2011年12月29日木曜日

第四百二十九段 イスラム金融メモ

金利というものは、単純に金銭貸借において授受される他、ある時は投資収益の判断材料となり、またある時は一国の景気の判断基準になったりと我々の社会の様々な局面に深く根付いた存在である。
だが世界とは広いもので、イスラム教徒が多数を占める国・地域では、その金利を排する形で様々な金融取引が行われる所謂「イスラム金融」なるものがあるという。
そんな彼我の金融システムの違いに単純に興味を覚えてちまちまと情報を集めているのだが、それらを取り敢えずまとめてみたのが当該段。

まずイスラム金融の基礎を知るため手にとって見たのが以下の二冊。





どちらの内容も「金利禁止」を最大の特徴とするイスラム金融において、具体的にどのような金融取引・商品が存在するのかを説明するものとなっている。
そんな両書を比較するとどちらかと言うと「イスラム金融―仕組みと動向」の方が例示や図解が多く、分かり易い気がした。
ただし、どちらも「イスラム教では教義によって金利が禁止されている」というのを当然の前提として論を進めているせいか、「金利の禁止」がどのような範囲に及ぶのか? 授受するだけではなく金利を容認する金融システムで用いられているLIBOR等を指標として利用することも駄目なのか? 金利を容認しないイスラム金融と金利を容認する社会で用いられているIFRS等の会計基準との整合性はどのように図られるのか? といった問題点はあまり掘り下げられていない。

次に読んだのが以下の本。



この本では主に前近代を対象として、形而上のみならず日常の様々な諸活動まで包摂するイスラム教と言う価値体系における商業等経済活動の位置付け、並びにそれが如何なる法体系の規制を受けていたかを論じている。従って現代のイスラム金融について直接触れた部分は少ないものの、その歴史的な背景を掴むには好適な一冊だと思われる。
なお、当該作品で最も参考になったのが、イスラム教におけるリバー(日本では一般に「利子」と訳されている)禁止規定についての記述である。それによれば、リバー禁止規定の範囲が不当な高利に限定されるのか利子一般に及ぶのかはイスラム法学派や学者によって長年議論の分かれてきたところであり、前近代においては禁止規定が高利に限定されるという解釈が一般的で、現代、特に1970年代以降は禁止規定が利子一般に及ぶという解釈が有力になったという。
個人的に、モンゴル帝国時代について書かれた本に目を通していて「イスラム商人による中国における金貸し業」に触れた箇所がある度に「イスラム教だと利子の授受は禁止されていたんじゃなかったのか?」と疑問に思っていたのだが、なるほど、前近代のイスラム教においては「不当な高利」のみが禁止されていたのであれば、モンゴル帝国時代にイスラム商人が金貸し業を営んでいても不思議ではない。これで一つ疑問が氷解した。

また最近、カタールの英字紙Gulf Timesに今年12月29日から同国取引所にてカタール政府発行の短期債が取引開始となる旨の記事に出会った。以下に引用した英文がそれである。
T-Bills are public debt instruments (Securities), which are issued by Qatar Central Bank at a discount to the face value. On the maturity date the full par value is paid by the issuer to the investor.
T-Bills provide investors with the opportunity to benefit from a “guaranteed return” over a short period.
QE will begin treasury bills trading with the introduction of a number of TBills, all of which have been issued by Qatar Central Bank to the primary market.
The stock exchange yesterday announced its “full operational and regulatory readiness” to launch the debt instruments market.
Qatar Exchange Deputy CEO Rashid bin Ali al-Mansoori said the QE management received the approval of Qatar Financial Markets’ Authority to launch the Debt Instruments Market. QE has received from Qatar Central Bank a list of T-Bills that will be listed for trading as of December 29.
Al-Mansoori referred to a statement by HE the Qatar Central Bank Governor, Sheikh Abdulla bin Saud al-Thani, which is published on the QCB website in which he announced the start of listing short term T-Bills on the QE from December 29. This is a first step to launch the secondary market trading for bonds on Qatar Exchange providing the diversification of investment instruments in the Qatari market.
The listing of the short term T-Bills on Qatar Exchange is expected to attract the attention of banks, financial institutions as well as investors, and the listing of Government Bonds and the presence of a bond market will encourage companies to issue and list bonds as another alternative for financing and ultimately contribute to increasing liquidity in the market.
A T-Bill has three principal characteristics, which determine its value to an investor. They are discount yield, maturity date and principal amount (Par Value)
The discount yield is a function of the price paid and represents the rate of return on the treasury bill on an annualised basis. The higher the discount yield (the lower the price paid), the greater the return to the investor.
Maturity date is the one on which the issuer repays the par value to the holder of the T-Bill. All T-Bills are short term, as they are issued with a maturity date that is equal to or less than one year from the issue date. They are usually issued with maturity periods of three months, six months and nine months.
2011年12月27日 Gulf Timesより

記事を読むと当該短期債は割引債形式で発行されているらしい。ここで思い出したのが、日本財務省サイトにて公開されていた資料「バハレーンにおけるイスラム金融の実情」で紹介されていた、バーレーン政府発行スクーク債の話である。当該資料によると、バーレーンは以下のような形で割引債に相当するスクーク債を発行していたという。
短期物については、スクーク・サラームという形式で、中銀が政府に、例えば、アルミ(国営の精錬会社あり)を注文し、その資金を前渡して、期日にアルミを売って資金を返還するものである。これによると、前渡金より期日の返済額が多くなるため、いわば割引国債に相当するスキームといえよう。

短期債、そして割引債形式と言う点で12月27日付Gulf Timesが伝えるカタール政府発行債と共通している。ただし当該Gulf Times記事では、バーレーン例における国営アルミ会社に該当するものがあるのか否か、あるとしたらそれはどんなものなのか、といった点がよく分からなかったので、カタール中銀及びカタール取引所のサイト(英語版)に何か情報はないか調べに行った。
だが、両サイトで「T-Bills」等関連するであろう語句を使って検索をかけてみても当該Gulf Times記事以上に詳しい情報を見つけ出すことはできなかった(これは単に自分の調べ方が悪いだけかもしれない)。
それでも収穫が全く無かったわけでもなく、カタール中銀のサイトにて以下の文章を見つけることが出来た。
In September 2003, the Government issued a US $ 700 million Islamic Trust Certificate (ITC or Sukuk). The issued Sukuk had an A+ Standard and Poor’s rating, was endorsed by the Bahrain-based International Islamic Financial Market (IIFM), and was heavily over-subscribed. The Qatari Sukuk carried variable yield at 40 basis points above the LIBOR rate.

この一文から推測するに、スクーク債の投資家に対する利益配分基準を決定する際の指標として、LIBORを利用することはどうやら問題が無いらしい。

「なるほど・・・・」と思っているとまた別の疑問が湧いてきた。それはカタール中銀が設定している「QCB interest rates」の存在である。これってイスラム法上はどんな位置付けになるのだろう?

イスラム金融、まだまだわからないことは多い・・・・・

(不定期に続く)

2011年12月28日水曜日

第四百二十八段 カール・ヴィンソン香港入港のこと

去る2011年12月19日、北朝鮮の最高指導者として君臨してきた金正日総書記の死亡(注1)とその三男たる金正恩氏が後継となったことが報じられた。そして北朝鮮権力事情の不透明さと未だ30歳にも満たない金正恩氏の政治手腕への不安から、韓国や中国、日本といった近隣諸国は、北朝鮮の暴発や急激な崩壊に備えて軍の警戒態勢を強めている(注2)(注3)。

そんな朝鮮半島緊迫化の中、12月27日、米空母カール・ヴィンソンが香港入りした(注4)。これによってマラッカ以東ハワイ以西の海域に展開する米空母は、横須賀のジョージ・ワシントンと香港のカール・ヴィンソンの2隻となった。

個人的にこのカール・ヴィンソンの香港入港は、少なくとも結果的に、朝鮮半島情勢を睨んで実に上手い一手となったのではないかと考えている。
というのも、もし仮にカール・ヴィンソンの寄港地が他の港湾だった場合を考えると、例えば佐世保や釜山であった場合には、最高指導者の死に揺れる北朝鮮にあまりに近過ぎ、新体制移行を巡ってナーバスになっているであろう北朝鮮指導部や軍部に対して過度の「力の誇示」となって無用の刺激を与えかねない問題がある。
他方、もう少し南のマニラに寄港した場合、フィリピンと中国とが南沙諸島問題で対立を深めていることを考えるならば、フィリピン政府は「米比協調の象徴」と捉えて喜ぶであろうものの、米国の意図について中国政府に対し無用の疑念を生じさせかねない。これは朝鮮半島安定化について米国が中国の協力を必要としている状況下では決して望ましいことではないと考えられる。

これら諸港に比して、香港(言うまでもなく中国の支配下にある港湾都市)にカール・ヴィンソンが寄港したことは、朝鮮半島情勢において最も影響力の大きい関係国たる中国政府と米国との関係が少なくとも現時点では安定していることを示すメッセージとなるし、距離的にも仮に北朝鮮で一朝事あった場合に拱手傍観することなく速やかな介入を図れる位置につけたことを意味する(注5)。

以上が、朝鮮半島情勢を睨んでカール・ヴィンソンの香港入港が少なくとも結果的には上手い一手となったと考える理由である(注6)。

注釈
注1.聯合ニュースの2011年12月19日「北朝鮮 金正日総書記死去」参照のこと。なお当該記事によれば、実際に金正日総書記が死亡したのは2011年12月17日のことだという。
注2.聯合ニュースの2011年12月19日「<金総書記死去>韓国軍 非常警戒態勢に突入 」は、同日付で韓国軍が非常警戒態勢に入ったことを伝えている。
注3.朝雲新聞サイトは、2011年12月22日「北朝鮮 金正日総書記が死亡 自衛隊 警戒監視態勢を強化」において、自衛隊が対北朝鮮監視体制を強めていること、そして中国軍が北朝鮮との国境地帯における警備を強化していることを伝えている。
注4.空母カール・ヴィンソンは、整備・補修のため、2011年6月15日来母港サンディエゴに入港していたが、西太平洋地域でのパトロール任務に従事するために2011年11月30日に同港を出港していた。
注5.香港からバシー海峡、宮古島-沖縄本島間を抜けて38度線近隣海域に至るルートの距離が大体3000kmであること、そしてカール・ヴィンソンの速力が30ノット(時速56km相当)以上であることから、仮に香港寄港中の同空母が件のルートを最低速度で動いたとしても、大体2日ちょっとで38度線近隣海域に到達する計算となる。

注6.カール・ヴィンソンの香港寄港と金正日総書記の死亡による北朝鮮の変動期入りが重なったのは偶然であろう

参考資料
・USS Carl Vinson 「In port Hong Kong: 27 December 2011」 2011年12月27日
・朝雲新聞 「北朝鮮 金正日総書記が死亡 自衛隊 警戒監視態勢を強化」 2011年12月22日
・聯合ニュース 「北朝鮮 金正日総書記死去」 2011年12月19日
・聯合ニュース 「<金総書記死去>韓国軍 非常警戒態勢に突入」 2011年12月19日

2011年12月17日土曜日

第四百二十七段 シナイ半島の暗雲

中東にシナイ半島という場所がある。ユーラシア大陸とアフリカ大陸を繋ぐ陸橋として古来よりアケメネス朝ペルシャ帝国やアレクサンダー大王、正統カリフに率いられたアラブ人たち、そしてオスマン朝のセリム一世といった大征服者たちが往来し、また、地中海と紅海(更にその奥に控えるインド洋)の最接近部として、海洋貿易に活躍した無数の商人たちが行き交い、19世紀帝国主義の時代にはスエズ運河の開削によって七つの海に覇を唱える大英帝国の世界戦略、所謂「3C政策」における扇の要ともなった、そんな場所である。

こうした交通・輸送の要衝としてのシナイ半島の位置付けは現在21世紀においても変わってはいない。以下の地図において紺色の線で示したスエズ運河の海上交通における重要性はレセップスの時代から揺らいでいないし、当ブログ「第四百五段 エリュトゥラー海@21世紀」で述べたように欧州と中東・インドを繋ぐ通信ケーブルもこの地を走っている。そして親西側外交に軸足を置くイスラエルやヨルダンに天然ガスを供給するパイプラインもまたシナイ半島やそれに極めて隣接した箇所に敷設されているのである(以下の地図において赤線及び黄色線にて図示)(注1)(注2)。


斯くの如き重要性を有するシナイ半島ではあるが、一方で当該半島は第二次及び第四次中東戦争においてイスラエル-エジプト両軍の激戦地となったこともあり、1979年に両国間で平和条約が締結されて以後、イスラエルは無論のこと、領有国たるエジプトもまた新たな戦争の引き金となることを恐れて軍や警察の大部隊を当該半島に展開することを長く憚ってきた。その結果、当該半島は一種の権力空白地域となり、中東各国で政府から弾圧を受けたイスラム過激派の避難地と化してしまったとされる。
にも関わらず、シナイ半島においては2010年までパイプラインやスエズ運河に対するテロ攻撃は殆ど発生してこなかった。このシナイ半島の不思議な安定状態をもたらした要因について、東京財団の佐々木良昭主任研究員は以下のように述べている(注3)。
シナイ半島に住むベドウインの部族は、ムバーラク大統領の時代、ある種の秘密の合意が、あったのであろう。その秘密合意に基づいて、ベドウイン部族はガザに密輸をするうえで、自分たちで自主的に、制限を設けていたのであろう。
 同時に、シナイ半島に入ってくるよそ者に対しては、厳しい監視の目を、光らせていたものと思われる。

つまり、エジプト軍・警察が表立ってシナイ半島に展開すれば、如何に「国際的な重要性を持つ半島地域の安定確保」という大義名分があったとしても、幾度も戦火を交えたイスラエルの疑心は免れ得ず、却って当該半島に不要な緊張をもたらしかねない、そこで地元のベドウィンにシナイ半島におけるイスラム過激派等の活動を牽制させ、その見返りにエジプト政府から何らかのアメを彼らに与えた、この仕組みがシナイ半島の安定をもたらしてきたのだろう、というわけである。

しかし、2011年1月にムバラク政権が民衆の大規模な反政府デモをきっかけとして崩壊して後、エジプト政府とシナイ・ベドウィンの協力関係も政権と運命を共にしてしまったのか、シナイ半島の治安状況は一気に悪化し、エジプトからイスラエル・ヨルダンに向かうガス・パイプラインへの攻撃やタバ等シナイ半島リゾート地を狙った爆弾テロが相次いで発生するようになった。
そこでエジプト政府は、今年8月に入ってイスラエルの了承を取り付けた上で1000名規模の兵力をシナイ半島北部を中心に展開させて同半島の治安回復を図ったのだが、パイプライン等に対するテロ攻撃はその後も続き(注4)、治安維持における従来の協力者であったベドウィンとの関係についても、金銭等現実的便益の提供によるアル・カイーダ等過激派勢力による切崩し工作が着々と進行しているとの指摘が現れた(注5)。
こうしたエジプト政府の苦闘に業を煮やしたのか、イスラエル・メディアからは「政府はシナイ半島介入部隊の派遣も考慮すべき」といった声も報じられている(注6)。

以上のようなシナイ半島情勢に加え、エジプト本土では、人民議会選挙においてイスラエルとの平和条約について見直しも辞さない姿勢を示すイスラム主義勢力の大躍進がほぼ揺るぎない状態となっていることを考え合わすと、今のシナイ半島を取り巻く状況はかなり剣呑なものと言えるのではないか。そしてもし万が一、当該半島で悲劇的な事態が発生すれば、それは隣接するイスラエル、エジプトの二カ国にとどまらず、スエズ運河、通信ケーブル、パイプラインといった導火線によって、中東域内域外を問わない多くの国々に不幸な結果を波及させていくことになるのではないだろうか。

注釈
注1.イスラエルの2008年時点の発電能力11675MWのうち、天然ガスが占める割合は26%程度となっている(石炭が約65%で最大)。そして同年における天然ガス供給量においてエジプト産が占める割合は15%ほどとされる。なおイスラエルは東地中海における自国EEZ内での海底ガス田開発を進めている他、イスラエル企業がキプロス政府の海底ガス田開発に協力しているが、これらの行動に対してレバノンやトルコが反発を強めてもいる。
注2.ヨルダンは年によって多少の異同はあるものの、エネルギー資源の概ね9割強を近隣諸国からの輸入に頼っているとされる。そんなヨルダンに対するエジプトの天然ガス輸出は、2003年に11億立方メートル/年をパイプラインで輸出したことから始まった。2007年時点でエジプトの対ヨルダン天然ガス輸出量は23.5憶立方メートル/年(全輸出量の約15%)となっており、これはヨルダンにとって発電容量のほぼ8割に相当する。なおエジプトにとって同年時点で最大の天然ガス輸出先はスペインであり、輸出量は40.4憶立方メートル/年で全輸出量の25%ほどを占めている。
注3.同氏のブログ「中東TODAY NO・2067「シナイ半島がイスラム国家になる危険」」を参照のこと
注4.シナイ半島でのパイプラインに対するテロ攻撃は今年に入って8回発生している。最新のケースは11月25日に発生している。詳細についてはPetraの2011年11月25日「Egypt gas pipeline attacked」等を参照のこと
注5.
Jerusalem Postの2011年11月18日「Sinai Beduin join al-Qaida out of bitterness, not ideology」を参照のこと
注6.Jerusalem Postの2011年11月24日「'Israel should consider Sinai intervention force'」を参照のこと


参考資料
・Al Arabiya News 「Local sources say Bin Laden’s doctor trains Sinai militants, security official denies」 2011年8月25日
・HAARETZ 「Egypt deploys thousands of troops and tanks in Sinai, in coordination with Israel」 2011年8月14日
Jerusalem Post 「Sinai Beduin join al-Qaida out of bitterness, not ideology」 2011年11月18日
・Jerusalem Post 「'Israel should consider Sinai intervention force'」 2011年11月24日
・JETRO 「中東および北アフリカにおける再生可 能エネルギー市場に関する調査 ~アルジェリア、バーレーン、ヨルダン、クウェート、リビア、モ ロッコ、オマーン、カタール、シリア、チュニジア編~」 2010年3月
・JETRO 「中東および北アフリカにおける再生可能エ ネルギー市場に関する調査 ~イスラエル編~」 2010年3月
・JOGMEC 「イスラエル・パレスチナ自治区: ガス資源開発が平和をもたらすものとなるか?」 2009年6月
・JOGMEC 「イスラエル:巨大ガス田発見による期待と不安」 2010年8月
・JOGMEC 「イスラエル沖合の探鉱:レバノンとの境界線問題」 2011年7月
・JOGMEC 「イスラエル・キプロスにおける大規模ガス発見と東地中海地域を取り巻く情勢」 2011年11月
・Petra 「Egypt gas pipeline attacked」 2011年11月25日
・アブラハム・ラビノビッチ 「ヨムキプール戦争全史」 2008年12月 並木書房 滝川義人訳
・佐々木良昭 中東TODAY NO・2067「シナイ半島がイスラム国家になる危険」 2011年8月

