2012年12月16日日曜日

第四百七十五段 北朝鮮衛星打上げで思ったこと

2012年12月12日という、ある意味狙い澄ましたかのような日付に行われた北朝鮮の衛星打上げ。

それについて思った由無し事を少し。

まず今回の衛星打上げで注目すべきは、打上げロケットの1段目、2段目に用いられていたムスダン・ミサイルの存在であろう。
当該ミサイルは、2000年代に実戦配備済と目されており、その射程距離は4000kmと見積もられている。ただ、これまで当該ミサイルは発射実験が実施されないまま配備されたという事情から、その技術的信頼性については不明視されてきた。
ところが、今回の北朝鮮の衛星打上げによって、当該ミサイルは実用に耐えうる技術的信頼性を有することが明らかになった。

これはアジア太平洋地域の安全保障環境にどのような影響を与えるのだろうか?

まず北朝鮮に隣接する国々への影響だが、日本や韓国は既にノドン2号ミサイルやテポドン1号ミサイルによって国土の大半が射程距離圏内に置かれている。また、中国やロシアはその歴史的経緯や現状の対北関係を見るに、北朝鮮のミサイルの標的となる可能性は低い。
よって、これら諸国の安全保障環境が今回の北朝鮮衛星打上げによる直接的な悪影響を被るとは考えにくい。

寧ろ、今回の北朝鮮衛星打上げがその安全保障環境に影を落とすのは、米国及び東南アジア諸国なのではないか。

以下に示すのが、北朝鮮の短中距離弾道ミサイルの射程距離と今回の衛星打上げでロケットが辿った軌跡及びロケット2段目が落下した地点をプロットした地図である。


白色円がノドン2号ミサイル(射程距離:1300km)の射程距離圏、ピンク色円がテポドン1号ミサイル(射程距離:1500km)の射程距離圏、黄色円がムスダン・ミサイル(射程距離:4000km)の射程距離圏である(注1)。そして、北朝鮮から伸びる黄色線が今回の衛星打上げでロケットが辿った軌跡、フィリピン横の黄色線で囲った部分が打ち上げロケット2段目の落下した一帯となっている。

さて、最近の南シナ海では、中国の勢力拡大の動きが活発化しており、これに東南アジア諸国(特に海洋部に属する国々)が反発を強め、それに呼応する形で、東南アジア諸国同様中国の動きに警戒感を強める米国が当該地域における軍事的プレゼンスを強化する動きを見せている。

そうした米国の中国牽制を目的とした軍事拠点の役割を果たしているのがグアム島や豪ダーウィン、シンガポールであり、更に、米国が中国牽制のために回帰や進出を図っている若しくは図っているとされる地点が、 フィリピン・スービック、ベトナム・カムラン、タイ・ウタパオといった地点なのである。

こうした諸地点が広がる一帯に、ムスダン・ミサイルの射程距離圏を被せてみるとどうなるか?
グアム島がその射程距離圏に含まれることは従来から度々指摘されてきたが、米国が利用やその拡大に関心を示しているとされるフィリピン・スービック、ベトナム・カムラン、タイ・ウタパオもまた、ムスダン・ミサイルの射程距離圏に含まれていることが上記地図からもわかろう。

つまり、米国や東南アジア諸国は南シナ海の安全保障環境を考慮する際、中国のみならず、信頼性がある程度確保された北朝鮮(かの国が中国とそれなりに緊密な関係にあることは言わずもがな)のムスダン・ミサイルをも波乱要素の一つとして視野に入れなければならなくなったと言える。
これが、自分が「今回の北朝鮮衛星打上げがその安全保障環境に影を落とすのは、米国及び東南アジア諸国なのではないか」と考える理由である。

また、逆説的に、今回の北朝鮮衛星打上げは、米国にとって、ムスダン・ミサイルの射程距離圏外に存在するシンガポールや豪ダーウィンの重要性をより増すことになったということも可能だろう。


注釈
注1.発射地点はいずれも、北朝鮮東倉里と仮定している。

参考資料
・BBC 「美国核潜艇停泊菲律宾苏比克湾」 2012年6月25日
・channelnewsasia.com 「US sees strategic role for Vietnam's southern port」 2012年6月3日
・Defense News 「U.S. Marines to Be Based in Darwin: Report」 2011年11月11日
・ロイター 「U.S. military to increase presence in Philippines」 2012年12月12日
・神保謙 「米国のアジアへの再均衡:シンガポールの視点 (1)」 2012年7月13日
・同上 「米国のアジアへの再均衡:シンガポールの視点 (2)」 2012年7月18日
・人民網 「アジア太平洋で軍事基地の拡充を加速する米国」 2012年6月28日
・樋泉克夫 Foresight 「NASAが使用を要請したタイのウタパオ航空基地」 新潮社 2012年6月30日
・聯合ニュース 「北朝鮮ミサイル 技術は高レベルに到達か」 2012年12月12日

2012年12月15日土曜日

第四百七十四段 悲惨指数 in 中東

数ある経済指標の中に、「悲惨指数」というものがある。聞くだけで何とも気が滅入ってしまいそうな名前の指標だが、要は、人々が日用品類の価格上昇と失業という、想像するとこれまた気が滅入りそうな経済事象にどれだけ晒されているかを示す指標である。

算出式は以下の単純なもので、一般に先進国では10%を超えると、国民の不満が高まり現政府の持続性に危険信号が灯ってくるとされる。

悲惨指数 = 失業率 + CPI上昇率(前年比)

では、この指数、昔から何かと騒がしい中東諸国では、どのように推移してきたのだろうか?

そんな疑問を抱いて、IMFのサイトでデータを漁ってみると、あまり芳しくない。
というのも、過去の各種データが豊富に備わっている米国や欧州諸国、日本等と違って、そもそも失業率を公開していない、若しくはデータを取り始めたのが〇〇年から(結構最近)という国がかなり多かったからである。

そうした制約の中、対象期間を1990年以降にすれば最も多くの国のデータを利用できることが分かったので、早速同年から2012年の失業率及びインフレ率のデータ(推計値含む)をダウンロードし、グラフ化してみた。

なお、対象国は以下の通り。一般に言う「中東」よりは北アフリカ諸国等も含んだ多少広い範囲に及んでいる。
・アルジェリア
・イスラエル
・イラン
・エジプト
・クウェート
・チュニジア
・トルコ
・パキスタン
・ヨルダン

中東等諸国の悲惨指数推移(1990年~2012年)

うん、あれだ。「10%超えたら政権が危ない」なんて説明を鼻で笑うような状態だ(注1)。

ただ、トルコとアルジェリアの当局が、ハードモードな経済状況下、かなり上手く舵取ってきたこと、そして少しグチャっとして見難いが、2010年から11年にかけての所謂「アラブの春」で独裁体制が打倒されたチュニジアとエジプトの悲惨指数が、ここ数年、ほぼ一貫して上昇傾向にあったことが読み取れる。

そこの辺りをもう少し見やすくしようと作成したのが、以下のグラフ。

中東等諸国の悲惨指数推移(1990年~2012年 1990年を100としたもの)

これで見ると、トルコ及びアルジェリアの経済的成功がよりはっきりすると共に、「アラブの春」がレジーム・チェンジにまで至った国ともう少し穏当な形(例えば、現政府がそのまま維持されたり、既存体制を維持した形で政府の交代が行われたといった具合に)で済んだ国との分水嶺が、大体90年比悲惨指数60~70の辺りに存在するんじゃないか、という見当をつけることもできるだろう(注2)

