2011年8月22日月曜日

第三百九十二段 韓国併合101年目に思ったこと

2011年8月22日は韓国併合101周年という日であったりする。

過去の歴史を振り返れば、大和朝廷の昔から朝鮮半島の動向が日本列島の政権にとって大きな安全保障上の課題であり、更には変革をもたらす要因ともなってきたことに改めて気付かされる。

7世紀後半、長年続いた高句麗、百済、新羅の三国鼎立時代から新羅統一時代への転換点に当たる白村江の戦いでは、大和朝廷も百済側として参戦し新羅・唐連合軍に大敗。その衝撃が豪族の連合政権「大和朝廷」が律令国家「日本」へと脱皮する引き金となった。
13世紀後半には、高麗王家の王氏が武臣勢力に対抗するためにモンゴルと手を結ぶと決断したことが、モンゴルの日本侵攻、所謂「文永・弘安の役」への伏線の一つとなったし、その「文永・弘安の役」の負担が鎌倉幕府の崩壊の一因ともなった。
16世紀末には、豊臣秀吉の朝鮮、唐、天竺までも支配下に置こうという意図の下、豊臣政権の朝鮮出兵、所謂「文禄・慶長の役」が行われるが、明・李氏朝鮮連合の抵抗の前に大陸に寸土を獲得することすらあたわず、寧ろその失敗は豊臣政権の崩壊を早めることにもなった。

こうした歴史の教訓があったからこそ、19世紀明治時代、岡倉天心は「朝鮮半島をどこかの敵国が占領すれば、日本へ陸軍を容易に投じうるが、それは朝鮮が匕首のように日本の心臓部を指しているからである」と喝破し、時の大日本帝国を率いる政治家・軍人は、かつての大帝国の夢よもう一度と粘る清朝や南下政策を採るロシアが朝鮮半島を支配下に置いて日本列島を脅かすことを恐れ、財政や軍事能力の多くを傾けて日清・日露の両戦争を戦って勝利し、朝鮮半島を併合して自らの支配下に置く道を選択したのである。
つまり、本日101周年を迎えた韓国併合は、いわば明治時代の人々なりの”歴史への回答”であったと言えよう。

やがて20世紀中頃、大日本帝国は日中戦争も片づかないうちに太平洋戦争を開始するという無謀な戦線拡大の果てに滅亡する。そして日本列島を占領した米国は、当初、旧大日本帝国のがれきの中から生まれた日本国を農業と多少の軽工業を有する無力な非武装国家という立ち位置に封じ込めようとしたが、結局は、復活した重工業とある程度の軍事的自衛力を持つ富強な反共のパートナー(無論、完全な対等関係ではないにしろ)として遇する道を選択した。
この米国の豹変をもたらしたのも、やはり朝鮮半島ファクターであった。自身の手による朝鮮半島統一の野心に燃える北朝鮮・金正日が直接の引き金を引いて勃発した朝鮮戦争により、かつて連合国の空爆で叩きのめされた日本の産業はその特需によって息を吹き返し、また米国が太平洋戦争中に抱いていた「社会主義国とも衝突なしに上手くやっていける」という考えが幻想に過ぎないことを思い知らされたことで、経済的に豊かで、自衛隊という他国と比較すれば一風変わった軍隊を持ち、対米同盟を外交上の基軸とする、今の我々がよく知る日本国へと至る道が切り拓かれたのである。

では、前近代、帝国主義、冷戦という時代を経た現在にあって、日本列島に位置する国家にとっての朝鮮半島の重要性は減じてしまったのだろうか?

答えは恐らく「否」だろう。確かに一頃のような”ロシアの脅威”は無くなったかもしれない。国家間において経済の相互依存が進んで直接的な武力衝突が生じる余地は小さくなったのかもしれない。
しかし、核兵器開発やミサイル開発を進めて恫喝的な瀬戸際外交を繰り広げる北朝鮮が存在し、驚異的な経済成長とそれによって手にした国際的影響力を有しながらも穏健で安定した国際秩序の担い手たるのかかつての日独のような現状破壊勢力たるのかいまいち判然としない中国が存在する現状では、ユーラシア大陸の東縁からにょきと日本列島側に伸ばされた朝鮮半島は、依然として日本の安全保障上大きな意味を有していると考えられる。

その朝鮮半島に対して、日本国はどのように相対していくのか?

一つ考えられるのは、かつて大日本帝国がそうしたように、朝鮮半島を直接日本国の支配下に置くというやり方である。ただし、これは日本国が有する軍事能力や財政の限界、異民族統治の困難性、更に米国や中国、ロシアといった周辺国が日本国の朝鮮半島征服を容認・黙認するとはとても思えないことから単なる机上の空論でしかないだろう。
次に考えられるのが、朝鮮半島に存在する国家との間で協力関係を構築・強化するやり方である。となると日本が協力相手として選ぶ対象には韓国と北朝鮮が浮上することになる。どちらも領土問題や歴史問題、核開発問題といった懸念材料を抱えているが、経済や政治の運営体制に共通の面を持ち、共に米国を同盟国としているという点で、韓国がまだましな協力相手となろう。
極論として朝鮮半島敵視という考えもあろうが、これは、ロシアとの関係も領土問題でしっくりいっていない、中国との関係も領土や歴史問題があって緊張気味という現在日本の状況下、好き好んで敵を増やす自滅策としか言いようがあるまい。





なお全くの余談だが、東アジアの近代史を振り返ると、時の政権が排外感情の抑え込みに失敗した(或いはそれに悪乗りした)場合、それは大抵当該政府(というか「統治システム」と言い換えてもいいかもしれない)の滅亡フラグであった。曰く義和団事変、曰く東学党の乱、曰く「英米本位の平和主義を排す」や「暴支膺懲」論。
さて、火遊びの果てに瓦解した大日本帝国の残骸の中から日本国が立ち上がって早59年、その統治システムに色々なガタが目立ち始めたのと軌を一にするかのように嫌韓、嫌中といった感情が噴出し始めた昨今、何とも気になる事象ではある。