2011年12月4日日曜日

第四百二十六段 青木周蔵のボルネオ買収計画

かつて「お金で買えないものはない」と豪語していた御仁がいたかと思う。実際、お金で買えるものはこの世にいと多く、状況と額が許せば、世間があっというようなものも買えたりするものである。

そう、例えば・・・・領土とか・・・・

「領土を金で買う」というとかなり突飛な話のように思われるだろうが、歴史を顧みるとあり得ない話でもない。一例を挙げると、北米東海岸で産声をあげたアメリカ合衆国が西部へとその版図を拡大させていく過程では、度々欧州列強やメキシコに金を払って領土を購入しているし、1867年にロマノフ朝ロシアに720万ドルを払ってアラスカを買収したことはあまりに有名であろう。
だが、米国のアラスカ買収から10年ちょっと後、大日本帝国においても「領土を金で買う話」が政府内で真面目に検討されていたことはあまり知られていないように思える。

この大日本帝国における「領土を金で買う」話の発起人は明治期の外交で活躍した青木周蔵、そして買収対象となったのはボルネオ北部であった。

青木周蔵は明治7、8年頃より、明治日本において人口増大の勢いが増していること、そして増えた人口を国内の生産物だけでは養いきれないこと、故に日本の生きる道は海外や植民地から原材料を輸入してこれを加工・輸出し、その利益で食糧を輸入する以外にないとの考えを抱いていた。自伝の中で彼は次のように述べている。
当時我国の統計は頗る疎漏にして数字の表はその正確保ち難きに似たれども、人口の蕃殖は甚だ顕著なる事実にして、早晩国民の需要する食物の不足する事は明に予知せられたり。然るに国土狭少なる嶋帝国の地形は山嶽重畳して曠野に乏し。故に、荒蕪地を開拓して大に農業を拡張するも到底国民の需要する食料を十分増殖すること能はず、又、山海の鳥獣及び魚類のみを以て国民の口腹を養うことは困難なるに由り、将来日本の政策としては、一も二もなく、英国の政策を模倣して、植民地及び領地より各種の原料を輸入し、内国に於て盛に製造業を起し、之に由て得たる利益を以て海外より食料の輸入するの外、別に名策あることなし。

だが当事、日本列島周辺の地域はその多くが既に欧州列強の植民地となっているか、さもなくば、改革途上の大日本帝国にとっては未だ侮れぬ力を有していると目されていた清朝の勢力下にあるという有様で、青木周蔵が渇望していた原材料生産地としての植民地獲得は一見すると甚だ困難な形勢下にあった。
そんな青木周蔵の目にとまったのがボルネオ北部であった。マレー半島やジャワ島等と違い、どういうわけか同地はオーストリア貴族フォン・オーベルベック男爵の個人所有となっていて未だ英国やオランダ、フランスの支配下には入っていなかったのである。明治12年(1879年)5~8月頃、青木周蔵は、オーベルベック男爵と交渉して男爵が保有するノース・ボルネオ(現在のマレーシアにおけるサバ、サラワクに該当する。以下の地図参照)を大日本帝国が買収するという案を立て、早速オーベルベック男爵との事前交渉を開始する。


この事前交渉は成功裏に終わり、青木周蔵はオーベルベック男爵と以下の内約を締結した上で政府に建議し、井上馨外務卿及び榎本武楊、岩倉具視右大臣の賛同を得ることにも成功する(注1)。

<ノース・ボルネオ買収に係る青木周蔵とオーベルベック男爵の内約>
・ノース・ボルネオの代価は100万ドルとする
・代価は条約調印と同時に3分の1を支払い、3分の2は条約締結後6ヶ月以内の後払いとする
・青木周蔵は日本帰国後、3ヶ月以内に買収決定か否かの連絡をすること

しかし、当該買収計画は伊藤博文の以下のような反対論表明によって暗礁に乗り上げてしまう。
日本は此の如き領地を海外に所有するの必要なし。且、縦し本地域を買収せんとするも、英国は必ず異議を挿んで之を防ぐべし。斯る危険の計画を企図し他国と衝突を招くが如きは、最も避くべきの事たるに由り、予は徹頭徹尾賛成する能はず。

結局、青木周蔵は伊藤博文の翻意に成功することはなく、内約で定めた3ヶ月という期限が到来したこともあって大日本帝国による領土買収は結局幻のまま終わってしまった。そしてこれ以後、大日本帝国が極東の軍事大国として成長したこともあって「領土を金で買う」という考え自体が政府内で持ち上がることもまたなかったのだった。

では、英国の反応を恐れて青木周蔵の計画を葬り去った伊藤博文の判断は妥当なものであったのだろうか?
ここで青木周蔵がノース・ボルネオ買収計画の実現に乗り出した1879年中頃がどういう時期であったかを、以下の簡単な年表で振り返ってみたい。

1874年
5月 大日本帝国軍、台湾に出兵(同地の山岳民族が漂着した宮古島漁師を殺害したことへの報復)
1875年
9月 江華島事件
1877年
2月 西南戦争勃発(~9月)
4月 露土戦争勃発(~1878年3月)
12月 左宗棠、新疆の清朝支配を回復
1878年
11月 第二次アフガン戦争勃発(~1881年)
1879年
4月4日 琉球処分(琉球藩廃止と沖縄県設置により、琉球列島が大日本帝国領に組み込まれた)
6月~9月 青木周蔵が「ノース・ボルネオ買収計画」実現に向けて活動
9月 露清間でリヴァディア条約が締結
10月7日 独墺同盟調印
10月12日 英軍がカブールを占領

ざっと年表を見渡すと、青木周蔵が「ノース・ボルネオ買収計画」実現に向けて活動した1879年中頃というのは、1874年来、大日本帝国台湾出兵、江華島事件、琉球処分といったイベントが発生して大日本帝国と清朝との間で緊張が高まっていた時期であり、しかも大日本帝国国内では西南戦争が終結してまだ2年もたっておらず、更には北方のロマノフ朝ロシアが露土戦争での勝利によって更なる南下の構えを示していた頃である。伊藤博文が重大視していた英国は、ロマノフ朝ロシアの南下政策に対抗してアフガニスタンの緩衝国化を確固たるものとすべく2回目のアフガン戦争に乗り出してこれに苦戦していた。
このように、西の清朝とは緊張が高まり、北のロシアは戦勝の勢いに乗っているという状況下、効果のほど定かならざるボルネオ買収に乗り出して英国の神経を徒に逆撫ですることは、如何に英国がアフガニスタンで呻吟しているとは言っても極東の途上国には荷が重すぎると判断した伊藤博文の考えにも、相応の理はあったというべきであろう。

このように、結局は実現しないままに終わった青木周蔵の「ノース・ボルネオ買収計画」であるが、もし仮に実現していたとすれば、後年、大日本帝国の支配下にはいった朝鮮半島や台湾、マンチュリア等のように、ボルネオ北部にも多くの日本人が渡来して生活基盤を築いたであろうことは想像に難くないし、1898年にスペインに代わってフィリピンを植民地とした米国との関係にも大きな影響を与えていたことであろう。
そう考えると、当該買収計画は、国の領域やあり様というのものが先天的に泰然確固として存在するものではなく、その時その時の成行きや偶然の巡り合わせでどう動くかわからない脆さ(柔軟さ)を含んだ結果論の積み重ねに過ぎない、というのを教えてくれる良い事例だとも言えるのかもしれない。

注釈
注1.もっとも榎本武楊の積極的な賛成に比して井上馨や岩倉具視の姿勢は「大筋では賛成だが、他の有力者の意見も聞いてみた方が良い」という消極的なものであった。また、井上馨については後年の伊藤博文宛書簡の中でボルネオ買収反対の立場を鮮明にしている

参考資料
・ピーター・ホップカーク 「ザ・グレート・ゲーム 内陸アジアをめぐる英露のスパイ合戦」 1992年5月 中央公論新社 京谷公雄訳
・青木周蔵 「青木周蔵自伝」 1970年8月 平凡社 坂根義久校注
・岡本隆司 「李鴻章 -東アジアの近代」 2011年11月 岩波書店

2011年11月28日月曜日

第四百二十五段 東欧原発事情

増え続ける電力需要対応への切り札とされ、福島第1原発事故以後も建設計画続行や新設計画の発表等が続く原発について(注1)、特に東欧(一部旧ソ連諸国や北欧含む)の10月~11月の動向についてまとめてみようかと思う。

ロシア
カリーニングラードではロスアトムによる原発建設(VVER-1200:2基 総出力2300MW)が進められており、ロシア電力大手のInterRAOはドイツに対して同原発からの電力供給を提案している(注2)。また、旧ソ連時代からの技術的連続性を武器として国営原子力企業ロスアトム子会社アトムストロイエクスポルト(以下「ASE」と表記)を通じて東欧諸国原発新設・拡張案件での受注獲得に積極的に動いている。

ブルガリア
露ASEと組んでベレネ原発建設計画(2008年建設工事開始 PWR:2基 総出力2000MW)を進めているが、建設コスト見積りを巡って対立が発生する等、計画は難航している。なお同案件についてはHSBCが資金調達についてアドバイザーを務めている(注3)。また、コズロドイ原発(1~4号機:VVER-440 5~6号機:VVER-1000)についても設備の近代化や7、8号機増設といった話が浮上している。

フィンランド(厳密には北欧の国だが・・・・)
ピュハヨキでの原発建設(総工費40億~60億ユーロ)が確定して2015年の着工開始を予定してい る。当該案件には東芝とアレバが応札しており、2012年にどちらが受注するかが確定する。また、同国では将来的に原子炉7基態勢とすべく、他にもう1基 の原子炉建設計画もある(注4)。

リトアニア
ビサギナスに総工費30~40億ユーロをを投じての原発建設を計画している。建設はGE日立が受注し、2020年の稼働開始が見込まれている。また当該原発プロジェクト会社が設置され、株主構成は51%:GE日立、34%:リトアニア政府、残余:エストニア、ラトビア、ポーランドの各投資家となっている(注5)。

チェコ
テメリン原発及び南モラビア・ドコバニ原発の拡張計画がある。前者は総額2000億コルナを投じて3号機と4号機を増設しようとするもので、10月に入札手続きが開始され、現状ではWH、アレバ、露ASEとチェコ・シュコダJSの連合の3社が参加している。応札は2012年中頃締切予定で、2013年末までに発注先が確定されることとなっている。現段階では露・チェコ連合の優勢が伝えられているが、チェコ情報機関は自国エネルギーインフラに露企業が関与することについて懐疑的な立場をとっているとも伝えられている(注6)。後者については、既存原子炉が寿命を迎える2045年までに1基以上の原子炉増設を計画している(注7)。

スロバキア
ボフニチェへの原発増設を目指してチェコと合弁企業を設立しており、2012年中頃に建設計画の予備調査をとりまとめることとしている。なお当該合弁会社の出資比率は、CEZ(チェコ国営電力会社)が49%、JAVYS(スロバキア国営エネルギー会社)が51%となっている(注8)。

ポーランド
原子炉2基からなる原発の建設計画があり、11月に同案件の入札が開始されている(2012年1月末締切)。応札した企業としてWH、GE日立、アレバ・EdF連合の名が挙がっている。原発の建設地は複数あるが、現状ではバルト海沿岸部のジェルノビェツが最有力視されている。建設コストについては現段階で350億ズロチが見込まれている(注9)。

ベラルーシ
露ASEを発注先としてフロドノに原子炉(AES-2006)2基からなる原発の建設を計画している。2012年第1四半期内に全交渉妥結と条件確定を完了させて着工し、2017年に1号機、2018年に2号機がそれぞれ稼働開始となる予定である。建設費用として90億ドルが見積もられているが、ロシアのプーチン首相(来年の大統領選で大統領職への返り咲きが有望視されている)は、ベラルーシに対して原発建設を目的としたローン(総額100億ドル)を供与する意向を示している。(注10)

この他、2011年10月~11月においては目立った動きが報じられなかったものの、ハンガリーやスロベニア、ルーマニアにおいても既存原発の拡張・近代化計画が存在している(注11)

これらの動きを年表及び地図にまとめると以下のようになる。

2011年10月
・チェコ・テメリン原発拡張の入札開始(翌年中頃締切)
2011年11月
・ポーランド原発建設の入札開始(翌年1月末締切)
2012年
・フィンランド・ピュハヨキ原発建設業者確定
・中頃にスロバキア・ボフニチェ原発計画に係る予備調査取りまとめ
2013年
・ポーランド原発建設発注先確定予定
・チェコ・テメリン原発拡張発注先確定予定
・ブルガリア・ベレネ原発1号機稼働開始予定
2014年
・ブルガリア・ベレネ原発2号機稼働開始予定
2015年
・フィンランド・ピュハヨキ原発建設開始予定
2016年
・ポーランド原発建設開始予定
・露カリーニングラード原発1号機稼働開始予定
・ルーマニア・チェルナボーダ原発3号機稼働開始予定
2017年
・ベラルーシ・フロドナ原発1号機稼働開始予定
・ルーマニア・チェルナボーダ原発4号機稼働開始予定
2018年
・ベラルーシ・フロドナ原発2号機稼働開始予定
・露カリーニングラード原発2号機稼働開始予定
2020年
・ポーランド原発1号機稼働開始予定
・リトアニア・ビサギナス原発稼働開始予定
2022年
・早ければチェコ・テメリン原発3号機が稼働開始(翌年内になる可能性もあり)
2024年
・チェコ・テメリン原発4号機稼働開始予定
2030年
・ルーマニア新原発(トランシルバニア地方に設置予定)稼働開始予定
2045年
・チェコ・ドコバニ原発既設炉が寿命を迎える

東欧原発新設・拡張地図(計画段階のもの含む)

これら東欧諸国が原発新設・増設を積極的に進めている背景には、国内要因と国外要因がある。
国内要因は、各国の生活水準向上や経済活動活発化による電力需要の高まり、そして大気汚染等の問題をもたらす火力発電の代替、この二つからなる。
国外要因は、ロシアに電力やエネルギー資源を依存することへの歴史的な警戒感、そして人口でも経済力でも欧州最大の勢力たるドイツへの売電、この二つからなる。
これら4要因のいずれが最も有力な要因かは各国によって異なるが、一般にポーランドとリトアニアの原発新設については対露警戒感という要因が強く、逆に露カリーニングラードやベラルーシにおける原発新設はドイツへの売電という要因が大きいとされている。

なお全ての東欧諸国が電力・エネルギー需要への対応策として原発一本槍というわけではなく、ポーランドがシェールガス、ルーマニアが風力といった具合に原発建設と並行して非在来型のエネルギー資源・電源開発を進めている国もある。

注釈
注1.なお、2011年3月11日~11月27日の時点で、原発の新設・増設計画の停止といった脱原発政策を打ち出した国は、ドイツ、イタリア、スイス、イスラエルにとどまっている。
注2.InterRAO提案については「東欧経済ニュース」No749参照のこと。
注3.「原子力年鑑」2011年版によれば、当初40億ユーロであった建設コストは100億~200億ユーロまで膨張しているという。なお「東欧経済ニュース」No745によれば、ブルガリア国営電力企業NEKと露ASEとの建設コスト負担を巡る交渉は、最終合意期限が2012年3月まで延期されることとなった。
注4.共同通信の2011年10月6日付「ロシア・東欧ファイル」参照のこと。
注5.当ブログの第三百八十八段「ロシアは天丼がお好き」をご参照頂きたい。
注6.チェコ・テメリン原発拡張については「東欧経済ニュース」No746参照のこと。
注7.チェコ・ドコバニ原発拡張については「東欧経済ニュース」No748参照のこと。
注8.「東欧経済ニュース」No746参照のこと。
注9.ポーランド原発案件については、「東欧経済ニュース」No746並びに当ブログの第三百八十八段「ロシアは天丼がお好き」をご参照頂きたい。
注10.World Nuclear Newsの2011年10月11日「Contract signed for Belarusian reactors」、ITARTASSの2011年11月10日「Belarus, RF to sign top priority contracts on NPP building in Dec 」及び2011年11月25日「Russia to grant up to $10 bln loan to Belarus for NPP project – Putin」を参照のこと。
注11.JBICの「中・東欧7 カ国における原発開発計画とその現状」を参照のこと。


参考資料
・FBC 「東欧経済ニュース」No745 2011年10月12日
・FBC 「東欧経済ニュース」No746 2011年10月19日
・FBC 「東欧経済ニュース」No748 2011年11月2日
・FBC 「東欧経済ニュース」No749 2011年11月9日
・ITARTASS 「Belarus, RF to sign top priority contracts on NPP building in Dec 」 2011年11月10日
・ITARTASS 「Russia to grant up to $10 bln loan to Belarus for NPP project – Putin」 2011年11月25日
・JBIC 「中・東欧7 カ国における原発開発計画とその現状」 2010年11月
・World Nuclear News 「Contract signed for Belarusian reactors」 2011年10月11日
・共同通信 「ロシア・東欧ファイル」 2011年10月6日
・日刊工業新聞社 「原子力年鑑」2011年版 2010年11月

<当ブログ関連段>
・第三百八十八段「ロシアは天丼がお好き」

2011年11月20日日曜日

第四百二十四段 東アフリカ・クエスチョン

今年7月9日に南スーダンが念願の独立を果たして以後、様々な動きがアフリカ東部で相次いでいる。

それらの動きを時系列で並べると以下のようになる。

2011年7月9日 南スーダン独立宣言
2011年7月14日 ケニア、ソマリア難民受入用のキャンプを増設(注1)
2011年8月2日 南スーダンPKOへの参加に韓国政府が積極姿勢を示す(注2)
2011年8月6日 IFC等がケニア-ウガンダ鉄道整備・近代化に対して約1.6億ドルのローン供与を行うことを発表(注3)
2011年10月14日 武装勢力LRA(注4)掃討支援を目的として米軍100名がウガンダ等に展開(注5)
2011年10月16日 ケニア軍がソマリアを拠点に活動する武装勢力アル・シャバブ掃討を目的としてソマリアに侵攻(注6)
2011年10月22日 「フランス海軍機、ソマリア南部キスマユを夜間に空爆」とケニア軍広報官が発表(注7)
2011年10月28日 エチオピア南部アルバミンチ空港がソマリア等に展開する米軍UAVの基地として利用されていることが報じられる(注8)
2011年10月31日 ケニアとソマリア暫定政府、アル・シャバブに対する合同軍事作戦の実施で合意(注9)
2011年11月1日 日本政府、南スーダンPKOに陸自部隊を派遣することを決定(注10)
2011年11月9日 ケニアとエチオピア、両国間幹線道路敷設で合意(注11)
2011年11月10日 スーダン軍機が南スーダン領域を空爆(注12)


上記の時系列表を見ていると、ケニア、エチオピア、ウガンダ、南スーダンの治安安定化やインフラ整備を支援することでその発展を助け、以て、その東隣にある海賊やイスラム過激派の巣窟たるソマリア、そして今なお軍閥が割拠して中央政府が有名無実の存在と化している西隣の資源大国DRコンゴにも安定化の波を波及させようとする米国や欧州諸国の思惑があって、それにケニア、エチオピア、ウガンダ、南スーダンといった諸国が馳せ参じている構図が脳裏に浮かんできてしまうのだが、ここで興味深いのは南スーダンPKOへの参加を決定した日本の動きである。

というのも、欧米の東アフリカ安定化戦略の存在を仮定した上で、そこに日本が一枚噛む合理的な理由がなかなか思いつかないからだ。
米国のように覇権国として国際公共財的な政策を行う必要があるわけでもなく、アフリカ東部地域に対して英仏或いは独伊のような旧植民地宗主国としての歴史的な負い目や現地権益を有するわけでもない日本が、ジブチ等を拠点とした海賊対策に注力するだけで飽き足らず、南スーダンといった内陸に乗り出す背景には何があるのか?