そうなってくると、どうしても気になってくるのが、90年比悲惨指数100以上という状態が珍しくないイラン及びパキスタンの存在であろう。
イランの動向が世界のエネルギー庫たるペルシャ湾及びそこと外界を繋ぐホルムズ海峡の安定に決して無視できない影響力を有していること、そしてパキスタンが実質的な核兵器保有国であると同時にペルシャ湾とASEAN+3地域とを繋ぐオイルルートに面した国でもあることを考えると、両国でで国民が政府や体制に対して不満を募らせやすい状況が長らく続いているというのは、なんともぞっとしない話ではある(注3)。

注釈
注1.なお2012年時点で悲惨指数が10%を下回っているのは、イスラエルとクウェートのみ(それぞれ、約8.66%、約6.36%)。
注2.その意味で、2010年からアルジェリアの悲惨指数が上昇傾向を示しているのが気になる所ではある。 
注3.些か尾籠な喩だが、このあたりはパンツのゴムひもと似ているような気がしないでもない。つまり、ダメかと思ったけど意外に伸びる、伸びる、伸びる。そしてある日、ゴムひものことなんてすっかり忘れた頃にいきなりプツンと…

参考資料
・IMF 「World Economic Outlook Database October 2012」
・ サイモン・コンスタブルら著 「ウォールストリート・ジャーナル式 経済指標 読み方のルール」 かんき出版 2012年2月 上野泰也監訳

2012年11月29日木曜日

第四百七十三段 台湾か、尖閣か、それが問題だ

東シナ海に面した中国の福建省水門軍事基地に多数のJ-10戦闘機が配備されているようだ、という記事が新華社のサイトに掲載されていた(注1)。記事は中国軍事問題を主に扱うカナダの専門誌「漢和防衛評論」を引用したもので、そこでは、水門軍事基地へのJ-10戦闘機配備は日本との対立が深まる「尖閣/釣魚」問題を睨んでのものだ、という同誌編集長平可夫氏の見方も紹介されている。

当該記事で取り上げられているJ-10戦闘機だが、その作戦行動半径、即ち、基地から作戦空域に出発しそこで活動してから基地に帰還するという一連の動作を途中での燃料補給無しで行える距離は、少なくとも950kmと見積もられている(注2)。そんなJ-10戦闘機が福建省水門基地に配備されるのとされないのとでは、「尖閣/釣魚島」情勢にどのような違いが生じるのだろうか。

まず最初に挙げるのが、水門軍事基地にJ-10戦闘機を配備しない状態を示す以下の地図である。


この状態で中国軍が尖閣諸島(地図内の黒線で囲った箇所)にJ-10戦闘機を派遣しようとするとどうなるか。
広州空軍基地(注3)から飛ばすと尖閣諸島は作戦行動半径の範囲(白色円)から外れてしまうのでアウト。
次に蕪湖空軍基地から飛ばした場合だと、尖閣諸島が作戦行動半径の範囲(黄色円)内に入ってはくるものの、限界いっぱいの距離にあるため、尖閣諸島一帯での滞空時間や携帯していく武装の量に対する制約も大きくなり、実戦の可能性を考えると些か心許ないことになってしまう(注3)(注4)。

次に挙げるのが、水門軍事基地にJ-10を配備した場合の地図である。


水門空軍基地を起点としたJ-10の作戦行動範囲を赤色円で示しているが、尖閣諸島が範囲外であった広州空軍基地や範囲内に含まれはするがぎりぎりいっぱいであった蕪湖空軍基地とは異なり、尖閣諸島との距離がぐっと縮まっている。これによって、水門空軍基地から出撃したJ-10戦闘機は、他の基地から出撃した場合と比較してより長い時間尖閣上空に留まる、又はより多くの武装を搭載して尖閣に向かうことが可能となるのである(注5)。

以上のような形勢を目にすると、「すわ尖閣の一大事!!」という気分にもなってくるが、少し落ち着いた目で事態を俯瞰してみたい。
そもそも、中国政府・軍は「尖閣/釣魚島」問題だけを念頭に置いて行動しているわけではない。彼らは国内情勢は勿論、台湾問題や南シナ海問題、対米関係等も考慮に入れながら諸々の対外アクションを起こしているのであって、同問題も所詮そうした幾つかある要素、焦点の一つにしか過ぎないのだ。
それを頭に入れてもう一度地図を見てみると、尖閣諸島のすぐ横、中国が掲げる「核心的利益」の対象としては尖閣以上に長い年月を刻む台湾本島もまた、水門基地を拠点とした場合のJ-10戦闘機の作戦行動半径内にすっぽり収まっていることにすぐ気付くだろう。同基地を起点として尖閣に向けられた矛は、その切っ先を少しずらして台北を衝くことも可能な矛ともなっているのである(注6)。

こうした形勢に、「尖閣/釣魚島」問題で「釣魚島は日本のものではなく、(中台の枠組みを超えた)中華民族のものだ」という主張が中国のみならず、香港や台湾でも目立ち始めている最近の情勢を考え合わせると、事態は日本は勿論のこと、台湾にとっても決して手放しでは喜べない側面を有していると考えられる。
何故なら、先述の主張が台湾国内でもより多くの支持を集めていくようになれば、中国は「中華民族のため、釣魚島を日本から取り返す」という看板を掲げることで台湾政府の批判を抑え込みつつ東シナ海方面での軍備増強を進め易くなるからである。またそこから更に進んで、ある日、「尖閣/釣魚島」問題を名目に強化を重ねた軍備を利用し、中国は統一等を巡る台湾との交渉において砲艦外交を展開する、というシナリオも想定できよう(注8)。

そもそも尖閣諸島の領有権を巡る日中台の対立に火をつけたのは、1970年代、台湾の蒋介石政権であった(注7)。過去の指導者の火遊びが、巡り巡って、自国を狙いかねない大剣に格好の隠れ蓑を提供することになったとするならば、これに勝る皮肉というのもそうそうはあるまい。

