2011年11月8日火曜日

第四百二十三段 近兵を視て図る勿れ

兵とは詭道なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれを驕らせ、いつにしてこれを労し、親にしてこれを離す。その無備を攻め、その不意に出づ。これ兵家の勢、先には伝うべからざるなり。
―「孫子」計篇第一―


ここ数日、中東において米国や英国、イスラエルとイランとの間で緊張が高まっている。大まかな構図としては従来より度々見られてきた、IAEAがイランの軍事目的核開発に言及→イスラエルがイランの核開発を非難→イラン反発→イスラエル以外に米英もイラン攻撃を企図しているという報道が流れる、というものなのだが、これにイスラエルが弾道ミサイル発射実験を行ったこと(注1)、そしてNATO(実質的には米英仏が中核)による対リビア軍事作戦が完了したこと(注2)、イランやイスラエルの首脳・高官が事態打開に軍事力行使も辞さない姿勢を示していること等がイスラエル若しくは米英とイランと軍事衝突発生に不気味な信憑性を与えている。

しかし、個人的にはイスラエル若しくは米英がイランに対して核開発能力の破壊を目的とした外科手術的攻撃を行う可能性はかなり低いと考えている。
何故かというと、まずイスラエルや米英の立場になって考えてみると、イランという国の広さとそこに核開発関連施設が分散して配置されていること(注3)、そしてイランの通常戦力は無論、ミサイル若しくはヒズボラやハマスといった武装勢力を通じたイスラエルや中東駐留の米英軍に対する反撃能力を考慮した上でイラン攻撃作戦を立案するならば、各核関連施設や指揮命令中枢に対する奇襲的な同時先制攻撃策を採らざるを得ないだろう。
逆にイランの立場になって考えてみれば、米英の軍事的反撃能力は勿論のこと、イスラエルの軍事力もまた決して侮れるものではないし、何よりイスラエルには核兵器が存在している可能性が極めて高い。従って、もしイランが本気でイスラエルや中東に駐留する米英軍に軍事的行動をとろうとするなら、これも又奇襲的な先制攻撃で相手が反撃に移る前にその指揮命令系統を叩き潰す方法による他ない。
つまり、対立する両陣営とも相手に軍事力を行使するなら奇襲によるしかない状態だというのが、イランとその対立者の関係なのである。
では果たして、奇襲というのは、報道が両陣営間の対立・緊張激化をセンセーショナルに伝え、関係諸国首脳が軍事力行使の可能性をちらつかせ、それらを受けて両国軍・情報機関が従前より強い警戒の眼差しを相互に向け合っているであろう時期に行われるものだろうか?
以上が、個人的に今回のイスラエル-イラン関係緊迫化が軍事力行使に結びつく可能性は低いと考えている理由である。

それより気になるのが、イスラエル-イラン関係緊迫化が俄に浮上してきたタイミングである。
ここで思い出すのが、当該ブログの四百十四段「イランの冒険を可能たらしめているもの」にて記したことである。要するにそこでは「イランが北のロシア等旧ソ連諸国、東のアフガン・パキスタン、西のトルコ・イラクとの関係を改善・強化しており、南のペルシャ湾岸や更に遠くの紅海地域で影響力を拡大するには絶好の機会にある」旨を記した。
そしてイランの勢力拡大を警戒する湾岸諸国の中核たるサウジ・アラビアでは、10月にスルタン皇太子が没し(注4)、加えて世界中のイスラム教徒が聖地メッカを目指す巡礼月が10月29日から始まっている(言うまでもないが、巡礼に訪れたイスラム教徒全てがサウジ・アラビアの政治体制や米国との協調外交に理解を示してるわけではない(注5))。
つまり10月時点のペルシャ湾岸を見れば、北には三方を固めて残る一方たるペルシャ湾岸に全力を注ぎこめるイランがあり、南には内治で手一杯になったサウジがあった。この時、ペルシャ湾岸のパワーバランスは恐らくイラン有利に傾いていた筈である。
そこに降って湧いたイスラエルとイランとの緊張激化。これによってイランはその情報機関や軍、革命防衛隊等のリソースを対ペルシャ湾岸から、対イスラエルにより多く振り分けなければならない状態になったと推測される。

このタイミングの良さは偶然なのか否か? もしそうでないとしたなら、イスラエル-イラン関係緊迫化は紆余曲折はあるにせよ、最終的に巡礼月が終わる11月26日を目途として収束するのではないだろうか。

注釈
注1.Hurriyet Daily News の2011年11月2日「Israel test fires missile that can hit Iran」参照のこと
注2.TODAYS ZAMAN の2011年10月31日「NATO ending 7-month campaign in Libya」参照のこと
注3.なお、現在明らかとなっているイラン国内の核関連施設については、以前著者が各報道等に基づいて作成した以下の地図の他、NTIが作成した地図がその位置把握に便利である。

注4.Gulf Newsの2011年10月22日「Prince Nayef likely heir apparent after death of Saudi Crown Prince Sultan」等参照のこと。なお2011年1028日にナイーフ王子が新たな皇太子に任命されたことが報じられている。
注5.クウェート英字紙Arab Timesは2011年10月29日「‘Iran plans terrorist attacks during Hajj’」という記事で、「イラン革命防衛隊が巡礼者に紛れてテロリストを潜入させようと計画している」と警戒を強めているサウジ当局の姿を奉じている。実際、1979年にはサウジ王制に批判的な武装集団によって「アル・ハラム・モスク占拠事件」が引き起こされている(ただし、当該武装集団に対し当時のイラン政府が武器供与等の直接的な支援を行っていた証拠は発見されていない)

参考資料
・Ahram 「Poll shows strong Israeli support for Iran attack」 2011年11月3日
Arab Times 「‘Iran plans terrorist attacks during Hajj’」 2011年10月29日
Gulf News 「Prince Nayef likely heir apparent after death of Saudi Crown Prince Sultan」 2011年10月22日
・Gulf News 「Nayef named Saudi Arabia's crown prince」 2011年10月28日
・HAARETZ 「Israel and Iran are fighting a war of nerves」 2011年11月3日
・Hurriyet Daily News 「Israel test fires missile that can hit Iran」 2011年11月2日
・Nuclear Threat Initiative 「Intaractiv Map」
・TODAYS ZAMAN 「NATO ending 7-month campaign in Libya」 2011年10月31日
・佐々木良昭 「中東TODAY NO・2128 イスラエルによるイラン攻撃は起こるのか」 2011年11月7日
・野口哲也 「中東の窓 イスラエルのイラン攻撃(米軍の懸念)」 2011年11月6日
・野口哲也 「中東の窓 イスラエルのイラン攻撃」 2011年11月3日

<当ブログ関連段>
・第四百十四段「イランの冒険を可能たらしめているもの」