2008年11月1日土曜日

第百四十四段 音速の遅い読書『アメリカ外交の大戦略 先制・単独行動・覇権』

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の一冊。

アメリカ外交の大戦略―先制・単独行動・覇権
ジョン・ルイス ギャディス
単行本
慶應義塾大学出版会
発売日 2006-11

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副題に掲げられている「先制・単独行動・覇権」という外交スタンスは、世間一般の理解ではブッシュ(ジュニア)政権の専売特許として受け止められている(もっと粗雑な議論になると、その淵源がジョージ・W・ブッシュ大統領の個人的資質や陰謀論に結び付けられていたりもする)。

しかし、米国に於ける冷戦史研究の泰山北斗たるジョン・ルイス・ギャディス博士は、この本の中で「先制・単独行動・覇権」というブッシュ政権の外交スタンスは、911テロの洗礼の中から生まれた突然変異的な戦略ではなく、寧ろ19世紀アメリカの外交スタンスへの先祖返りとして見るべきものであることを、米国の歴史を振り返りながら指摘している。

博士の記述によれば、まず第一に、19世紀米国の周囲には、広大なフロンティアのみならず、カナダに英国、アラスカ及びサンフランシスコに至る米国西海岸にロシア、フロリダにスペインといった具合に欧米列強の植民地が存在した。そうした各植民地で本国政府の統制が及ばないもの、米国が掌握しきれていないフロンティアといった「力の真空地帯(ギャディス博士はこれを現在で言う所の「破綻国家」になぞらえている)」は、容易に米国に敵対的な先住民、盗賊・海賊の類の巣窟と化していた。

また、第二に、19世紀米国には、他国との条約締結は、米国を他国の面倒事に巻き込ませるものだというコンセンサスが存在していた。

第三には、ドングリの背比べ的に似通った力を持った諸国が割拠する欧州では、「勢力均衡」と言いながらも、外交関係は均衡点で安定することはなく、寧ろ長年にわたって戦乱を繰り返してきたという事実があった。

以上三点を踏まえて19世紀米国の外交官(そしてギャディス博士が「大戦略家」と評する)ジョン・クインシー・アダムズは、災厄の淵源となるかもしれない対象に対する「先制」、米国はその安全を他国の善意・力ではなく自国の力に依拠すべきである、従って、他国との国益の調整をおこなうような義務は負わず、米国の国益が挑戦を受けた時も他国との相互援助を制約すべきではないとする「単独行動」、同じような実力を持つ諸国家の共存を前提とする「勢力均衡」が安定と平和の獲得に役に立たない以上、米国は北米を中心に領土、国力の面で卓絶した勢力となることで、地域に平和と安定をもたらすべきであるとする「覇権」、以上三つのコンセプトをセットとした戦略を構築する。この三位一体の戦略は、その後の米国の基本的な戦略として機能し続け、米国は西半球の大国として安定と平和を享受することになる。

転機が訪れたのは第二次大戦の勃発である。空母や航空戦力の発達によって今まで米国を西半球に専念させてきた太平洋・大西洋の距離による安全保障が機能しなくなる中で、米国は外交戦略の再検討を迫られることになる。時の大統領フランクリン・ローズヴェルト(以下「FDR」と表記)は、今まで米国が採ってきた外交戦略を支える「先制・単独行動・覇権」というコンセプトの中で、最も優先されるべきものは「覇権」であると考え(但し、アダムズの「覇権」の範囲が西半球の域を一歩も出なかったのに対し、FDRのそれは世界を対象としていた)、それを実現・維持するための手段として、過去にウィルソンが確立しようとして挫折した「多国間協調主義」と時に冷酷なパワーポリティクスの論理を上手く接合することに成功する。この時FDRによって確立された新戦略が第二次大戦後から911勃発に至るまでの米国の規定戦略となっていく。

そして2001年9月11日に発生した911テロ。FDRの新戦略があくまで「国家を主体とした世界」を想定して作成されたものである以上、国家ではないテロ組織が米国及び他の主権国家の安全を脅かす時代に、そのままでは対応しきれないものであることは自明の理。では、米国はどのようにして新たな脅威の時代を生きていくべきかを考えた時、現ブッシュ政権が採用したのは、アダムズ戦略への回帰であったというのが、ギャディス博士の結論。

本書では、上記結論を踏まえた上で、復活したアダムズ戦略は果たして上手く機能しているのか、主役の座を降りることになったFDR戦略にもまだ十分な利用価値があるのではないかといった所まで、論を進めている。文体は簡潔にして研ぎ澄まされた刃の様な美しさも感じる(これは訳者の力も非常に大きいと思う)。当段では省略した米国外交の軌跡やFDRのしたたかさも含め、過去との生き生きとした対話によって現在・未来の見取り図を示す賢人の冴えを堪能できる一冊ではないか。