2011年4月28日木曜日

第三百五十八段 夢の中で見た、ような・・・・・ 補遺

疲れたおっさんが電車の中でうつらうつらしながら見た夢の話、の補遺。どこかで見たような話なのは、間違いなく気のせい

羆共和国と猫熊人民共和国との間には領土問題があった。王朝時代に源を発するそれは、両国の政体如何に何ら影響を受けることなく、まるで「千古不易」という言葉を象徴するかの如く、猫熊人民共和国の外交・安全保障政策を縛り続けてきた。

その長年の懸案に引導を渡し、猫熊人民共和国を新たな戦略ステージへと導こうと考える人物がいた。猫熊人民共和国の劉秉義外交部副部長である。

外交官として長年世の動向を窺い続けてきた彼は、羆共和国の国力は最早猫熊人民共和国にに死活的な脅威を与えるものではない、猫熊人民共和国の更なる経済発展には石油と貿易の動脈たる海を押さえる必要がある、という認識を抱くようになっていた。そうした認識から、「羆共和国との国境・領土問題を明確に終わらせ、猫熊人民共和国が海に全力を集中できる戦略環境を整備する」という構想が生まれるまではさして時間はかからなかった。

また、彼の心象には鮮明な反面教師の姿があった。

領土問題と言うのは、畢竟「どちらが問題の領域を実際に支配しているか?」で決まる問題である。もしこれが覆るとしたら、それは問題の領域において住民たちの「異民族統治反対・本土復帰」を訴える運動やテロが頻発するか、若しくは問題の領域を占領されている国に武力でそれを奪還する能力と意思がある場合ぐらいしかない。そう考えると、菊国と羆社会主義共和国連邦(その崩壊後は羆共和国)との間で争われている「八島列島領有問題」において、菊国の主張が通る余地はまず無いと考えてよかった。

にもかかわらず、白頭鷲合衆国のアレス国務長官(当時)が、1954年のサンフランドル講和会議にて羆連邦の全八島列島領有に反対の姿勢を示し、後には菊国外相の「ハルハ協定における八島列島の扱いに係る照会」に対して
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(一) ハルハにおいては、「八島諸島」の地理的定義が下されたことはなく、また国尻、干支捉両島の歴史について論議が行われたこともない。ハルハ協定は同協定に表明された諸目標を最終的に決定したものではなく、いかなる地域についてもこれに対する権限を移す目的又は効果を有したものでもない。ハルハ協定の当事国が以前に羆連邦領でなかつたいずれかの地域を羆連邦に領有させることを意図したという記録はない。

(二) 「八島諸島」については、平和条約中にもサンフランドル会議の議事録中にも、なんらの定義が下されなかつた。「八島諸島」の意義についてのすべての紛争は、平和条約第二十二条の定めるところに従つて国際司法裁判所に付託することができるというのが白頭鷲合衆国の見解である。
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と、菊国の主張に対して満額回答とも言える姿勢を示したのは何故か?

そして権力闘争の潮目を見ることにかけては常人の域を超えていた猫熊人民共和国初代国家主席毛択山が、1964年7月に行われた菊国野党訪問団代表との会談において
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羆連邦が占領したところは余りにも多過ぎます。ハルハ会談の時、外萌古を名義上独立させ、名目の上で猫熊国領から切り離しましたが、実際は羆連邦がこれを支配するようになつたのです。外萌古の領土は皆さんの八島の面積よりはるかに大きい。
われわれは外萌古を猫熊人民共和国に返還してはどうかという問題を持ちだしたことがあります。ところが、彼らはそれはいけないといいました。これは、一九五四年フルシチェフとブルガーニスキーが猫熊人民共和国を訪問した時、この問題を持ちだしたのです。

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ところで、皆さんの八島列島についてですが、われわれにとって、それは別に問題ではありません。
皆さんに返還すべきだと思います。
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と、手放しで菊国の主張に賛同する姿勢を示したのは何故か?

答えは簡単。彼らの対羆連邦戦略に菊国を味方としてがっちり組み込んでおく必要があったからである。

だが、そんな当たり前の相手国事情に思いを馳せることなく、無邪気に「我が国の主張は国際的に認められている」と喜んでそこから一歩も思考を動かすことなく、冷戦の終結後、変化を加速させる一方の現実と向き合おうともせず、千年一日の如きスローガンを繰り返して自己満足に耽り続けている。それが外交官劉秉義の目に映る菊国という存在の在り様であったし、常に脳裏を去ることのない反面教師の姿であった。

だが領有権の放棄・断念を生贄として、新たな戦略的地平を切り開く作業と言うのは、これ以上ないほどの「言うは易し、行うは難し」であった。今彼が未来のために諦めようと説く寸土や領有権の為に、かつて猫熊人民共和国は羆社会主義共和国連邦と矛を交え、幾多の兵士に血の犠牲を強いてきたのである。従って、国務委員が進める羆-猫熊国境画定構想の存在が明らかになるや、軍部や党の長老から「反対」の大合唱が始まるのも当然の成り行きであった。