注釈
注1.新華社の2012年11月24日付「歼10进驻福建基地意在钓鱼岛」を参照のこと。
注2.J-10戦闘機の作戦行動半径については、「1000kmを超えるのではないか」という見方も存在する。
注3.東シナ海方面に比較的近い空軍基地ということで蕪湖空軍基地の他に広州空軍基地を挙げたが、広州空軍基地が属する広州軍区は、主にベトナム等インドシナ方面に睨みを利かせるのが主任務であり、東シナ海方面を担当とする南京軍区に属する蕪湖空軍基地とは少し立ち位置が異なることには、ご留意頂きたい。
注4.中国が保有する戦闘機はJ-10以外にも多数存在する。中でもロシアから導入したSu-27やSu-30は両機種共にはJ-10を上回る作戦行動半径を有しており(Su-27、Su-30共に作戦行動半径は1500kmと見積もられている)、これらの機種を使用すれば蕪湖空軍基地等の抱える「尖閣まで遠い」という弱点は、当然ある程度緩和されることになる。
注5.なお南京軍区の擁する空軍基地の多くは、蕪湖空軍基地を始めとして大体北緯31度~34度の辺り、省名で言えば江蘇省や安徽省に集中しており、台湾や尖閣諸島にほど近い福建省には、今回取り上げた水門基地の他、福州空軍基地があるぐらいである。敵地に近いと、敵に攻撃を仕掛け易いだけではなく、逆に敵からの攻撃も受け易いという欠点も同時に抱え込まなければならないのが悩ましい所ではあろう
注6.逆の言い方をすると、現在台湾に向けられている中国の切っ先は、ひょっとすると日本の尖閣諸島やそれに隣接した諸島嶼に向かってくるかもしれない切っ先なわけで、それが日本国にとって厄介な問題である。
注7.一般に尖閣問題については、「1970年代に中国と台湾が急に領有権を主張しだした」と語られることが多いが、もう少し事実を丹念に追っていくと、もともと琉球諸島を巡る第二次大戦後の処理に不満を抱いていた台湾(中華民国)の蒋介石政権が1971年2月に「釣魚島は台湾の一部だ」として領有権を主張し始め、それに引きずられる形で、同年12月、「台湾は中国の不可分の領土」とする大陸の中華人民共和国も尖閣諸島に対する領有権を主張しだしたのである。ただし、台湾は大陸との対立を抱え、大陸も漠北の極東ソ連軍によって北京を脅かされているといった情勢下、どちらも「一方に敵を抱えたまま、日本との対立を深めることは得策ではない」と判断したのか、当時、事態がこれ以上エスカレーションすることはなかった。このあたりの事態の推移については、例えば、月刊誌「東亜」の2012年11月号に掲載された野島剛氏(朝日新聞社国際編集部次長)の「新時代を迎える中台関係と尖閣諸島問題」等を参照のこと
注8.なお、平成24年版の防衛白書によれば、2012年時点で、中国が保有する軍用機は2070機、うち第四世代戦闘機の機数は565機(J-10が224機、Su-27/J-11が244機、Su-30が97機)。一方の台湾が保有する軍用機は520機、うち第四世代戦闘機の機数は331機(ミラージュ2000が57機、F-16が146機、経国が128機)となっている。

参考資料
・新華社 「歼10进驻福建基地意在钓鱼岛」 2012年11月24日
・防衛省 「平成24年版防衛白書」
・野島剛 「東亜」2012年11月号 「新時代を迎える中台関係と尖閣諸島問題」 霞山会 2012年11月

2012年11月17日土曜日

第四百七十二段 射程距離で見るレバント情勢

中東が(いつも通り)荒れている。

・・・・と言っても、広い中東の中で近頃ひときわ荒れが目立つのが、シリアやレバノン、ヨルダンやイスラエルからなる東地中海沿岸部、所謂「レバント」地方である。当該地方の情勢が今後世界全体にどのような影響を与え得るのかについては、取り上げる視点の如何によって様々な一枚絵を描くことが可能だろう。

差し当たって、当ブログのこの段では、弾道ミサイルやロケット弾の射程距離という極めて狭い範囲に視点を限定して日本への影響を考えてみることにする。

すると、以下の地図のような構図が浮かび上がる。


まず南のガザを見るに、当地を拠点とするハマスが有している最長射程兵器のファジュル5ロケット弾は、その最大射程が75kmとされる(注1)。 そしてガザ南部からスエズ運河一帯にかけて直線距離は大体200km強である、よってハマスのロケット弾の脅威が現時点でスエズ運河に及ぶことはない。

次に北のレバノン南部を見るに、当地を押さえるヒズボラのミサイル戦力だが、過去にシリア・アサド政権からの供与が報じられた(注2)M-600ミサイルの最大射程は300kmとされている。上記地図で2番目に大きい赤円でその射程距離圏を示しているが、やはりこれもスエズ運河には届かない。問題は、射程距離が600kmに及ぶスカッドCミサイルである。これについては、シリアが内乱状態に陥る以前からシリア・アサド政権からヒズボラへの供与・流出疑惑が取沙汰されてきた(注3)。もしヒズボラが当該ミサイルを入手するようなことがあれば若しくは既に入手していたとした場合、上記地図で示すように、その射程距離圏内にスエズ運河がすっぽりと収まることになる。

従って、今の所日本への影響が殆どないレバント情勢だが、今後、ヒズボラやシリア・アサド政権がスカッドCの使用をちらつかせた場合や、ガザのハマスがM-600等といった射程距離200km超の攻撃手段を手にした場合、或いはその両ケースが現実のものになるようだと、「スエズ運河の安全」を減退させ、運輸コストや輸送日数の増大という日本全体としてはあまり有難くない形で影響を及ぼしてくることになるだろう(注4)。

注釈
注1.なおファジュル5ロケット弾は、レバノン南部を地盤にイスラエルと対峙しているヒズボラも大量に保有している。
2.Jerusalem Postの2010年5月6日付「Hizbullah received hundreds of Syrian missiles」参照のこと
3.当該疑惑については例えばWall Street Journalの2010年4月14日付「Syria Gave Scuds to Hezbollah, U.S. Says」やそれに対するヒズボラ側の反応を伝える中東調査会の2010年5月28日付「かわら版」No81等を参照のこと。
4.もっとも、1956年にエジプト・ナセル政権によってスエズ運河が閉鎖された折、日本の海運業界は船腹需給の逼迫と海上運賃市況の急騰に伴う活況、所謂「スエズ・ブーム」に湧いたりしていたのだが・・・・。

参考資料
・Jerusalem Post 「Hizbullah received hundreds of Syrian missiles」 2010年5月6日
・Wall Street Journal 「Syria Gave Scuds to Hezbollah, U.S. Says」 2010年4月14日
・安全保障貿易情報センター 「Newsletter on Security Trade Control クロノロジー」Vol.16 No.1 2010年5月18日
・中東調査会 「かわら版」No81 2010年5月28日

2012年11月8日木曜日

第四百七十一段 音速の遅い読書「二つの危機と政治」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の一冊。




カスピ海に面した石油都市バクーでドイツ人技師の息子として生まれ、その後ドイツに渡り、最終的にソ連の諜報員となって東京から一級の情報を送り続けるも武運拙く特高警察に摘発されて1944年に刑死したリヒャルト・ゾルゲという人物がいる。
現代では「稀代のスパイ」という評価が一般的な彼だが、いやだからこそと言うべきか、彼は日本や中国といった極東情勢についての優れた観察者・分析者でもあった。ゾルゲは、記者としてその分析結果や今後の見通しを雑誌等に発表することで勝ち取った「彼はいい仕事をする人間だ」という評判を原資として、ナチス・ドイツの駐日大使であったオイゲン・オットーや近衛文麿のブレーンの一人であった尾崎秀実との間に一種の信頼関係を構築し、後の一大諜報網の基礎を築きあげていったのである。
本書は、そんなリヒャルト・ゾルゲの手による1930年代日本及び1920年代ドイツについての時事分析・評論本だ。

彼は1930年代の日本(大日本帝国)をして「日本は今日その現代史上もっとも困難な局面にある」と評した。その困難を生み出す要因の一つとして彼が注目したのが、当時の大日本帝国における農村部の貧困であった(注1)。

