2011年4月25日月曜日

第三百五十七段 夢の中で見た、ような・・・・・ 其の二

疲れたおっさんが電車の中でうつらうつらしながら見た夢の話、の続き。どこかで見たような話なのは、間違いなく気のせい


「何とか菊国と羆社会主義共和国連邦との間に決定的かつ除去不可能な楔を打ち込めないものか?」

本日18度目の呟きがアレス国務長官の口から漏れた時、不意に国務長官執務室のドアをノックする音が響いた。彼は目の前に広げていた2枚の地図をやや強引に机の引き出しの中にしまい込み、他に機密保全上まずい書類がないことを確認してから、ノックの主に「どうぞ」と告げた。

その声に促されて入ってきたのは、彼の若き側近だった。切れ者然とした印象は微塵もないが、曲っ毛気味のブロンドの頭髪、タレ目がちの眼と大きなメガネ、そして常に微笑を絶やさない表情から醸し出される側近氏の気さくな雰囲気は、国務省という巨大かつ複雑な人間集団の中で生きていく上で強力な武器となっていた。

「お疲れのようですね」
それが開口一番に発せられた若き側近氏の言葉だった。
「そりゃあ疲れもするさ・・・」
何処となく自嘲めいた調子で国務長官は答え、そして机の引出しにしまった2枚の地図を再び机上に広げた。
「我が国を羆連邦による東西挟撃から守るための切り札。こいつがどうにもこうにも見つからん!」
やや大げさに肩をすくめて国務長官は言った。
「その事について、少々お話があって参りました」
「ほう?」
詰まらないことを言ったら承知しないぞ、と言わんばかりの視線が若き側近氏に向けられた。だが、分かっているのか分かってないのか、側近氏には些かの怯んだ様子も無かった。
「菊国と羆連邦との間には北の方・・・、そう北東道とかいう大きな島の北側だった筈です。そこに広がる八島列島とかいう島嶼地帯の領有権を巡って対立があるようです」
「しかし、そこは大戦末期に既に我が国が羆連邦に対菊参戦の餌として投げ与えてしまった土地だ。今更どうこういっても仕方ないだろうし、菊国には過去の愚行の償いとして、我慢してもらうしかないだろう?」
アレス国務長官は溜め息混じりの返答を返した。だが、そんなご機嫌芳しからぬ国務長官の態度もものかは、若き側近氏は言葉を続けた。
「いや、どうも聞いた話ですが、その八島列島は北と南に分けられるらしく、菊国側は羆連邦の領有が認められるのは北の部分だけだと主張しているらしいんですよ。当然、羆連邦側はそんな区別を認めようとはしてないようですが・・・」

部下の一言に思い付く所があったのか、不意に国務長官の目が光った。

「君にお願いしたいことがある!」
「なんでしょう?」
先ほどまでの苦悩ぶりが嘘のような溌剌さが国務長官からにじみ出ていた。
「我が国の・・・・そうだな・・・・前政権から今日に至るまでの我が国政府と羆連邦政府との間でやり取りされた文書に当たって、八島列島や菊国の戦後領土について言及しているものを全て持ってきてもらいたい! 無論、機密だ権限だといった話はこちらでなんとかしておくから」
「はい。しかしいつまでにお持ちすればいいでしょうか?」
「早ければ早いに越したことはないんだ・・・・。大統領には明日話すとして・・・・そうだな4日後、4日後だ。少々厳しいかもしれんがよろしく頼む」
「了解しました」

4日後の国務省長官執務室、そこには、言われた通りの仕事を成し遂げた若き側近氏の成果に目を通している国務長官の姿があった。

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ハルハ協定(1945年2月11日)
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三 八島列島ハ羆聯邦ニ引渡サルベシ
 前記ノ外萌古竝ニ港湾及鉄道ニ関スル協定ハ蒋介岩総帥ノ同意ヲ要スルモノトス
 大統領ハ「スタリーノフ」元帥ヨリノ通知ニ依リ右同意ヲ得ル為措置ヲ執ルモノトス

三大国ノ首班ハ羆聯邦ノ右要求ガ大菊帝国ノ敗北シタル後ニ於テ確実ニ満足セシメラルベキコトヲ協定セリ
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ワールシュタット宣言(1945年7月26日)
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八 アレキサンドリア宣言ノ条項ハ履行セラルベク又菊国ノ主権ハ木州、北東道、宮州及志国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
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国務長官は祈るような気持ちで、年代順に並べられた書類を一枚、また一枚とめくっていった。