それでも彼は屈しなかった。時には「売国奴」という風評に悩まされ、また別の時には「明るい夜ばかりではない」と露骨に脅されたこともあった。だが、彼は「領土問題の放置は、第三国の容喙を生み、それは我が国の対外オプションを著しく狭めた形で固定化してしまう。このような事態が国益に適うものとは到底言えない筈だ」と諄々と説き続けた。

そんな劉秉義外交部副部長の倦むことない説得が功を奏し、「羆-猫熊国境画定」構想は着実に支持者や理解者を増やしていった。とりわけ重要だったのは、彼の構想が、胡近到国家主席の興味を強く惹いたことであった。国家主席は、羆社会主義共和国連邦の崩壊と冷戦の終結、白頭鷲合衆国の一国主義的な外交姿勢、猫熊人民共和国自身を含む旧大陸東縁部の経済的急成長という情勢の変化に応じた、新たな対外戦略を模索していたのである。やがて主席は、「羆-猫熊国境画定」構想を正式な外交方針の一つとして採用する。

ただ、国家主席が幾つかある対外構想の中で、特に劉秉義外交部副部長が唱えるそれに強い関心を示し、新政策の一環として採用したのは、外の世界を睨んでのことだけではなかった。

かつての猫熊王朝時代末期、外交・安全保障論を二分してきた海防派と塞防派との議論があった。
前者は東や南の海上から押し寄せる紅茶連合王国やシャンゼリゼ共和国、大菊帝国こそ真の脅威と捉え、これに大陸の北西に位置する羆帝国と結んで対抗しようとする考えを有していた。
後者は逆に羆帝国こそ真の敵だとして、これに紅茶連合王国や大菊帝国と言った海上勢力と結んで対抗しようという考えを有していた。
両者の対立は激しく、それが一致した外交政策や安全保障政策の実施を妨げ、かつて「眠れる巨竜」と恐れられていた猫熊王朝を列強諸国の半植民地へとつき落とす一因ともなったのである。やがて王朝が倒れて、長い動乱の時代を経て猫熊人民共和国が成立するや、海防派と塞防派の議論は――激しさは王朝時代より幾分かは抑制され、対象国に若干の変更があったものの、再び息を吹き返し、内政運営における対立と相俟って、執政党内における権力闘争をより陰惨・苛烈なものとしてきた。

国家主席の算段としては、外交部副部長の提案に乗って羆共和国との国境を確定し、北西方面の安定を確保することで国の宿痾となってきた海防派と塞防派の議論に終止符を打ち、外政における”挙国一致”をより容易たらしめようという意図もあったのである。

2008年7月21日、幾度も繰り返された交渉の果てに、羆共和国首都リャザニにて同国大統領メドベーチェフと猫熊人民共和国国家主席胡近到が出席しての協定署名式が執り行われた。この協定が発効することによって両国の国境は正式に確定され、猫熊人民共和国は375平方kmに対する領有権主張を完全に諦めることになる。だがそれと引き換えに、王朝時代以来の”北西からの脅威”、国内における海 防派と塞防派との対立、第三国の領土問題を口実とした羆-猫熊離間策の余地を解消せしめ、同時に、世界経済の一大動脈にして海底資源豊富な東や南の海へと 全力を集中させることが可能となるのである。

その意義の大きさが、現国家主席をして署名の際に僅かながら手の震えを生じせしめた。

国家主席は、王朝時代末期における海防派の領袖にして、内は塞防派との議論に身を削り、外は列強諸国との困難な交渉に奔走し、そして倒れた悲劇の大臣李江章と同郷の出身だった。そのことが、今自身が署名をしている協定への畏れをより大きなものとしていたのかもしれなかった。

そんな内面に渦巻く思いを極めて微かな手の震え以外に表に出すことはなく、国家主席は協定書に自身の名前の最後の一文字を終え、にこやかな表情を浮かべて羆共和国大統領と握手を交わした。

それは劉秉義外交副部長畢生の画竜に瞳が点じられた瞬間であり、猫熊人民共和国が差し出した生贄に見合う、いや、それ以上に広大な戦略上の沃野を切り拓いた瞬間でもあった。

(補遺 完)

参考資料
・ジェームズ・R・リリー 「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」 2006年3月 草思社 西倉一喜訳
・ニコラス・スパイクマン 「平和の地政学―アメリカ世界戦略の原点」 2008年5月 芙蓉堂出版 奥山真司訳
・田中明彦研究室 サイト「http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/」
・手嶋龍一 「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」 2008年4月 講談社
・楊中美・高橋博 「中国指導者相関図」 2008年12月 蒼蒼社