彼は農村の困窮とそれが大日本帝国において社会的安定性を蝕みつつある状況を以下のように記している。
輸出品価格政策と、新しい工業資本形成の理由から、日本農民の租税と賦課金は、都市の商工業経営者のそれにくらべていちじるしく高い。年間所得が五百円にすぎない地主が、ほぼ四五%を租税と賦課金に引き渡さなければならない。自作農はほぼ三六%、地租を払わない小作人は八ないし一七%である。ところが彼は高い地代を払わなければならないので、その所得の六〇―七〇%を引き渡さなければならない。これに反して都市の営業者は同額の所得等級のとき、所得のほぼ一七%を租税とその他の賦課金として払うだけである。その上にまだ農民の重い負債がある。農業の慢性危機、とくに近年の危機激化が、日本農民に、一生かかっても払いきれない六〇―八〇億円の重い負債をもたらした。つまり、いよいよ窮すると、彼は自分の子を売らざるをえない乞食になるのである。平均して農民世帯一戸の負債は彼の年間所得の最低二倍になる。
日本農村の購買力が最低であり、農民の家計がびっくりするほど低劣であり、窮乏が農村を支配していることはこれでわかるのである。年々何十万という農民の息子や娘が職を求めて都市に流れ込んでいる。ここに日本の工業は、ほとんどどんな条件にも応ずる労働力を供給する無尽蔵の貯水池を持っている。ここに、芸者屋その他どんな好みをも取り揃えたいかわがしい施設がある。だがまたここには、社会的不安が高まりゆく力を引き出す中心もある。
そして都市部で提供される数多の働き口(条件不問)と並んで、農村では食べていけない農民の子弟に居場所を提供したのが軍という存在であった(無論、それは「徴兵制」という強制的な制度によってもたらされた居場所であったが、それでも餓死するよりはずっとましな居場所であった)。
陸軍内のこの急進的な政治潮流のもっとも深い原因は、日本の農民と都市小市民の社会的窮境である。日本の工業と銀行が数年来すばらしい好況を経験しているのに、この期間に上述の二つの住民層のあいだの忍びよる危機は、急性の段階に入った。ところが、日本の将校団は、ほとんど五〇%まで、農村と密接に結びついた層から構成されている(中農、富農、地主の子弟)。それよりずっと大きい割合のものが都市小ブルジョワ層からきている。だからこれらの層の窮乏がとくに将校階級に集中的に感じられるのは大いに納得されることである――ことに兵はほとんど九〇%までが農村出身である。
このように、徴兵制を通じて農村や都市小市民層出身の若者を構成員として大量に抱え込むことになった軍は、貧困と常に隣り合せであった彼らの危機感や怨念に染められていき、その銃口を外敵のみならず、内なる敵へと向けていく。この時、彼らにとって敵とみなされたのが誰であったのか、また彼らがその敵を滅ぼした後にどのような社会を構想していたかのかは、以下に掲げるゾルゲの二・二六事件評、
現内閣にたいする反乱者の主要打撃が高橋蔵相に集中したのは偶然ではない。やり損じた岡田首相への打撃には、原則としてより小さな意義が与えられる。高橋が日本の内閣制度の典型的代表者だったのは、いろいろの政府内で十回も指導的役割を演じたせいだけではない。彼は議会政治発展との以前からの結びつきから、同時に反乱者からとりわけ憎まれていた政党制度の代表者でもあった。だがそれだけではなく、彼は日本の近代財政のもっとも明晰で最高の代表者でもあった。反乱者にとっては、彼は日本の総金融資本の象徴なのであり、軍部の要求と農民の社会的欲求は、総資本の法則という括弧のもとにくくられなければならないのである。
或いはゾルゲが採取した大日本帝国陸軍の一般向け啓蒙パンフレットの記述を見れば一目瞭然であろう(注2)。
したがって、経済は金融資本の手中にある。国民は資本主義的社会秩序の重圧のもとで失業と飢えを授けられている・・・・・・
国民の物質的状態が保障されているか否かは、きわめて重要な問題である。兵士が戦争において勇敢であろうとするなら、家族が困窮しておらず、郷里が彼を支えていることを知らなければならない。・・・・・・当面の経済機構は個人主義にもとづいて発展してきた・・・・・・したがってそれは必ずしも国家の一般的利益に適応していない・・・・・・少数の者が積んだ富は大衆の窮乏と飢えを生みだし・・・・・国民生活を不安にしている・・・・・・国民が経済的個人主義と利己主義の見解を捨て集団的経済の見解をわがものとすることが必要である・・・・・・新しい経済組織は建国の思想にもとづいて建設され、全国民の福祉を高めなければならない・・・・・・
さて、最近の日本では、特に政治的に右寄りの方向から「徴兵制の復活」という言葉が出てきて物議を醸すことがある。どうやら言い出した御仁は、若者を誰彼かまわず軍(自衛隊)に放り込んでおけば、自分たちが甘味を享受している現状制度の維持に好適な駒を大量に作り出せると考えているようだが、果たしてそうか?
ゾルゲが生々しく活写したように、徴兵制の結果、「貧困」という背景を抱えた若者が軍に大量に流入し、彼らの不満に染められた軍がやがて現状破壊勢力と化して財閥や元老といった既得権益層が采配を振るう旧体制(それは多くの問題や限界を抱えながらも、それなりに市場経済的で民主的な体制でもあった)を食い破っていった、その挙句に多大な犠牲を生みながら滅亡への道を全力疾走した大日本帝国末期の有様を見ると、現代の日本国で時折持ち上がる「徴兵制の復活」論は、太平楽な、あまりに太平楽な考えにしか自分には思えないのである(注3)。

注釈
注1.決して、「三農問題」 や「農民工」といった問題が国内安定に不気味な影を落としている一衣帯水の隣国のことではないのでご注意を。
注2.出身階級的に常に困窮が隣り合せであった多くの青年将校たちの危機感や怨念を体系化・理論化した人物こそ、在野の国家主義的思想家北一輝であった。なお興味深いことに、彼が諸著作物で訴えている私的所有権や市場メカニズムによる需給・価格調整への敵視、それを超克する最終手段としての何ものにも制約されない無制限権力(=国家権力)の必要性は、一見すると共産主義者が主張する所と殆ど変わりがない。唯一の違いは、無制限権力を振るう主体として前者は天皇を想定していたのに対し、後者は共産党を想定していたことぐらいのものである。
注3.なお当ブログ著者は「徴兵制の復活」に反対である。その理由は、当該段本文で触れた懸念の他に、今まで志願制で人を集めてきた自衛隊が災害復興支援やPKO活動で無能をさらけ出しているようには全く見えず、寧ろ高い能力を発揮して任務をこなし続けていることがある(無論、法制度を始め様々な制約や限界を抱えてはいるが)。つまり、現時点での自衛隊を見るに、志願制による人材募集とそれによる運営が成功し、かつ制度疲労の兆しが明々白々になっているわけでもない。にもかかわらず、人の集め方を志願制から徴兵制に変更するのは無用の制度いじりとしか考えられないからである。

2012年11月7日水曜日

第四百七十段 スクランブルは原油価格につれ

とんとブログを更新してなかったので、軽めの内容でサクッとリハビリ。

最近の日本、辺境島嶼部の領有権を巡って周辺国との間で展開される海上での根競べ、力比べに注目が集まっている。

だがそうした周辺国との角逐というか鍔迫り合いは何も海の上だけで繰り広げられているわけではない。普段であれば見上げることもないまま一日を終えることも珍しくない空の上でも、日本と周辺国は活発な鍔迫り合いを繰り広げているのだ。

それを如実に示すのが、防衛省統合幕僚監部がサイト上で四半期、半期、年毎にそれぞれ公表している「○○○の緊急発進実施状況について」という資料である(注1)。

資料の内容は、タイトルが示す通り、周辺諸国が日本列島近辺に種々の目的で派遣した軍用機に対して空自機がスクランブル発信した回数をそれぞれの期にわたって表示するというもの。
現在ネット上で公開されている分では、国別のスクランブル回数については平成16年度以降しか確認できないものの、年度毎の総数であれば昭和33年度からの数字を棒グラフと共に確認することができるという実に興味深い資料なのだ。