こういうと、「南スーダンには油田があるではないか」という声が聞こえてきそうだが、

1.スーダン自体の原油埋蔵量(南部独立前推計) が5000MMbblと他のアフリカ産油国と比してそれほど大きいわけではないこと(参考例:リビア46420MMbbl ナイジェリア 37200MMbbl アルジェリア12200MMbbl アンゴラ9500MMbbl エジプト4400MMbbl)
2.現状では輸送手段が対立国スーダンを経由して紅海に積み出すパイプラインしかなく、新たに他の輸送経路を設置するとしても相応のコストと時間がかかること
3.そもそも日本の原油輸入量に占めるスーダン (南部独立前)の割合はせいぜい2%前後(注13)でしかないこと

以上の3点を踏まえるならば、「南スーダンの石油権益」なるものは、南北スーダンの対立激化や南スーダン内部での民兵勢力の跋扈が報じられる中でPKOに派遣される陸自隊員の命、そしてそれが失われた場合に発生するであろう政権危機の可能性等と衡量して十分に魅力的な見返りだとはとても言えそうもない(注14)。

果たして日本政府は、南スーダンPKOの見返りとして何を望んでいるのだろうか・・・・?

注釈
注1.BBCの2011年7月14日「Horn of Africa drought: Kenya to open Ifo II camp」参照
注2.東亜日報の2011年8月2日「南スーダンへのPKO派遣、韓国政府が積極的に検討」を参照

注3.ecool.jpの2011年8月6日「IFC、国際金融機関とケニア-ウガンダ鉄道へ1億6400万ドル融資」を参照
注4.正式名称は「Lord's Resistance Army(神の抵抗軍)」。1987年に結成されたウガンダを中心に活動する武装勢力で、「モーゼの十戒」に基づく神政国家樹立を主張している。ウガンダや南スーダン、DRコンゴ、中央アフリカ等で住民虐殺や強姦、誘拐を繰り返し、国際的に非難されている。指導者のジョゼフ・コニー氏に対しては、人道に対する罪で国際刑事裁判所から逮捕状が出ている。
注5.BBCの2011年10月14日「US to send troops to Uganda to help fight LRA rebels」を参照

注6.時事通信の2011年10月16日「ケニア軍がソマリア進攻=イスラム過激派を追撃」等を参照
注7.共同通信の2011年10月25日付「ロシア・東欧ファイル」を参照。なお空爆対象となったキスマユは、武装勢力アル・シャバブの拠点の一つとされている。
注8.Washington Postの2011年10月28日「U.S. drone base in Ethi­o­pia is operationalを参照
注9.Voice of Russiaの2011年10月31日「Somalia, Kenya to jointly tackle Al-Shabaab」を参照
注10.共同通信の2011年11月1日「陸自の南スーダン派遣を決定 年明けの出発目指す」を参照
注11.All Africa.comの2011年11月9日「Ethiopia, Kenya Sign U.S.$743 Million Road Corridor Project」を参照。なお当該幹線道路の敷設コストは約7.4億ドルと見積もられている。

注12.Al Arabiyaの2011年11月10日「Sudan bombs South Sudan camp, kills 12: Officials」を参照
注13.電気事業連合会が2010年1月に発表した「図表で語るエネルギーの基礎2009-2010」によれば、2008年度時点で日本の総原油輸入量に占めるスーダンの割合は2.2%となっている。
注14.なお、過去にDRコンゴやモザンビーク、東ティモールといった国々に対して行った日本のPKOが、その後資源権益獲得に結び付いたという話は寡聞にして聞かない。


参考資料
・Al Arabiya 「Sudan bombs South Sudan camp, kills 12: Officials」 2011年11月10日
・All Africa.com 「Ethiopia, Kenya Sign U.S.$743 Million Road Corridor Project」 2011年11月9日
・BBC 「Horn of Africa drought: Kenya to open Ifo II camp」 2011年7月14日
・BBC 「US to send troops to Uganda to help fight LRA rebels」 2011年10月14日
・BBC 「Kenya sends troops into Somalia to hit al-Shabab」 2011年10月17日
・ecool.jp 「IFC、国際金融機関とケニア-ウガンダ鉄道へ1億6400万ドル融資」 2011年8月6日
・JOGMEC 「南部スーダン独立と石油開発の行方」 2011年3月3日
Voice of Russia 「Somalia, Kenya to jointly tackle Al-Shabaab」 2011年10月31日
Washington Post 「U.S. drone base in Ethi­o­pia is operational 2011年10月28日
・共同通信 「ロシア・東欧ファイル」 2011年10月25日
共同通信 「陸自の南スーダン派遣を決定 年明けの出発目指す」 2011年11月1日
・時事通信 「ケニア軍がソマリア進攻=イスラム過激派を追撃」 2011年10月16日
・電気事業連合会 「図表で語るエネルギーの基礎2009-2010」 2010年1月9日
・東亜日報 「南スーダンへのPKO派遣、韓国政府が積極的に検討 」 2011年8月2日

2011年11月8日火曜日

第四百二十三段 近兵を視て図る勿れ

兵とは詭道なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれを驕らせ、いつにしてこれを労し、親にしてこれを離す。その無備を攻め、その不意に出づ。これ兵家の勢、先には伝うべからざるなり。
―「孫子」計篇第一―


ここ数日、中東において米国や英国、イスラエルとイランとの間で緊張が高まっている。大まかな構図としては従来より度々見られてきた、IAEAがイランの軍事目的核開発に言及→イスラエルがイランの核開発を非難→イラン反発→イスラエル以外に米英もイラン攻撃を企図しているという報道が流れる、というものなのだが、これにイスラエルが弾道ミサイル発射実験を行ったこと(注1)、そしてNATO(実質的には米英仏が中核)による対リビア軍事作戦が完了したこと(注2)、イランやイスラエルの首脳・高官が事態打開に軍事力行使も辞さない姿勢を示していること等がイスラエル若しくは米英とイランと軍事衝突発生に不気味な信憑性を与えている。

しかし、個人的にはイスラエル若しくは米英がイランに対して核開発能力の破壊を目的とした外科手術的攻撃を行う可能性はかなり低いと考えている。
何故かというと、まずイスラエルや米英の立場になって考えてみると、イランという国の広さとそこに核開発関連施設が分散して配置されていること(注3)、そしてイランの通常戦力は無論、ミサイル若しくはヒズボラやハマスといった武装勢力を通じたイスラエルや中東駐留の米英軍に対する反撃能力を考慮した上でイラン攻撃作戦を立案するならば、各核関連施設や指揮命令中枢に対する奇襲的な同時先制攻撃策を採らざるを得ないだろう。
逆にイランの立場になって考えてみれば、米英の軍事的反撃能力は勿論のこと、イスラエルの軍事力もまた決して侮れるものではないし、何よりイスラエルには核兵器が存在している可能性が極めて高い。従って、もしイランが本気でイスラエルや中東に駐留する米英軍に軍事的行動をとろうとするなら、これも又奇襲的な先制攻撃で相手が反撃に移る前にその指揮命令系統を叩き潰す方法による他ない。
つまり、対立する両陣営とも相手に軍事力を行使するなら奇襲によるしかない状態だというのが、イランとその対立者の関係なのである。
では果たして、奇襲というのは、報道が両陣営間の対立・緊張激化をセンセーショナルに伝え、関係諸国首脳が軍事力行使の可能性をちらつかせ、それらを受けて両国軍・情報機関が従前より強い警戒の眼差しを相互に向け合っているであろう時期に行われるものだろうか?
以上が、個人的に今回のイスラエル-イラン関係緊迫化が軍事力行使に結びつく可能性は低いと考えている理由である。

それより気になるのが、イスラエル-イラン関係緊迫化が俄に浮上してきたタイミングである。
ここで思い出すのが、当該ブログの四百十四段「イランの冒険を可能たらしめているもの」にて記したことである。要するにそこでは「イランが北のロシア等旧ソ連諸国、東のアフガン・パキスタン、西のトルコ・イラクとの関係を改善・強化しており、南のペルシャ湾岸や更に遠くの紅海地域で影響力を拡大するには絶好の機会にある」旨を記した。
そしてイランの勢力拡大を警戒する湾岸諸国の中核たるサウジ・アラビアでは、10月にスルタン皇太子が没し(注4)、加えて世界中のイスラム教徒が聖地メッカを目指す巡礼月が10月29日から始まっている(言うまでもないが、巡礼に訪れたイスラム教徒全てがサウジ・アラビアの政治体制や米国との協調外交に理解を示してるわけではない(注5))。
つまり10月時点のペルシャ湾岸を見れば、北には三方を固めて残る一方たるペルシャ湾岸に全力を注ぎこめるイランがあり、南には内治で手一杯になったサウジがあった。この時、ペルシャ湾岸のパワーバランスは恐らくイラン有利に傾いていた筈である。
そこに降って湧いたイスラエルとイランとの緊張激化。これによってイランはその情報機関や軍、革命防衛隊等のリソースを対ペルシャ湾岸から、対イスラエルにより多く振り分けなければならない状態になったと推測される。

このタイミングの良さは偶然なのか否か? もしそうでないとしたなら、イスラエル-イラン関係緊迫化は紆余曲折はあるにせよ、最終的に巡礼月が終わる11月26日を目途として収束するのではないだろうか。

注釈
注1.Hurriyet Daily News の2011年11月2日「Israel test fires missile that can hit Iran」参照のこと
注2.TODAYS ZAMAN の2011年10月31日「NATO ending 7-month campaign in Libya」参照のこと
注3.なお、現在明らかとなっているイラン国内の核関連施設については、以前著者が各報道等に基づいて作成した以下の地図の他、NTIが作成した地図がその位置把握に便利である。

注4.Gulf Newsの2011年10月22日「Prince Nayef likely heir apparent after death of Saudi Crown Prince Sultan」等参照のこと。なお2011年1028日にナイーフ王子が新たな皇太子に任命されたことが報じられている。
注5.クウェート英字紙Arab Timesは2011年10月29日「‘Iran plans terrorist attacks during Hajj’」という記事で、「イラン革命防衛隊が巡礼者に紛れてテロリストを潜入させようと計画している」と警戒を強めているサウジ当局の姿を奉じている。実際、1979年にはサウジ王制に批判的な武装集団によって「アル・ハラム・モスク占拠事件」が引き起こされている(ただし、当該武装集団に対し当時のイラン政府が武器供与等の直接的な支援を行っていた証拠は発見されていない)

参考資料
・Ahram 「Poll shows strong Israeli support for Iran attack」 2011年11月3日
Arab Times 「‘Iran plans terrorist attacks during Hajj’」 2011年10月29日
Gulf News 「Prince Nayef likely heir apparent after death of Saudi Crown Prince Sultan」 2011年10月22日
・Gulf News 「Nayef named Saudi Arabia's crown prince」 2011年10月28日
・HAARETZ 「Israel and Iran are fighting a war of nerves」 2011年11月3日
・Hurriyet Daily News 「Israel test fires missile that can hit Iran」 2011年11月2日
・Nuclear Threat Initiative 「Intaractiv Map」
・TODAYS ZAMAN 「NATO ending 7-month campaign in Libya」 2011年10月31日
・佐々木良昭 「中東TODAY NO・2128 イスラエルによるイラン攻撃は起こるのか」 2011年11月7日
・野口哲也 「中東の窓 イスラエルのイラン攻撃(米軍の懸念)」 2011年11月6日
・野口哲也 「中東の窓 イスラエルのイラン攻撃」 2011年11月3日

<当ブログ関連段>
・第四百十四段「イランの冒険を可能たらしめているもの」

2011年11月1日火曜日

第四百二十二段 トルコ地震とアルメニア原発とイラン政府

中東の北端、トルコとイランの国境地帯のその又上にアルメニアという国がある。隣接するアゼルバイジャンとは対照的にエネルギー資源には恵まれず、故に貧しく、更にそのアゼルバイジャン、或いはトルコとは歴史的な因縁や領土を巡る軋轢等で伝統的に仲が悪いという多重苦を抱える国である。

そんなアルメニアにあるメツァモール原発(1号機と2号機からなる)は、エネルギー資源に恵まれず、隣国との仲もよろしくない同国にとって極めて重要な電力供給源となっているのだが、一方で施設自体の老朽化(1号機は1977年、2号機は80年にそれぞれ稼働開始)、そしてアルメニアという国自体がアルプス-ヒマラヤ造山帯の上に位置する地震国ということもあって、当該原発の安全性についてはこれまで度々疑問が投げかけられてきた(そして都度アルメニアはそれを突っぱねてきた)(注1)

そんなアルメニア・メツァモール原発に対して最近発生したトルコ東部地震が与えた影響を巡る報道が面白いことになっているのだ。

まずアゼルバイジャンの大手通信社News.Az、イランの国営放送IRIB、日本の共同通信がそれぞれ当該原発に関して報じたことを時系列にまとめると次のようになる(なおIRIBの報道は全てトルコのメディアからの引用という形で行われている)。

2011年9月11日 メンテナンスのためにメツァモール原発稼働停止(注2)
2011年10月23日 トルコ東部にてマグニチュード7.2と見られる地震発生
2011年10月24日 トルコ・メディアが「東部地震の影響で「メツァモール原発放射能漏れ事故発生」と報じる
2011年10月24日 アルメニア当局、トルコ・メディアの「メツァモール原発放射能漏れ事故発生」報道を否定すると共に、当該報道について「アルメニアの原発新造を妨害しようとする政治的意図があるもの」として非難(注3)
2011年10月25日 IRIB日本語版がトルコ・メディアの報道を引用して「メツァモール原発放射能漏れ事故発生」と報じる(注4)
2011年10月28日 トルコのトルコのユルドゥズ・エネルギー天然資源大臣がIAEAにメツァモール原発を含む世界中の老朽化原発の閉鎖を要求する意向を表明(注5)
2011年10月29日 メンテナンス完了につきメツァモール原発稼働再開(注2)
2011年10月30日 IRIB日本語版がトルコ・メディアの報道を引用して「トルコのユルドゥズ・エネルギー天然資源大臣がIAEAにメツァモール原発閉鎖を要求」と発表(注6)

要するに、トルコ・メディアが従来より安全性について懸念の声のあったアルメニア・メツァモール原発について「地震の影響で放射能漏れ事故発生」と報じ、アルメニア当局はそれを否定、だがイランの国営放送たるIRIBはアルメニア当局の主張を無視してトルコ・メディアの見解・情報のみを取り上げているというわけだ。

ここで注目したいのが、イランの国営放送たるIRIBのスタンスである。

というのも冒頭で述べたようにアルメニアは伝統的にトルコやアゼルバイジャンといった近隣諸国と仲がよろしくない。しかもそのトルコとアゼルバイジャンは民族的な共通性に加え、カスピ海の資源権益やロシアの影響力に対する懸念・警戒感の共有といった戦略上の利害も一致することから極めて強固な外交関係を構築している(因みに、トルコとアゼルバイジャンは、グルジアとも対露関係やカスピ海資源権益に係る利害が多く共通していることから関係が良好である)。これに対抗するためアルメニアが今まで手を結んできた国がロシアであり、イランであった。

ごく大まかな形で言えば、以下の地図のように中東北辺から南コーカサスにかけての一帯は、トルコ-アゼルバイジャン-グルジアの枢軸とアルメニア-イラン-ロシアの枢軸が対峙する形勢がソ連崩壊後長く続いてきたのだ(注7)。


ところがである。繰り返しになってしまうが、今回のメツァモール原発報道に関しては、アルメニアの友好国であった筈のイランのその国営放送IRIBはトルコ・メディアの報道のみを取り上げ、アルメニア当局の声を完全に無視しているのである。

このIRIBのスタンスは何を意味するのか?

ひょっとするとこれは、イランの外交的重心が従来の盟友であったアルメニアから新たな協力相手であるトルコに完全に移ったことを示すものであり、今後、これによって孤立感を深めたアルメニアは更にロシア依存を深めてその象徴たる露支援下での原発新設に邁進し、そしてロシアとアルメニアが協力関係強化を進める中で両国に挟みこまれる位置にあるグルジアが苛立ちを強めていくのではないか・・・・と推論を進めていくのは、あまりに思考を飛躍させ過ぎだろうか?

