2011年6月2日木曜日

第三百六十四段 狼煙の代償

古代中国の思想家にして、今なお掬すべき言葉を多く遺した孔子だが、彼と弟子の問答の中に以下のようなものがある
(和訳は著者による)
子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食、自古皆有死、民無信不立。

<和訳>
子貢(孔子の弟子)が孔子に政治の要諦について質問した。孔子は答えた、「食料を十分に蓄えて軍備を整え、民衆に政府を信用させることだ」と。子貢がまた質問した、「もし必ずどれかを捨て去らなければならないとしたら、その三者(食料、軍備、信用)の中でどれを先に捨てますか」と。孔子は答えた、「軍備だな」と。子貢がまた質問した、「もし必ずどれかを捨て去らなければならないとしたら、残った二者(食料、信用)の中でどれを先に捨てますか」と。孔子は答えた、「食料だな。昔から死というのは誰にでもあることだが、民は政治を信用すること無しには安定した生活を営めないから」と

この「軍備より食料より、人々から政治に対する信用を獲得することが治国の肝なのだ」という孔子と弟子の問答こそが、所謂「信無くば立たず」の典拠である。

では権力者が支配下の人々から信用を失うとどうなるのか? 「史記」の周本紀に完璧過ぎるほどの実例が載っている。

襃姒不好笑、幽王欲其笑萬方、故不笑。幽王為熢熢大鼓、有寇至則舉熢火。諸侯悉至、至而無寇、襃姒乃大笑。幽王說之、為數舉熢火。其後不信、諸侯益亦不至。
幽王以虢石父為卿、用事、國人皆怨。石父為人佞巧、善諛好利、王用之。又廢申后,去太子也。申侯怒、與繒西夷犬戎攻幽王。幽王舉熢火、兵莫至。遂殺幽王驪山下、虜襃姒、盡取周賂而去。

<和訳>
襃姒(幽王の寵妃)は笑みを浮かべることが無かった。(周の)幽王は彼女の笑顔を一目見ようとあらゆる手を尽くしたが、襃姒が笑うことはなかった。ある時、幽王は狼煙を上げ陣太鼓を鳴らした。もし外敵の侵入があれば狼煙を上げることになっていたのである。(狼煙が上がったことを知った)諸侯が兵を引き連れて都に集結したが、実は外敵の侵入はなかったことが判明した。襃姒は(「外敵侵入」が誤報と知って気の抜けた様子の諸侯を見て)大笑いをした。これを見た幽王は大変に喜び、以後度々(外敵の侵入もないのに)狼煙を上げさせた。これによって狼煙の信用は全く無くなり、諸侯も(狼煙が上がっても)都に駆けつけることはなくなった。
幽王は虢石父という人物を大臣に取り立て、国政を任せたが、これに国中の人々が反感を抱いた。虢石父の人となりは口先だけが達者で、へつらいに長けて金に汚いというものであったが、王はこれを重用したのである。また(幽王は)申后を第一夫人の座から追い出し、その子供も太子の位から外した。(申后の父である)申侯は激怒し、繒の国や西方異民族と組んで幽王に対して兵を挙げた。幽王は(援軍を求めるため)狼煙を上げたが、一兵たりとも彼の許に駆けつけることはなかった。結局幽王は驪山にて殺され、襃姒は捕虜となり、侵攻軍は周の財産を悉く奪って去って行った。

溺愛する寵妃を喜ばせるだけのために「偽りの狼煙」という茶番劇を延々と繰り返し、実務能力の伴わない巧言令色のへつらい者を重んじたことで、周王朝を実際に支えていた諸侯らの不信を買い、結果、無惨な死を遂げた挙句に千年の汚名をも遺すことになった幽王。だが彼の一連の失態は、果たして遠い異国の遠い昔の亡国譚として無邪気に笑って済ませられるものなのか否か・・・・( ̄w ̄;)

参考資料
・孔子 「論語」巻六 顔淵第十二 (岩波文庫版 1999年11月 金谷治訳注 より)
・司馬遷 「史記」本紀巻四 周本紀第四 (台湾中央研究院 漢籍電子文献より)