そして国別のスクランブル回数を個人的に棒グラフ化したのが以下の図表である(注2)。



このロシアが毎年コンスタントに太宗を占めている有様を見てふと思った。ロシアという国は、経済面を中心に原油価格動向に大きく左右される国である。そのロシアの軍用機がスクランブルの太宗を占めている。ということは、空自のスクランブル回数と原油価格動向は意外に相似した傾向を示すのではないか、と。

そこで、OPECが公表している原油バスケット価格推移の年次データの動き(2004年~2011年)と重ね合わせてみると、以下のような感じになる(石油価格の価格軸(ドル/バレル)は向かって右側の縦軸)(注3)。



睨んだ通り、結構似通った動きをしているではないか。

比較したのが平成16年度から平成23年度までのスクランブル回数と2004年から2011年までの原油価格動向と、完全に同期なデータではないのが難点というか瑕ではあるが、概ね、2004年辺りから2011年辺りにかけての原油価格と空自スクランブル回数は似通った動きを示しており、その要因としてロシアという回路の存在を仮定することは、そう荒唐無稽・根拠薄弱な見方でもないだろう。

さて、個人的な今後の注目点は、この傾向が中国ファクターによってどの程度変化していくのかという点である。

注釈
注1.「○○○」の箇所には、それぞれ対象となっている期間が入る。なお現時点での最新版は「平成24年度上半期の緊急発進状況」である。
注2.なお緊急発進対象機の所属国分類については、平成16年度のデータを載せる「平成21年度の緊急発進状況」ではロシア、中国、台湾、その他となっており、それ以降ではロシア、中国、台湾、北朝鮮、その他となっている。
注3.原油価格指標として一般的なWTIではなく、わざわざOPECバスケット価格を用いたのは、諸般の事情がそうさせたのであり、決して「OPECデータを使った方が通っぽい感じが出てカッコいいんじゃないか」という考えに捉われたからではない、決してない。なおWTIの年次データを用いても空自のスクランブル回数国別推移と原油価格推移は相似形を示すことは付記しておく。

参考資料
・OPEC 「OPEC Basket Price」
・世界経済のネタ帳 「原油価格(WTI)の推移(年次)」
・防衛省統合幕僚監部 「平成24年度上半期の緊急発進状況について」 2012年10月28日
・同上 「平成20年度の緊急発進状況について」 2009年4月23日

2012年9月30日日曜日

第四百六十九段 そりゃないわー

日本と中韓との領土問題。たまにドミノ理論よろしく「竹島で譲歩すれば、次は対馬で譲歩することになり、最後に九州が狙われる」或いは「尖閣で譲歩すれば、次は沖縄で譲歩することになり、最後に九州が狙われる」といった反応を示す人がいる(注1)。

そんな反応を見聞する度、自分は思ってしまうのだ。そりゃないわー、と

何故そう思うのかというと、現在日本国が周辺諸国との間で抱えている領土問題の歴史を顧みるに、中国(特に現在の中華人民共和国)や韓国が対馬や沖縄は兎も角、九州にまで拡大の手を伸ばすのは、あまりに無理筋というか天に唾する行為というか、自爆のリスクが高い行為だと考えられるからである。

そもそも現在日本が周辺諸国との間で抱えている領土問題だが、その歴史はそんなに古いものではない。直接的な淵源に限れば、せいぜいがここ50~60年ぐらいの話なのである。

まず20世紀初頭の日露戦争が終結して間もない頃、当時の大日本帝国は、その支配圏を祖宗興隆の地ともいうべき日本列島(注2)以外に琉球列島から台湾一帯、マンチュリアの一部や朝鮮半島樺太南部や千島列島にまで広げていた。
その中で、尖閣諸島や竹島、北方四島といった現在の係争地はいずれも大日本帝国の支配下にすっぽりと収まっていた。従ってこの状態が現在まで続いていれば、少なくとも尖閣諸島や竹島、北方四島が係争地としての性格を纏うことはなかったと考えられる。

だが現実は違った。1939年において勃発した第二次世界大戦において大日本帝国はナチス・ドイツと提携して英米率いる連合国(注3)と敵対する道を選び、最終的に1945年、ソ連のスチームローラーの如き極東軍の猛攻と米軍が放った二発の原爆の威力の前にノックアウトされ(注4)、米英、後にソ連や中華民国も参加して練り上げた戦後国際秩序構想に則って解体されてしまったのである。

というわけで、以下、米英が初めて第二次大戦後の国際秩序に言及した大西洋憲章から、ポツダム宣言に至るまで、連合国側の大日本帝国処分構想に係る部分を見ていきたい。
1941年8月14日大西洋憲章(英米共同宣言)
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・

三、兩國ハ一切ノ國民カ其ノ下ニ生活セントスル政體ヲ選擇スルノ權利ヲ尊重ス。兩國ハ主權及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主權及自治カ返還セラルルコトヲ希望ス。

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
ここでまず、「暴虐比類なき枢軸国」によって侵略された人々の主権・自治の回復(=枢軸国解体)を目指す旨の宣言が出される。
1943年11月27日カイロ宣言(日本国ニ関スル英,米,華三国宣言)
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲,台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
次に米英に加え極東で大日本帝国と激しくやり合う中華民国が参加したカイロ宣言で、第二次大戦後の大日本帝国の領域から、第一次世界大戦時に獲得した南洋諸島、日清戦争の結果等で清王朝から獲得した台湾一帯やマンチュリア、朝鮮半島がそれぞれ除去されることが決定される。
1945年2月11日ヤルタ協定
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・
二 千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルベシ

(甲)樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」聯邦ニ返還セラルベシ

・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・

三 千島列島ハ「ソヴィエト」聯邦ニ引渡サルベシ

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
そして欧州戦線でナチス・ドイツ降伏が視野に入ってきた情勢下、アジア・太平洋戦線で未だ頑強に粘る大日本帝国との戦いにソ連を味方戦力として参戦させたい米英の利害と、かつてロマノフ朝が極東に有していた植民地的権益の復活に関心を示していたソ連の利害が一致し、ソ連は対日参戦の戦利品として南サハリン及び千島列島その他諸々を獲得することが認められる。
1945年7月26日ポツダム宣言
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・

 八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
既にナチス・ドイツを屈服させ、ソ連の対日参戦も確定、マリアナ諸島も米軍が陥落させてB-29による東京直接空爆が可能になるという万全の包囲網を敷いた上で、連合国は大日本帝国に「戦後、お前の手に残る領土は本州、四国、九州、北海道とそれらの周辺島嶼だけだ」という通告を含んだ降伏要求を突き付けてきた。
冒頭部で述べたように色々あって抵抗の意思をへし折られた大日本帝国政府はこれを受容し、今まで見てきたような各宣言や構想、協定に従って大日本帝国は解体され、その領土は後継国家日本国や周辺国に分与されたのである。

この時、住民の分布状況、各国本土からの距離、関係諸国間パワー・バランス等々諸般の事情から、 日本国に領有が認められた「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島」に含まれるのか否かについて解釈の余地のある(悪意のある言い方をすれば「いちゃもんをつける余地のある」)地点が発生した。これが現在の尖閣諸島であり、竹島であり、やや特殊な事情があるものの北方四島なのである。

