2009年4月12日日曜日

第二百五十一段 中国、時を超える三角関係

21世紀前半の国際社会において良くも悪くも政治・経済両面で大きな存在感を示す中国。その中国を率いる胡錦濤国家主席が、民主的改革への反発で失脚した悲劇の宰相胡耀邦を政治的恩師とし、最後の革命元勲鄧小平によってポスト江沢民として位置付けられて現在の地位に至ったことは広く知られている。そして胡耀邦の栄達と失脚に鄧小平が大きな役割を果たしたことも広く知られている。この胡錦濤―鄧小平―胡耀邦の複雑な三角関係は、今の中国政治においても未だに隠微な影を落とし続けている。

そしてここにきて、その三角関係を蒸し返すような話が出てきた。時事通信は以下のように伝えている。
【香港11日時事】中国共産党の故胡耀邦元総書記が1987年に失脚する前に、米国の学者との会見で当時最高実力者だった故トウ小平氏の政治的保守性を批判していたことが分かった。この学者が香港誌・明報月刊に語った。
  胡氏と会ったのは米国の政治学者、楊力宇氏。同誌4月号によると、胡氏は1980年代半ば、北京で楊氏と会見した際、経済改革だけを進め、政治改革を拒む のは誤りだと述べたほか、トウ氏が提起した共産党の指導など「四つの基本原則」堅持という言い方や「ブルジョア自由化反対」「精神汚染反対」といった保守 派主導の政治キャンペーンにも反対を表明した。
 胡氏は名指しを避けたものの、明らかにトウ氏を批判の対象にしていたという。楊氏は「胡氏とトウ氏は多くの理念や主張がほとんど正反対だった」と回想している。(2009/04/11-17:32)(出典:時事通信)

さて、ここでユーラシア西部を見れば、中国と陰に陽に協力関係があるとされるイランが核開発進捗の順調さを誇示する一方(出典:共同通信)、エジプトの同国内におけるヒズボラの蠢動批判(出典:GulfNews)、「イランは張り子の虎」発言に代表されるサウジ政府の対イラン口撃激化(出典:GulfNews)といった具合にアラブ諸国はイランへの強硬姿勢を強めている(これらアラブ諸国の姿勢は、イスラエルのイラン攻撃にとって追い風となり得る)。
片やユーラシア東部を見れば、中国が実質的な庇護者となっている北朝鮮がミサイル実験を行ったことで、日本や韓国といった周辺国との間で緊張が高まっている。

そんな微妙な時期に、イランと北朝鮮の両方にパイプを持つ中国現政権の正統性に傷をつけかねないニュースが出てきたわけで、その背後関係について色々な考え(妄想)が巻き起こってくるのは致し方ない所ではある。
何といっても、現国家主席の師匠と抜擢者が対立関係にあったという話が大っぴらになれば、反胡錦濤派にとっては格好の批判材料が出てきたことになるし(要するに「お前は鄧小平の流れを継ぐものなのか、胡耀邦の流れを継ぐものなのか、はっきりせよ」と迫れる)、その批判への答え如何によっては胡錦濤政権は自らの支持勢力を減らし、幾つかの勢力を敵に回しかねないのだ(胡耀邦寄りの姿勢を単純に示せば、鄧小平とその一族に近い勢力には面白くないだろうし、鄧小平寄りの姿勢を単純に示せば、胡耀邦に同情的な人々の反感を買うことになる)。まさにこのニュースは、胡錦濤政権を弱体化させかねない地雷なのだ。今後の展開が非常に気になる。
( ̄w ̄;)

また、世界各国の例を見れば、政治改革(所謂「民主化」)を先行させた国々は、当初こそ西側社会から賞賛されたものの、結果的には政治的混乱、甚だしきは内乱の落とし穴にはまって国際社会のお荷物と化してしまったものも多い(例:アルジェリア、ユーゴスラビア、(傷は比較的浅かったものの)東欧諸国、ロシア(特に原油価格高騰前の)等)。対して経済改革(所謂「市場経済化」)を先行させた国々は、「開発独裁」と呼ばれて人権団体やら国際機関から批判を受けたものの、結果的には国家経済の近代化や国民生活水準の向上に成功し、国際社会においても一定の影響力を有するようになった(韓国、シンガポール、台湾、インドネシア(97年の通貨危機以降はパッとしないが)等)。

その意味で、10億人以上の人々が暮らす人口大国において「政治は共産党独裁、経済は自由化」という鄧小平路線が「政治も経済と同様に自由化(民主化)」という胡耀邦路線に勝利したのは、日本や韓国、それに東南アジアといった周辺諸国にとって真に幸運なことであった。中国がユーゴスラビアの如き惨状となって大量の難民が溢れ出した場合を想起すればこの思いは一層強くなる。
何故なら、仮に中国がユーゴ化した場合、日本は万単位の(しかも脱走兵や脱獄者、犯罪組織の構成員といった武装者をそれなりに含むであろう)難民を前に対処しなければならなかっただろうし、弱く分裂した中国で経済が発展するわけがないから、後年の中国需要を背景にした重厚長大産業の復活もあり得なかったからだ。

そう考えれば、胡耀邦に対する鄧小平の政治的勝利、そして天安門事件における鄧小平の決断と行動は、日本においてはもっと評価されて然るべきだろう。