2011年9月11日日曜日

第四百七段 宗教改革リターンズ?

1517年、ドイツ・ヴィッテンベルク城教会の扉に、一人の神学者による張り紙が貼られた。張り出された紙は後に「95ヶ条の論題」として知られるカトリック総本山ローマ教皇庁への異議申立。そしてそれを張り出した一介の神学者こそ後世に名高きマルティン・ルターその人である。
このルターによる「95ヶ条の論題」貼りだしが、ドイツ各領邦・都市によるローマ教皇庁への反抗、即ち「宗教改革」という歴史上のビッグウェーブの直接の引き金となったことは世に広く知られている。

では何故ドイツの領邦や都市は、それなりに高名であるにしろ、強大なローマ教皇庁に比すれば全く無力な存在でしかないルターと言う神学者の言い分に乗っかる気になったのだろうか?
その背景にはローマ教皇庁とその権威を背景にした神聖ローマ帝国によるドイツの富の収奪があった。
教皇お膝元たるローマを豪奢な教会や芸術で飾り立て(注2)、そこに住まう教皇、枢機卿以下多くの聖職者たちの豪奢で放埓な私生活を支えるため、教皇庁は人々の信仰心につけ込んで「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と触れまわり、ドイツを中心とした地域の民衆に大量の贖宥状を売り付け、その利益をローマに移送していたのである
これはドイツの各領邦や都市にとっては、本来なら自分たちの税収となるべきものに対するローマの横取り以外の何物でもなかった。
しかし、彼らが如何に不満を抱こうとも、キリスト自ら「天国の鍵」を授けたとされる聖ペテロの後継者たちに反旗を翻す名分としては「銭勘定」は流石にさもし過ぎた。結局ドイツの領邦・都市はローマにNOをつきつけるに恰好の大義名分を欠いたまま、静かにしかし着実にローマへの怨念をため込んでいったのである。

それがルターのローマ教会に対する神学面での異議申立によって情勢はがらりと変わった。ドイツの領邦・都市にしてみれば、経済面での怨念を正当化・糊塗してローマに対する反抗の狼煙を上げるには恰好の形而的かぶり物、もっともらしい言葉を使えば「理論的支柱」が現れたのである。こうなると、最早彼らがローマ教皇庁を慮る理由はなくなる。一方、こうしたドイツ領邦・都市の離反の動きに危機感を募らせた教皇庁は、対抗策として神聖ローマ帝国を通じて彼らへの締め付けを強化していく。

反実仮想だが、ドイツ領邦・都市が最初から金銭づくの話として教皇庁・神聖ローマとの間で交渉を進めていれば、或いは両者の間に「お互いの取り分はこうしましょうや」と妥協が早々に成立したのかもしれない。しかし、ドイツ領邦・都市がローマ教皇庁の権威に対抗するためルターの学説を担ぎ出したことで、当初はお金で始まった話は「反カトリック派とカトリック派、どっちが正しいキリスト者か?」という形而上の段階にまで急進行。

こうなってくると、両者の対立が血で血を洗う妥協なき抗争に発展するのも宜なるかなと言うもの。やがて両者の凄惨な殺戮劇は、三十年戦争という戦乱の大輪を咲かせた末に、1648年ウェストファリア条約によって終結する。そしてその結果、ローマ教皇の権威、神聖ローマ皇帝の権力が広く欧州各王国の上に君臨する中世的な秩序は名実ともに砕け散り、現在の我々がよく知る「主権国家」体制、即ち特定の領域内において絶対的不可侵な権威を持ち、警察、軍といった暴力装置を独占する国家政府からなる「分立的」な国際関係が登場するのである。

・・・・・え? 「何でここで突然、500年近く前のドイツの故事を引っ張り出してきたのか?」って?

いや、現在の欧州となんだか似てる気がするんですよ。

「どこが似てるんだ?」ですか? う~ん・・・・・・例えば「ドイツの領邦・都市」、「ローマ」、「教皇庁」、「神聖ローマ帝国」、「贖宥状」といった語句を適宜「ドイツの有権者・政治家」「ブリュッセル」「EU」「ギリシャ救済」だとか「ユーロ防衛」といった具合に置き換え、そして改めて読み返してみて下さいな(特に第2パラグラフ)。

ね、似てるでしょ?(注4)

注釈
注1.念のために言っておくと、当該段で言う「欧州」には、イスラムを掲げるオスマン帝国の支配下にあったバルカン地方や東方正教を奉じるモスクワ大公国の支配地は含まれていない。
注2.
当時のやんごとなき貴顕のみならず、21世紀の今も世界中の人々に多くの感動やインスピレーションを与えている、サン・ピエトロ寺院を始めとしたローマ・ルネッサンスの建築物や芸術品は、一方でこうした極めて胡散臭い集め方をされた資金によって支えられていたのである。人の世の一筋縄ではいかなさがよく分かる例と言えよう。
注3.どうでもいい話だが、この贖宥状のエピソードを聞くたびに「
信者と書いて儲け」、「信じるものはすくわれる。ただし足許を」という言葉をどうしても思い出してしまう著者であったwww
注4.因みに、露は冷戦崩壊後、「エネルギー」を一つのキーワードとして独と政治・経済関係を大きく深めてきた。それに加え、最近では「ミストラル級強襲揚陸艦売却」に代表されるようにフランスとの接近を進めている。もし万が一EUという枠組みが崩壊して、欧州が再び「分立の時代」を迎えることになれば、「ラッパロ条約」と「露仏同盟」を同時に手にした露が欧州への影響力を一層強めることになるかもしれない。