一方、九州は連合国が掲げた一連の戦後構想の中で明確に日本の領土と認められている。それに挑戦して九州を自国の支配下に組み込もうとすることは、つまり連合国の戦後構想やそれをベースとした現在の国際秩序の在り方に異議を唱えることとほぼ同義の行いとなる。
これは韓国にとっては、カイロ宣言で明言された「朝鮮半島が日本や中国、ロシアや米国といった域外国の支配下に入るのではなく、あくまで地元の独立国によって統治される」ことの必然性に疑義を挟み得る余地を自ら作り出すことになる。
また中華人民共和国(若しくはU.N.を追放される前の中華民国)とっては、米英ソと肩を並べて安保理常任理事国の座に収まり、正式な核保有国としての地位にあることを正当化する「連合国の一員としてファシスト大日本帝国と戦い続け、その世界構想実現のために多大な尽力をした、いわば戦後世界の元勲だから」というストーリーを自ら毀損することになる。

果たして現在の韓国や中国に、自国が独立国として存在することの正統性や、国際社会において有する数々の特権・ステータスの根拠を揺るがし或いは傷つける危険を背負ってまで九州を支配下に置かねばならない切羽詰まった理由があるのだろうか?
自分にはとてもそうは思えない(注5)。
だから「領土問題で中国(若しくは韓国)に譲歩すると、最終的に九州が狙われる!!」的な反応を見る度、自分はこう思うのである。

そりゃないわー

注釈
注1.ただ、不思議とロシアに対しては「北方四島で譲歩すれば次は北海道が狙われる」という話を聞かない。単に自分の見聞きする範囲が狭いだけであろうか? 
注2.ここでの「日本列島」とは、具体的には北海道、本州、四国、九州を指す。
注3.なお連合国を英語表記すると「United Nations」という。これを母体に、第二次世界大戦後の国際情勢に一定の法と正義に基づく秩序をもたらすため設置された国際機関こそ、現在のUnited Nationsである。現在の日本国では「国際連合」という言葉をわざわざ作ってその訳語に充てているが、対照的に、中国語においてはUnited Nationsは現在でも「連合国」と訳されている。その組織の来歴と性格を考えるに、中国語訳の方が遥かに適切な気がしてしまうのは気のせいか?
注4.大日本帝国首脳部をポツダム宣言受諾、即ち降伏に追い込んだ「最後の一押し」が、ソ連の対日参戦だったのか、それとも米国の原爆だったのかは議論のある所であるが、たとえば長谷川毅氏(カリフォルニア大学サンダーバーバラ校歴史学部教授)は、日米露の広汎な一次資料を渉猟して書き上げた著作「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」の中で、大日本帝国を降伏に追い込んだ最終的な力・衝撃としてソ連の対日参戦を重視している。
注5.将来的に、韓国や中国等の経済状況如何によっては、それら各国と九州地域との経済的繋がりが一層強化され、結果として九州地域と東京にある日本国中央政府との間で中国や韓国に対する認識・利害について齟齬が生じる可能性はある。ただし、その齟齬が調整不可能なほど深刻なものになる可能性はまずないであろうし、係る事態が発生したとしても、それは九州が韓国や中国の政府の支配下に入る、具体的に言えば中国や韓国の政府が行使する行政権や司法権の統制下に入るということとは別次元の話であろう。

参考資料
・参謀本部所蔵 「敗戦の記録」 1989年2月 原書房
・田中明彦研究室 「戦後国際政治の基本文書」
・長谷川毅 「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」 2006年2月 中央公論新社

2012年9月26日水曜日

第四百六十八段 中国海洋進出の3要因

当ブログでも度々取り上げているが、昨今のユーラシア極東部では、中国とその周辺国との間で海洋権益を巡る対立が顕著なものとなっており、かつての中国指導者鄧小平が提示したテーゼ「韜光養晦」は益々その存在感を弱めている。

では中国は、何故そこまでして海に出張ってくる若しくは出張ってこれるのだろうか?

自分はその要因として以下の三点を挙げることができると考えている。

1.オイル・ルート保持の必要性 
2.急速な経済発展を背景とした軍事予算の増大
3.北方の脅威の消滅

1.オイル・ルート保持の必要性
1980年代、鄧小平が開始した改革開放政策によって中国が急速な経済発展に成功し、2000年代には「世界の工場」と呼ばれるまでに台頭したことは世に広く知られた通りである。そのサクセス・ストーリーの軌跡をグラフで示すと次のようになる。

名目GDPの推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

上記グラフが示す高度経済成長をより具体的に見ていけば、そこには各種産業の生産活動活発化や人々の生活水準向上があり、それは同時に、社会が必要とするエネルギー・資源の量の拡大を意味した。その中でもとりわけ重要なのが、発電所や各種交通運搬器具の燃料を始めとして社会の様々な場面に用途が広がる石油である。
元来中国はマンチュリアの大慶油田や新疆のタリム盆地等で原油を生産してきたが、それだけでは豊かさを目指して疾走を始めた国内の需要を満たすには足りず、以下のグラフに明らかなように、経済成長と軌を一にして急速に海外からの石油輸入を拡大してきた。

原油輸入額の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

そんな中国の主な石油輸入先内訳は、2009年時点で大きい順に中東約50%、アフリカ約30%、欧州・CIS約10%といった構成になっている(注1)。このうち、パイプラインによる輸送が可能なのは欧州・CISぐらいなもので、太宗を占める中東やアフリカからの輸入はどうしても海上輸送に頼らざるを得ない。
では一大産油地帯である中東やアフリカから中国までどのような航海ルートで石油が運ばれるのか。簡単に言うと、生産地-インド洋-マラッカ海峡-南シナ海-東シナ海-中国沿海部、というルートなのだが、とくにマラッカ以東のルートを地図で示すと以下のようになる。


ここで注目したいのが西沙・南沙諸島の位置である。もし両諸島一帯が中国に敵対的な勢力の支配下に置かれた場合、中国は常に、自国の安定と豊かさを支える大動脈がいつ封鎖されるか知れたものではないという悪夢にうなされることになる。それが嫌ならどうするか? 少なくとも、自ら海に出張って睨みを利かせる、又は両諸島一帯において他国がやるよりも先に自らの支配を確立してしまえばよい、という発想が出てきても何ら不自然ではあるまい(注2)。


2.急速な経済発展を背景とした軍事予算の増大
無論、幾ら必要性があるからと言って、所詮先立つものが無ければ何もできないことは国家であれ個人であれ、何ら変わる所はない。では中国政府、ひいては中国軍部の懐具合は如何なものなのであろうか?
まず、中国経済が近年急速に拡大していることは既に述べた通りである。となれば、それに応じて政府の歳入も税収増等を通じて増えていくというのが自然な流れであろう。実際、中国政府の歳入は同国の経済成長を歩調を合わせる形で拡大している。

歳入の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

そして斯くの如く政府の歳入が増えると、よほど厳しい制限でもない限り、防衛予算もまた増大することになる(単純な話、予算に占める防衛予算の割合がよほど厳しく絞り込まれない限り、、パイ自体の成長に伴って予算額は増大する)。
日本防衛省が公表した平成24年度版「防衛白書」に掲載されている中国国防費推移(公表分についてのみ)を見ると、中国の経済成長とそれに伴う歳入の拡大に連動する形で同国の防衛予算額も拡大を続けていることが分かる(注3)。

つまり、現在の中国政府ひいては中国軍の懐具合は、「オイル・ルート保持」のための行動に対して、制約要因というよりは、寧ろ支持・推進要因として機能していると考えられる。