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J・V・スタリーノフ首相発、H・トーマン大統領宛親展密書(1945年8月16日)
「一般指令第一号」が入った貴信受領しました。指令の趣旨に反対することはありません。両東半島が万州の不可分な一部であるものと了解します。しかしながら、以下のように「一般指令第一号」を修正することを提案します。

 一、菊国軍が羆連邦軍に明け渡す区域に八島全土を含めること。これは、ハルハにおける三ヶ国の決定により羆連邦の所有に移管されるべきものです。

 二、菊国軍が羆連邦軍に明け渡す区域に樺大・北東道間に位置する宗矢海峡に北で接する北東道の北半分を含めること。北東道の北半分と南半分との境界線は、島の東岸の釧露市から西岸の流萌までを通る線とする。尚、この両市は、島の北半分に含む。

この最後の点は、羆連邦の世論にとって特別重要なものであります。周知の如く、一九一九年~二一年に菊国は、羆連邦極東のすべてを占領しました。もしも、羆連邦軍が菊国固有の領土に少しも占領地を持たなければ、羆連邦の世論はひどく腹を立てるでありましょう。
上に述べた穏当な提案が反対されないことを切望しています。
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トーマン大統領発 スタリーノフ大元帥宛通信(1945年8月18日)
八 月十六日付の通信への返答として、「一般指令No1」を、八島列島の全てを羆連邦極東軍総司令官に明け渡す領域に含むよう、修正することに同意します。しか し、白頭鷲合衆国政府は八島列島に、できれば中央のグループの一つに、軍事・商業目的の陸・水上機用の航空基地の権利を望んでいることを理解して頂きたいと思 います。あなたがそのような取り決めに賛成すると知らせていただければ幸いです。その位置や他の詳細は、我々両政府の特別代表をこの目的のために任命する ことで、解決するということです。北東道島の菊国軍の羆連邦軍への降伏についてのあなたの提案に関しては、菊国固有の全島(北東道、木州、志国、宮州)の菊国軍はマークス将軍に降伏するというのが私の意図であり、かつその為の手配がなされています。マークス将軍は、彼が連合国の降伏項目の実現に占領 する必要があると考える菊国本土を暫時的に占領するため、象徴的な連合国軍を使うでしょうが、それにはもちろん羆連邦軍も含まれます。
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スタリーノフ首相発 トーマン大統領宛親展密書(1945年8月22日)
八月十八日付の通信が手元に届きました。貴方の書信は菊国軍の羆連邦軍への明け渡し区域に北東道の北半分を含むという羆連邦の要望に応じることを拒否するものと受け取ります。私と同僚にとって、貴方の返答がこうであったことは意外であると言わざるを得ません。
二、ハルハ協定に従い、羆連邦の領有になるべき八島列島の一島に常設の航空基地をつくるというあなたの要求に関しては、私は以下のことを述べるのが、私の務めだと考えます。第一にベーリンでもクリムでも三国間協定で、そのような計画は考えられていませんでしたし、またそこで採用されたいかなる決議にもそぐわないということを、指摘しなければなりません。第二に、このような要望は通常敗戦国もしくは領土の一部を防衛できないため適当な基地を同盟国に提供する準備があると表明する同盟国に対して出されるものです。私は羆連邦をいずれかの範ちゅうに入れることができるとは思いません。第三には、あなたの書信には常設基地提供の要求の理由がありませんので、率直に言って、私も同僚も、この羆連邦に対する要求が生じ得た状況を把握しかねます。
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トーマン大統領発 スタリーノフ大元帥宛通信(親展かつ最高機密)
一九四五年八月二十二日付の書信に対する答えとして、八島列島の基地に関する限り、私の考えでは菊国占領期間中の八島列島中央部の着陸権の行使は、菊国の降伏条項履行に関して我々がとる共同の行動に重要な貢献をするでしょう。何故ならそのことは菊国占領期間中の緊急時に利用する為の白頭鷲合衆国の航路がもう一つできることになるからです。
