2011年9月27日火曜日

第四百十二段 サファビー朝リコレクション

16~18世紀の中東、イラン高原を中心に周辺地域を支配したサファヴィー朝という王朝があった。最盛期には首都イスファハンが「世界の半分」と称えられるほどの繁栄を手にした王朝であったが、その繁栄は、決して偶然や僥倖の類によってもたらされたものではなかった。寧ろ、彼らの周囲は手ごわい地政学上の競争相手がひしめいていたのである。

まず西を見れば、そこにはメッカとメディナ、エルサレムというイスラム教の三大聖地を押さえ、イェニ・チェリという強力な常備軍を擁して遠く西欧ウィーン近辺にまで勢力を及ぼしていたオスマン帝国という存在があった。そのオスマン帝国とサファビー朝は、南コーカサスやクルディスタン(注1)、イラク地方の支配を巡って鋭く対立していた(注2)。
また南を見れば、遠くアフリカ南端の喜望峰を回ってインド洋に進出してきたポルトガルが、火砲とそれによって装備された帆船の威力を背景にペルシャ湾の出口たるホルムズ海峡を支配しようとしていた。
更に北東には、中央アジアの草原地帯を根城に度々イラン高原への南下を企ててきた遊牧騎馬勢力ウズベクという存在があった。
まさに周囲をぐるりと敵性勢力に囲まれた状態であったわけである。

こうした脅威群に対抗するため、サファビー朝の歴代君主たちは巧みな外交を展開してきた。
まず西のオスマン帝国を牽制するため、バルカン半島の支配権を巡ってオスマン帝国と競合していたハプスブルク帝国やハンガリー、更には中東貿易の拡大を狙っていた英国やオランダといった欧州諸勢力と手を結び、オスマン帝国を東西から挟撃する形成を作り出した(注3)(注4)。
また当時軍事技術の革新が活発であった英国やオランダからは積極的に最新鋭の銃火器類やその運用術(注5)を導入し、ポルトガルをホルムズ海峡から追い出し(注6)、中央アジアの草原地帯から押し寄せるウズベク族の侵攻を跳ね返すことに成功した(注7)。
更に東に対する動きを見ると、1544年、内紛によって北インドを逐われたムガル朝二代目君主フマーユーンが亡命を求めてきた。時のサファビー朝君主タフマースプ一世はこれを受け入れるのみならず、フマーユーンの勢力回復を支援さえした。この後援もあってフマーユーンは1555年、北インドの地に再度支配権を確立することに成功し、同時にサファビー朝は支援の代価として東部国境の安定を手にしたのだった(注8)。

そこから時は流れて幾星霜、21世紀の現在。911テロをきっかけとしてAfPakに足を踏み入れた当代最強の米軍は、911テロの首謀者たるウサマ・ビン・ラディンの殺害には成功したものの、国際テロ組織に恰好のシェルターを提供してきた「アフガンの不安定さ」を除去できぬまま同地から撤退を開始した。そして一部には、米軍撤退後のアフガニスタンを起点としたイスラム過激派の勢力拡大、所謂「緑の津波」が周辺の既存国境を大きく揺るがすだろうという予想も浮上している。

となると気になるのが、そのAfPak地域と東部国境で相接するイランの動きである。西部では長年の地政学的ライバルであったトルコとの関係改善を順調に進め(少なくとも現状では)、北方については中央アジアに今なお多大な影響力を有するロシアとの友好関係を維持し、南方に対してはシーア派住民の取り扱いを巡って湾岸諸国と対峙しているという状況下、彼らは今後激震も予想される東部国境の安定を如何に図っていくつもりなのだろうか? 彼らの前に「新たなフマーユーン」は姿を現すのだろうか?

注釈
注1.クルド人が多く居住するトルコ南東部からイラク北部、イラン北西部にかけての一帯。
注2.領土を巡る競合に加え、オスマン帝国はスンニー派、サファビー朝はシーア派をそれぞれ奉じていたことから、両者の対立にはイスラム教内の宗派対立の要素も存在した。
注3.無論、オスマン帝国側もこうしたサファビー朝やハプスブルク家の動きを挙手傍観していたわけではなく、彼らの対立相手であったフランスやウズベク族と連携するという対抗策をとっている。
注4.なおイラン高原を押さえる勢力が欧州の諸王国と結び、その間に位置する敵勢力を挟撃する形成を作り出すというパターンは、シリア・エジプトを支配するマムルーク朝と敵対したイルハン朝、アナトリアを支配するオスマン帝国と敵対したティムール朝の外交にも共通して見られるものである。
注5.サファビー朝軍における小銃・火砲戦力の整備・拡充については、アッバース一世治下における英国人アントニー及びロバートのシャーレー兄弟の活躍が有名である。
注6.16~17世紀における新教国英蘭と旧教国ポルトガル・スペインとの貿易・宗教を巡る対立は、欧州本土を大きく超えた
文字通りの地球規模で展開され、中東のパワーバランスのみならず、遠く極東においても織豊政権や江戸幕府の外交政策に大きな影響を与えた。
注7.長年イラン高原北東部ホラサーン地方等の支配を巡って抗争を繰り広げてきた両者の憎悪は強く、1510年メルブ近郊の戦いでウズベク族のムハンマド・シャイバーニー・ハーンを討ち取ったサファビー朝のイスマーイール一世は、その頭蓋骨を酒盃とするほどであった。
注8.なお、サファビー朝のムガル朝に対する支援はこれが初めてではなく、ムガル朝初代のバーブルが中央アジアでの勢力回復を図っていた頃からサファビー朝はこれを支援してきた。ただし、彼の中央アジア回復の夢は敵対するウズベク族の精強さによって阻まれてしまう。結果、中央アジアに居場所を失ったバーブルが新たな進出先として目をつけたのが北インドの地であった。

