2011年5月4日水曜日

第三百六十段 デンマーク企業、グルジア・ポチ港を買う

2011年4月26日付の日本海事新聞に、興味深い記事があった。それは「港湾大手APMターミナルが、UAEのラス・アル・カイマ投資庁からの株式取得等によってグルジア・ポチ港の所有権80%を獲得した。また同社は今後5年間で総額1億ドルを投じて施設増強を行う予定」というものである。

ポチ港とは黒海に面したグルジアの主要港の一つで、岸壁延長は2,900km、バース数は15、2010年貨物取扱量はコンテナが21万TEU、液体(ほぼ原油)が110万トン、バルクが380万トン、RORO船による車両取扱台数が2.3万台とそれぞれなっている。
また、こうした民間港としての側面の他に、グルジア海軍司令部や同国沿岸警備隊指揮所の所在地という軍港としての側面もあり、2008年8月に勃発したロシアとの軍事衝突(所謂「五日間戦争」)では、当然の如くロシア軍の空爆や破壊工作を受け、一時占領もされた、ある意味いわくつきの港湾とも言える。

そんな港湾に経営者として乗り込んでくるというのだから、なかなかのリスクテイクである。

そもそもポチ港を含む黒海地域の歴史を回顧してみると、大体14世紀頃までの黒海は、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)に本拠を置くビザンツ帝国との同盟関係を背景としたイタリア諸都市国家海軍の湖であった。中でも特に強力であったヴェネツィアやジェノバはクリミア半島沿岸部を中心に交易拠点を構え、ロシアや更に東方の地域からもたらされる穀物や材木、鉱石、奴隷、琥珀等を盛んに買入れ、西欧や中東といった一大消費地に売り捌いて多大な利益を得ていたのである。(注1)
そうした黒海におけるイタリア諸都市国家の天下も、やがてアナトリアに勃興したオスマン帝国の勢力拡大によって浸食されていく。特にメフメト2世によるバルカン半島での活発な領土拡大、コンスタンチノープル攻略(1453年)、クリミア半島を押さえるモンゴル・トルコ系政権クリミア・ハン国の従属化(1475年)によって、黒海は「トルコの湖」と呼ばれるようになる。
だが、オスマン帝国の黒海掌握もまた別の新興勢力によって脅かされるようになっていく。その新興勢力とはロマノフ朝ロシア帝国である。不凍港とインドへの道を求めるロマノフ朝は、ピョートル一世以来黒海への進出を図るようになりオスマン帝国と衝突、1700年のコンスタンチノープル条約では黒海北部アゾフ海を獲得する。後のエカチェリーナ2世の代になると、露土戦争に勝利してキュチュク・カイナルジ条約を締結(1774年)し、オスマン帝国に対してクリミア・ハン国への支配権放棄を認めさせ、9年後の1783年にはこれを併合する。また同時にオスマン帝国から南コーカサスの支配をもぎ取ることにも成功し、爾来ロマノフ朝、ソビエト連邦と政体は変わりつつも、黒海は一貫して「ロシアの湖」として存在し続けることになる。
それが揺らぎだすのが1991年のソ連崩壊である。これによって黒海沿岸部のウクライナ、グルジアが独立し、しかも新たな安全保障上の保護者・協力相手として米国やEU、NATOとの関係強化を図りだした。また、米国や欧州各国、EUも新たな油田・ガス田地域として勃興してきたカスピ海地域の出口として黒海沿岸諸国、特にグルジアに注目し、関係強化に積極的に応じていった。(注2)
こうして200年以上の長きにわたるロシアの黒海独占に大きな揺らぎが生じ始め、現在に至っているのである。

こうした黒海の来歴を顧み、かつ現在においては以下のような動きが繰り広げられているのを併せて考えると、デンマーク(EU及びNATO加盟国)に拠点を置くAPMターミナルのグルジア・ポチ港買収が有する意義は、単なる経済上の損得にとどまらないと考えられる。

