2009年1月25日日曜日

第二百段 日露首脳会談(予定)のその場所は・・・

ロシアのメドベージェフ大統領が、2月にサハリン2でのLNG対日輸出開始式典に合わせ、サハリンでの日露首脳会談を提案したらしい(出典:共同通信)。
このサハリンという島、近現代史を振り返れば日露にとって因縁の地とも言える場所である。

まず日本が徳川250年の泰平の眠りから半ば強引に起こされた19世紀後半に、江戸幕府とロマノフ朝ロシアの間で「日露和親条約」が締結され、サハリン(樺太)については、以下の通り、日露間のグレーゾーンとすることが両国間で合意された。
<日露和親条約 1855年2月7日>
第2条 今より後日本国と魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ」島
との間に在るへし「エトロプ」全島は日本に属し「ウルップ」全島夫
より北の方「クリル」諸島は魯西亜に属す「カラフト」島に至りては
日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是迄仕来の通たるへし
(出典:内閣府北方対策本部掲載のものより抜粋 強調部分は点額法師)
その後、明治維新とそれに続く戊辰戦争で江戸幕府に代わって近代国家としての明治政府が登場し、再度、日露間での国境画定交渉が行われ、「樺太千島交換条約」によってサハリン島(樺太)はロシア領、千島列島が大日本帝国領という形で両国の国境が画定されることになった。
<樺太千島交換条約 1875年5月7日>
第一款
大日本国皇帝陛下ハ其ノ後胤ニ至ル迄現今樺太島(即薩哈嗹島)ノ一部ヲ
所領スルノ権理及君主ニ属スル一切ノ権利ヲ全露西亜国皇帝陛下ニ譲リ而今
而後樺太全島ハ悉ク露西亜帝国ニ属シ「ラペルーズ」海峡ヲ以テ両国ノ境界
トス
第二款
全露西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ
代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島即チ第一「シュムシュ」島
第二「アライド」島第三「パラムシル」島第四「マカンルシ」島第五「ヲ子
コタン」島第六「ハリムコタン」島第七「ヱカルマ」島第八「シャスコタン」
島第九「ムシル」島第十「ライコケ」島第十一「マツア」島第十二「ラスツ
ア」島第十三「スレドネワ」及「ウシシル」島第十四「ケトイ」島第十五「シ
ムシル」島第十六「ブロトン」島第十七「チェルポイ」並ニ「ブラット、チ
ェルポヱフ」島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ権理及び君主ニ属スル一
切の権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲り而今而後「クリル」全島ハ日本帝国ニ属
シ柬察加地方「ラパッカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル海峡ヲ以て両国ノ
境界トス
(出典:内閣府北方対策本部掲載のものより抜粋 強調部分は点額法師)
この両国間で定められた国境線に変更が生じるのは、マンチュリアと朝鮮半島における日ロ両国の権益衝突に起因する日露戦争勃発(1904年)である。この戦争で辛くも勝利を手にした大日本帝国政府は、米国ポーツマスにおけるロシアとの講和条約によって、サハリン島の南半分(正確に言えば同島の北緯50度線以南の地域)を新たな領土として手にすることになった。
<日露講和條約 :所謂「ポーツマス条約」 1905年9月5日 >
第九條 露西亞帝國政府ハ薩哈嗹島南部及其ノ附近ニ於ケル一切ノ島嶼並該地方ニ於ケル一切ノ公共營造物及財産ヲ完全ナル主權ト共ニ永遠日本帝國政府ニ讓與 ス其ノ讓與地域ノ北方境界ハ北緯五十度ト定ム該地域ノ正確ナル境界線ハ本條約ニ附屬スル追加約款第二ノ規定ニ從ヒ之ヲ決定スヘシ
(出典:田中明彦研究所掲載のものより抜粋 強調部分は点額法師による)
やがてロシア・ロマノフ朝が1917年の革命で倒壊すると、大日本帝国政府は共産主義革命の波及を恐れる欧米列強と共にシベリアに出兵するものの何ら得るものなく終わり、旧ロシア帝国領の継承国家としてソヴィエト連邦が新たに登場することになる。
当初は共産主義を掲げるソ連に強い警戒感を有していた大日本帝国政府だったが、アジア・太平洋地域における米英との対立の深化もあり、ソ連に対して両国間の中立条約を持ちかける。対するソ連もナチス・ドイツとの開戦が近いことを予見していたこともあって提案を快諾し、1941年4月に「日本国及ソヴィエト連邦間中立条約(日ソ中立条約)」が締結された。
1941年12月、日ソ中立条約で後顧の憂いを絶った(と思っていた)大日本帝国は遂に対米開戦を決断し、ハワイ・真珠湾の米国太平洋艦隊に攻撃を仕掛ける。当初は順調に作戦を展開していた大日本帝国だったが、次第に経済力で勝る米国の巻き返しに直面するようになり、1945年時点では寧ろ米国が大日本帝国を押す展開となっていた。
一方ソ連は、米英から対ナチス・ドイツ戦の論功行賞と対日参戦の見返りとして、米英から旧ロシア帝国が日露戦争敗戦で失った極東権益を回復することへの支持を獲得し(所謂「ヤルタ協定」)、1945年4月に翌年で期限切れとなる日ソ中立条約を更新する意思がないことを大日本帝国側に伝え、同年8月に同条約の破棄を宣言して対日戦を開始して、マンチュリア、南樺太、千島列島から大日本帝国の勢力を駆逐することに成功する。
ソ連の急な対日参戦と米国による2回の原爆投下によって、戦闘継続が完全に不可能であることを悟った大日本帝国政府は、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、一時はアジア・太平洋地域に強勢を誇った大日本帝国は瓦解することとなる。
その後、連合国占領下で行われた諸改革の下で新たに日本国が誕生し、1951年のサンフランシスコ講和会議で独立国として認められ、現在に至っている。
<ヤルタ協定 1945年2月11日>
二 千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルベシ

(甲樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」聯邦ニ返還セラルベシ
(出典:田中明彦研究所掲載のものより抜粋 強調部分は点額法師による)
以上のように、日本近現代史にとって重要な舞台であり、旧ソ連の継承国であるロシアにとっては輝ける対日戦勝利の地でもあるサハリンで日露関係の今後を話し合うというのだから、その裏にあるロシア側の意図を勘ぐってしまうものもいたしかたない所。「両国間、色々と問題はあるけれど、戦勝国と敗戦国、それを弁えた上で話をしようじゃないか」というロシア側の心声を想像してしまうのは、あまりに穿った見方だろうか。

ただし、イランやイラク、アフガニスタンといった拡大中東に多大な資源を回さざるを得ず、その上、相次ぐ金融危機対策で米国債の健全性にも疑問の声が上がり始めた米国が、地政学的協力(具体的にはアフガンやイラクへの人民解放軍派遣等)や金融面での協調と引き換えに、中国の極東アジアでの勢力拡大(具体的には台湾と朝鮮半島での宗主権確立)を黙認することは十分に考えられるシナリオ(そしてこのシナリオが実現した場合、恐らくASEAN諸国は一気に中国に靡くことになるだろう)。

ならば東と西にあまり友好的とは言えない勢力が存在することになる日本としては、西(中国)と長大な国境線を接し、東(米国)に対しては強い対抗意識を有するロシアという存在は、インドやモンゴルと並んで外交の場で米中と渡り合うには欠かせないカードとも言える。

もし日露因縁の地たるサハリンで両国の首脳会談が実現した場合、日本側の首脳は、川路聖謨や榎本武揚、小村寿太郎や東郷茂徳といった対ロシア・ソ連外交の先人たちに対して恥じない交渉を行うことができるのだろうか。