参考文献
・永田雄三 羽田正 「世界の歴史15 成熟のイスラーム世界」 1998年1月 中央公論新社
・佐藤次高 「世界の歴史8 イスラーム世界の興隆」 1997年9月 中央公論新社
・那谷敏郎 「三日月の世紀 -「大航海時代」のトルコ、イラン、インド-」 1990年5月 新潮社
・本田實信 「≪ビジュアル版≫世界の歴史6 イスラム世界の発展」 1985年3月 講談社

<当ブログ関連段>
・第三百九十一段 「近い外国」が「緑の津波」に呑み込まれる日

2011年9月25日日曜日

第四百十一段 マハーラージャーは北面す

「シルクロード」という言葉に代表されるように、東西の繋がりだけに注目が集まりがちな中央ユーラシアだが、実はアフガニスタンを結節点とした北の草原地帯と南のインドという南北の繋がりも活発であったことはあまり注目されていない。

だが、特にヒンドスタンと呼ばれる北インド一帯の安全保障は、歴史上、北の草原地帯から南下を繰り返す遊牧騎馬勢力の動向に大きな影響を受けてきた(注1)。アリーヤ、サカ、クシャン、エフタルといった古代遊牧民の南下がインド世界に与えた影響は高校の世界史でもお馴染だが、とりわけ10世紀のガズニ朝を嚆矢とするイスラム化したトルコ・モンゴル系諸族の侵入がインド亜大陸に与えた影響は大きかった。長年インド政治の中心となってきた都市デリーは彼らイスラム化したトルコ・モンゴル系諸族の王朝が築き発展させた都市であったし、かつての英領インド、そして現在のインド共和国の領域はイスラム化したトルコ・モンゴル系諸族のインド侵入最後の大波と言えるムガル帝国のそれをほぼそのまま引き継いだものである(注2)。

こうした歴史をどこまで意識したものかは不明だが、21世紀に入って以後のインド共和国は「北方外交」とでもいうべき中央ユーラシア諸国への働きかけをとみに強めている。

まずロシアとインドとの関係だが、インドの目覚ましい経済発展とそれに伴う防衛力近代化の動きにロシアが多くの先進的兵器や軍事的技術を売却するという一種の共生関係、そして両国間で未だ根強い中国警戒論の影響もあってか、両国関係は旧ソ連時代と変わらぬ良好さを維持している。最近ではロシアが作成した新鋭ステルス戦闘機T-50(注3)について、ロシア国営航空機メーカー統一航空機製造会社のトップが「T-50は露印両軍向けのもの」という声明を発表している

旧ソ連領中央アジア諸国に対するインドの動きを見ると、まず中国と境を接するキルギス政府との間では、今年7月5日にインド国防相が同国を訪問して「二国間防衛協力関係強化」に関する合意が成立し、更には同国内での魚雷の製造・試験施設設置に向けた交渉も進められている。
次にタジキスタンとの関係だが、こちらについてはドゥシャンベ近郊のファルホル空軍基地のインド軍利用が2004年に認められている。そしてインドは二匹目の泥鰌を狙って同国アイニ空軍基地の利用権を巡る交渉を進めていたものの、こちらは同じく同空軍基地に目をつけていたロシアの強硬な反対に直面する形となり、利用権獲得に失敗してしまった。
カザフスタンについては、現時点でインドとの間で表立った動きは見受けられないものの、タジキスタン同様、同国内にもインド空軍基地が設置されているという。

アフガニスタンについて、インドはタリバンを支援する敵国パキスタンへの対抗上、そのタリバンと敵対する北部同盟を支援してきた。そして2001年の911テロとそれに続く米国のアフガン攻撃によってアフガン・タリバン政権は崩壊し、インドにとってはめでたい事に支援先の北部同盟がパシュトゥン人有力者ハミド・カルザイを担ぐアフガン新政権が成立した。これに応じてインドも資金援助や道路建設を中心に様々な対アフガン支援を実施してきたが(注4)、新政権自体の怠慢・腐敗等もあってアフガニスタンの復興と安定化への歩みは捗々しくなく、寧ろ勢力を盛り返してきたタリバンの再奪権もあり得べきシナリオとして浮上してきたことから、今年7月、アフガンからの軍撤退を開始した米国に対して「今後も米国はアフガンでのプレゼンスを維持すべき」という旨の発言がインド外相の口からなされている。