私は更に、商業目的の為の着陸設備の問題を提示することに、何のためらいも感じませんでした。あなたは明らかに私の書信を誤解したのです。なぜならあなたはこれを、敗戦国もしくは自国領土の一部を防衛できない国に通常出される要求だといっているからです。私は羆連邦の領土について何か述べているのではありません。私が言っていたのは菊国の領土、八島列島のことで、これに対する措置は平和調停のうちにとられなければなりません。私の得た情報では、私の前任者は平和調停において、この列島の羆連邦の取得を支持することに同意しました。あなたが私にその協定の承認を頼んだのを、私は侮辱だとは考えませんでした。あなたが八島列島全島の永久的所有についてのあなたの希望を私が支持することを期待するのに、この列島の、たった一つの着陸権の要求を考慮することを私が要請したときに、何故あなたがこれを侮辱だとお考えになるのか私には理解できません。私が思うにこの問題の討議の要請は、両国政府と我々個人間の密接で親しい関係からしても、なおさら理にかなったものです。私としてはこの問題については早々に協議するのがいいと思いますが、あなたが現在、協議したくないとおっしゃるのであれば、敢えて固執するものではありません。
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スタリーノフ首相発 トーマン大統領宛通信(親展密書)
八月二十七日付のあなたの手紙を手中にしました。我々の通信文に入り込んだ誤解が解けたことを嬉しく思います。あなたの提案に腹を立てていたのでは決してありませんが、現在はっきりしたように、あなたを誤解した為に、驚いたのです。
もちろん、菊国の占領期間中の緊急事態の為に八島列島にある我々の飛行場の着陸権を白頭鷲合衆国に提供するという貴方の提案に同意します。
また八島列島の一つの羆連邦の飛行場の着陸設備を商業機に提供することにも同意します。この件につきましては、羆連邦政府は、アーシャン列島の一つの白頭鷲合衆国の飛行場に羆連邦の商業機が着陸する権利についての白頭鷲合衆国の相互主義を期待しています。実際に現在のガナタ経由のシビルから白頭鷲合衆国への航路は、距離が長いため、満足すべきとは言えません。我々は、八島列島からシャートルへの中継地点としてアーシャン列島を経由する、より短い航路を希望します。
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連合軍最高司令部訓令第六七七号(1946年1月29日 抜粋)
三 この指令の目的から菊国と言ふ場合は次の定義による。
菊国の定義に含まれる地域として
菊国の四主要島嶼(北東道、木州、志国、宮州)と、津馬諸島、北緯三〇度以北の琉級(南西)諸島(口野島を除く)を含む約一千の隣接小島嶼
菊国の範囲から除かれる地域として
(a) 鬱了島、梅島、斉州島。(b) 北緯三〇度以南の琉級(南西)諸島(口野島を含む)、伊図、南方、大笠原、威黄群島、及び小東群島、沖ノ烏島、南烏島、中ノ烏島を含むその他の外廓太平洋全諸島。(c) 八島列島、刃舞群島(水抄、有留、秋有留、四発、他楽島を含む)、色端島。
四 更に、大菊帝国政府の政治上行政上の管轄権から特に除外せられたる地域は次の通りである。
(a) 一九一四年の世界大戦以来、菊国が委任統治その他の方法で、奪取又は占領した全太平洋諸島。(b) 万洲、泰湾、澎胡列島。(c) キムチ半島、及び樺大。
五 この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当司令部から発せられる総ての指令、覚書又は命令に適用せられる。
六 この指令の条項は何れも、ポツダム宣言の第八条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない
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「何処にもない・・・・」。