3.北方の脅威の消滅
「オイル・ルート保持」という必要性のため、予算的な裏付けもある上で進められている中国の海洋進出だが、それに拍車をかけている、或いは火に油を注いでいるのが、「北方の脅威の消滅」である。
当ブログの例えば第四百六十七段第四百四十四段等で度々述べてきたことだが、歴代の中華王朝にとって最大の脅威と言えば、それは匈奴以来の北方草原地帯から押し寄せてくる遊牧騎馬勢力であり、その北方の脅威のトリを飾るのが、世界の征服者として名高いチンギス・ハンの血統たるジョチ・ウルスの支配下で胚胎し、やがてそれを食い破る形で台頭したロシア帝国でありその後継国家たるソ連であった。
今まで書いてきた諸段の繰り返しめいてしまうが、沿海州から外モンゴル、西トルキスタンに展開し、実際に砲火を交えることもあったソ連軍の脅威こそ、毛沢東や周恩来をして米国、日本との関係改善に走らしめた最大の力だったのである(注4)。もっと言えば、かつての中国が尖閣問題等で米国と同盟を結ぶ日本国に対して強硬な姿勢を示さなかったのは、北と南で両面作戦を強いられるよりは、南で隠忍自重して北に全力を集中するという極めて実利的な判断が働いていたからなのである(注5)。従って、もし仮に今もなおユーラシア北部にソ連が健在であったなら、恐らく中国はその脅威から身を守るため、多大な資金と軍事力をマンチュリアや内モンゴル、新疆に張り付けざるを得ず、日本や米国との関係を荒立てるような振る舞いは極力自重していたことだろう。
だが現実には、冷戦の崩壊とそれに続くソ連の崩壊が中国を北方の脅威から解放せしめた。今や中国は北方の脅威に悩まされることなく、東や南の海に向かって全力投球で臨めるのである。


結語
以上、中国を積極的(強引ともいう)な海洋進出へと駆り立てる要因を見てきた。そこで列挙した3要因に大きな変化が無い限り、中国の海洋進出の動きはやむことが無いであろう。



注釈
注1.挙げた数字はJPECの「【中国レポート:第3回】 ~中国の原油輸入の現状と展望~」による。また、同レポートには量ベースでみた中国の原油輸入量推移(1993年~2009年)が掲載されているが、それも当該段に掲載している中国の名目GDP推移及び原油輸入額推移とほぼ同じ傾向を示している。
注2.無論、こうした自力救済的な考え方の他、現在の日本国に見られるように、大国の傘下に入る見返りとして自国へのエネルギー・ルートの安全を当該大国に確保してもらうという選択肢もある。ただし、中国の場合、1840年のアヘン戦争以来の諸外国による支配や収奪の歴史に起因する抜きがたい対外不信感が存在すること、そして世界最強の海軍国たる米国とは人権や民主主義といった理念の面、更には朝鮮半島や台湾海峡といった地政学的な面での対立面も多いこと等から、日本国のような選択をすることは極めて困難と考えられる。
注3.当該図表は冊子版の防衛白書の他、次のリンク先でも見ることができる。→防衛白書平成24年度版。
注4.この辺りの事情は、ニクソン政権下で中国との関係改善に活躍したキッシンジャーの諸著作や中国通として米外交サークルで長く活躍したジェームズ・リリーの回顧録「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」等が詳しい。
注5.もっとも、当時の中国が南では防御一辺倒であったかというとそういうわけでもなく、主敵たるソ連と結んでいたベトナムとは1979年の中越戦争を始め、陸上や西沙諸島で度々戦火を交えている。

参考資料
・JPEC  「【中国レポート:第3回】 ~中国の原油輸入の現状と展望~」 2010年3月
・ウィリアム・バー 「キッシンジャー[最高機密]会話録」 毎日新聞社 1999年9月初版 鈴木主税ら訳
・ジェームズ・リリー 「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」 草思社 2006年3月 西倉一暮訳
・ヘンリー・キッシンジャー 「キッシンジャー秘録第3巻 北京へ飛ぶ」 小学館 1980年3月 斎藤弥三郎ら訳
・同上 「キッシンジャー激動の時代1 ブレジネフと毛沢東」 読売新聞社 1982年6月 読売新聞調査研究本部訳
・日本防衛省 「平成24年版防衛白書」
・防衛省防衛研究所 「中国安全保障レポート2011」 2012年2月
・同上 「東アジア戦略概観」 2012年3月

2012年8月31日金曜日

第四百六十七段 極東領土紛争情勢

現在極東部において繰り広げられている領土問題についての管見。

中国 現時点での勝ち組
清朝時代に完成した東は遼東から西はカシュガルという広大な領域の大半を引き継いで成立した中華人民共和国だが、それゆえに隣接する国も多く、同時に国境を巡る紛争・対立も決して少なくはなかった。特に重要なのが、清朝の時代から度々北や西の国境で紛争を繰り広げてきたロシア勢力との対立で、特に中ソ対立以後は外モンゴルに駐留したソ連の機甲部隊が北京を伺い、その恐怖が晩年の毛沢東をして米国や日本との関係修復・強化に走らせたのである(注1)。
だが、1989年の冷戦崩壊、1991年のソ連崩壊という戦略環境の大規模な変動を経た後の世界において、中華人民共和国とソ連の後継国家たるロシア連邦共和国は長らく両国間紛争の火種となってきたアムール川中洲等の配分にけりをつけ、2004年に中露国境協定を締結した(注2)。これによって北方の憂いを除いた中華人民共和国は、急速な経済成長が作り出す「市場・投資先としての魅力」と近代化されつつある海空軍力を梃に日本や韓国、ASEAN諸国への影響力を強め、東・南シナ海における領有権争いで優位なポジションを築くことに成功した。
この結果、各国政府では中国を経済的沃野とみなすか安全保障上の脅威とみなすかで共通した見解を示すことができなくなり(場合によっては同一政府部内ですら中国にたいする共通したコンセンサスを形成することが困難になっている)、中国に「各個撃破」のチャンスを与えている。
中国にとって今後の焦点は、「市場・投資先としての魅力」が経済成長率の鈍化や賃金高騰、政治的不透明さで陰りを見せ、更に人口ボーナスの消失や少子高齢化の進展といった長期的なマイナス材料を抱える中、今まで築いた東・南シナ海問題で築いた優位をどこまで維持・伸長していけるかだろう

ロシア 解決済みの国境と聖域の防壁
ロシア勢力がウラル山脈を越えて遠くシベリア東部にまで領土を広げたのが大体16、17世紀。その頃から20世紀後半の中ソ対立の時期まで清朝、中華民国、中華人民共和国といった中国勢力との国境紛争が度々繰り広げられてきたが、21世紀に入ってそれにけりをつけたのは上述の中国の項で述べた通り。
残る北方四島問題だが、ロシア側にとって所謂「北方四島」のうち国後、択捉の両島は、ロシアが現状で米国に唯一ほぼ対等に張り合える核戦力分野において、オホーツク海をSLBM原潜の聖域たる「閉じられた海域」とする上で非常に重要な意義を有している。従ってその領有に多少歴史的、法的瑕疵があったとしても、ロシアが両島を無条件で日本に引き渡すことはまずないと考えてよいだろう(以下の地図参照)。


ただロシア側にとっては幸いなことは、北方領土問題がいくら白熱化したとしても、日本の現状を見る限りそれが軍事紛争にまでエスカレーションする可能性は極めて低いことである。ロシア側としては、スーツの下からちらちらと鎧を見せて日本政府を牽制しつつも、LNGやその他資源開発等極東の振興に繋がる経済マターでは日本の政府や企業との協力を深めるという方向を今後も追求することになるだろう。
そして、こうしたロシアの動きは、日本側からすると、ナショナリスティックな面子・プライドという点では極めて不満が残るものの、LNGや石油等エネルギー資源の安定供給及びそれらの中東依存率の低減という実利の面では実に好ましい点もあり、そのジレンマには強く悩まされることになるだろう。