モンゴルとの関係については、根強い中国警戒論を共通認識として防衛面等での関係強化が進んでいる(注5)。以前よりモンゴルにはインドが中国の弾道ミサイルを監視するための施設を設置しているとされているが、今月8日にはインド-モンゴル両国防相の間で「防衛分野での協力強化」に向けた合意が成立した他、15日からはインド-モンゴル両国陸軍の合同演習が29日までの予定で開催されている(注6)。

以上のようなインドの「北方外交」に負けず劣らず、軍事面や経済面での協力を梃に内陸アジア諸国に対する積極的な働きかけを進めているのが中国である。今後、ユーラシア中央部の戦略バランスがインドと中国、どちらに有利な方向に傾くのか? それは恐らく東・南シナ海での権益を巡って中国と対峙する諸国の進路にも大きな影響を与えるものとなるだろう。

注釈
注1.中央アジアを征したロシア・ソ連を一方の主役としたグレート・ゲームやアフガン侵攻も、古来より北方草原地帯の遊牧民達が繰り返してきたインドへの南下行動の延長線上の出来事と言えるかもしれない。

注2.こうした歴史を背景に成立したインドのイスラム教徒だが、その人口はインド全体の12%程度だといわれる。インドの人口は2010年時点で約12億人なので、インドはその中に約1.4億人強のイスラム教徒人口を抱えている計算になる。これを上回るのはインドネシアの約2億人、そして英領インド独立の際に宗教的理由からインド共和国と袂を分かったパキスタンの約1.7億人だけである。
注3.なおT-50について、その製造はロシアが行ったが、インドもまた開発費の6割に当たる60億ドルを拠出する等の資金援助を行っている。
注4.道路建設におけるインドの支援で目立つのは、同じくタリバンへの対抗上北部同盟を支援してきたイランとの共同によるカブール~バンダル・アッバス港(イラン領)道路の開設(2009年)であろう。これにより内陸国アフガニスタンは、パキスタンルート以外の海への出口を曲がりなりにも手に入れたことになる。またアフガンへの資金援助については、最近だと今年5月にインド・シン首相が総額5億ドルの支援パッケージ提供を申し出ている。
注5.インドがチベットのダライ・ラマ14世亡命政権を受け入れていることは広く知られているが、一方のモンゴルではそのダライ・ラマ14世を最高の宗教的権威として仰ぐチベット仏教の信者が人口(2010年時点:約270万人)の約50%を占めている。
注6.なおモンゴルが他国と行っている合同演習としては、米国等を相方とした「カーン・クエスト」が有名である。


参考資料
・DefenseNews 「India, Mongolia Foster Closer Defense Ties」 2011年9月8日
・EURASIANET 「Is India Out of the Game in Tajikistan?」 2010年12月1日
・EURASIANET 「India To Use Torpedo Plant In Kyrgyzstan, But Where Are The Russians?」 2011年9月21日
・EURASIANET 「Indian Army, And Their Motorcycles, Boosting Cooperation With Mongolia」 2011年9月22日
・RIA Novosti 「New stealth fighter jet 'principal' for Russia, India」 2011年8月16日
・TOLOnews 「Indian PM Announces $500m Afghan Aid Package」 2011年5月12日
・TOLOnews 「India Urges US to Continue Presence in Afghanistan」 2011年7月20日
・UZBEKISTAN DAILY 「Uzbek President leaves for India」 2011年5月17日
・フォーサイト 2007年7月号 「インドがタジキスタンに進出 その背後にもロシア 」 
・フォーサイト 2007年10月号 「中国のミサイル開発をインドがモンゴルから監視 」
・フォーサイト 2008年8月号「スリランカ取り込みを図る中国に、神経を尖らせるインド 」

2011年9月11日日曜日

第四百七段 宗教改革リターンズ?

1517年、ドイツ・ヴィッテンベルク城教会の扉に、一人の神学者による張り紙が貼られた。張り出された紙は後に「95ヶ条の論題」として知られるカトリック総本山ローマ教皇庁への異議申立。そしてそれを張り出した一介の神学者こそ後世に名高きマルティン・ルターその人である。
このルターによる「95ヶ条の論題」貼りだしが、ドイツ各領邦・都市によるローマ教皇庁への反抗、即ち「宗教改革」という歴史上のビッグウェーブの直接の引き金となったことは世に広く知られている。

では何故ドイツの領邦や都市は、それなりに高名であるにしろ、強大なローマ教皇庁に比すれば全く無力な存在でしかないルターと言う神学者の言い分に乗っかる気になったのだろうか?
その背景にはローマ教皇庁とその権威を背景にした神聖ローマ帝国によるドイツの富の収奪があった。
教皇お膝元たるローマを豪奢な教会や芸術で飾り立て(注2)、そこに住まう教皇、枢機卿以下多くの聖職者たちの豪奢で放埓な私生活を支えるため、教皇庁は人々の信仰心につけ込んで「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と触れまわり、ドイツを中心とした地域の民衆に大量の贖宥状を売り付け、その利益をローマに移送していたのである
これはドイツの各領邦や都市にとっては、本来なら自分たちの税収となるべきものに対するローマの横取り以外の何物でもなかった。
しかし、彼らが如何に不満を抱こうとも、キリスト自ら「天国の鍵」を授けたとされる聖ペテロの後継者たちに反旗を翻す名分としては「銭勘定」は流石にさもし過ぎた。結局ドイツの領邦・都市はローマにNOをつきつけるに恰好の大義名分を欠いたまま、静かにしかし着実にローマへの怨念をため込んでいったのである。

