2011年8月18日木曜日

第三百八十九段 暇潰しの思考実験

日頃は安全保障や外交、戦争といった問題に全く目を向けることのない日本国内で、例外的にそれらにスポットライトが当たるのが、第二次大戦における二度の原爆投下日や所謂「玉音放送」のあった日を抱える8月である。

そしてその8月に頻繁に目にするのが、「過去の戦争の惨禍を後世に語り継ぎ、二度と戦争を繰り返さないようにしよう」という意見である。なるほど、確かに太平洋戦争に限らず、古今東西の戦争やそれに従軍した人々の記録を見れば、戦争というものがもたらす悲惨さはよく分かるし、少なくとも政策遂行の一手段として軽々しく発動するにはあまりに犠牲が大きすぎるという考えを持たざるを得ない。

ただ一方で、「戦争の悲惨さを語り継ぐ」ことで人々の厭戦気分を盛り上げ、その結果もたらされた平和は、果たしてどの程度持続性を有するのだろうか? 試しに思考実験をしてみたい。

20XX年、世界の人々が戦争の悲惨さと悲劇性を深く自覚し、結果、あらゆる政府が「外交の場において戦争回避のためならあらゆる譲歩を受け入れる」状態になったとする。こうなると確かに暫くは世界で平和が保たれることになるだろう。

しかし、世界各国が「外交の場において戦争回避のためならあらゆる譲歩を受け入れる」状態に留まり続けることは決してないだろう。何故なら、周辺国が「外交の場において戦争回避のためならあらゆる譲歩を受け入れる」状態にあるならば、交渉の場において軍事力を見せびらかし戦争の可能性をちらつかせることで自国の利益を最大化できることに気付く国が早晩現れるからだ。
そうなると、脅迫国の交渉相手となった国は、脅迫国にとことんまで譲歩し続け自らの存続が叶わなくなるまでに収奪され続けるか、脅迫を無効とするため「脅迫国との戦争も辞さない」姿勢を取ることを余儀なくされるかの二者択一を迫られることになる。
そして時期を追うに従って、前者の道を選んだ政府は収奪され続けた末に瓦解していき、残るのは戦争の恐怖で相手を脅す政府か、それに対して「戦争も辞せず」として相手の脅迫を突っぱねる政府のみということになっていくだろう。
また、ある国の脅迫戦略が成功し、それが多大な利益を脅迫国にもたらすことが明らかになった場合、恐らく多くの国もそれに追随して脅迫戦略を採用することになるだろうから、「外交の場において戦争回避のためならあらゆる譲歩を受け入れる」麗しき国々の集まりであった世界は、かなりの速度と規模で脅迫者と強硬な抵抗者の闘争の場に代わることになるだろうし、そこでは脅迫と抵抗のエスカレーションが戦争にまで至る事態も珍しくはなくなるだろう。

では戦争を忌み嫌う人々の楽園が、上記のような崩壊の道を歩まないようにするにはどういった方法が考えられるのだろうか?

1つ考えられるのは、ある国家なり国際機関に、脅迫国が周辺国に横暴な要求を突きつけた場合にこれを懲罰できるだけの武力を与え、一種の用心棒として働いてもらう方法である。ただし、この方法を用いたとしても、用心棒役の国家なり国際機関が収奪役に回り、それに反発した国々が頑強な抵抗者に姿を変え、両者の間で緊張激化或いは戦火勃発という事態に至る可能性は排除しきれない。

従って、戦争の悲惨さ・苛酷さを訴えて人々の嫌戦感情を高め、それによって国際平和がもたらされたとしても、それは持続性に欠けたものとならざるを得ないと考えられよう。