2011年5月2日月曜日

第三百五十九段 以商逼政タイムアタック

「以商逼政」という言葉がある。日本風に訓じれば「商を以て政に逼る」となるこの言葉、意味する所は、ビジネス・経済上の関係強化を政治的影響力に転化するというものであり、中台経済関係が深化の一途を辿る中、中国の台湾政策を示す言葉としてまま用いられている。対して台湾は、中国との経済的繋がりが強固なものとなる中、中国経済からの恩恵はフルに活用する一方で、それが政治面(特に安全保障面)における対中脆弱性を高めないようにする、謂わば「政経分離」の実現に心を砕いている。

だが、一歩引いてアジア太平洋地域を眺めてみると、この「以商逼政」と「政経分離」のせめぎ合いと言う構図は、何も中台関係だけではなく、日本、韓国、ベトナム、マレーシア、フィリピン等等、いずれも中国経済の急拡大から恩恵を受けながら、領有権問題や安全保障環境において中国との対立点を抱える国々に共通して見られるものと言えよう。

そして、対中関係において斯くの如き共通の問題を抱える周辺国同士の接近に中国が神経を尖らせ、例えば「南シナ海領有権問題」について多国間枠組みでの解決を頑なに拒否し、あくまで二国間協議による決着を唱えて止まない所は、戦国時代の秦が周辺国の合従を突き崩し、連衡の形成に力を注いだ故事を彷彿とさせるものがある。

実際、胡錦濤政権においては、周辺諸国の合従を食い止め、連衡を構築するために経済力で相手の歓心を惹きつけようとする或いは自国の強さを誇示するかのような様々な動きが、前政権に比してより頻繁に見られるようになってきた。例えば、東南アジア諸国に対する矢継ぎ早のインフラ支援や借款・贈与、尖閣や南沙・西沙諸島の領有権問題における鄧小平の遺訓「韜光養晦」にそぐわない様な強硬姿勢である。そして、これらの動きは多くの場合、中国の経済大国化に伴う「強さの表れ」として捉えられてきた。

だが、中国のこれらの動きの背後には、「強大な中国」というイメージにはそぐわない、中国側の焦りがあると考えられる。

現在、高い経済成長率と増大する対外影響力によって我が世の春を謳歌するにも似た中国に、一体何の焦りがあるのか? それは多分に人口問題、もっと言えば少子高齢化の進行である。実際、日本経済研究センターは、2007年に発表した報告「人口が変えるアジア 2050年の世界の姿」の中で、中国の人口ボーナスの終わる時を2015年と予測している。

中国の人口動態の変化(日本との比較 2005~10以降は日本経済研究センター予測)
                             中国                日本
合計特殊出生率が2.1を下回った時期     1990~95             1960~65
老年人口割合が14%以上に達する時期    2025~30             1990~95
労働力人口が減少に転じる時期         2015~20             2000~05
総人口が減少に転じる時期            2025~30             2005~10

日本が「合計特殊出生率が2.1を下回っ」てから「総人口が減少に転じる」に転じるまで、大体50年近くかかっているが、中国はそれを10年程度上回る速度で事態が進行している。しかも、日本と比して巨大な(地域、階層毎の)経済格差やあまり整備されていない福祉制度といった問題が残ったままの状態で。
(なお、中国の人口問題については、今年2月に出版された津上俊哉氏の「岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁」においても、今後中国が直面する7つの障壁のうちの一つとして詳しく触れられており、一読の価値大いに有りである)

その上悩ましいのは、「フェルドシュタイン・ホリオカのパズル」が指摘する、国内貯蓄と国内投資との間の正の相関である。一般に高齢化は国内貯蓄の低下をもたらすと言われており、単純に考えと国内投資もまた、国内貯蓄率の低下に伴って減少することになる。
無論、米国のように、海外の投資家にとって魅力的な収益機会を提供できる環境を用意することで、海外からの活発な投資によって国内貯蓄率の低さにによる投資への悪影響を補っているケースも存在する。
しかし、米国に代表される「海外の投資家にとって魅力的な収益機会を提供できる環境」というのは、長年の法制度や会計、情報通信サービス等の様々な社会インフラの整備の上に成立したものであり、如何に中国政府が有能で実行力に溢れていたとしても、一朝一夕に成し遂げられるものではない。そう考えると、中国経済が人口ボーナス終了による悪影響、特に高齢化に伴う貯蓄率低下とそれによる国内投資の低減に直面する可能性は高いと推測される。

参考データ:中国に対する周辺国の2009年時点直接投資状況
日本 約550億ドル
韓国 約20億ドル
台湾 約71.4億ドル
なお台湾の対中投資総額について、台湾政府当局は941.3億ドルとの数字を出しているが、非公式な投資を含めると1800~2300億ドルに増加するという声もある

この時限爆弾にも似た人口問題があるからこそ、中国政府は、経済が紛うこと無き有卦に入っている今のうちに、自国の富強ぶりを見せつけ、最大限有利な外交・安全保障環境を構築しようとしており、それが多額の援助外交や周辺国への強引・強硬な外交姿勢が矢継ぎ早に繰り出される背景となっていると考えられる。

では、内に「人口ボーナス終了」という爆弾を抱える中国は、今後どのような道筋を辿って行くのだろうか? 現状では断言することは難しいが、可能性として明暗二つのシナリオを提示してみたい。
暗のシナリオは、迫る人口ボーナス終結の時に怯えた中国の強引・強硬な外交スタンスが周辺諸国との緊張を高め、かつEUや米国において「中国異質論」を伴った対中警戒心を昂じせしめることにより、中国は少子高齢化社会の進展とそれによる国内貯蓄率低下で制約を受けるようになった国内投資を支え得るだけの投資を呼びこめなくなるというもの。その場合、経済失速とそれが巻き起こす中央政府への失望・不満が、地域や民族、宗教、階層・・・と幾重にも中国内に走る断層を揺り動かし、中国大陸の政治状況を不安定なものとするだろう(かつての歴代王朝末期のように)。そして、かつて「強大な中国」に悩んでいた周辺国は、今度は逆に難民発生や核管理の緩み、宗教・民族紛争に揺れる「弱く不安定な中国」に悩まされることになろう。
明のシナリオは、中国政府による少子高齢化対策が成功し、少子高齢化の進展に打つ手なしの他のアジア諸国を尻目に比較的高い経済成長率を維持し、引き続き外国からの投資も活発に行われ、それが更なる成長をもたらすという好循環を手にするというもの。

明と暗、今後の事態がどちらか一方に振り切れるとは考えにくいが、大体どの位の明暗比率で事態が推移していくのか、実に興味深いことである。

※ なお、本旨とは直接の関係はないが、参考とした「人口が変えるアジア 2050年の世界の姿」の中に気になる記述があったので、口直しと言うか箸休め的な意味で掲げておく。
ただし、少子化が止まり子供の数が増え始めると一時的に子供のための負担が増える分だけ生産年齢人口への負担が増えるという局面が来る。この部分は新概念なので定着した用語はないが、ここでは一応「未来のためのコスト」と名付けておこう。人口オーナスから脱却するためには、どこかの世代が一度だけ「未来のコストを払わなければならないのである。

参考資料
・小峰隆夫/日本経済研究センター編 「超長期予測 老いるアジア」 2007年10月 日経新聞社
津上俊哉 「岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁」 2011年2月 日経新聞社
・日本経済研究センター 「人口が変えるアジア 2050年の世界の姿」 2007年3月
・日本政策金融公庫 「JBIC台湾レポート 2011年1月号」