普段なら諦めや怒り、悲しみ等芳しからぬ感情と共に吐き出される言葉であったが、この時、国務長官は明らかな歓喜と共にその言葉を口にしていた。

そう、どこにもなかった。白頭鷲合衆国と羆連邦との間で、羆連邦が領有することになる八島列島の範囲を明確に定義した文書は存在しなかった。ただ、当時の関係者たちの間に「言わずもがな」という空気があったらしいことだけは、曖昧さに満ち満ちた文書類から窺うことができた。この「曖昧さ」が、羆連邦には「白頭鷲合衆国は羆連邦の全八島列島領有を認めた」かのような幻想を見せる一方で、白頭鷲合衆国には八島列島帰属問題について菊国側としてコミットする余地を与えていると国務長官は考えた。

「我、楔を見つけたり」
久々に満面の笑みがアレス国務長官の顔に浮かんだ。後は楔を打つタイミングだが、それにはうってつけの舞台が既に計画されており、後はその日が到来するまで、更に細部の理論武装を固めるだけであった。

側近氏の働きによってアレス国務長官が白頭鷲国の前途に一筋の光明を見出してから、7カ月ほどの月日が流れた1954年9月4日、白頭鷲合衆国の太平洋岸都市サンフランドルにて、菊国の連合国占領統治終了と国際社会への復帰を世界に宣言するための講和会議が始まった。

キムチ半島戦争後初となる主要大国列席の国際会議とあって、世の耳目も当会議に大きな注目を寄せていた。そんな全世界の注視の中、出席国外相たちの演説が行われた。彼らは麗々しい言葉と分かる者だけに分かる符牒をちりばめた演説で、菊国の新たな門出を言祝ぎ、世界平和の実現への熱情を語った。もっと正確に言うと、自国には幸福をもたらし、敵には屈辱と隷従の日々となるような世界平和の実現への熱情を語った。
やがてアレス国務長官の演説順番がやってきた。常日頃から低音でゆっくりとした口調で聴衆に語りかけようと努めてきた国務長官だったが、今日この日はいつにも増してそれを心がけていた。
通り一遍の祝辞から演説が始まって4分後、遂にアレス国務長官にとって最大の山場がやってきた。合衆国の未来のため、菊国と羆連邦の間に決して抜くことのできない重く大きな楔を打ち込む瞬間が・・・・。

「なお、当講和会議で議論されている菊国との平和条約第二条(C)において、菊国が放棄を求められている八島列島という地理的名称が刃舞諸島を含むかどうかについて若干の質問がありました」

単なるセレモニーの場には似つかわしくない実務的な言葉の出現に、俄に場がざわついた。だがアレス国務長官はそれを気にするでもなく、その視線で羆社会主義共和国連邦外相を捉え、そして続きの言葉を放った。

「刃舞を含まないというのが合衆国の見解です」

菊国と羆社会主義連邦共和国の領土問題が単なる極東の地域問題から、白頭鷲合衆国と羆社会主義連邦共和国との間の世界を賭けた角逐の主要ピースの一つへと変貌を遂げた瞬間だった。そしてその時、「鉄仮面」という渾名を世界中に轟かせていた羆連邦外相グロトフの顔が微かに、しかし確実に紅潮していたことをアレス国務長官は見逃さなかった。

ほどなくアレス国務長官の演説が終わり、次の演説者が壇上に立つ頃、グロトフ外相の表情は既にいつもの凍土の如き鉄仮面に戻っていた。だが対照的に、彼の心中は激しい怒りの煉獄と化したままだった。それは白頭鷲合衆国も認めていた”筈”の全八島列島領有が唐突に反故にされたことへの怒りであり、同時に、この白頭鷲合衆国国務長官の一言によって、菊国を突破口とした羆連邦包囲網打破の可能性がものの見事に潰されたことへの怒りだった。

このサンフランドル講和会議後、白頭鷲合衆国を要とし、菊国、ジャガイモ連邦共和国をそれぞれ親骨とする包囲網に苦しめられた羆社会主義共和国連邦は、包囲網打破の鍵を軍備や軍事プレゼンス拡大に求めるようになる。だが、これが過去の王朝時代に度々砲火を交えた猫熊人民共和国の疑心を昂じさせてその離反を招いてしまう。更に、包囲網に属していない南方の大洋「インドの海」への進出を目指し、その途上にある、旧大陸中央部の緩衝国ハザリスタンへと軍事侵攻するが、地元ゲリラの苛烈な抵抗に直面して経済的にも軍事的にも大きな傷を負うことになる。
こうした、自国の経済成長では賄いきれないほどの軍事プレゼンス拡大とそれがもたらした負の効果に耐えきれず、羆社会主義共和国連邦は21世紀を迎えることなく崩壊してしまう。

全ては、アレス国務長官が講和会議で放った言葉の矢に始まることであった。

(本編完 そして補遺へ・・・・)

参考資料
・ニコラス・スパイクマン 「平和の地政学―アメリカ世界戦略の原点」 2008年5月 芙蓉堂出版 奥山真司訳
・茂田宏・末澤昌二 「日ソ基本文書・資料集」 1988年11月 世界の動き社
・田中明彦研究室 サイト「http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/」
・手嶋龍一 「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」 2008年4月 講談社
・長谷川毅 「暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏」 2006年2月 中央公論新社