それがルターのローマ教会に対する神学面での異議申立によって情勢はがらりと変わった。ドイツの領邦・都市にしてみれば、経済面での怨念を正当化・糊塗してローマに対する反抗の狼煙を上げるには恰好の形而的かぶり物、もっともらしい言葉を使えば「理論的支柱」が現れたのである。こうなると、最早彼らがローマ教皇庁を慮る理由はなくなる。一方、こうしたドイツ領邦・都市の離反の動きに危機感を募らせた教皇庁は、対抗策として神聖ローマ帝国を通じて彼らへの締め付けを強化していく。

反実仮想だが、ドイツ領邦・都市が最初から金銭づくの話として教皇庁・神聖ローマとの間で交渉を進めていれば、或いは両者の間に「お互いの取り分はこうしましょうや」と妥協が早々に成立したのかもしれない。しかし、ドイツ領邦・都市がローマ教皇庁の権威に対抗するためルターの学説を担ぎ出したことで、当初はお金で始まった話は「反カトリック派とカトリック派、どっちが正しいキリスト者か?」という形而上の段階にまで急進行。

こうなってくると、両者の対立が血で血を洗う妥協なき抗争に発展するのも宜なるかなと言うもの。やがて両者の凄惨な殺戮劇は、三十年戦争という戦乱の大輪を咲かせた末に、1648年ウェストファリア条約によって終結する。そしてその結果、ローマ教皇の権威、神聖ローマ皇帝の権力が広く欧州各王国の上に君臨する中世的な秩序は名実ともに砕け散り、現在の我々がよく知る「主権国家」体制、即ち特定の領域内において絶対的不可侵な権威を持ち、警察、軍といった暴力装置を独占する国家政府からなる「分立的」な国際関係が登場するのである。

・・・・・え? 「何でここで突然、500年近く前のドイツの故事を引っ張り出してきたのか?」って?

いや、現在の欧州となんだか似てる気がするんですよ。

「どこが似てるんだ?」ですか? う~ん・・・・・・例えば「ドイツの領邦・都市」、「ローマ」、「教皇庁」、「神聖ローマ帝国」、「贖宥状」といった語句を適宜「ドイツの有権者・政治家」「ブリュッセル」「EU」「ギリシャ救済」だとか「ユーロ防衛」といった具合に置き換え、そして改めて読み返してみて下さいな(特に第2パラグラフ)。

ね、似てるでしょ?(注4)

注釈
注1.念のために言っておくと、当該段で言う「欧州」には、イスラムを掲げるオスマン帝国の支配下にあったバルカン地方や東方正教を奉じるモスクワ大公国の支配地は含まれていない。
注2.
当時のやんごとなき貴顕のみならず、21世紀の今も世界中の人々に多くの感動やインスピレーションを与えている、サン・ピエトロ寺院を始めとしたローマ・ルネッサンスの建築物や芸術品は、一方でこうした極めて胡散臭い集め方をされた資金によって支えられていたのである。人の世の一筋縄ではいかなさがよく分かる例と言えよう。
注3.どうでもいい話だが、この贖宥状のエピソードを聞くたびに「
信者と書いて儲け」、「信じるものはすくわれる。ただし足許を」という言葉をどうしても思い出してしまう著者であったwww
注4.因みに、露は冷戦崩壊後、「エネルギー」を一つのキーワードとして独と政治・経済関係を大きく深めてきた。それに加え、最近では「ミストラル級強襲揚陸艦売却」に代表されるようにフランスとの接近を進めている。もし万が一EUという枠組みが崩壊して、欧州が再び「分立の時代」を迎えることになれば、「ラッパロ条約」と「露仏同盟」を同時に手にした露が欧州への影響力を一層強めることになるかもしれない。

2011年9月7日水曜日

第四百六段 露朝韓ガス・パイプライン構想と日本

「ロシア-北朝鮮-韓国ガス・パイプライン敷設計画」というものがある。要は、ロシア産天然ガスを北朝鮮経由のパイプラインを通じて韓国に供給しようという計画である(注1)。今までにもサハリンで産出した天然ガスをパイプラインでウラジオストクまで運び、そこから韓国に出荷しようという話はあったが(注2)(注3)、ガス・パイプラインを北朝鮮を経由したルートで韓国まで敷設し、以てロシア産ガスを韓国に送り出そうという計画は今まで現実性のある計画としては語られてこなかったように思う。
そんな「ロシア-北朝鮮-韓国ガス・パイプライン敷設計画」が俄に具体性を持った話として浮上したのは、2011年8月8日のモスクワにおけるラブロフ-金星煥露韓外相会談の場においてであった。