注釈
注1.アルメニア・メツァモール原発についてはコーカサスを中心とした旧ソ連地域研究を専門とする廣瀬陽子氏の「世界でもっとも危険な原発、アルメニア原発」並びに(財)高度情報科学技術研究機構が運営する「原子力百科事典 ATOMICA」が詳しい。
注2.メツァモール原発のメンテナンスによる一時稼働停止稼働再開についてはとアゼルバイジャンの大手通信社News.Azの2011年10月29日「Armenian NPP resumes its work」参照。
注3.共同通信の2011年10月27日付「ロシア・東欧ファイル」参照。
注4.IRIB2011年10月25日「トルコ地震で、隣国アルメニアの原発に被害」参照。なおIRIBは当該情報について2011年10月24日付「ザマン」紙の報道に基づく旨を記しているが、少なくとも同紙のサイトにて「Armenia」「nuclear」といった当該情報に関連すると思われる語句を著者が入力・検索した限りでは、該当する記事を見つけることができなかった
注5.News.Azの2011年10月28日「Turkey plans to take action against Armenian plant」参照
注6.IRIB2011年10月30日「トルコ、アルメニアの被害を受けた原発の閉鎖を要請」参照。なおIRIBは当該報道についてトルコ紙メッリエトによるものと記載している。またほぼ同内容の報道が、注5で見たように既にNews.Azによって報じられている。

注7.もっとも、各国別に見ていくとトルコ-ロシア、トルコ-イラン、アゼルバイジャン-イランのように二国間関係の改善が進んでいるケースもあり、トルコ-アゼルバイジャン-グルジア枢軸とアルメニア-イラン-ロシア枢軸の対峙をかつての東西冷戦や同盟対協商のような非妥協的かつ硬直的な対立関係としては捉えない方が無難であろう。

参考資料
・IRIB 「トルコ地震で、隣国アルメニアの原発に被害」 2011年10月25日
・IRIB 「トルコ、アルメニアの被害を受けた原発の閉鎖を要請」 2011年10月30日
・News.Az 「Turkey plans to take action against Armenian plant」 2011年10月28日
・News.Az 「Armenian NPP resumes its work」 2011年10月29日
・共同通信 「ロシア・東欧ファイル」 2011年10月27日
・廣瀬陽子 「世界でもっとも危険な原発、アルメニア原発」 2011年5月13日 SYNODOS JOURNAL
・高度情報科学技術研究機構 「原子力百科事典 ATOMICA」 2011年8月31日(現時点での最終更新日)

2011年10月30日日曜日

第四百二十一段 楔

約1709.8万平方kmというヨーロッパ東部から始まってベーリング海峡に至る世界最大の領土、そしてキリスト教東方正教会を信じるスラブ人を主体としつつもイスラム教やチベット仏教、シャーマン信仰を奉じる様々な民族をも含んだ約1.4憶の人口、現在の我々が知るロシア連邦の基本的なデータである。

この現在の我々が知る広大な領土と多種多様な民族・宗教からなる人口構成というロシアの特徴が形成されるきっかけこそ、16世紀、時のモスクワ大公国君主イヴァン4世(世間的には「雷帝」で有名)によるカザン、アストラハンというヴォルガ川中下流域の二都市の征服であった。
当時、チンギス・ハンの子孫を君主に頂くイスラム教国(注1)の都となっていた両都市をイヴァン4世が攻略したことは、モスクワ大公国に現在のロシア連邦へと繋がる3つの巨大な贈り物をもたらしたのである。

1つはモスクワ大公国(ロシア)の性格の変容である。というのも、イヴァン4世によるカザン、アストラハン両都市の征服は、それまではキリスト教東方正教会を奉じるスラブ人住民(その多くが農民)を治めるに過ぎなかったモスクワ大公国を、その内部にイスラム教徒や遊牧民といった宗教も文化も全く異なる人々をも抱え込んだ多民族帝国へと変貌させる契機となったからである。そして、ここから始まる「多民族国家」としてのロシアの性格が、その正負を含めてロマノフ朝、旧ソ連を経て現在のロシア連邦にも連綿と引き継がれていることは言うまでもないだろう。

2つ目は経済的利益である。かつてモンゴル帝国の時代にイタリア商人ペゴロッティが「日中であろうと夜間であろうと、道中は絶対に安全である」と紹介した黒海港湾都市から草原を経て中国に至る交易ルートは既にその後の政治的混乱の中で寸断されてしまったものの、それでもなおカザン、アストラハンの両都市は黒海や東欧・北欧と中央アジア、インドを結ぶ交易ルートの要として諸国の商人達が集積する商業センターとして繁栄していた。イヴァン4世率いるモスクワ大公国がその両都市を手に入れたことは彼らの経済的基盤の一層の強化を意味し、それは更なる東方拡大を推し進める上での原資ともなった。

3つ目は安全保障である。イヴァン4世の時代のキプチャク草原は、西にオスマン帝国と結ぶクリミア・ハン国があり(注2)、東にはウズベク族を筆頭とした大小様々の遊牧勢力が割拠する状況下にあった。
彼らは貿易の利権等を巡って相互に対立する一方、時には手を結んでモスクワ大公国に侵攻をかけていた(時には、彼らの侵攻によってモスクワが灰燼に帰したこともあった)のだが、イヴァン4世によるカザン、アストラハン制圧は、そんなキプチャク草原東西勢力間の連携を断ち切ることとなった(注3)。ロシア系米国人にしてロシア史の泰斗であるジョージ・ベナルドスキー氏は極めて明解な言葉遣いによって次のように述べている。
地政学の見地から、イヴァン4世がヴォルガ川を下ってアストラハーンへ急進し、ヴォルガ川流域を制圧したことは重要な意味がある。というのは、彼の行動はステップ地帯を二分し、それぞれ両者を別々に管理することが可能となったからである。


斯くの如き、東欧のその東の最果てで割拠するに過ぎなかった一公国が、東のバルハシ湖沿岸から西はドナウ川河口部に至る広大なキプチャク大草原を東西に分割する強固な楔を打ち込み、それによって巨大な帝国へと成長する端緒を掴み取った前例を念頭に置いて当代を見る時、ある巨大な構図が個人的に思い浮かぶ。

即ちそれは、インド洋と西太平洋からなる大海原(そこは世界経済の大動脈でもある)とその脆く不安定な両大洋の結節点、そしてその結節点に巨龍が楔を打ち込まんとしている構図である。

注釈
注1.モンゴル帝国の始祖として名高いチンギス・ハンは、長子のジョチに中央アジア北部の経営を任せた。爾来、彼の家系はキプチャク草原から更にロシア・東欧方面へのモンゴル帝国の拡大を先導する役割を担い、やがてヴォルガ川中下流域の都市サライ一帯を中心とするジョチ・ウルス(一般には支配下に置いた草原の名に因んで「キプチャク・ハン国」という名称で知られる)を形成する。ジョチ・ウルスは14世紀に10代目当主ウズベクの下でイスラム教国化が進むと共に、政治的経済的繁栄期を迎える。その後は中央宗家の衰え等によって各地域で一族が割拠する分裂状態となるが、そのうち、クリミアに拠ったのがクリミア・ハン国、カザンに拠ったのがカザン・ハン国、アストラハンに拠ったのがアストラハン・ハン国である。
注2.クリミア・ハン国は、1475年に王位を巡る内紛もあってオスマン帝国君主メフメト二世(一般にはコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼした人物として有名)の庇護下に入る。ただし、このオスマン帝国への服属はかなり名目的なもので、その後もクリミア・ハン国はリトアニア王国やモスクワ大公国、そしてジョチ・ウルス宗家等との間で独自に外交や戦争を繰り広げ、1502年にはサライを壊滅させてジュチ・ウルス宗家に引導を渡している。なおオスマン帝国君主の中でも「大帝」として有名なスレイマン一世の母はクリミア・ハン国王家(ギレイ家という)の王女であり、つまりは母方を通じてチンギス・ハンの血を引いている。
注3.スレイマン一世の息子セリム2世(「大酒呑み」「酔っ払い」という芳しくない渾名が伝わる。なお彼の母はウクライナ出身のスラブ人である)の時代に大宰相として政治の実権を握ったソコルル・パシャ(ボスニア出身)は、モスクワ大公国のカザン、アストラハン制圧が有する戦略的意義を理解し、アストラハン遠征を行う他、ヴォルガ・ドン運河開削による中央アジアのイスラム教徒遊牧民への軍需物資輸送拡大を図ったがいずれも失敗した。


参考文献
・W・E・D・アレン 「16世紀世界史におけるトルコ勢力の諸問題」 2011年8月 あるむ 尾高晋己訳
・山内昌之 「ラディカル・ヒストリー ―ロシア史とイスラム史のフロンティア」 1991年1月 中央公論新社
・田中英道 田中俊子 「ペゴロッティ『商業指南』・訳と註釈」 1984年3月 「イタリア学会誌」33所収
・濱本真実 「イスラームを知る5 共生のイスラーム ―ロシアの正教徒とムスリム」 2011年7月

2011年10月28日金曜日

第四百二十段 とある冷戦厨のボヤキ

情報の自由化が東欧革命を招き、それが更にソ連崩壊の一要因となったことは、巷間よく言われる。

結果、欧州は平和となった。EUは長らくソ連の勢力圏であった東欧やバルト海東岸にまで拡大し、西欧主要国は防衛予算を削減し続けた。そして、そんな現状に降って湧いた「ギリシャ危機」問題もまた、現状では「欧州の平和」を強く感じさせるものとなっている。
というのも、当該危機における西欧主要国の政治家、メディアの焦点は経済的若しくは金融的事象にのみ向けられているからである。
もしソ連(或いはそれに代わる膨張主義的な軍事的脅威)が現存していたならば、歴史的にギリシャがバルカン半島と中東、そしてアドリア海を通じて南欧との結節点に当たること(注1)、ギリシャに属するクレタ島が黒海と東地中海、更にはシナイ半島(スエズ運河)を通じて紅海に睨みを利かせるには絶好の位置にあること(注2)、故に1947年、時の米国大統領トルーマンがギリシャ(並びに隣接するトルコ)がソ連の手に落ちることを防ぐために「トルーマン・ドクトリン」を発表した、という地政学的若しくは歴史的なポイントが話題の俎上に上がり、かつそれがEU諸国の対ギリシャ支援の正当性をより強めたであろうことは想像に難くない。だが、現実に繰り広げられている「ギリシャ危機」に関する議論・展開は全くそうではない。
つまり、「ギリシャ危機」について、安全保障的な観点が一切顧みられることはなく、金勘定の話のみにスポットライトが当たっている現状こそ、重大かつ切迫した脅威の存在を欠いた「泰平の欧州」をこれ以上ない雄弁さで語る証人なのである。

一方、これと対照的なのが、ユーラシア極東部(概ねASEAN+3地域)である。そこでは、ソ連を「共通の敵」とした日米中蜜月が崩壊し、各国(日本除く)においては市場経済の導入・拡大による急速な経済成長を背景とした軍事力の近代化が続いている。
その上、各国において今まで長らく政権の強い統制下にあった報道の自由化が徐々に進む過程で、

A国において、ある事件をきっかけとして反B国感情が炎上

B国マスコミがそれを自国内に報道

B国内でA国に対する反感が高まる

A国マスコミがそれを自国内に報道

更にA国内の反B国感情が悪化

それをB国マスコミが自国内に報道

(以下略)

という一種のマッチ・ポンプ現象が発生し、経済的な結びつきの強化とは裏腹に、各国民の排外的なナショナリズムをより昂進させる結果を招いている。これと政治の自由化・民主化進行によって各国政府が従来よりも世論受け・大衆受けを気にしなければならなくなったこと、そしてかつて各国政府に自重を強いてきた「相手国と下手に対立すればソ連につけ込まれる」という恐怖感の完全消滅等が相俟って、ユーラシア極東部は各国間の極端化硬直化した対外政策の応酬が繰り広げられ易い環境となってしまっている(注3)。
ぶっちゃけた話、極東は、ソ連が消滅して情報の流れの自由化が進行している現在の方が、ソ連が存在して情報の流れも各国政府の強い統制下にあった冷戦期より、各国の対立が炎上・爆発し易い物騒な状態となっているのだ。

「ある者にとっての朗報は、他の者にとっての訃報」というのがこの世の理ではあるが、それにしてもあまりに対照的な極西と極東の有り様である(注4)。

ほんと、冷戦の頃はよかった・・・・・(少なくとも、鉄のカーテン・竹のカーテンの外側にいて、かつ、極東に住まう人間にとっては)

注釈
注1.なおバルカン半島がかつて「欧州の火薬庫」と呼ばれ、最近も旧ユーゴ紛争という形で火を噴き、現在も、政治的経済的権益の配分を巡って、域内諸国の中では
民族・宗教間の対立が燻っていること、そして中東が現在進行形で「世界の火薬庫」たることはよく知られている通りである。
注2.この辺り、欧州、中東、北アフリカに勢力を拡大したビザンツ帝国やオスマン帝国の例も想起されたい。
注3.端的な例を挙げれば、2000年代に入ってから頻発する中国の反日デモとそれを報道で知った日本国民の対中感情の悪化が挙げられよう。
注4.面白いのが、冷戦崩壊後の世界におけるアメリカ合衆国の立ち位置である。というのも、大西洋岸に位置するウォール・ストリートが冷戦崩壊とそれに伴う市場経済の全世界への拡大によって多大な恩恵を享受した一方、ハワイやグアムといった太平洋側の拠点においては、対中関係の複雑化及び極東情勢の緊張増という形で冷戦崩壊のしっぺ返しを食らうことになったからである。

2011年10月16日日曜日

第四百十七段 NY等での「反格差」デモ

最近、NY等で起こっている「反格差」デモなるものの本質って、要はこういうことでしょ?

私は平等を求める情熱に敬意を払うことができません。私には、それは、妬みを理想化したものに過ぎないように思えるのです。
―オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア―

世界の富の不平等な配分を後進国は嘆く。世界人口の四分の一が世界の富の四分の三を保有していると。富がどのようにつくり出されたかについては何も言わない。富の蓄積を可能にする苦労や汗、自己否定については沈黙しているのだ。
-エリック・ホッファー-

ま、他人のことをとやかく言ってる場合じゃないな、勉強勉強・・・・

参考資料
・E・H・カー 「ナポレオンからスターリンへ―現代史エッセイ集」 1984年10月 岩波書店
・エリック・ホッファー 「安息日の前に」 2004年7月 作品社

2011年10月15日土曜日

第四百十六段 戦争が起きる時

なぜなら共和制の国家に対して他国が攻略を仕掛けてくる原因は、二つあるからだ。
一つは、征服して支配者になりたいという欲望であり、もう一つは、征服されて支配下に置かれるかもしれないという不安である。
―ニッコロ・マキャヴェッリ「政略論」―


戦争が起こる要因、それ自体は国内的な要因から国外的な要因まで非常に多岐にわたるので一概には言えないが、少なくとも戦争勃発の直接のトリガーは、ある国の指導部の「やるなら今しかない」という判断である。

では、国家の指導部が「戦争をやるなら今しかない」と決断(或いは誤断)するのはどんな時なのだろうか?

それは二つのケースが考えられる。

一つは、自国と相手国(ありていに言えば仮想敵国)との軍事バランスが、将来的にどんどんと相手国優位に傾いていくと予想される場合である。これはかつて大日本帝国が対米開戦を決断した場合に当てはまろう。後世の我々からすると「何故に巨大な経済力格差があるというのに、大日本帝国政府は米国に喧嘩を売ることにしたのか?」と疑問を抱いてしまうような決断だが、時の大日本帝国上層部とて馬鹿ではなく、当然大日本帝国と米国との間にある経済力等の差はある程度認識はしていた。
寧ろ認識していたからこそ、その経済力の差が石油禁輸措置やワシントン条約といった軍備管理条約と相俟って日米間軍事バランスを逆転不能な程の米国優位で確定してしまう将来を予測し、「やるなら、(日米の軍事力格差が小さい)今しかない」と決断して、1941年、真珠湾に攻撃部隊を派遣することになったのである。

二つ目は、自国と相手国との軍事力が、一方的に自国優位な場合である。相手国との利害の衝突は基本的に外交交渉で決着されるのが望ましいし、多くの場合はこれで折り合いが付けられるものであるのだが、如何せん外交交渉は時間がかかってしまう上に、結果が出るまでの過程を秘密にせねばならないことも多く、移り気な世論受け若しくは部外者受けは全くしない解決法でもあったりする。そこで彼我の軍事バランスが一方的に自国優位であったりすると、「ごちゃごちゃとまどろっこしい交渉をするよりも、鉄拳で一発ガツンと喰らわせてこちらの主張を呑ませよう」という意見が大手を振るうことになり易い。
典型的な例がこれまた大日本帝国の決断である。ただし、こちらは米国ではなく、蒋介石がトップを務める中国国民党政府に対するもの。1930年代、大日本帝国政府と中国国民党政府は通商問題、マンチリュアの支配権、中国各地で高まるナショナリズムの大波と駐中日本人の安全確保といった多くの対立点を抱えていた。これに対して日中両政府は活発な交渉を繰り広げて問題の解決を図るのだが、なかなか上手く折り合いをつけることができず、双方に不満が鬱積していった。
そしてこの時の日中を比較すると大日本帝国は極東における最大の軍事パワーであり、一方の中国国民党政府は装備や兵士の練度で大日本帝国に劣るのは勿論、国民党内の権力闘争に加えて各地に軍閥が割拠しており、統一国家としての内実も乏しい状態にあった。こうした日中間の軍事バランスの偏りが時間も手間もかかる外交交渉への疑念と相俟って、大日本帝国政府をして「やるなら、(中国があまりにも弱すぎる)今しかない」と決断せしめ、幾多の「事変」を経ての日中戦争開戦とあいなるのである。

要は、彼我の軍事バランスが相手国優位か自国優位、どちらか一方に極端に振れた時に戦争は起こり易いという話。弱過ぎるのも強過ぎるのも等しく戦禍を招きかねないという、安全保障の世界は実に面妖なもの・・・・。

