2009年3月9日月曜日

第二百三十段 イランはミサイルを撃ち、リビアは米国と武器商談のこと

3月9日、中東地域で注目すべきニュースが二つあった。一つは「イラン、新型ミサイル実験に成功」というニュース(出典:日経ネット)、もう一つは「米国、リビアへの防衛機器輸出を検討中」というニュースである(出典:ロイター

まずイランのミサイル実験だが、オバマ政権成立後の米国では対イラン姿勢が軟化しつつあり、それに歩調を合わせるようにイラン側もアフガン情勢等で米国に協力する素振りを見せるといった具合に、両国関係に比較的穏和な空気が流れ始めた矢先の出来事である。
何故イランは、今このタイミングで米国やその中東におけるパートナーたるイスラエルを挑発するような挙に出たのだろう?

点額法師の拙い脳みそで考え付く可能性は三つ。

イラン周辺地図(GoogleMapsより)
一つ目の可能性は、イラン政府の国内対米強硬派に対する配慮である。前述したように最近は米国・イラン関係は比較的落ち着いた状態にある。かといってイラン政府が単純に米国・イラン関係正常化に舵を切った場合、国内の対米強硬派から強い抵抗に遭う可能性がある。そこで米国・イラン関係が比較的安定しているこの時期に敢えてミサイル実験を行うことで、イラン内部の対米強硬派に対し、現政権が単純に米国にすり寄っているわけではないことを示したと考えられる。もしこの推論が正しければ、今回のミサイル実験でイラン現政権が対米強硬派にそれなりの義理を示した形となるため、逆説的ではあるがイラン側としては対米関係の改善に向けて動き出し易くなったと言えるのではないか。
二つ目の可能性は、有事における米軍の即応体制の実地検分である。視線をユーラシア極東部まで延ばすと、この地域では北朝鮮がポスト金正日体制に向けて動揺を見せ、それと関連してか「衛星の打ち上げ」宣言や定例的な米韓合同軍事演習に対して軍を臨戦態勢下に置くといった具合に緊迫した情勢が続いている。イラン政府はそんな状況下でミサイル実験を通じて中東の地に小波を起こすことで、朝鮮半島と中東で同時に有事が発生した場合の米軍の動きを探ろうとしているのではないか。
三つ目の可能性としては、周辺勢力への牽制である。最近米国がシリアとの関係改善に動き、英国がレバノン・シーア派組織ヒズボラと接触を始め、トルコ仲介でイスラエルとシリアとの間で和平交渉が再開されようとしている(出典:Novosti)。これらの動きがイランの目に「イラン孤立化と包囲網の形成」を目指した動きと映っても不思議はない(当ブログ二百二十六段参照)。そこでミサイル実験を通じてイランの軍事力を誇示することで、米英等に対しては「うちのシマに手を出すな」というメッセージを、シリアやヒズボラに対しては「我が国を裏切ったら、どうなるかわかるよな?」というメッセージを送ったのではないか。
点額法師としてはイランの狙いは第一の可能性3割、第二の可能性4割、第三の可能性3割といった所ではないかと考えているのだが、果たして・・・・・?

次に「米国が対リビア武器輸出を検討」というニュースだが、かつてのカダフィ大佐の反米スタンスとパンナム機爆破事件に代表される各種テロ事件との繋がり、そしてそれに対する米国レーガン政権のカダフィ大佐殺害を目的としたトリポリ空爆(因みに、この時の空爆ではカダフィ大佐の養女が死亡している)を知る人間にとっては、真に隔世の念を禁じえないニュースである。

しかし、何故この時期になって米国はリビアとの防衛協力関係構築に動き出したのだろう?

リビア周辺地図(GoogleMapsより)
ここで目をリビア周辺に転じれば、リビアの東、エジプトは高齢の強権的支配者ムバラク大統領がいつ「御万歳」を迎えてもおかしくない一方で、その後継者として確たる人物が見えてこない。そしてインフレや長年のムバラク大統領の強権支配の下で国民の間の反政府感情はかなり高まっていると言われる。
リビアの南東、スーダンを見てみれば、欧州をバックとする国際刑事裁判所がバーシル・スーダン大統領に対してダルフール紛争等における「人道上の罪」等で逮捕状を発布し、反バーシル派が動くにあたって格好の大義名分を提供してしまった。現状で国際刑事裁判所の悪乗り(さもなくば一流のブラックジョーク)に追随して行動を起こす勢力は現れていないようだが、それもいつまでのことか分からない。
つまり、リビアに隣接する北アフリカの主要国二つが、いつ動乱が発生してもおかしくない状況下に追い詰められているのだ。

このことを踏まえて米国の対リビア武器輸出の狙いを推察するに、エジプトやスーダンで動乱が発生した場合、リビアを地域のパートナーとすることで事態の速やかな打開を狙うと共に、仮にエジプトやスーダンで強硬な反米政権が成立した場合は、リビアにその牽制役になってもらう、そのための一里塚としての意味合いがあるのではないか。