当時の聯合ニュースは以下のように伝えている(赤太字は著者による(以下同じ))。
ロシアを訪問中の韓国外交通商部の金星煥(キム・ソンファン)長官は8日、ロシアのラブロフ外相と会談し、ロシア産天然ガスを北朝鮮経由で韓国に供給するための大規模パイプライン計画と電力供給、鉄道整備の共同事業を推進していくことで合意した。

会談後の記者会見でラブロフ外相は、共同事業と関連した当局間協議を進めており、専門家間で合意に至れば政府レベルの支援を通じた本格的なプロジェクトが実現できると明らかにした。

 北朝鮮への食糧支援と関連しては、すでに500万ドル(約3億8000万円)を支援しており、追加で5万トンの小麦粉を支援する計画が推進されていると伝えた。

 金正日(キム・ジョンイル)総書記の訪露については、「相当前から招請しており、訪問時期は両国政府の合意により決まる」と説明した。

個人的には、当初、上記ニュースを目にした時は北朝鮮という巨大な「政治的リスク」を抱え込む形になる当該ガス・パイプライン計画の実現性に極めて懐疑的な印象を持ったものだが、それをせせら笑うかのように現実は進行し、2011年8月24日に東シベリア・ソスノブイボルで行われた露朝首脳会談で当該ガス・パイプライン計画実現に向けた合意が成立した。

同日の時事通信は以下のように伝えている。
ロシア訪問中の北朝鮮の金正日総書記は24日、メドベージェフ大統領と東シベリアのウランウデ近郊ソスノブイボルの軍施設で会談した。会談後、チマコワ大統領報道官は、金総書記が核問題をめぐる6カ国協議への無条件復帰と核・ミサイル実験凍結の用意を表明したことを明らかにした。ロ朝首脳会談は2002年8月以来、9年ぶり。
 同報道官は「北朝鮮は核兵器・ミサイル実験・製造の凍結(モラトリアム)導入の問題を解決する用意がある」と述べた。6カ国協議の早期再開に向け、北朝鮮が譲歩する姿勢を示したとみられる。
 会談ではまた、ロシア、北朝鮮、韓国の3カ国が参加する天然ガスパイプライン建設計画を推進することで合意した。計画実現に向け、3カ国の委員会を創設する方針という。メドベージェフ大統領は会談後、「北朝鮮はこのプロジェクトの実現に関心を持っている」と強調した。

こうして計画関連国の間で合意が固まって来ると、次に浮かんでくる障害は国連による北朝鮮経済制裁の存在ということになるが、これについて韓国政府は2011年9月5日に「露朝韓ガス・パイプラインは国連経済制裁の対象外」という暫定的判断を表明した。

聯合ニュースは以下のように伝えている。
韓国政府がロシアの天然ガスを北朝鮮経由で韓国に送るパイプライン建設計画について、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁の対象にはあてはまらないと暫定判断したことが5日、分かった。

 外交通商部当局者は同日、パイプライン建設計画について、「国連の北朝鮮制裁の柱は大量破壊兵器。パイプライン事業が大量破壊兵器と直接関係しなければ、文献上、制裁に反すると判断しにくい」と述べた。

 政府当局者も先ごろパイプライン事業に関して、北朝鮮の攻撃によるものとされる昨年3月の海軍哨戒艦沈没事件を受け、同年5月に公表した北朝鮮制裁措置の対象ではないと発言しており、同事業をめぐる議論が本格化するかどうか注目が集まっている。

 政府内外からはパイプラインの連結に使われるアルミ鋼管や北朝鮮に支払う年間約1億ドル(約77億円)の費用が大量破壊兵器に転用される可能性を懸念する声が上がっている。だが、大量破壊兵器との関連性が明らかにならない限り、建設計画自体が国連の北朝鮮制裁に違反すると見なすのは難しいと判断したようだ。

 国連は安保理決議に基づき、大量破壊兵器に使われる可能性がある技術・材料などの北朝鮮への輸出を禁じている。

以上のような経過を辿り、若干の不透明さは残しつつも実現への動きが進んでいる露朝韓ガス・パイプライン計画に対する個人的な注目点は、仮にこのパイプライン構想が実現した場合の延伸の可能性である。というのも、当該パイプライン計画において終着点とみなされている韓国の南には日本があり、分けても韓国に近い西日本では将来的な天然ガス需要の拡大が想定されるからだ。

西日本は今まで電力の多くを原発に依存してきた(注4)。具体的なデータで示すと、以下の通りである(注5)。

         自社総発電量(1000kwh)  原子力発電量(1000kwh:自社総発電量に占める割合)
関西電力   131,522,249           66,953,812(51%)
四国電力    29,408,223           16,103,978(55%)
中国電力    45,222,165            2,280,760(5%)
九州電力    80,580,028           37,374,870(46%)
(参考)
東京電力   264,065,162           83,845,029(32%)