参考資料
・塩野七生 「マキアヴェッリ語録」 1992年11月 新潮社

2011年10月14日金曜日

第四百十五段 ネオコンとフランス王国のコントラスト

直接攻撃を受けた米国のみならず、通信・放送網の及ぶ世界全体に大きな衝撃を与えた911テロから約10年の月日が経過した。
この衝撃的な事件を受け、元来「人権」「民主主義」「自由」といった”普遍的”価値観の世界への伝道を重視する傾向のあった米国外交に旋風を巻き起こしたのが、「ネオコン」と呼ばれるグループである。彼らは「人権」「民主主義」「自由」といった普遍的価値観を軍事力等で世界に強制的に広めていき、以て米国の安全を確保しようという考えを打ち出した(注1)(注2)。
彼らはアフガニスタンで米軍が世界に見せつけた圧倒的なハイテク軍事能力を背景に、WMDの脅威と「中東民主化」を旗印として中東の産油国イラクに君臨する独裁者サダム・フセインの打倒に乗り出した。そして政権の打倒には成功したものの、同時にサダム・フセインの剛腕によって押さえこまれていた宗派・民族対立をもまた大解放してしまい、多額の出費と膨大な流血の泥沼にはまり込む愚を犯してしまった(注3)。

このネオコン・グループの大言壮語めいた構想とその無惨な帰結を見ると、どうしても思い浮かんできてしまうのが、16~17世紀フランス王国の巧みな外交術である。

ヴァロワ朝フランス王国の王フランソワ一世(在位1515~1547年)は、自身を含めた王家が代々奉じてきたカトリック信仰云々よりも、そのカトリックの大義を掲げてヨーロッパ支配を目論むハプスブルク帝国の脅威を重視し(注4)、それを牽制・撃退するため、自身と同じくハプスブルク家と利害の対立していたイスラム教勢力のオスマン帝国やドイツのプロテスタント諸侯を支援した(注5)(注6)。
そのフランソワ一世の時代から約80年後、時のブルボン朝フランス王国宰相たるリシュリューは、自身が教皇庁の枢機卿であるにも関わらず、ハプスブルク帝国との戦いに勝ち抜くため、以前から続いていたオスマン帝国との良好な関係を維持すると共に、三十年戦争ではプロテスタント派のドイツ諸侯やスウェーデン王国を支援し、最終的にはフランスをプロテスタント側として参戦させたのである。こうした彼の努力は十分に報われた。というのも、ウェストファリア条約の軛(注7)と戦地となったドイツの荒廃(注8)は、ハプスブルク帝国による欧州支配を事実上不可能としたからである(もっとも、リシュリュー自身は1642年に没し、この成功を知ることはなかった)。
この、「カトリック」というイデオロギーに縛られずに展開された、冷静に自国の利益を見据えた現実主義外交が、後年、「朕は国家なり」とうそぶき太陽王とも呼ばれたルイ十四世治下の強大なフランスを生み出す一因となったのだ。

一方、中東欧やネーデルラント、イベリア・イタリア両半島、そして新大陸やアジアに及ぶ広大な領土(注9)を「カトリックの守護者」という旗印で統合しようとしたハプスブルク帝国は、故に数多くの介入戦争、各地域の反乱や軋轢に巻き込まれ、多大の出費・流血を強いられる羽目となり、ゆっくりとしかし着実に欧州最強の地位から滑り落ちていき、遂に三十年戦争とその戦後処理たるウェストファリア条約で、欧州統一の悲願を粉砕されてしまった。

この対照的なフランス王国とハプスブルク帝国の有り様を頭に入れた上で、
自らの信条と、無比の軍事力と経済力に支えられた米国は、自国の安全を確保し、同時に世界中に自由の大義を広めるのだ―まずバグダッドで、そしてバグダッドを踏み越えた彼方へ

と息巻いたネオコンの理想とその巨大な墓標たるイラクに改めて目を注ぐと、自分は甚だしく戸惑ってしまうのである。「果たして21世紀の人間は、それ以前の世紀を生きた人間と比較してどの程度賢くなったのか?」と。


注釈
注1.彼らネオコンが軍事力を行使してでも全世界に広めようとした「人権」「民主主義」「自由」といった「普遍的価値観」だが、それが「普遍的」と言いつつも、歴史的には主としてオーデル以西、ピレネー以北という極めて限定された西欧世界(後に北米もそこに加わる)でしか発生・成長し得なかった「特殊」な価値観であったこと、そしてそれが中東やアフリカ、アジアといった他地域にも広まった背景には、理念としての魅力よりも、それらを奉じていた欧州列強の軍事的経済的富強さに他地域の政府が魅了されたからという面が大きかったことには注意が必要であろう。
注2.所謂「ネオコン」と呼ばれるグループが、
「人権」「民主主義」「自由」の伝道のためには軍事力行使も辞さない一種の武断主義を主張した背景には、彼らの少なくない人物がユダヤ系であり、かつて、その彼らの親戚・縁者がナチス・ドイツによって虐殺され続けた間、世界の主要国がこれを傍観し続けたことへの衝撃があったとも言われる。
注3.対イラク開戦を巡ってネオコン・グループ等と対立し、結局ブッシュ(息子)政権から逐われることになったのが湾岸戦争(1991年)の英雄にして国務長官(当時)を務めていたコリン・パウエル氏である。氏は「サダムが失脚すれば、きっとジェファソン主義者が後継者となるだろうとか、砂漠の民主主義国家が建設されて、人民がコーランと共に連邦主義の論文を読むようになるだろうなどと考えるのは、甘いと言わざるを得ない。結局は、名前の違う別のサダムが登場するだけである」と、統合参謀本部議長退任後に著した回顧録(1995年版 日本語版はハードカバーが1996年、文庫が2001年)で喝破していた。逐った方と逐われた方、今から考えると先見の明がどちらにあったかは明々白々である。
注4.フランソワ一世がフランス王位にあった時代、ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝カール五世の下、オーストリアやボヘミア、ハンガリー、南イタリアやネーデルラント、スペインやその新大陸における植民地という広大な領域を支配下に置いていた。そしてカール五世の引退後も、オーストリアやボヘミア、ハンガリーは彼の弟に、スペインやその新大陸における植民地、南イタリアやネーデルラントは彼の長子にそれぞれ継承され、ハプスブルク家は依然として欧州最大の政治勢力として君臨し続けた。
注5.なおフランソワ一世の言として「ヨーロッパの勢力均衡を維持しうる唯一の国としてオスマン帝国を見なしている」という言葉が遺っている。

注6.こうしたイデオロギーを無視した実利外交を成功させるには、自身が現実主義者であるのみならず、相手もまた等しく現実的である必要がある。この点でフランソワ一世は幸運であった。というのも時のオスマン帝国皇帝スレイマン一世(在位1520~1566年)もまた、「カトリックに対抗するプロテスタントを支持・保護することはオスマン帝国の対欧州政策の要石となろう。したがってオスマン帝国の対ヨーロッパ政策は欧州における政治的不統一を維持し、ハプスブルク帝国を弱体化し、欧州諸国から成る反オスマン十字軍を結成させないことである」という言を遺すほどには事情通で現実主義者だったからである。
注7.当該条約によって、ドイツの各諸侯はプロテスタント派、カトリック派関係なく主権と外交権を認められ、またフランスはアルザス及びロレーヌ地方を新たな領土として獲得した。一方、ハプスブルク側はドイツ諸侯への支配力を完全に失うと同時に、法律の制定、戦争、講和、同盟などについてドイツ諸侯を構成メンバーとする帝国議会の承認が義務付けられることとなった。
注8.三十年戦争において主要な戦地となったドイツでは、地域によって異同はあるものの、概ね人口の3分の1が失われたとされる。
注9.現在東南アジアに存在するフィリピンという国の名は、16世紀にそこを植民地化したスペイン王フェリペ2世(カール5世の長子)に由来する。


参考資料
・W・E・D・アレン 「16世紀世界史におけるトルコ勢力の諸問題」 2011年8月 あるむ 尾高晋己訳
・コリンパウエル 「マイ・アメリカン・ジャーニー 統合参謀本部議長時代編」 2001年3月 角川書店
・ヘンリー・キッシンジャー 「外交」上巻 1996年6月 日本経済新聞社 岡崎久彦監訳
・ローレンス・カプラン ウィリアム・クリストル 「ネオコンの真実 -イラク戦争から世界制覇へ」 2003年6月 ポプラ社 岡本豊訳
・手嶋龍一 「ライオンと蜘蛛の巣」 2006年11月 幻冬舎

2011年10月13日木曜日

第四百十四段 イランの「冒険」を可能たらしめているもの

最近、イランの活発な対外政策が続いている。例えば、イラン革命後としては初となるイラン海軍艦艇の紅海・スエズ運河を経由したシリア訪問、同国海軍司令官によるイラン海軍の展開地域を「従来のペルシャ湾・オマーン近海を超えた範囲まで拡大させる」旨の発言や米国近海への海軍艦艇派遣発言(注1)、イラン海軍潜水艦及び水上艦の紅海派遣、そして衝撃的なのが最近報じられた「イラン政府によるサウジ駐米大使暗殺計画」の発覚である。

では最近、何故イランはこうした積極的な若しくは冒険的な対外政策に乗り出しているのだろう?
そこには内政面も含めた様々な理由があろうが、少なくともその一因は地図を見ることで自然と浮かんでこよう。


イランを中心として地図を見た場合、まず北を見れば、コーカサスや中央アジアの諸国は勿論、それらに依然として強い影響力を有するロシアとの関係が良好である。
東を見れば、アフガンで政権を握っているカルザイ政権は以前よりイランが支援を行ってきた北部同盟を母胎としたものであるし、そのカルザイ政権と激しく対立するアフガン・タリバンについてもアフガンに駐留する米軍を共通の敵とした協力関係が成立していると言われている(注2)。またパキスタンともIPパイプラインの敷設等、経済やエネルギー面を中心に関係を強めている。
西を見れば、2003年のイラク戦争で長年の九敵であったイラクのサダム・フセイン政権が崩壊し(注3)、イランと宗派を同じくするイスラム教シーア派住民を中心とする政権が成立し(注4)、トルコとはエネルギーや経済、クルド人独立派対策といった分野での協力関係を深め(注5)、これまた良好な関係の構築に成功している。

要するにイランの現状は、四方東西南北のうち、東西北の憂いが除去された(控え目に言えば低減された)状態にあると言える。となれば、残る一方の南、即ちペルシャ湾やアラビア半島、そしてアデン湾や紅海を対象とした冒険に乗り出す余裕が出てくるのも宜なるかなというもの。つまり、地政学的な”後顧の憂い”の不在がイランの積極的、冒険的対外政策を後押ししていると考えられる。

イラン政府がどこまで意識的にこうした戦略的環境の構築に動いたのかは不明だが、少なくとも「相手に喧嘩を売るなら(挑発をかけるなら)、まず後顧の憂いを絶ってから」という姿勢は、是非とも見習いたいものである。


注釈
注1.なおイランの「米近海への海軍艦艇派遣」発言に対し、米国側は「大言壮語の類」として静観の構えを示している。
注2.イランとアフガン・タリバンの共闘関係は今までにも度々指摘されてきた。両者とも米軍を目下最大の敵としていることでは共通しており、あっても不思議な話では全くないが、両者の協力関係がどの程度強いものなのかについては諸説あってはっきりしない。
注3.イランにとってイラン・イラク戦争(1980年~1988年)以来の仇敵であったサダム政権を葬ったのが、これまたイラン革命(1979年)以来の敵対者である米国であり、しかもその米国がサダム政権崩壊後のイラクで多大な出費と流血を強いられる羽目に陥ったことは、これ以上ない僥倖であったと推測される。
注4.お互いの宗教・宗派が同じだからと言って必ずしも二国間関係が良好に保たれるわけではないが、イラン政府にとっては、少なくとも前注で触れたような因縁を持つサダム政権よりも現イラク政権の方が遥かに与し易い相手ではあろう

注5.なおイランは今年中頃からクルド人独立派組織PJAK(トルコ領でのクルド人独立武装闘争を行っているPKKの傘下組織とされる)への掃討を強めて多数の幹部を殺害・捕縛し、2011年9月30日にはイラン革命防衛隊陸軍副司令官が「PJAKはイラン政府に降伏した」旨の発表を行っている。

参考資料
・CNN.co.jp 「イラン、米国近海へ戦闘艦船の派遣発表 「大言」と国防総省」 2011年9月29日
・Gulf Times 「China likely to get gas pipeline contract」 2011年8月2日
・Gulf Times 「Iran, Russia sign MoU on transport links」 2011年8月7日
・IRIB 「イラン海軍、大西洋への艦船派遣を計画」 2011年7月18日
・IRIB 「イラン革命防衛隊の司令官が、PJAK掃討作戦で殉教」 2011年7月23日
・IRIB 「イラン、トルコ、イラクが国際銀行の設立で合意」 2011年7月29日
・IRIB 「イランの電力輸出、昨年より25%増加」 2011年8月30日
・IRIB 「イラン革命防衛隊、「PJAKは降伏した」」 2011年9月30日」
・naval-technology.com 「Iranian Navy to Expand Operational Zone」 2011年3月15日
・naval-technology.com 「Iranian Navy vessels to patrol Red Sea」 2011年9月1日
・News.Az 「Iran to build new road to Nakhchivan」 2011年9月16日
・News.Az 「Iran to deploy vessels near US waters」 2011年9月27日
・Radio Free Europe Radio Liberty 「Iran Asks Russia About Building More Reactors」 2011年9月24日
・Today's Zaman 「 Senior PJAK leader killed, Iran says」 2011年9月7日
・TOLOnews 「Iranian Defence Minister Visits Afghanistan」 2011年6月19日
・TOLOnews 「Iran, Pakistan Support the Taliban: Afghan Official」 2011年7月15日
・共同通信 「イラン組織がサウジ大使暗殺計画 米長官「背後に政府の指示」」 2011年10月12日
・新華社 「伊朗军舰通过苏伊士运河」 2011年2月22日

2011年10月2日日曜日

第四百十三段 ミャンマー、戦略的重心の移動?

東西を見れば東南アジアと南アジアの接点、南北を見ればベンガル湾(インド洋)と中国雲南の接点、そんな地理的要衝とも言えるミャンマーという国は、「人権」「民主化」といった問題で西側諸国と長らく対立し、その反射的行動として、自国と利害が一致する相手ならばその政治体制如何を問わず支援の手を差し伸べる中国に接近するという外交スタンスを採ってきた。
その結果、ミャンマー政府は西側諸国の制裁に対抗若しくはそれを無力化するための格好の後援者を獲得したことによって安定の度を増し、一方の中国は支援の代価として、ミャンマー領ココ諸島(インド洋)に通信傍受・レーダー施設を設置、ミャンマー国内全発電所(建設中のもの含む)の6割の建設・運営に中国企業が参加(注1)、ベンガル湾に面したチャウッピューと雲南省昆明を結ぶ石油・ガス・パイプラインの敷設(現在工事進行中)といった具合に大きなプレゼンスを築くことに成功した。
こうした事情によって、「中国-ミャンマー関係=蜜月状態」という図式が広く国際社会に長らく流布することとなった(注2)。

だが最近、ミャンマーの戦略的重心の置き所に変化を感じさせる報道が続いている。

1.日本とのレアアース共同開発(以下の引用は共同通信2011年9月26日より)(因みに、2000年代に入ってから尖閣諸島や東シナ海の支配・権益を巡る日中間の対立がとみに激化しつつあることは贅言を要しないであろう)。
 政府はミャンマーとレアアース(希土類)を含む天然鉱物資源を共同開発する方針を固めた。計画具体化のため、ミャンマーのワナ・マウン・ルウィン外相に年内にも訪日するよう非公式に打診している。昨年、中国漁船衝突事件後に中国のレアアース輸出手続きが停滞したことを教訓に、複数の安定供給ルートを確保する必要があると判断した。関係筋が25日、明らかにした。

 今年3月にミャンマーが軍事政権から形式的ながら民政移管を果たしたことも踏まえたが、民主化が十分でない段階で、本格的な経済関係強化への取り組みは時期尚早との意見も出そうだ

2.中国からの支援を受けて進めていたイラワジ川上流でのミッソン・ダム(注3)建設中止(以下の引用はAFPBBNews 2011年10月1日より)。
ミャンマーのテイン・セイン(Thein Sein)大統領は9月30日、中国の支援を受けている総工費36億ドル(約2770億円)の巨大ダム計画について、ミャンマーでは珍しい世論の反対に応えて、建設の中止を命じた。

 ミャンマーでは、実質は旧軍事政権の支援を受けながら名目上は民政に移行し、新政権が発足したが、北部カチン(Kachin)州のイラワジ(Irrawaddy)川流域に計画されていたミッソン・ダム(Myitsone Dam)に対して高まっていた。反対は、民主活動家や環境運動家らにとって新たな自由の試金石となった。
 
 政府高官によると、テイン・セイン大統領は首都ネピドー(Naypyidaw)で開かれた議会で、現政権の間はミッソン・ダムの建設を中止すると発表した。同計画は中国のエネルギー大手、中国電力投資集団(China Power Investment)の支援を受けていた。

 環境活動家らは、同ダムを建設すれば、シンガポールと同程度の面積の地域に川が氾濫し、数十の村が水没し、1万人が移住を余儀なくされるほか、世界で最も多様な生態系のひとつとされる地域が回復不可能なほどのダメージを受けてしまうと警告していた。

 民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)さんも当局に計画の見直しを求めていた1人だった。


3.インドとの貿易額を2015年迄に30億ドル相当まで拡大させる意向の表明(注4)(以下の引用はEurasiaReview 2011年10月1日より)(因みに今月19日、インドとベトナムとの間で成立した南シナ海における石油・天然ガス共同開発合意に対し、中国外務省はこれに反発する声明を発表している)。
India and Burma will seek to diversify trade over the next four years as it sets a target of $US3 billion, effectively doubling current figures, in bilateral trade by 2015.

The goal was set on Tuesday following a meeting of the Joint Trade Commission, attended by Burma Commerce Minister Win Myint and his Indian counterpart, Anand Sharma.

India currently ranks as Burma’s fourth largest foreign investor but has sought to gain greater economic leverage in the country, both in an effort to weaken China’s influence there and gain stable access to the ASEAN economies.

