2009年4月9日木曜日

第二百四十八段 音速の遅い読書『ニミッツの太平洋海戦史』

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。

ニミッツの太平洋海戦史
チェスター・W. ニミッツ
単行本
恒文社
発売日 1992-08

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日本列島に基盤を置く国家と国民の運命は、基本的に実に単純なルールに基づいて決定される。その単純なルールとは、本書序文のニミッツ提督の言葉に端的に示されている。
日本は、強力な海上力を持つことによって、あるいは、大きな海上力を有する強力な同盟国と手を堅く握ることによってのみ、その生存と繁栄を続けることができる。
これは歴史的に見ても全くの事実である。現在の日本では、1億人以上の人々が豊かな食物と快適な空調、そして多種多様な娯楽に囲まれながら四六時中を過ごしている。この大部分の日本人の生活レベルは、同時代のアフリカやアフガンの人々は無論のこと、ほんの200~300年前の王侯貴族のそれを遥かに凌駕するものである。この繁栄の大部分が、日本が同盟国米国の強大な海軍が睨みを利かせる”海上の道”を通じ、原材料を輸入して優れた工業品に加工し、それを世界中に売り捌いている事実に依っていることを否定する人はまずいないだろう。

逆に、日本が”海上の道”から目を背けた時代は、同時に停滞と貧窮の時代であった。1867年の明治維新の以前の日本列島、江戸幕府という政権が世界と政治的・経済的繋がりをほぼ遮断し、完全な自給自足体制を築きあげていた時代がその典型である。
人口は大体3000万程度で安定していた。もしこのラインを越えて人口が増加した場合でも農業を基盤とした脆弱な社会はこれを強固に支えることはできず、冷害や旱魃による飢饉、疫病といった調整役によって、増えた人口は”いつもの水準”にまで戻るのである。
生活水準はどうか? 当時の世界各地域と比して特段貧しいという訳でもなかろうが、特段豊かとも言えないというのが妥当な所だろう。少なくとも、現代の一般的な日本国市民はおろか、昭和期や大正期、明治後期の大日本帝国臣民が好き好んで回帰したいと願うほど魅力的なものとは考えにくい

閑話休題、その海に背を向けた貧しい江戸幕府の時代と海を利用することで世界屈指の豊かさを手にした日本国の時代、その中間には大日本帝国の時代が存在する。この大日本帝国の時代は、その海洋戦略によって前期と後期に分けることができる。

1867年の明治維新で産声を上げた大日本帝国は、当初強大な海上力を有するイギリスとの友好関係(後に同盟)を外交の柱として国際社会の荒波に漕ぎ出し、やがて日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)の両戦役を経て列強の一角を占めるに至る。これが前期である。
大国の仲間入りを果たした大日本帝国は、第一次大戦(1914年)を戦勝国として乗り切るや(必ずしも大日本帝国の意図にのみ依るわけではないが)日英同盟を破棄し、自らが海洋大国となって太平洋地域の主導権を握る道を目指すことになる。これが後期である。

後期の大日本帝国の行動は、太平洋に大きな関心を抱くもう一つの大国アメリカ合衆国の反発を招くことになる。両者の対立は大日本帝国連合艦隊の米国領ハワイ島真珠湾攻撃(1941年)によって幕を開け、日本本土に対する二発の原爆投下とソ連の突然の対日参戦による大日本帝国の降伏で幕を閉じる。所謂「太平洋戦争」の顛末である。

本書は、その太平洋戦争においてアメリカ太平洋艦隊を統率したニミッツ提督が、戦後、広大な太平洋を舞台に繰り広げた大日本帝国海軍との国家の生存を賭けた熾烈無惨な戦闘を振り返り、自身が如何に考え、判断し、作戦を実施したか、そして当時実施された日米両軍の作戦に対する自身の見解をまとめた作品である。

大日本帝国軍の敗因として軍内に蔓延るセクショナリズムが挙げられることは多いが、本書を読む限りでは米軍のセクショナリズムもなかなかのものである。いや、兵站の軽視を除けば、大日本帝国軍の敗因として語られる事象は、結構当時の米軍においても認められるものであったといえよう。

それでも米国が勝って戦後の覇権を握り、大日本帝国は敗北して滅亡したのは何故か? やはり大日本帝国軍は兵站を軽視し、米軍はそうでなかったというのが大きいのだろうし、他にも多くの要因があろうが、本書を読むと、米軍の改善主義もまた勝敗に大きな影響を与えたように思える。
要するに、米国は失敗した場合、着実にその要因を分析し、得た教訓を次に反映しているが、大日本帝国軍はそうではなかったのである。同じ過ちを度々繰り返しているのである。
結果、米軍は戦えば戦うほどに強くなったものの、対する大日本帝国軍は戦う毎に同じ過ちを繰り返し続けて消耗する一方となったのである。

もとより本書は題名に「ニミッツの」と銘打たれているように、ニミッツ提督の目に映った太平洋戦争の様相を記したものである。だから本書の記述には、当然ながら完全な公正無私、厳正な不偏中立といったものは期待すべきではなかろう(但し、本書では大日本帝国を悪、米国を善と道徳的に色分けする記述は全く無い。あくまで生存を賭けて争う二つ国家の軍勢が如何に戦ったかをできるだけ客観的に記そうとしている)。
それでも、真珠湾の衝撃に沈む米海軍が、ニミッツ提督の指揮下、態勢を立て直し、優勢な敵軍の前によく粘り、やがては形成を逆転に導き、敵国を降伏させるに至る経過は実に興味深い。戦史としての面白さ以外に、日常においても生かせる教訓や考え方に満ちた作品と言えよう。