2009年1月26日月曜日

第二百一段 音速の遅い読書『日本人狩り―米ソ情報戦がスパイにした男たち』

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の一冊。

日本人狩り―米ソ情報戦がスパイにした男たち
小坂 洋右
単行本
新潮社
発売日 2000-08

アマゾン通販

当ブログ前段にてサハリンを巡る日露の因縁を取り上げて一文を書いた後、急に読みたくなって手に取ったのがこの一冊。

表題の通り、この本は米ソ冷戦という時代背景の中、極東を舞台とした両国の熾烈な諜報戦の中でスパイとして生きることとなった日本人たちを取り上げている。主人公は二人。一人は終戦間際の樺太でソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留からの帰国後にソ連のスパイとなった。もう一人は故郷樺太を蹂躙したソ連への復讐心から米国側スパイとなった。その二人の数奇な人生を縦糸とし、二人の周辺の人々を横糸として織り込んで、冷戦という時代の一断面を鮮やかに浮き上がらせたのが本書である。

本書の中でまず印象に残ったのが、ソ連側のスパイとなった人物が明かすシベリア抑留生活の内実。この箇所を読むと、祖父のことが思い出されてくる。点額法師の母方の祖父(故人)は、第二次大戦当時、関東軍所属の兵士としてマンチュリアにあり、大日本帝国降伏直前のソ連参戦によって捕虜となり、シベリア抑留を経験していた。その祖父が生前ぽつぽつと語っていたシベリアでの抑留生活の有り様と本書の記述が、どうしてもオーバーラップしてくるからだ。

また思い出ついでに書けば、点額法師の出身地は対ソ連の最前線であった北海道なので、安全保障が単なるイデオロギー上の争点や法学・政治学上の論点ではなく、日々の生活に比較的近い位置にあった。例えば、海に行けば海岸沿いの道路脇に「密漁禁止」や「スピード注意」といった看板・標識に加え、「不審船注意」と書かれた看板を目にすることも決して珍しくは無かったし、漁船の張った網が米軍やソ連軍の艦艇によって引きちぎられるといったニュースもそれなりに報じられていた。
その上、点額法師の出身地は北海道の中でも道南という地域であることから、青森県三沢基地駐屯の在日米空軍の訓練空域に含まれており、しばしば低空飛行で学校やダム、役所といった目立つ建物を模擬標的として狙ってくるF-16のジェットエンジン音を耳にしながら日々を過ごしていた。
因みに、94年の第一次朝鮮半島核危機の際は、当然というかなんというか、例年より頻繁に低空飛行のF-16を目撃し、エンジン音を耳にしていた記憶がある(昔はこれらのものが「普通」だと思っていたのだが、京都の大学に進学後、その話を周囲にした所、皆大いに驚き、逆にこっちが面食らった思い出がある)。

閑話休題、冷戦激化を背景としたGHQによる日本占領政策の転換や朝鮮戦争の勃発、米ソの核開発競争等、今や歴史の一コマと化した多くの出来事の裏で、米国人やロシア人のみならず、多くの日本人をも巻き込んだ情報戦が繰り広げられていた。その情報戦こそが本書の見所でもあるのだが、同時にそれに当事者として巻き込まれた(或いは自ら渦中に飛び込んだ)人々のことを思えば、本書に出てくる以下の言葉が胸を打つ。
ロシア人はね、パーミチ、つまり記憶をとても大切にします。ほら、お墓の前には必ずベンチがあり、墓には個人の写真や胸像があるでしょう。訪れた人たちは、ベンチに座り、思い出話を故人に語りかけ、あるいは友人、家族同士で懐かしい記憶をたどるのです。記憶の中で、人は生き続けるのです。
と同時に、転んでもただでは起きない逞しさと楽天家気質を持ち、時にソ連のスパイマスターすら手玉に取りながら、今できる「最善のこと」を追求したソ連側スパイ氏の生き方を見ると、こちらまでもが不思議と楽天的な気分になってくる。修羅場を生き抜く秘訣は、意外にそんな些細な所にあるのかもしれない。