Sharma was quoted in The Hindu as saying: “We need to work towards broad-basing our trade basket. Let us encourage businesses on both sides to utilise Duty Free Tariff Preference Scheme and ASEAN FTA channels to diversify trade.”

India has made expansion into Burma a key priority over the coming years as it looks to gain more clout among the developing Southeast Asian economies. It is also fearful that China’s continued rise will see it out-compete India on a number of fronts, including extraction of Burma’s huge wealth of natural resources.

Burma on the other hand is known to be wary of an over-dependence on China, despite the political shielding that a strong relationship with Beijing carries, and has looked to develop ties with India and Russia as a means to avoid this.

To an extent the ball appears to be in Burma’s court, at least for the time being, as Delhi makes regular overtures to Naypyidaw in an attempt to embrace the new government. When Indian foreign minister S M Krishna visited Naypyidaw in June, one of the first senior foreign officials to break ground with the new Burmese government, he offered 10 heavy-duty rice silos as a gesture of goodwill.

One major bilateral venture underway is the $US120 million Kaladan Multi-Modal Transit Project designed to link Indian ports to Burma’s western coastal town of Sittwe. Goods could then be shipped to Sittwe and on into Southeast Asia.

The Tavoy deep-sea port project in southern Burma is also being seen as a hub of connectivity between ASEAN economies, as well as China, and Indian and European trade, which hitherto has struggled for a coastal gateway to Southeast Asia.

India’s perennial competition with China was brought into sharp focus over the Shwe oil and gas pipeline project, which Delhi had originally bid for but lost out to China. The deal was thought to have been sealed after China pledged diplomatic protection in the UN Security Council, something India cannot offer.

While India’s trade with Burma last year stood at $US1.5 billion, China’s exceeded $US10 billion. Of the total Burmese exports to India, 97.5 prcent were pulses and wood products, The Hindu said, despite India’s hunger for Burmese gas and hydropower.

これら一見すると「ミャンマーの中国離れ」を示唆するようなニュースが相次いで流れてくると気になってくるのが、中国の勢力拡大、現状破壊勢力的な振舞いに神経を尖らせる日米印といった国々がこの機を捉え、長らく強固とされてきたミャンマー-中国蜜月にどれほど大きな楔を打ち込むことができるのかという点(注5)、そしてもしミャンマーの戦略的重心の移動がより鮮明化してきた時、同様に中国への政治的経済的依存が進んでいる北朝鮮にどのような影響が及ぶのかという点(注6)(注7)、以上の2点である。

注釈
注1.なお、2010年12月15日に稼働を開始したイェーユワー水力発電所(発電量790MW タービン4基設置)の建設費用7億ドルのうち、2億ドルは中国輸出入銀行からの融資で賄われている。
注2.中国ほどではないにしろ、他に政府レベルでミャンマーと良好な関係を築いている国としてインド、タイ、ロシア、北朝鮮が挙げられる。また、最近では電力供給等のインフラ整備が不十分であることを承知しつつも低廉な人件費に魅力を感じた日韓のアパレル・繊維企業が多数ミャンマーに進出している。ただし、日韓両国とも政府レベルでは「人権」「民主化」を重視する欧米諸国との関係、そしてミャンマーが北朝鮮と良好な関係にあるといった事情から、積極的にミャンマー政府との関係強化に乗り出しにくい状態が長らく続いてきた。
注3.ミッソン・ダム建設計画によれば、同ダムの発電量は6000MW(発電量750MWのタービンを8基設置)、2019年の完成を目指していた。
注4.2008年時点のデータだが、ミャンマーの輸出額は70億ドルで主要相手国シェアはタイ38.7%、シンガポール12.5%、インド11.9%、香港9.8%、中国9.1%となっており、輸入額は43億ドルで主要相手国シェア中国26.4%、シンガポール23%、タイ8.6%、マレーシア7.9%、インドネシア4.6%となっている。
注5.もし日米印といった国々が中国牽制のため、それとミャンマーの関係に楔を打ち込もうとするならば次の二つが政策を進めていく上で必要不可欠なものとなろう。1つは、「中国の勢力拡大阻止」という大事の前に「ミャンマーの民主化が不十分である」という小事には目をつぶってミャンマー政府に手を差し伸べる、謂わば「清濁併せ呑む」姿勢。もう1つは、東南アジアや東アジアに死活的な安全保障上の利益を有さないがため、対ミャンマー政策についても勢力均衡の現実より「人権」「民主化」といった原理原則に重きを置いた教条主義的アプローチを採り続けるであろうEU諸国等の押さえ込みである。
注6.北朝鮮の経済面、政治面における対中依存は今まで度々報じられているが、一方で北朝鮮は、建国以来金日成率いる自主独立派と隣国中国との協調を重視する親中派の権力闘争が度々繰り広げてきたという歴史も有していること、そして最近の北朝鮮が米韓露といった周辺諸国との対話・協調姿勢に転じていることにも注意が必要であろう。
注7.たまに「ミャンマーが核兵器開発計画を進めていて、北朝鮮がそれを支援している」という旨の報道が流れることがある。仮に事実としても不思議はない話ではあるが、現状で真偽のほどは不明である。

参考資料
・AFPBBNews 「ミャンマーが巨大ダム計画中止、同国異例の抗議に応え」 2011年10月1日
・BBC 「Burma 'trying to build nuclear weapon'」 2010年6月4日
・EurasiaReview 「India And Burma Set $3bn Trade Target」 2011年10月1日
・共同通信 「ミャンマーとレアアース共同開発 供給確保で政府方針」 2011年9月26日
・工藤年博編 「ミャンマー経済の実像 -なぜ軍政は生き残れたのか-」 2008年3月 アジア経済研究所
・国別情勢研究会 「ARCレポート ミャンマー 2011/12」 世界経済情報サービス
・時事通信 「南シナ海資源開発は「違法」=越印の合意に反発-中国」 2011年9月19日
・二宮書店編集部編 「データブック オブ・ザ・ワールド 2011 -世界各国要覧と最新統計-」 2011年1月 二宮書店

<当ブログ関連段>
・第三百五十一段 緬甸デベロップメント
・第四百十一段 マハーラージャーは北面す
・第四百六段 露朝韓ガス・パイプライン構想と日本

2011年9月27日火曜日

第四百十二段 サファビー朝リコレクション

16~18世紀の中東、イラン高原を中心に周辺地域を支配したサファヴィー朝という王朝があった。最盛期には首都イスファハンが「世界の半分」と称えられるほどの繁栄を手にした王朝であったが、その繁栄は、決して偶然や僥倖の類によってもたらされたものではなかった。寧ろ、彼らの周囲は手ごわい地政学上の競争相手がひしめいていたのである。

まず西を見れば、そこにはメッカとメディナ、エルサレムというイスラム教の三大聖地を押さえ、イェニ・チェリという強力な常備軍を擁して遠く西欧ウィーン近辺にまで勢力を及ぼしていたオスマン帝国という存在があった。そのオスマン帝国とサファビー朝は、南コーカサスやクルディスタン(注1)、イラク地方の支配を巡って鋭く対立していた(注2)。
また南を見れば、遠くアフリカ南端の喜望峰を回ってインド洋に進出してきたポルトガルが、火砲とそれによって装備された帆船の威力を背景にペルシャ湾の出口たるホルムズ海峡を支配しようとしていた。
更に北東には、中央アジアの草原地帯を根城に度々イラン高原への南下を企ててきた遊牧騎馬勢力ウズベクという存在があった。
まさに周囲をぐるりと敵性勢力に囲まれた状態であったわけである。

こうした脅威群に対抗するため、サファビー朝の歴代君主たちは巧みな外交を展開してきた。
まず西のオスマン帝国を牽制するため、バルカン半島の支配権を巡ってオスマン帝国と競合していたハプスブルク帝国やハンガリー、更には中東貿易の拡大を狙っていた英国やオランダといった欧州諸勢力と手を結び、オスマン帝国を東西から挟撃する形成を作り出した(注3)(注4)。
また当時軍事技術の革新が活発であった英国やオランダからは積極的に最新鋭の銃火器類やその運用術(注5)を導入し、ポルトガルをホルムズ海峡から追い出し(注6)、中央アジアの草原地帯から押し寄せるウズベク族の侵攻を跳ね返すことに成功した(注7)。
更に東に対する動きを見ると、1544年、内紛によって北インドを逐われたムガル朝二代目君主フマーユーンが亡命を求めてきた。時のサファビー朝君主タフマースプ一世はこれを受け入れるのみならず、フマーユーンの勢力回復を支援さえした。この後援もあってフマーユーンは1555年、北インドの地に再度支配権を確立することに成功し、同時にサファビー朝は支援の代価として東部国境の安定を手にしたのだった(注8)。

そこから時は流れて幾星霜、21世紀の現在。911テロをきっかけとしてAfPakに足を踏み入れた当代最強の米軍は、911テロの首謀者たるウサマ・ビン・ラディンの殺害には成功したものの、国際テロ組織に恰好のシェルターを提供してきた「アフガンの不安定さ」を除去できぬまま同地から撤退を開始した。そして一部には、米軍撤退後のアフガニスタンを起点としたイスラム過激派の勢力拡大、所謂「緑の津波」が周辺の既存国境を大きく揺るがすだろうという予想も浮上している。

となると気になるのが、そのAfPak地域と東部国境で相接するイランの動きである。西部では長年の地政学的ライバルであったトルコとの関係改善を順調に進め(少なくとも現状では)、北方については中央アジアに今なお多大な影響力を有するロシアとの友好関係を維持し、南方に対してはシーア派住民の取り扱いを巡って湾岸諸国と対峙しているという状況下、彼らは今後激震も予想される東部国境の安定を如何に図っていくつもりなのだろうか? 彼らの前に「新たなフマーユーン」は姿を現すのだろうか?

注釈
注1.クルド人が多く居住するトルコ南東部からイラク北部、イラン北西部にかけての一帯。
注2.領土を巡る競合に加え、オスマン帝国はスンニー派、サファビー朝はシーア派をそれぞれ奉じていたことから、両者の対立にはイスラム教内の宗派対立の要素も存在した。
注3.無論、オスマン帝国側もこうしたサファビー朝やハプスブルク家の動きを挙手傍観していたわけではなく、彼らの対立相手であったフランスやウズベク族と連携するという対抗策をとっている。
注4.なおイラン高原を押さえる勢力が欧州の諸王国と結び、その間に位置する敵勢力を挟撃する形成を作り出すというパターンは、シリア・エジプトを支配するマムルーク朝と敵対したイルハン朝、アナトリアを支配するオスマン帝国と敵対したティムール朝の外交にも共通して見られるものである。
注5.サファビー朝軍における小銃・火砲戦力の整備・拡充については、アッバース一世治下における英国人アントニー及びロバートのシャーレー兄弟の活躍が有名である。
注6.16~17世紀における新教国英蘭と旧教国ポルトガル・スペインとの貿易・宗教を巡る対立は、欧州本土を大きく超えた
文字通りの地球規模で展開され、中東のパワーバランスのみならず、遠く極東においても織豊政権や江戸幕府の外交政策に大きな影響を与えた。
注7.長年イラン高原北東部ホラサーン地方等の支配を巡って抗争を繰り広げてきた両者の憎悪は強く、1510年メルブ近郊の戦いでウズベク族のムハンマド・シャイバーニー・ハーンを討ち取ったサファビー朝のイスマーイール一世は、その頭蓋骨を酒盃とするほどであった。
注8.なお、サファビー朝のムガル朝に対する支援はこれが初めてではなく、ムガル朝初代のバーブルが中央アジアでの勢力回復を図っていた頃からサファビー朝はこれを支援してきた。ただし、彼の中央アジア回復の夢は敵対するウズベク族の精強さによって阻まれてしまう。結果、中央アジアに居場所を失ったバーブルが新たな進出先として目をつけたのが北インドの地であった。

参考文献
・永田雄三 羽田正 「世界の歴史15 成熟のイスラーム世界」 1998年1月 中央公論新社
・佐藤次高 「世界の歴史8 イスラーム世界の興隆」 1997年9月 中央公論新社
・那谷敏郎 「三日月の世紀 -「大航海時代」のトルコ、イラン、インド-」 1990年5月 新潮社
・本田實信 「≪ビジュアル版≫世界の歴史6 イスラム世界の発展」 1985年3月 講談社

<当ブログ関連段>
・第三百九十一段 「近い外国」が「緑の津波」に呑み込まれる日

2011年9月25日日曜日

第四百十一段 マハーラージャーは北面す

「シルクロード」という言葉に代表されるように、東西の繋がりだけに注目が集まりがちな中央ユーラシアだが、実はアフガニスタンを結節点とした北の草原地帯と南のインドという南北の繋がりも活発であったことはあまり注目されていない。

だが、特にヒンドスタンと呼ばれる北インド一帯の安全保障は、歴史上、北の草原地帯から南下を繰り返す遊牧騎馬勢力の動向に大きな影響を受けてきた(注1)。アリーヤ、サカ、クシャン、エフタルといった古代遊牧民の南下がインド世界に与えた影響は高校の世界史でもお馴染だが、とりわけ10世紀のガズニ朝を嚆矢とするイスラム化したトルコ・モンゴル系諸族の侵入がインド亜大陸に与えた影響は大きかった。長年インド政治の中心となってきた都市デリーは彼らイスラム化したトルコ・モンゴル系諸族の王朝が築き発展させた都市であったし、かつての英領インド、そして現在のインド共和国の領域はイスラム化したトルコ・モンゴル系諸族のインド侵入最後の大波と言えるムガル帝国のそれをほぼそのまま引き継いだものである(注2)。

こうした歴史をどこまで意識したものかは不明だが、21世紀に入って以後のインド共和国は「北方外交」とでもいうべき中央ユーラシア諸国への働きかけをとみに強めている。

まずロシアとインドとの関係だが、インドの目覚ましい経済発展とそれに伴う防衛力近代化の動きにロシアが多くの先進的兵器や軍事的技術を売却するという一種の共生関係、そして両国間で未だ根強い中国警戒論の影響もあってか、両国関係は旧ソ連時代と変わらぬ良好さを維持している。最近ではロシアが作成した新鋭ステルス戦闘機T-50(注3)について、ロシア国営航空機メーカー統一航空機製造会社のトップが「T-50は露印両軍向けのもの」という声明を発表している

旧ソ連領中央アジア諸国に対するインドの動きを見ると、まず中国と境を接するキルギス政府との間では、今年7月5日にインド国防相が同国を訪問して「二国間防衛協力関係強化」に関する合意が成立し、更には同国内での魚雷の製造・試験施設設置に向けた交渉も進められている。
次にタジキスタンとの関係だが、こちらについてはドゥシャンベ近郊のファルホル空軍基地のインド軍利用が2004年に認められている。そしてインドは二匹目の泥鰌を狙って同国アイニ空軍基地の利用権を巡る交渉を進めていたものの、こちらは同じく同空軍基地に目をつけていたロシアの強硬な反対に直面する形となり、利用権獲得に失敗してしまった。
カザフスタンについては、現時点でインドとの間で表立った動きは見受けられないものの、タジキスタン同様、同国内にもインド空軍基地が設置されているという。

アフガニスタンについて、インドはタリバンを支援する敵国パキスタンへの対抗上、そのタリバンと敵対する北部同盟を支援してきた。そして2001年の911テロとそれに続く米国のアフガン攻撃によってアフガン・タリバン政権は崩壊し、インドにとってはめでたい事に支援先の北部同盟がパシュトゥン人有力者ハミド・カルザイを担ぐアフガン新政権が成立した。これに応じてインドも資金援助や道路建設を中心に様々な対アフガン支援を実施してきたが(注4)、新政権自体の怠慢・腐敗等もあってアフガニスタンの復興と安定化への歩みは捗々しくなく、寧ろ勢力を盛り返してきたタリバンの再奪権もあり得べきシナリオとして浮上してきたことから、今年7月、アフガンからの軍撤退を開始した米国に対して「今後も米国はアフガンでのプレゼンスを維持すべき」という旨の発言がインド外相の口からなされている。

モンゴルとの関係については、根強い中国警戒論を共通認識として防衛面等での関係強化が進んでいる(注5)。以前よりモンゴルにはインドが中国の弾道ミサイルを監視するための施設を設置しているとされているが、今月8日にはインド-モンゴル両国防相の間で「防衛分野での協力強化」に向けた合意が成立した他、15日からはインド-モンゴル両国陸軍の合同演習が29日までの予定で開催されている(注6)。

以上のようなインドの「北方外交」に負けず劣らず、軍事面や経済面での協力を梃に内陸アジア諸国に対する積極的な働きかけを進めているのが中国である。今後、ユーラシア中央部の戦略バランスがインドと中国、どちらに有利な方向に傾くのか? それは恐らく東・南シナ海での権益を巡って中国と対峙する諸国の進路にも大きな影響を与えるものとなるだろう。

注釈
注1.中央アジアを征したロシア・ソ連を一方の主役としたグレート・ゲームやアフガン侵攻も、古来より北方草原地帯の遊牧民達が繰り返してきたインドへの南下行動の延長線上の出来事と言えるかもしれない。

注2.こうした歴史を背景に成立したインドのイスラム教徒だが、その人口はインド全体の12%程度だといわれる。インドの人口は2010年時点で約12億人なので、インドはその中に約1.4億人強のイスラム教徒人口を抱えている計算になる。これを上回るのはインドネシアの約2億人、そして英領インド独立の際に宗教的理由からインド共和国と袂を分かったパキスタンの約1.7億人だけである。
注3.なおT-50について、その製造はロシアが行ったが、インドもまた開発費の6割に当たる60億ドルを拠出する等の資金援助を行っている。
注4.道路建設におけるインドの支援で目立つのは、同じくタリバンへの対抗上北部同盟を支援してきたイランとの共同によるカブール~バンダル・アッバス港(イラン領)道路の開設(2009年)であろう。これにより内陸国アフガニスタンは、パキスタンルート以外の海への出口を曲がりなりにも手に入れたことになる。またアフガンへの資金援助については、最近だと今年5月にインド・シン首相が総額5億ドルの支援パッケージ提供を申し出ている。
注5.インドがチベットのダライ・ラマ14世亡命政権を受け入れていることは広く知られているが、一方のモンゴルではそのダライ・ラマ14世を最高の宗教的権威として仰ぐチベット仏教の信者が人口(2010年時点:約270万人)の約50%を占めている。
注6.なおモンゴルが他国と行っている合同演習としては、米国等を相方とした「カーン・クエスト」が有名である。


参考資料
・DefenseNews 「India, Mongolia Foster Closer Defense Ties」 2011年9月8日
・EURASIANET 「Is India Out of the Game in Tajikistan?」 2010年12月1日
・EURASIANET 「India To Use Torpedo Plant In Kyrgyzstan, But Where Are The Russians?」 2011年9月21日
・EURASIANET 「Indian Army, And Their Motorcycles, Boosting Cooperation With Mongolia」 2011年9月22日
・RIA Novosti 「New stealth fighter jet 'principal' for Russia, India」 2011年8月16日
・TOLOnews 「Indian PM Announces $500m Afghan Aid Package」 2011年5月12日
・TOLOnews 「India Urges US to Continue Presence in Afghanistan」 2011年7月20日
・UZBEKISTAN DAILY 「Uzbek President leaves for India」 2011年5月17日
・フォーサイト 2007年7月号 「インドがタジキスタンに進出 その背後にもロシア 」 
・フォーサイト 2007年10月号 「中国のミサイル開発をインドがモンゴルから監視 」
・フォーサイト 2008年8月号「スリランカ取り込みを図る中国に、神経を尖らせるインド 」

2011年9月11日日曜日

第四百七段 宗教改革リターンズ?