だが、新たに成立した野田内閣の鉢呂経産大臣は、マスコミからのインタビューに答える形で原発の今後について以下のような見解を表明しており(注6)、早晩、西日本の各電力会社は「減少していく原発の穴を如何に埋めていくか?」という問題と向き合わざるを得なくなると推測される。
そして「原発の穴」を埋 め得る電力供給源を考えると、発電量の規模や安定性等を考慮すると火力発電が後継の最右翼ということになるだろうし、更に二酸化炭素排出に係る国際合意等 を重ねれば、燃料源として重油や石炭ではなく、天然ガスを用いる火力発電が原発の後継となる可能性が最も高いと考えられる。
 鉢呂経産大臣インタビュー記事(時事通信より一部抜粋 見易さを考慮して大臣の回答部分を赤太字とした)
-野田佳彦首相は、新規の原発建設は難しく、寿命が来たものは廃炉になると言及したが。
 新しいものは造らない。
 -ある程度時間が経過すれば、原発はゼロになるのか。
 基本的にはそうなる。
 -建設中の電源開発大間原発と中国電力島根原発3号機への対応は。
 現実には建設を凍結している段階で、どう考えるかは今後、十分検討していく。
 -計画中の中国電力上関原発への対応は。
 計画段階のものは、新たに建設するのは難しいのではないか。
 -国際原子力機関(IAEA)に原発の再稼働で意見を求める考えを示したが。
 ストレステスト(耐性評価)の1次評価で、IAEAに再評価を求めることもあるのではないか。原子力安全・保安院、原子力安全委員会が評価し、さらに国際的な機関が評価する。複数の評価を用意し、地元の方々に見てもらえれば、判断材料になる。また、政治レベルで(最終的に再稼働の是非を)判断する一定の基準を作る必要もある。ストレステストの1次評価は、9月中にも各電力会社から1基ずつ程度出てくるとの見通しを持っている。


つまり将来的な予想図として、ロシアから北朝鮮を経て韓国までガス・パイプラインが走る一方で、その韓国にほど近い西日本では脱原発に伴って天然ガス需要が活発化するという構図を描くことができるのだ。これが露朝韓ガス・パイプライン延伸の可能性に着目する理由である。

では果たして露朝韓ガス・パイプラインの日本までの延伸は可能なのだろうか? 今年5月に敷設が完了した大型海底ガス・パイプラインのノルドストリームの事例を参考とすると、ノルドストリームの全長は1223km、そして敷設が行われたバルト海の平均水深は55mで最深459m、パイプライン敷設箇所における最大水深は210mとなっている。
次に日本と韓国の間に目を移すと、釜山から福岡県若しくは山口県までの直線距離はほぼ200km。釜山と福岡・山口を隔てる対馬海峡の平均水深は90~100m。最大水深は120~130mとなっている。海流の問題等もあるので一概には言えないが、深さと距離だけを見れば露朝韓ガス・パイプラインを日本側まで延伸することも決して不可能ではなさそうである(注7)。

今後、日本において脱原発政策が推進されるとして、結果、どこまで日本の天然ガス需要が膨らみ、それが産ガス国ロシアやそこからパイプラインを引いてこようとする北朝鮮、韓国との外交にどう影響してくるのか、今後の展開が非常に興味深い所である。

注釈
注1.なお以前より韓国ガス公社(Kogas)がロシア極東部で積極的なビジネス展開を進めていることは知られていたが、このKogasの動きがどの程度当該ガス・パイプライン計画に影響を与えたのかは現時点では定かではない。
注2.最近の報道だとVoice of Russiaの「Russia, South Korea mull gas supply options」がその一例である。
注3.なおウラジオストクについては、サハリン産ガスの輸送を目的としたサハリン-ハバロフスク-ウラジオストク・パイプラインの敷設が進行中であり、更に終着地のウラジオストクについては同地でのLNGプラント建設に係る合意が2010年7月10日に日露政府間で成立している。
注4.無論数字を見れば明白なように、中国電力は例外的存在である。
注5.当該データは資源エネルギー庁が発表している「発受電実績(一般電気事業者)」の平成22年度版に拠った。
注6.2011年9月5日に時事通信が報じた同大臣のインタビュー記事から、原発に関する部分を抜粋した。全文については参考資料のリンク先を参照のこと。

注7.無論、パイプライン延伸に拘泥する必要はなく、例えば既にLNGターミナル等が設置されている仁川や光陽、統営等において必要な設備拡充を行い、そこからLNG船を使って日本に運ぶという方法もありえよう。

参考資料
・PIPELINES INTERNATIONAL 「Sakhalin – Khabarovsk – Vladivostok Pipeline progressing」 2010年8月16日
・RIA Novosti 「Nord Stream: a gas pipeline to Europe under the Baltic SeaStream」 2010年4月13日
・Voice of Russia 「ウラジオストクでLNG工場を建設」 2011年7月10日
・Voice of Russia 「Russia, South Korea mull gas supply options」 2011年8月5日
・資源エネルギー庁 「平成22年度 発受電実績(一般電気事業者)」
・時事通信 「北朝鮮、核実験凍結の用意=送ガス管計画推進で合意-ロ朝首脳会談」 2011年8月24日
・時事通信 「原発、月内にも1次評価=鉢呂吉雄経済産業相インタビュー」 2011年9月5日
・日本エネルギー経済研究所 「韓国の天然ガス需給動向及び需給計画」 2008年12月
・聯合ニュース 「韓露外相、北朝鮮含む共同事業推進に合意 」 2011年8月8日

