2009年4月20日月曜日

第二百五十七段 音速の遅い読書『断章のグリム』1~10

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品

断章のグリム〈1〉灰かぶり (電撃文庫)
甲田 学人
文庫
アスキー・メディアワークス
総合評価 4.0
発売日 2006-04

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グリム童話をベースにした作品には二系統ある。一つはディズニー作品に代表される明るいファンタジー。もう一つはかつて流行った「本当は怖いグリム童話」に近い系統。この二つ。
本作品はどちらに属する作品か? それは後者である。

まず人間の世界は「泡禍」というものの脅威に晒されている。その「泡禍」に主人公とその仲間は「断章」と呼ばれる特殊能力で対抗するというのが、この現在10巻まで出ているこのシリーズの基本骨格である。

では、その「泡禍」とは何か? 本書では次のように説明している。
この概念上『神』と呼ばれるものに最も近い絶対存在は、僕ら人間の意識の遥か奥底で有史以来ずっと眠り続けている。眠っているから僕ら人間には全くの無関心で、それゆえ無慈悲で公平だ。
ある時、神は悪夢を見た。
神は全知なので、この世に存在するありとあらゆる恐怖を一度に夢に見てしまった。
そして神は全能なので、眠りの邪魔になる、この人間の意識では見ることすらできないほどの巨大な悪夢を切り離して捨ててしまった。捨てられた悪夢は集合無意識の海の底から泡となって、いくつもの小さな泡に分かれながら、上へ上へと浮かび上がっていった。
上へ―――僕たちの、意識へ向かって。
僕らの意識へと浮かび上がった<悪夢の泡>は、その『全知』と称される普遍性ゆえに僕らの意識に溶け出して、個人の抱える固有の恐怖と混じりあう。
そしてその<悪夢の泡>が僕らの意識よりも大きかった時、悪夢は器をあふれて現実へと漏れ出すのだ。

この「泡禍」が現実世界に漏れ出した時、それは童話や神話といった人類に古くから伝わる説話の形をとって顕在化するのだが(この辺りの詳細な説明は本書を参考されたし)、その際に日頃の行い、日々の努力、個人の人間性、そういったものを一切無視して哀れな被害者を呑み込むという「泡禍」の性質を見ると、株式投資をやっている人間としてはそれが「バブル経済」と二重写しに見えて仕方がない
「異形の経済学者」とも呼ばれるスーザン・ストレンジは、著書『カジノ資本主義』(1988年刊:岩波書店)で、膨張する金融市場の陰影を以下のように描写した。
大金融センターのオフィス街のカジノで進められていることが、新卒者から年金受領者まですべての人々の生活に、突然で予期できない、しかも避けられない影響を与えてしまうのである。金融カジノでは誰もが「双六」ゲームにふけっている。サイコロの目がうまくそろって突然に幸運をもたらすか、あるいは振り出しに戻してしまうかは、運がよいかどうかの問題である。

如何なる斟酌も酌量も無く、ひたすら人々を呑み込み翻弄していく「泡禍」と「バブル経済」、本当に似ている。(そういえば、どっちも「泡」だ・・・)。

そしてその「泡禍」の脅威に対抗するには、「泡禍」から生還した人間の特殊能力「断章」が必要となってくる(といってもせいぜいが「泡禍」の損害を最小限にすることぐらいしかできず、それすら苛酷・無惨な決断無しには済まないのだが・・・)。だが、「断章」は「泡禍」ゆえにもたらされたものであり、一般的なファンタジー等で主人公が努力の果てに掴んだ魔法や技とは全く異質の暗さを含んでいる。

そして、再度現実世界の金融市場に目をやれば、「バブル経済」の悪弊に対応することは、素人には土台無理な話で、金融や経済に通じた専門家の力が必要になってくる。だが、その専門家の力とてせいぜいが悪弊の被害をどの程度小さくできるか、といったものでしかなく、それすらも多くの批判や後味の悪さ無しでは済まないものであることは論を俟たない。

他にも、本シリーズには投資家が見ればどうしてもバブル経済に連想が及んでしまうような記述が散見される(著者がどの程度それを意識して書いているかは不明だが・・・)。

まぁ、そこまで穿った読み方をしなくても、本書で披露される民俗学等の知識はトリビア的好奇心を満たしてくれるし、単純なホラーものとしても十分に面白い。
痛覚的な意味で非常に刺激的な描写があるので、苦手な人は注意が必要だろうが、一読の価値ある作品と言えよう。