1.ロシアが対欧州への天然ガス供給路として黒海海底を東西に走るサウスストリーム・パイプラインの敷設計画を推進し、かつトルコ・ボスポラス海峡における船舶渋滞を避けるため、ブルガリア・ブルガスとギリシャ・アレクサンドルーポリを結ぶパイプラインの敷設計画の音頭を取っている。
2.露のサウスストリーム計画に対抗するかのようにルーマニア、グルジア、アゼルバイジャンという親米の黒海周辺国が「アゼルバイジャンからグルジア・クレビまでパイプラインで天然ガスを運びそれをLNG化若しくはONG化し、そしてタンカーでルーマニアまで運ぶ」という三カ国共同ガス輸送計画推進をぶち上げ、MOU締結まで行っていること。
3.黒海地域における政治・経済的影響力を巡ってロシアの新たな競争相手として浮上してきた米国の欧州軍司令官ジェームス・スタビリディス将軍(海軍大将)が、米海軍の黒海における活動を拡大させる意向を示していること。
4.かつて黒海の支配者であったオスマン帝国の後継たるトルコにて、エルドアン首相がボスポラス海峡の船舶渋滞緩和を目的としたイスタンブール近郊での運河掘削計画を発表したこと。(注3)


恐らくロシアの目からするとAPMターミナルのグルジア・ポチ港買収は上記の米国やトルコの動きと連動した、黒海におけるロシアの支配権に対する西側の挑戦の一環として映り、一方グルジアのサアカシュビリ政権にとっては自国に対する「西側のコミットメント」を示す出来事として映っているのではないだろうか(実際そうなのか否かは別として)。となると、露-グルジア間で今なお燻る南オセチア問題への波及が気になってくるところだが・・・・。

<注釈>
1.因みに、13~14世紀の黒海と言うのは、当時のイタリア商人にとって中国への主要な玄関口でもあった。『東方見聞録』で有名なヴェネツィアの商人マルコ・ポーロの父と叔父は、クリミア半島からウクライナ黒土地帯~カザフステップ~モンゴル高原~華北と続く所謂「ステップ・ルート」を通って、当時モンゴル帝国の支配下にあった中国との貿易を行っていた。また、 マルコ・ポーロの活躍にやや遅れる14世紀前半、フィレンツェの商人ペゴロッティは貿易指南書「商業指南」を著し、その中で黒海沿岸ターナからステップルートを経てモンゴル帝国首都カンバリク(漢文資料では「大都」と表記される。現在の北京)に至るルートを紹介し、「身近に通った商人たちによれば、日中であろうと夜間であろうと、道中は絶対に安全である」と記している。
また、黒海を通じた東方との交易は、欧州に富だけではなく恐怖の種をももたらすことになる。ユーラシア東部に淵源を持つペストを欧州に持ち込んだのは、クリミア半島の港町カッファから欧州に向けて出港した貿易船であった。ペストが14世紀欧州にどのような惨事と恐怖を撒き散らしたかについては、同時代人ボッカッチョの手による説話集「デカメロン」の冒頭に詳しい。
2.なおグルジア、自国の石油精製能力向上のため、クウェートに協力を求めていたりもする。
3.予定されている当該運河の規模は全長45~50km、最大幅 150m、水深約25mというもので、トルコ共和国建国百周年に当たる2023年完成予定。なおスエズ運河は全長164km、最大幅205m、水深約 24mとなっている。

参考資料
・APM Terminals 「APM Terminals Expands into Eastern Black Sea Port」 2011年4月18日
・JOGMEC 「ユーラシア:アゼルバイジャンとトルコがガス販売・通過の条件で基本合意/正念場を 迎えるナブッコ・パイプライン計画」 2010年6月14日
・Naval-technology.com 「US Navy May Widen Activity Area in Black Sea」 2011年4月4日
・News.Az 「Georgia, Kuwait to built oil refinery」 2010年12月2日
・Oil & Gas Eurasia 「Azerbaijan, Georgian and Romanian Presidents To Meet on Joint Gas Project」 2010年9月13日
・PIPELINES INTERNATIONAL 「MoU signed for AGRI pipeline」 2010年4月20日
・大野正美 「ユーラシアブックレットNo.140 グルジア戦争とは何だったのか」 2009年6月 東洋書店
・共同通信 「イスタンブールに大運河建設 トルコ首相が計画発表」 2011年4月27日
・日本海事新聞 2011年4月26日