2011年10月15日土曜日

第四百十六段 戦争が起きる時

なぜなら共和制の国家に対して他国が攻略を仕掛けてくる原因は、二つあるからだ。
一つは、征服して支配者になりたいという欲望であり、もう一つは、征服されて支配下に置かれるかもしれないという不安である。
―ニッコロ・マキャヴェッリ「政略論」―


戦争が起こる要因、それ自体は国内的な要因から国外的な要因まで非常に多岐にわたるので一概には言えないが、少なくとも戦争勃発の直接のトリガーは、ある国の指導部の「やるなら今しかない」という判断である。

では、国家の指導部が「戦争をやるなら今しかない」と決断(或いは誤断)するのはどんな時なのだろうか?

それは二つのケースが考えられる。

一つは、自国と相手国(ありていに言えば仮想敵国)との軍事バランスが、将来的にどんどんと相手国優位に傾いていくと予想される場合である。これはかつて大日本帝国が対米開戦を決断した場合に当てはまろう。後世の我々からすると「何故に巨大な経済力格差があるというのに、大日本帝国政府は米国に喧嘩を売ることにしたのか?」と疑問を抱いてしまうような決断だが、時の大日本帝国上層部とて馬鹿ではなく、当然大日本帝国と米国との間にある経済力等の差はある程度認識はしていた。
寧ろ認識していたからこそ、その経済力の差が石油禁輸措置やワシントン条約といった軍備管理条約と相俟って日米間軍事バランスを逆転不能な程の米国優位で確定してしまう将来を予測し、「やるなら、(日米の軍事力格差が小さい)今しかない」と決断して、1941年、真珠湾に攻撃部隊を派遣することになったのである。

二つ目は、自国と相手国との軍事力が、一方的に自国優位な場合である。相手国との利害の衝突は基本的に外交交渉で決着されるのが望ましいし、多くの場合はこれで折り合いが付けられるものであるのだが、如何せん外交交渉は時間がかかってしまう上に、結果が出るまでの過程を秘密にせねばならないことも多く、移り気な世論受け若しくは部外者受けは全くしない解決法でもあったりする。そこで彼我の軍事バランスが一方的に自国優位であったりすると、「ごちゃごちゃとまどろっこしい交渉をするよりも、鉄拳で一発ガツンと喰らわせてこちらの主張を呑ませよう」という意見が大手を振るうことになり易い。
典型的な例がこれまた大日本帝国の決断である。ただし、こちらは米国ではなく、蒋介石がトップを務める中国国民党政府に対するもの。1930年代、大日本帝国政府と中国国民党政府は通商問題、マンチリュアの支配権、中国各地で高まるナショナリズムの大波と駐中日本人の安全確保といった多くの対立点を抱えていた。これに対して日中両政府は活発な交渉を繰り広げて問題の解決を図るのだが、なかなか上手く折り合いをつけることができず、双方に不満が鬱積していった。
そしてこの時の日中を比較すると大日本帝国は極東における最大の軍事パワーであり、一方の中国国民党政府は装備や兵士の練度で大日本帝国に劣るのは勿論、国民党内の権力闘争に加えて各地に軍閥が割拠しており、統一国家としての内実も乏しい状態にあった。こうした日中間の軍事バランスの偏りが時間も手間もかかる外交交渉への疑念と相俟って、大日本帝国政府をして「やるなら、(中国があまりにも弱すぎる)今しかない」と決断せしめ、幾多の「事変」を経ての日中戦争開戦とあいなるのである。

要は、彼我の軍事バランスが相手国優位か自国優位、どちらか一方に極端に振れた時に戦争は起こり易いという話。弱過ぎるのも強過ぎるのも等しく戦禍を招きかねないという、安全保障の世界は実に面妖なもの・・・・。

参考資料
・塩野七生 「マキアヴェッリ語録」 1992年11月 新潮社