1517年、ドイツ・ヴィッテンベルク城教会の扉に、一人の神学者による張り紙が貼られた。張り出された紙は後に「95ヶ条の論題」として知られるカトリック総本山ローマ教皇庁への異議申立。そしてそれを張り出した一介の神学者こそ後世に名高きマルティン・ルターその人である。
このルターによる「95ヶ条の論題」貼りだしが、ドイツ各領邦・都市によるローマ教皇庁への反抗、即ち「宗教改革」という歴史上のビッグウェーブの直接の引き金となったことは世に広く知られている。

では何故ドイツの領邦や都市は、それなりに高名であるにしろ、強大なローマ教皇庁に比すれば全く無力な存在でしかないルターと言う神学者の言い分に乗っかる気になったのだろうか?
その背景にはローマ教皇庁とその権威を背景にした神聖ローマ帝国によるドイツの富の収奪があった。
教皇お膝元たるローマを豪奢な教会や芸術で飾り立て(注2)、そこに住まう教皇、枢機卿以下多くの聖職者たちの豪奢で放埓な私生活を支えるため、教皇庁は人々の信仰心につけ込んで「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と触れまわり、ドイツを中心とした地域の民衆に大量の贖宥状を売り付け、その利益をローマに移送していたのである
これはドイツの各領邦や都市にとっては、本来なら自分たちの税収となるべきものに対するローマの横取り以外の何物でもなかった。
しかし、彼らが如何に不満を抱こうとも、キリスト自ら「天国の鍵」を授けたとされる聖ペテロの後継者たちに反旗を翻す名分としては「銭勘定」は流石にさもし過ぎた。結局ドイツの領邦・都市はローマにNOをつきつけるに恰好の大義名分を欠いたまま、静かにしかし着実にローマへの怨念をため込んでいったのである。

それがルターのローマ教会に対する神学面での異議申立によって情勢はがらりと変わった。ドイツの領邦・都市にしてみれば、経済面での怨念を正当化・糊塗してローマに対する反抗の狼煙を上げるには恰好の形而的かぶり物、もっともらしい言葉を使えば「理論的支柱」が現れたのである。こうなると、最早彼らがローマ教皇庁を慮る理由はなくなる。一方、こうしたドイツ領邦・都市の離反の動きに危機感を募らせた教皇庁は、対抗策として神聖ローマ帝国を通じて彼らへの締め付けを強化していく。

反実仮想だが、ドイツ領邦・都市が最初から金銭づくの話として教皇庁・神聖ローマとの間で交渉を進めていれば、或いは両者の間に「お互いの取り分はこうしましょうや」と妥協が早々に成立したのかもしれない。しかし、ドイツ領邦・都市がローマ教皇庁の権威に対抗するためルターの学説を担ぎ出したことで、当初はお金で始まった話は「反カトリック派とカトリック派、どっちが正しいキリスト者か?」という形而上の段階にまで急進行。

こうなってくると、両者の対立が血で血を洗う妥協なき抗争に発展するのも宜なるかなと言うもの。やがて両者の凄惨な殺戮劇は、三十年戦争という戦乱の大輪を咲かせた末に、1648年ウェストファリア条約によって終結する。そしてその結果、ローマ教皇の権威、神聖ローマ皇帝の権力が広く欧州各王国の上に君臨する中世的な秩序は名実ともに砕け散り、現在の我々がよく知る「主権国家」体制、即ち特定の領域内において絶対的不可侵な権威を持ち、警察、軍といった暴力装置を独占する国家政府からなる「分立的」な国際関係が登場するのである。

・・・・・え? 「何でここで突然、500年近く前のドイツの故事を引っ張り出してきたのか?」って?

いや、現在の欧州となんだか似てる気がするんですよ。

「どこが似てるんだ?」ですか? う~ん・・・・・・例えば「ドイツの領邦・都市」、「ローマ」、「教皇庁」、「神聖ローマ帝国」、「贖宥状」といった語句を適宜「ドイツの有権者・政治家」「ブリュッセル」「EU」「ギリシャ救済」だとか「ユーロ防衛」といった具合に置き換え、そして改めて読み返してみて下さいな(特に第2パラグラフ)。

ね、似てるでしょ?(注4)

注釈
注1.念のために言っておくと、当該段で言う「欧州」には、イスラムを掲げるオスマン帝国の支配下にあったバルカン地方や東方正教を奉じるモスクワ大公国の支配地は含まれていない。
注2.
当時のやんごとなき貴顕のみならず、21世紀の今も世界中の人々に多くの感動やインスピレーションを与えている、サン・ピエトロ寺院を始めとしたローマ・ルネッサンスの建築物や芸術品は、一方でこうした極めて胡散臭い集め方をされた資金によって支えられていたのである。人の世の一筋縄ではいかなさがよく分かる例と言えよう。
注3.どうでもいい話だが、この贖宥状のエピソードを聞くたびに「
信者と書いて儲け」、「信じるものはすくわれる。ただし足許を」という言葉をどうしても思い出してしまう著者であったwww
注4.因みに、露は冷戦崩壊後、「エネルギー」を一つのキーワードとして独と政治・経済関係を大きく深めてきた。それに加え、最近では「ミストラル級強襲揚陸艦売却」に代表されるようにフランスとの接近を進めている。もし万が一EUという枠組みが崩壊して、欧州が再び「分立の時代」を迎えることになれば、「ラッパロ条約」と「露仏同盟」を同時に手にした露が欧州への影響力を一層強めることになるかもしれない。

2011年9月7日水曜日

第四百六段 露朝韓ガス・パイプライン構想と日本

「ロシア-北朝鮮-韓国ガス・パイプライン敷設計画」というものがある。要は、ロシア産天然ガスを北朝鮮経由のパイプラインを通じて韓国に供給しようという計画である(注1)。今までにもサハリンで産出した天然ガスをパイプラインでウラジオストクまで運び、そこから韓国に出荷しようという話はあったが(注2)(注3)、ガス・パイプラインを北朝鮮を経由したルートで韓国まで敷設し、以てロシア産ガスを韓国に送り出そうという計画は今まで現実性のある計画としては語られてこなかったように思う。
そんな「ロシア-北朝鮮-韓国ガス・パイプライン敷設計画」が俄に具体性を持った話として浮上したのは、2011年8月8日のモスクワにおけるラブロフ-金星煥露韓外相会談の場においてであった。

当時の聯合ニュースは以下のように伝えている(赤太字は著者による(以下同じ))。
ロシアを訪問中の韓国外交通商部の金星煥(キム・ソンファン)長官は8日、ロシアのラブロフ外相と会談し、ロシア産天然ガスを北朝鮮経由で韓国に供給するための大規模パイプライン計画と電力供給、鉄道整備の共同事業を推進していくことで合意した。

会談後の記者会見でラブロフ外相は、共同事業と関連した当局間協議を進めており、専門家間で合意に至れば政府レベルの支援を通じた本格的なプロジェクトが実現できると明らかにした。

 北朝鮮への食糧支援と関連しては、すでに500万ドル(約3億8000万円)を支援しており、追加で5万トンの小麦粉を支援する計画が推進されていると伝えた。

 金正日(キム・ジョンイル)総書記の訪露については、「相当前から招請しており、訪問時期は両国政府の合意により決まる」と説明した。

個人的には、当初、上記ニュースを目にした時は北朝鮮という巨大な「政治的リスク」を抱え込む形になる当該ガス・パイプライン計画の実現性に極めて懐疑的な印象を持ったものだが、それをせせら笑うかのように現実は進行し、2011年8月24日に東シベリア・ソスノブイボルで行われた露朝首脳会談で当該ガス・パイプライン計画実現に向けた合意が成立した。

同日の時事通信は以下のように伝えている。
ロシア訪問中の北朝鮮の金正日総書記は24日、メドベージェフ大統領と東シベリアのウランウデ近郊ソスノブイボルの軍施設で会談した。会談後、チマコワ大統領報道官は、金総書記が核問題をめぐる6カ国協議への無条件復帰と核・ミサイル実験凍結の用意を表明したことを明らかにした。ロ朝首脳会談は2002年8月以来、9年ぶり。
 同報道官は「北朝鮮は核兵器・ミサイル実験・製造の凍結(モラトリアム)導入の問題を解決する用意がある」と述べた。6カ国協議の早期再開に向け、北朝鮮が譲歩する姿勢を示したとみられる。
 会談ではまた、ロシア、北朝鮮、韓国の3カ国が参加する天然ガスパイプライン建設計画を推進することで合意した。計画実現に向け、3カ国の委員会を創設する方針という。メドベージェフ大統領は会談後、「北朝鮮はこのプロジェクトの実現に関心を持っている」と強調した。

こうして計画関連国の間で合意が固まって来ると、次に浮かんでくる障害は国連による北朝鮮経済制裁の存在ということになるが、これについて韓国政府は2011年9月5日に「露朝韓ガス・パイプラインは国連経済制裁の対象外」という暫定的判断を表明した。

聯合ニュースは以下のように伝えている。
韓国政府がロシアの天然ガスを北朝鮮経由で韓国に送るパイプライン建設計画について、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁の対象にはあてはまらないと暫定判断したことが5日、分かった。

 外交通商部当局者は同日、パイプライン建設計画について、「国連の北朝鮮制裁の柱は大量破壊兵器。パイプライン事業が大量破壊兵器と直接関係しなければ、文献上、制裁に反すると判断しにくい」と述べた。

 政府当局者も先ごろパイプライン事業に関して、北朝鮮の攻撃によるものとされる昨年3月の海軍哨戒艦沈没事件を受け、同年5月に公表した北朝鮮制裁措置の対象ではないと発言しており、同事業をめぐる議論が本格化するかどうか注目が集まっている。

 政府内外からはパイプラインの連結に使われるアルミ鋼管や北朝鮮に支払う年間約1億ドル(約77億円)の費用が大量破壊兵器に転用される可能性を懸念する声が上がっている。だが、大量破壊兵器との関連性が明らかにならない限り、建設計画自体が国連の北朝鮮制裁に違反すると見なすのは難しいと判断したようだ。

 国連は安保理決議に基づき、大量破壊兵器に使われる可能性がある技術・材料などの北朝鮮への輸出を禁じている。

以上のような経過を辿り、若干の不透明さは残しつつも実現への動きが進んでいる露朝韓ガス・パイプライン計画に対する個人的な注目点は、仮にこのパイプライン構想が実現した場合の延伸の可能性である。というのも、当該パイプライン計画において終着点とみなされている韓国の南には日本があり、分けても韓国に近い西日本では将来的な天然ガス需要の拡大が想定されるからだ。

西日本は今まで電力の多くを原発に依存してきた(注4)。具体的なデータで示すと、以下の通りである(注5)。

         自社総発電量(1000kwh)  原子力発電量(1000kwh:自社総発電量に占める割合)
関西電力   131,522,249           66,953,812(51%)
四国電力    29,408,223           16,103,978(55%)
中国電力    45,222,165            2,280,760(5%)
九州電力    80,580,028           37,374,870(46%)
(参考)
東京電力   264,065,162           83,845,029(32%)

だが、新たに成立した野田内閣の鉢呂経産大臣は、マスコミからのインタビューに答える形で原発の今後について以下のような見解を表明しており(注6)、早晩、西日本の各電力会社は「減少していく原発の穴を如何に埋めていくか?」という問題と向き合わざるを得なくなると推測される。
そして「原発の穴」を埋 め得る電力供給源を考えると、発電量の規模や安定性等を考慮すると火力発電が後継の最右翼ということになるだろうし、更に二酸化炭素排出に係る国際合意等 を重ねれば、燃料源として重油や石炭ではなく、天然ガスを用いる火力発電が原発の後継となる可能性が最も高いと考えられる。
 鉢呂経産大臣インタビュー記事(時事通信より一部抜粋 見易さを考慮して大臣の回答部分を赤太字とした)
-野田佳彦首相は、新規の原発建設は難しく、寿命が来たものは廃炉になると言及したが。
 新しいものは造らない。
 -ある程度時間が経過すれば、原発はゼロになるのか。
 基本的にはそうなる。
 -建設中の電源開発大間原発と中国電力島根原発3号機への対応は。
 現実には建設を凍結している段階で、どう考えるかは今後、十分検討していく。
 -計画中の中国電力上関原発への対応は。
 計画段階のものは、新たに建設するのは難しいのではないか。
 -国際原子力機関(IAEA)に原発の再稼働で意見を求める考えを示したが。
 ストレステスト(耐性評価)の1次評価で、IAEAに再評価を求めることもあるのではないか。原子力安全・保安院、原子力安全委員会が評価し、さらに国際的な機関が評価する。複数の評価を用意し、地元の方々に見てもらえれば、判断材料になる。また、政治レベルで(最終的に再稼働の是非を)判断する一定の基準を作る必要もある。ストレステストの1次評価は、9月中にも各電力会社から1基ずつ程度出てくるとの見通しを持っている。


つまり将来的な予想図として、ロシアから北朝鮮を経て韓国までガス・パイプラインが走る一方で、その韓国にほど近い西日本では脱原発に伴って天然ガス需要が活発化するという構図を描くことができるのだ。これが露朝韓ガス・パイプライン延伸の可能性に着目する理由である。

では果たして露朝韓ガス・パイプラインの日本までの延伸は可能なのだろうか? 今年5月に敷設が完了した大型海底ガス・パイプラインのノルドストリームの事例を参考とすると、ノルドストリームの全長は1223km、そして敷設が行われたバルト海の平均水深は55mで最深459m、パイプライン敷設箇所における最大水深は210mとなっている。
次に日本と韓国の間に目を移すと、釜山から福岡県若しくは山口県までの直線距離はほぼ200km。釜山と福岡・山口を隔てる対馬海峡の平均水深は90~100m。最大水深は120~130mとなっている。海流の問題等もあるので一概には言えないが、深さと距離だけを見れば露朝韓ガス・パイプラインを日本側まで延伸することも決して不可能ではなさそうである(注7)。

今後、日本において脱原発政策が推進されるとして、結果、どこまで日本の天然ガス需要が膨らみ、それが産ガス国ロシアやそこからパイプラインを引いてこようとする北朝鮮、韓国との外交にどう影響してくるのか、今後の展開が非常に興味深い所である。

注釈
注1.なお以前より韓国ガス公社(Kogas)がロシア極東部で積極的なビジネス展開を進めていることは知られていたが、このKogasの動きがどの程度当該ガス・パイプライン計画に影響を与えたのかは現時点では定かではない。
注2.最近の報道だとVoice of Russiaの「Russia, South Korea mull gas supply options」がその一例である。
注3.なおウラジオストクについては、サハリン産ガスの輸送を目的としたサハリン-ハバロフスク-ウラジオストク・パイプラインの敷設が進行中であり、更に終着地のウラジオストクについては同地でのLNGプラント建設に係る合意が2010年7月10日に日露政府間で成立している。
注4.無論数字を見れば明白なように、中国電力は例外的存在である。
注5.当該データは資源エネルギー庁が発表している「発受電実績(一般電気事業者)」の平成22年度版に拠った。
注6.2011年9月5日に時事通信が報じた同大臣のインタビュー記事から、原発に関する部分を抜粋した。全文については参考資料のリンク先を参照のこと。

注7.無論、パイプライン延伸に拘泥する必要はなく、例えば既にLNGターミナル等が設置されている仁川や光陽、統営等において必要な設備拡充を行い、そこからLNG船を使って日本に運ぶという方法もありえよう。

参考資料
・PIPELINES INTERNATIONAL 「Sakhalin – Khabarovsk – Vladivostok Pipeline progressing」 2010年8月16日
・RIA Novosti 「Nord Stream: a gas pipeline to Europe under the Baltic SeaStream」 2010年4月13日
・Voice of Russia 「ウラジオストクでLNG工場を建設」 2011年7月10日
・Voice of Russia 「Russia, South Korea mull gas supply options」 2011年8月5日
・資源エネルギー庁 「平成22年度 発受電実績(一般電気事業者)」
・時事通信 「北朝鮮、核実験凍結の用意=送ガス管計画推進で合意-ロ朝首脳会談」 2011年8月24日
・時事通信 「原発、月内にも1次評価=鉢呂吉雄経済産業相インタビュー」 2011年9月5日
・日本エネルギー経済研究所 「韓国の天然ガス需給動向及び需給計画」 2008年12月
・聯合ニュース 「韓露外相、北朝鮮含む共同事業推進に合意 」 2011年8月8日

2011年9月6日火曜日

第四百五段 エリュトゥラー海@21世紀

「エリュトゥラー海案内記」という書物がある。A.D.1世紀頃、エジプトにおいて貿易業に従事していた人物(伝不詳)によって執筆・編纂された書物で、当時「エリュトゥラー海」即ち「赤い海」と呼ばれたインド洋を舞台として繰り広げられた活発な交易活動がそこには記されている。

