に矢をつがえ、さっと菩薩を射る。
 9.射られた菩薩は光を失い、鳴声を上げて逃げ出してしまう。
10.取り乱して詰め寄る僧侶に、猟師は「立派な貴方のみならず、罪深い私にも見え
   たのが不思議で射たのです。真の仏ならば弓矢如きで傷付くこともないでしょう。
   それなのに弓矢が突き刺さったのは不思議なことです」と言う。
11.翌日、3人が血の跡を辿っていくと、谷の底で大狸が死んでいた。僧侶はこの大狸
   に化かされていたである。僧侶は信仰心こそあったが思慮に欠けていたため、まんまと
   騙され、猟師は信仰心こそなかったが思慮があったため、偽りを見破れたのであった。

大狸にしてやられた僧侶の滑稽さが際立つお話ですが、時は中世。迷信・俗信の多く蔓延った時代に、理知的な判断を下せた猟師の方こそ褒められるべきでしょう。
そしてこのお話は遠い時代の怪奇譚に止まるものではありません。マスコミ等が実態以上に派手派手しく大げさに取り上げる話題・論調に振り回されてしまう現代日本の我々もまた、偽りの普賢菩薩を伏し拝んだ僧侶とあまり変わる所はないのではないでしょうか。
見た目の華々しさ、仰々しさに囚われることなく、一歩引いた冷静な目で観察と考察を行う(そして行動に移せる)猟師の精神の有り様を常に心に銘じて日々を送りたい、そう思わされた一話でした。