2011年9月6日火曜日

第四百五段 エリュトゥラー海@21世紀

「エリュトゥラー海案内記」という書物がある。A.D.1世紀頃、エジプトにおいて貿易業に従事していた人物(伝不詳)によって執筆・編纂された書物で、当時「エリュトゥラー海」即ち「赤い海」と呼ばれたインド洋を舞台として繰り広げられた活発な交易活動がそこには記されている。

その「エリュトゥラー海」という古代の響きを今に伝えているのが、アラビア半島とアフリカ大陸を隔てる回廊状の海「紅海」である。現代においては、アラビア半島を挟んで反対側に位置する「世界のエネルギー供給源」ペルシャ湾が浴びる脚光に比してニュース等でもあまり取り上げられない地味な存在と化している紅海だが、その重要性はペルシャ湾に決して劣るものではない。

成るほど、確かに石油や天然ガスといったエネルギー資源の生産という面では遥かにペルシャ湾の後塵を拝する紅海だが、別の分野における重要性は同湾を凌駕するものとなっている。その別の分野とは、交通・物流、通信である。

まず紅海の北端はスエズ運河を通じて地中海と繋がり、豊かな一大消費地たる欧州と質量共に他を圧倒する製造業集積地と化したASEAN+3地域を結ぶ最短航路を形成していることは広く知られている(注1)。
その沿岸部に存在する港湾都市を見ていくと、サウジ・ジッダは同国の一大貿易拠点であると同時に世界人口約60億のうち12~13億人を占めるイスラム教徒が聖地メッカへの巡礼を行う際の玄関口としても機能しているし(注2)、スーダンの港湾都市ポートスーダンは今まで南スーダンで産出された原油の唯一の輸出拠点となって多くの原油を中国へと供給してきた(注3)

更に、大量の情報が瞬時に世界中を駆け巡って政治・経済に大きな影響を与える情報化社会の到来もまた、紅海に新たな重要性を付与するものとなった。というのも、以下の地図に明らかなように、紅海の海底には欧州と中東、インドを結ぶ通信ケーブル、謂わば「情報の大動脈」が走っているからである(注4)。

(出典:TeleGeographyによる)

以上のような交通・物流や通信の要衝という特性によって、この紅海地域には沿岸諸国は言うに及ばずそれ以外の各国の軍事拠点もまた多く設置されている。具体例としてはエリトリア・アッサブにはイラン海軍基地、アラビア海との結節地点に当たるジブチには米仏や日本等各国が対テロ或いは対海賊作戦用の拠点が挙げられる

そんな紅海の安全保障環境に最近注目すべき事態が生じている。それはエジプトの変化とイランの進出であり、両者の直接の引き金はエジプトにおけるムバラク政権の崩壊である

まずエジプトは、30年に及ぶ長期政権崩壊によってもたらされた混乱の中で、シナイ半島(そこにはスエズ運河や欧州・中東・インドを結ぶ通信ケーブルが通っている)における治安維持能力を大きく低下させた。これによってエジプトからイスラエル・ヨルダンに至るガス・パイ プラインへの攻撃が度々発生した他、ガザ地区への武器流入活発化を受けてパレスチナ武装勢力によるイスラエルへのテロ攻撃が頻発することとなった。
これを挽回するため、エジプトはシナイへの千人規模の戦車を含んだ兵力展開を行って治安回復作戦に乗り出したが、その過程で、活発化したガザからのロケット弾攻撃やテロに報復攻撃中のイスラエル軍機によってエジプト側が誤射を受けて死者が発生する事態が発生した。これを受けて、カイロではイスラエル大使館の周囲をデモ隊が取り巻き、大使館のあるビルに侵入した青年がビルからイスラエル国旗を引き摺り下ろす等抗議活動が過熱化しているものの、ムバラク政権崩壊をもたらしたデモの威力を目の当たりにしているエジプト政府はこうした抗議活動を鎮めるための施策を取れずにいる。

また、以前よりソマリア海賊に対する多国間活動への参加等を通じて外洋海軍への脱皮を図り、今年1月には紅海とインド洋を繋ぐジブチとの間で海軍分野における両国間協力の強化で合意したイランは、2月になると、ムバラク政権崩壊によって混乱中のエジプト政府に対して海軍艦艇のスエズ運河通行許可を求めてこれを獲得し、自国海軍をスエズ運河を経由して東地中海に面した友好国シリアへと派遣した。そして3月にはイラン海軍司令官が自国海軍の展開地域を従来のペルシャ湾やインド洋沿岸部から更に拡大させる意向を表明し、9月に入るや、それを裏付けるかのように「パトロールのため」と称して水上艦1隻と潜水艦1隻からなるチームを派遣することを発表している。
同時にイスラエルもまた、エジプト軍によるシナイ治安回復作戦の進捗が思わしくないことを受け、紅海沿岸部からのテロリスト侵入を阻止するため、海軍艦艇を紅海に派遣 しており、図らずもイスラエルとイランの海軍艦艇が直接対峙しかねない剣呑な情勢となっている。