その「エリュトゥラー海」という古代の響きを今に伝えているのが、アラビア半島とアフリカ大陸を隔てる回廊状の海「紅海」である。現代においては、アラビア半島を挟んで反対側に位置する「世界のエネルギー供給源」ペルシャ湾が浴びる脚光に比してニュース等でもあまり取り上げられない地味な存在と化している紅海だが、その重要性はペルシャ湾に決して劣るものではない。

成るほど、確かに石油や天然ガスといったエネルギー資源の生産という面では遥かにペルシャ湾の後塵を拝する紅海だが、別の分野における重要性は同湾を凌駕するものとなっている。その別の分野とは、交通・物流、通信である。

まず紅海の北端はスエズ運河を通じて地中海と繋がり、豊かな一大消費地たる欧州と質量共に他を圧倒する製造業集積地と化したASEAN+3地域を結ぶ最短航路を形成していることは広く知られている(注1)。
その沿岸部に存在する港湾都市を見ていくと、サウジ・ジッダは同国の一大貿易拠点であると同時に世界人口約60億のうち12~13億人を占めるイスラム教徒が聖地メッカへの巡礼を行う際の玄関口としても機能しているし(注2)、スーダンの港湾都市ポートスーダンは今まで南スーダンで産出された原油の唯一の輸出拠点となって多くの原油を中国へと供給してきた(注3)

更に、大量の情報が瞬時に世界中を駆け巡って政治・経済に大きな影響を与える情報化社会の到来もまた、紅海に新たな重要性を付与するものとなった。というのも、以下の地図に明らかなように、紅海の海底には欧州と中東、インドを結ぶ通信ケーブル、謂わば「情報の大動脈」が走っているからである(注4)。

(出典:TeleGeographyによる)

以上のような交通・物流や通信の要衝という特性によって、この紅海地域には沿岸諸国は言うに及ばずそれ以外の各国の軍事拠点もまた多く設置されている。具体例としてはエリトリア・アッサブにはイラン海軍基地、アラビア海との結節地点に当たるジブチには米仏や日本等各国が対テロ或いは対海賊作戦用の拠点が挙げられる

そんな紅海の安全保障環境に最近注目すべき事態が生じている。それはエジプトの変化とイランの進出であり、両者の直接の引き金はエジプトにおけるムバラク政権の崩壊である

まずエジプトは、30年に及ぶ長期政権崩壊によってもたらされた混乱の中で、シナイ半島(そこにはスエズ運河や欧州・中東・インドを結ぶ通信ケーブルが通っている)における治安維持能力を大きく低下させた。これによってエジプトからイスラエル・ヨルダンに至るガス・パイ プラインへの攻撃が度々発生した他、ガザ地区への武器流入活発化を受けてパレスチナ武装勢力によるイスラエルへのテロ攻撃が頻発することとなった。
これを挽回するため、エジプトはシナイへの千人規模の戦車を含んだ兵力展開を行って治安回復作戦に乗り出したが、その過程で、活発化したガザからのロケット弾攻撃やテロに報復攻撃中のイスラエル軍機によってエジプト側が誤射を受けて死者が発生する事態が発生した。これを受けて、カイロではイスラエル大使館の周囲をデモ隊が取り巻き、大使館のあるビルに侵入した青年がビルからイスラエル国旗を引き摺り下ろす等抗議活動が過熱化しているものの、ムバラク政権崩壊をもたらしたデモの威力を目の当たりにしているエジプト政府はこうした抗議活動を鎮めるための施策を取れずにいる。

また、以前よりソマリア海賊に対する多国間活動への参加等を通じて外洋海軍への脱皮を図り、今年1月には紅海とインド洋を繋ぐジブチとの間で海軍分野における両国間協力の強化で合意したイランは、2月になると、ムバラク政権崩壊によって混乱中のエジプト政府に対して海軍艦艇のスエズ運河通行許可を求めてこれを獲得し、自国海軍をスエズ運河を経由して東地中海に面した友好国シリアへと派遣した。そして3月にはイラン海軍司令官が自国海軍の展開地域を従来のペルシャ湾やインド洋沿岸部から更に拡大させる意向を表明し、9月に入るや、それを裏付けるかのように「パトロールのため」と称して水上艦1隻と潜水艦1隻からなるチームを派遣することを発表している。
同時にイスラエルもまた、エジプト軍によるシナイ治安回復作戦の進捗が思わしくないことを受け、紅海沿岸部からのテロリスト侵入を阻止するため、海軍艦艇を紅海に派遣 しており、図らずもイスラエルとイランの海軍艦艇が直接対峙しかねない剣呑な情勢となっている。

以上のように、紅海沿岸諸国のうち、サウジやイスラエルと並ぶ親米国家であったエジプトにおいてムバラク政権が崩壊し、相対的にエジプトの紅海地域におけるプレゼンスが弱まっていること、そして同国において宗教勢力の台頭と軌を一にして反イスラエル感情が高まりつつあることは、今まで露骨過ぎるほど露骨に反イスラエル姿勢を示してきたイランにとって、紅海におけるプレゼンスを拡大するチャンスを提供するものとなっている。
そうなるとイスラエルが危機感を強めるのは勿論(注5)、湾岸諸国の盟主たるサウジもまた、前門のペルシャ湾・イラク方面に加えて後門の紅海でもイランの存在を意識せざるを得なくなるだろう。この両者共通の「対イラン懸念」は、ひょっとすると中東地域に新たな合従連衡の動きを顕在化させる触媒となるかもしれない(注6)。

注釈
注1.欧州とASEAN+3地域を最短で結ぶスエズ運河経由の航路だが、最近はソマリアやイエメンを根城とする海賊の跋扈により、警備費や保険費用といったコストが従来以上に嵩むようになっている。このことから、最近海氷の減退が進む北極海を通じた航路の実現に注目が集まっているが、その実現性やコスト等については不透明な部分もまだまだ多い。
注2.イスラム教徒のメッカ巡礼では、古くから紅海を経由したルートが活発であった。十字軍の活動が活発であった12世紀、これに目を付けたフランス出身の騎士ルノー・ド・シャティヨンは紅海に船団を浮かべ、メッカへの巡礼者や商船団への海賊行為に明け暮れた。
注3.なおNGO等の批判で度々クローズアップされてきたスーダン・ハルツーム政権と中国との石油を通じた関係だが、JOGMECの「南部スーダン独立と石油開発の行方」に記載されているデータを見ると、スーダンにとって中国は原油輸出量全体の65%を占める輸出先最大手となっており(2009年時点)、中国にとってスーダンは原油輸入量全体の5%を占める第5位の輸入相手となっている(2010年時点)。
注4.2008年1月末には、この欧州と中東・インドを結ぶ海底通信ケーブルの切断事故(原因については船の碇によるものとする説や地震説があるがはっきりとはしていない)が発生し、湾岸諸国やインドで大規模なインターネット接続障害を引き起こした。当該切断事故の発生した場所はエジプト・アレキサンドリア沖で厳密な意味での紅海地域ではないが、それでも紅海海底を走る通信ケーブルの重要性を推し量るには好適な事例と言えよう
注5.紅海北端にあるイスラエルの港湾都市エイラートと紅海本体を繋ぐチラン海峡がエジプト軍によって封鎖されたことが、第二次中東戦争及び第三次中東戦争勃発の重要な一因となったことを想起されたい。
注6.なお今までにも、イランの核開発に対して「サウジがイスラエル空軍のイラン核関連施設攻撃のための領空使用を許可した」「サウジ領内にイラン攻撃を目的としたイスラエルの拠点設置の動きがある」といった報道が流れているが、都度サウジ政府はこれら報道を強く否定している。


参考資料
・Al Arabiya 「Israel sends 2 more warships to Red Sea amid warnings of attacks from Egyptian soil」 2011年8月30日
・Ahram 「Egypt's Suez Canal achieves $449.2 million in July」 2011年8月10日
・Gulf News 「Eritrea denies training rebels for Iran and Yemen」 2010年4月21日
・Gulf News 「Saudi Arabia denies flight deal against Iran」 2010年6月12日
・Jerusalem Post 「'Israeli subs with nukes in Gulf'」 2010年5月30日
・Jerusalem Post 「'Saudi airspace open for Iran attack'」 2010年6月12日
・Jerusalem Post 「Is Israel arming in Saudi Arabia?」 2010年6月27日
・Jerusalem Post 「'Explosion hits natural gas pipeline in Sinai Peninsula'」 2011年7月30日
・Naval Technology 「Iran and Djibouti Agree to Boost Naval Cooperation」 2011年1月14日
・Naval Technology 「Iranian Navy to Expand Operational Zone」 2011年3月15日
・Naval Technology 「Iranian Navy vessels to patrol Red Sea」 2011年9月1日
・時事通信 「ジブチに新活動拠点=海賊対策で初の「海外基地」-自衛隊」 2011年5月30日
・新華社 「伊朗军舰通过苏伊士运河」 2011年2月22日
・池内恵 「中東 危機の震源を読む」 2009年7月 新潮社
・無名氏 「エリュトゥラー海案内記」 1993年10月(2011年6月改版) 中央公論新社 村上堅太郎訳注

2011年8月26日金曜日

第三百九十七段 アフリカ反イスラエル勢力包囲網?

あと三分の一を残した状態で気の早い話だが、今年2011年を回顧すると、アフリカ、特にその北側については大きな動きが相次いだ年だったと言えよう。

まず1月、今まで比較的政情の安定していると思われていたチュニジアで、国民の大規模な反ベン・アリ政権デモが発生し、これに軍が呼応する形となってベン・アリ政権が崩壊した。
そして、これに触発されたのか、時を置かずしてエジプトで反ムバラク政権デモが発生し、2月上旬になって長年大統領として同国に君臨してきたムバラク氏が権力の座から引きずり降ろされた。
2月中頃になると、隣接するチュニジアとエジプトの混乱を尻目に不気味な静けさを保っていたリビアでも反カダフィ勢力の政権打倒運動が勃発した。当初、各都市の支配を巡ってカダフィ政権側と反カダフィ派との間で熾烈な取ったり取られたりのシーソーゲームが続くが、徐々に重火器類で勝るカダフィ政権側が優勢が報じられるようになる。そして反カダフィ派を東部ベンガジにまで追い詰めることに成功したカダフィ軍だったが、3月下旬になると、今までカダフィ政権の”蛮行”を非難してきた英仏米やその与国が対リビア軍事介入を開始。以後、米英仏等の軍事介入によって態勢を立て直すことに成功した反カダフィ派が反撃に転じ、遂に8月22日、カダフィ政権の根拠地であったリビア首都トリポリが陥落の運びとなった。
また、少し南の方に目を向ければ、7月9日、1955年から断続的に続いた長い内戦の果てに、アラブ系イスラム教徒が権力を握るスーダンから、黒人キリスト教徒が多数を占める南スーダンが念願の独立を果たした。

以上が今年三分の二を終えた時点でのアフリカ北部における主要な動きである。これらの動きが発生した背景或いはそれがもたらす今後の地域秩序への影響等は様々に論じられているが、当ブログでは「そこにイスラエルを絡めて見ると興味深い構図が浮かび上がるよ」という事を論じてみたい。

まずエジプトだが、第四次中東戦争後、時のサダト大統領はアラブ諸国首脳として初めてイスラエルとの共存を外交の柱に据えた。この対イスラエル共存策は、彼が暗殺の凶弾に斃れた後も後継者ムバラク大統領に継承され、長らく中東の地域秩序を支える前提の一つとして機能してきた。
しかし、そのムバラク大統領が政権を逐われるや、今まで政権によって押さえこまれてきた国民の反イスラエル感情が、ムスリム同胞団といった宗教勢力の伸長、政権崩壊後も改善の兆しが見えない経済事情等を背景に政治的主張として大きな力を持ち始めてきた。
また、政権崩壊の混乱の中で、従来から治安把握の脆弱性を指摘されてきたシナイ半島の掌握が一層弱まり、イスラエルやヨルダン向けガス・パイプラインの爆破が相次いだ他、ガザ地区への武器密輸も取締が緩んできたとされている。無論、エジプトの現政権もこれを座視しているわけではなく、シナイ半島の治安回復を目的として、同半島北部を中心に1000人規模の兵力を展開したのだが、そこにガザ空爆中のイスラエル軍機によるエジプト兵誤射事件が発生し(エジプト側に死者が発生)、両国間で緊張が激化する事態となっている。

次にリビアだが、カダフィ政権はアラブ民族主義の立場から、長らくイスラエルやそれと共存する道を選んだ隣国エジプトを声高に非難してきた。しかし、カダフィ政権の打倒に成功したリビア国民評議会政府は、以下のようにイスラエルとの友好も重視する姿勢を現時点で示している。
Libya needs any help it can get from the international community, including from Israel, a spokesman for the opposition to Muammar Gadhafi's regime told Haaretz Tuesday by phone from London.

When asked what sort of assistance Libya required, Ahmad Shabani, the founder of Libya's Democratic Party, said: "We are asking Israel to use its influence in the international community to end the tyrannical regime of Gadhafi and his family."

Shabani, 43, is the son of a former minister in the cabinet of Libya's king, who was deposed in 1969. After the military coup led by Gadhafi, the Shabani family fled Libya and settled in London.

Shabani, who was educated in Britain, later returned to Libya and began working for an opposition group.

In March, he began to speak out against the regime, but he returned to London when he felt his life was in danger.

The weight he carries in Libya's emerging political fabric is unclear. But in recent months Shabani has appeared in the Western media as a spokesman for the opposition.

When Shabani was asked whether a democratically elected government in Libya would recognize Israel, he responded: "That is a very sensitive question. The question is whether Israel will recognize us."

Shabani mentioned Gadhafi's eccentric ideas about the resolution of the Israeli-Palestinian conflict, including the founding of a single country to be called "Israstine." But Shabani said his group believed in two countries, Israel and Palestine, living side by side in peace - the two-state solution.

Regarding Gadhafi's claims that Al-Qaida operatives were supporting the rebels, Shabani said the opposite was true. He said Al-Qaida activists have been working for Gadhafi, among them Libyans and, according to reliable intelligence reports, foreigners who infiltrated the country's porous borders.

According to Israeli intelligence, since the uprising, as part of a huge black market in weapons in Libya, arms have been smuggled from Libya to the Gaza Strip via Egypt. Shabani said the opposition was aware of the smuggling and hoped to end it.

According to Shabani, the transition to the new Libya needed an organization under the aegis of the United Nations to supervise democratic elections. He said he hoped to see a South Africa-style reconciliation committee established to prevent acts of revenge or a new civil war.

2011年8月14日 HAARETZ


三つ目に南スーダンだが、イスラム法による全土統治を掲げるハルツーム政権と長年血で血を洗う抗争劇を繰り広げてきた彼らは、独立後、最初に大使館を設置する国のリストの中に米国等の西側諸国に加えてイスラエルを入れている。
独立以前の南スーダンとイスラエルとの関係については不明な部分も多く、当ブログでは、ハルツーム政権が長年紅海を通じたパレスチナ人勢力への武器等密輸を黙認してきたこともあり、イスラエルと南スーダンが独立以前からハルツーム政権を共通の敵とした何らかの協力関係を築いていても不思議はないことを指摘するにとどめたい。

以上三カ国に以前よりイスラエルと良好な関係にあるエチオピア(注1)、そしてダルフール紛争とそこから発生する難民の問題等でスーダン・ハルツーム政権と度々対立して来たチャド(注2)を考慮に入れて地図を眺めてみると、実に面白いことに気づかされる。


アフリカ北東部、ムバラク後のエジプト、そしてスーダン・ハルツーム政権というイスラエルとの関係がしっくりいっていないグループ(地図上、首都の位置を緑四角、主な軍事力展開方向を緑矢印で表示)を置く。次にイスラエルとの友好関係にある若しくはその構築に前向きなリビア(国民評議会政府)、南スーダン、エチオピア、イスラエルとの関係は不明だがスーダン・ハルツーム政権とは度々対立してきたチャドのグループ(地図上、首都の位置を黄色四角)を置く。
するとどうだろう? イスラエルとの関係が芳しくない緑グループに対し、地中海からサハラ砂漠を通ってエチオピア高原に至る弧状の包囲線が浮かび上がるのである。つまり、今後の国造りに成功したリビアや南スーダンに加え、隣国エリトリアとの関係改善に成功したエチオピア、チャドが仮にその軍事力の矛先を緑グループの国に向けたとしたら(地図上、黄色矢印で表示)、エジプト並びにスーダン・ハルツーム政権は完全に袋の鼠となりかねない形勢なのである(更に加えて言うならば、ナイル河という水源を考えた場合、エチオピア並びに南スーダンが上流国、エジプト、スーダン・ハルツーム政権が下流という立ち位置となることにも注意が必要であろう)。

この包囲線、果たして現実のものとなるのか否か・・・・?

注釈
注1.隣接するアラブ諸国の敵意に晒され続けてきたイスラエルは、更にその近隣アラブ諸国の外縁に位置する非アラブ諸国との友好関係構築に注力してきた。具体的な協力相手としてはエチオピア以外、トルコ(ただしAKPが政権を握って以降はやや冷却化)、王制イラン(イラン・イスラム革命によって友好関係は断絶)、インドが挙げられる。
注2.チャドについては過去にスーダンとの関係改善に動いているという旨の報道もあったが、具体的な成果は今の所上がっていない


参考資料
・Ahram 「Egypt army officer, 2 security men killed in Israeli border raid」 2011年8月19日
・Gulf Times 「Sudan: Chad ties thaw after talks」 2009年12月26日
・HAARETZ 「Egypt deploys thousands of troops and tanks in Sinai, in coordination with Israel」 2011年8月14日
・HAARETZ 「Rebel spokesman to Haaretz: Libya needs world's help, including Israel's」 2011年8月24日
・Jerusalem Post 「Sudan FM: Fatal hit on car 'absolutely an Israeli attack'」 2011年4月6日
・Jerusalem Post 「Potential to make money in South Sudan is ‘enormous’」 2011年7月11日
・Jerusalem Post 「'Explosion hits natural gas pipeline in Sinai Peninsula'」 2011年7月30日
・RIA Novosti 「South Sudan to open embassies in 21 countries after gaining independence」 2011年6月19日

※2012年2月16日、リビア反カダフィ派要人のイスラエルに好意的な発言記事の引用が抜けていたので、改めてこれを追加。