以上のように、紅海沿岸諸国のうち、サウジやイスラエルと並ぶ親米国家であったエジプトにおいてムバラク政権が崩壊し、相対的にエジプトの紅海地域におけるプレゼンスが弱まっていること、そして同国において宗教勢力の台頭と軌を一にして反イスラエル感情が高まりつつあることは、今まで露骨過ぎるほど露骨に反イスラエル姿勢を示してきたイランにとって、紅海におけるプレゼンスを拡大するチャンスを提供するものとなっている。
そうなるとイスラエルが危機感を強めるのは勿論(注5)、湾岸諸国の盟主たるサウジもまた、前門のペルシャ湾・イラク方面に加えて後門の紅海でもイランの存在を意識せざるを得なくなるだろう。この両者共通の「対イラン懸念」は、ひょっとすると中東地域に新たな合従連衡の動きを顕在化させる触媒となるかもしれない(注6)。

注釈
注1.欧州とASEAN+3地域を最短で結ぶスエズ運河経由の航路だが、最近はソマリアやイエメンを根城とする海賊の跋扈により、警備費や保険費用といったコストが従来以上に嵩むようになっている。このことから、最近海氷の減退が進む北極海を通じた航路の実現に注目が集まっているが、その実現性やコスト等については不透明な部分もまだまだ多い。
注2.イスラム教徒のメッカ巡礼では、古くから紅海を経由したルートが活発であった。十字軍の活動が活発であった12世紀、これに目を付けたフランス出身の騎士ルノー・ド・シャティヨンは紅海に船団を浮かべ、メッカへの巡礼者や商船団への海賊行為に明け暮れた。
注3.なおNGO等の批判で度々クローズアップされてきたスーダン・ハルツーム政権と中国との石油を通じた関係だが、JOGMECの「南部スーダン独立と石油開発の行方」に記載されているデータを見ると、スーダンにとって中国は原油輸出量全体の65%を占める輸出先最大手となっており(2009年時点)、中国にとってスーダンは原油輸入量全体の5%を占める第5位の輸入相手となっている(2010年時点)。
注4.2008年1月末には、この欧州と中東・インドを結ぶ海底通信ケーブルの切断事故(原因については船の碇によるものとする説や地震説があるがはっきりとはしていない)が発生し、湾岸諸国やインドで大規模なインターネット接続障害を引き起こした。当該切断事故の発生した場所はエジプト・アレキサンドリア沖で厳密な意味での紅海地域ではないが、それでも紅海海底を走る通信ケーブルの重要性を推し量るには好適な事例と言えよう
注5.紅海北端にあるイスラエルの港湾都市エイラートと紅海本体を繋ぐチラン海峡がエジプト軍によって封鎖されたことが、第二次中東戦争及び第三次中東戦争勃発の重要な一因となったことを想起されたい。
注6.なお今までにも、イランの核開発に対して「サウジがイスラエル空軍のイラン核関連施設攻撃のための領空使用を許可した」「サウジ領内にイラン攻撃を目的としたイスラエルの拠点設置の動きがある」といった報道が流れているが、都度サウジ政府はこれら報道を強く否定している。


参考資料
・Al Arabiya 「Israel sends 2 more warships to Red Sea amid warnings of attacks from Egyptian soil」 2011年8月30日
・Ahram 「Egypt's Suez Canal achieves $449.2 million in July」 2011年8月10日
・Gulf News 「Eritrea denies training rebels for Iran and Yemen」 2010年4月21日
・Gulf News 「Saudi Arabia denies flight deal against Iran」 2010年6月12日
・Jerusalem Post 「'Israeli subs with nukes in Gulf'」 2010年5月30日
・Jerusalem Post 「'Saudi airspace open for Iran attack'」 2010年6月12日
・Jerusalem Post 「Is Israel arming in Saudi Arabia?」 2010年6月27日
・Jerusalem Post 「'Explosion hits natural gas pipeline in Sinai Peninsula'」 2011年7月30日
・Naval Technology 「Iran and Djibouti Agree to Boost Naval Cooperation」 2011年1月14日
・Naval Technology 「Iranian Navy to Expand Operational Zone」 2011年3月15日
・Naval Technology 「Iranian Navy vessels to patrol Red Sea」 2011年9月1日
・時事通信 「ジブチに新活動拠点=海賊対策で初の「海外基地」-自衛隊」 2011年5月30日
・新華社 「伊朗军舰通过苏伊士运河」 2011年2月22日
・池内恵 「中東 危機の震源を読む」 2009年7月 新潮社
・無名氏 「エリュトゥラー海案内記」 1993年10月(2011年6月改版) 中央公論新社 村上堅太郎訳注