韓国 三つのフロント・ライン
韓国が抱える国境紛争について、現在の日本では「竹島問題」に注目の眼が集まっているが、同国は他にも国境紛争の前線を抱えている。一つは言わずと知れた北朝鮮との38度線、もう一つは中国との蘇岩礁である(以下の地図参照)。


従って、韓国政府の立場に立てば、一つの前線で攻勢に出ようとすれば他の二つの前線を極力安定させる必要性が出てくる。別の言い方をすれば、少なくとも二つの前線が安定していなければ残る一つの前線で攻勢にでることはできない(政府指導者が気でも触れない限りは)。一方、どこかの前線で韓国からの圧力を受けることになった国としては、他の二つの前線の緊張を高めることによって韓国が一つの前線に様々なリソースを集中させることができないようにすることが肝要となる。
そうした観点から現在の竹島問題を見ると、韓国の李明博政権が竹島で対日挑発行為を行い得たのは38度線と蘇岩礁の情勢が当面は安定的に推移すると踏んだからであり、韓国の強硬姿勢に直面した日本が北朝鮮との接触を活発化させているのも、実に自然な動きということができよう。

日本 紛う事なき負け組
現在の日本を俯瞰して見ると、長く続く経済的な停滞の中で、他国にとって市場や投資先としての魅力は近年とみに霞がちで、更に余裕のない財政状態の中ODA等対外支援予算も削られ、「日本の言動を支持しておけば、何かうちらにも得があるかもしれない」という他国の期待を形成する能力はかなり弱まっている。また、極東における日本の立ち位置を強力に規定・保障する日米同盟も民主党政権が成立してから軋みが目立つようになってきた。
こうしたいわば外政上の地力が衰えているところに加えて、領土問題は、「尖閣」「竹島」「北方四島」のうち、どれを優先してどれを後回しにするのかという順位づけがなされないまま、ロシアが北で強硬な振舞いに出れば「北方領土問題」が大きく取り上げられ、中国(場合によっては香港や台湾)が尖閣に船を派遣すれば「尖閣問題」に注目が集まり、韓国が竹島で挑発を行えば「竹島問題」で皆が激昂し、そして時間が流れると共に誰もが忘れていくという「アジェンダは他国にお任せ ~領土紛争は一瞬の煌めき」な状態と化している。
要するに能力・資源に係る制約は重くなる一方、それをどのような優先順位をつけて配分するかを決められないまま、余所の動向に振り回されるがままというのが現時点の日本の状態である。これを「負け組」と言ってしまえば酷かもしれないが、少なくとも個人レベルの生き方では決して参考にはしたくない部類の状態ではあろう。

 

注釈
注1.中国首脳の極東ソ連軍に対する恐怖、これが日本では割と見過ごされがちな「日中友好」の成立要因である。従って、それが消えたソ連崩壊後の世界において中国と日本との間で様々な摩擦・衝突が深刻化してくるのも当然と言えば当然の流れなのである。
注2.同様の国境画定交渉が旧ソ連中央アジア諸国や東南アジア大陸部諸国との間でも進められた。概していうと、中国は陸上国境を巡る交渉では妥協も排さない柔軟な姿勢で臨む一方、海上国境を巡る交渉では強硬な姿勢をとりがちと言えるようである。

参考資料
・Moscow Times 「China, Tajikistan Sign Border Agreement 」 2011年1月14日
・岩下明裕 「中・ロ国境4000キロ」 2003年3月 角川書店
・同上 「中ロ 国境秘話」 リテラ・ポプラ2005年冬号  北海道大学 2005年
・庄司智孝 「ベトナム・中国間の国境線画定・領土問題」 防衛研究所紀要第8巻第3号 2006年3月 防衛省防衛研究所
・日本外務省 「ODA予算・実績」
・津上俊哉 「岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁」 2011年2月 日本経済新聞出版社
・銭其琛 「銭其琛回顧録 中国外交20年の証言」 濱本良一訳 2006年12月 東洋書院
・大泉啓一郎 「中国の人口ボーナスはいつまで続くのか ―持続的経済成長の課題―」 RIM 環太平洋ビジネス情報2月号 2011年 日本総研

2012年8月10日金曜日

第四百六十六段 インドの雨不足で中東が荒れるかもしれない

北米、黒海沿岸部、カザフスタンといった北半球における大規模穀倉地帯で降雨不足が続き、コムギやトウモロコシといった各種穀物の生育に深刻な懸念が発生している今日この頃、インドでモンスーン到来遅延による雨不足が発生し、同様に農作物への影響が懸念されている。特にインドは米国やロシア等といった国々に比較して労働人口やGDPに占める農業の役割が大きく、干天による不作が景気に与える影響も一段と深刻なものとならざるを得ず、そのことを憂慮する声も当然あがっている。
だが、もし降雨量不足がインド農業に大きなダメージを与えることになった場合、その影響はインド一国に止まらず他の地域に及びかねないことはあまり語られない。
その「他の地域」に該当するのが、経済的にも安全保障的にも日本とは全く縁遠い国・地域ならばそれでも全く問題はないのだが、実はさにあらず、、寧ろ我々の住む日本以下多くの国々とって重要なエネルギー供給源となっている中東、湾岸地域だというのがなかなかに厄介な所だといえよう。

そもそもインドと中東湾岸地域との経済的繋がりを確認してみると、インドが原油・天然ガスの多くをサウジやUAEといった湾岸諸国やイランからの輸入に負っていることはイラン核開発問題における諸般の報道の中でも度々触れられてきた所だが(注1)、同時に、インドは湾岸諸国やイランに対するコメやコムギ等農産物の主要輸出国でもあるのだ(注2)。つまり大雑把にいって、インドと湾岸地域との間にはアラビア海を挟んで以下のような物の流れが存在しているのである。



最近の湾岸地域の情勢は、スンニー派政権とシーア派住民との緊張関係、若者人口の拡大と不十分な社会の受入枠組みといった長期的な問題群に、巷間よく知られたイラン核開発問題や「アラブの春」に影響された現政権への異議申立て活発化といった新たな課題が加わって不透明の度を増している。そこに加えてインドからの農産物流入が細る若しくは途絶することになった場合、それが食料品価格の上昇という形で貧困層の生活に打撃を与え、彼らの間で昂じた不満が前述の問題群とも絡まり合って各国ひいては地域の安定を大きく揺さぶるという未来絵図を描くことはさして困難ではない(注3)。

それでもひょっとしたら、サウジアラビアやUAE、カタールといった国々は不作のインドに代わる新たな穀物輸入先を確保に成功して上手く事態をやり過ごすかもしれない。だが、ペルシャ湾の油田・ガス田群と世界とを繋ぐホルムズ海峡の安定に決定的な重要性を持つイランはそうはいかないだろう。その要因は核開発問題に伴う国際的な各種制裁の存在だが、わけても中央銀行を含むイラン金融部門が国際的な資金決済支援システムSWIFTから放逐され資金決済の便宜を失ったことは、同国がインドの穴を埋める新規穀物輸入先を開拓する必要性が出てきた時に極めて大きな足枷となると考えられるからだ(注4)。

既にイランでは、経済制裁や世界の穀倉の一つである米国における天候不順等を背景としたトウモロコシの輸入価格上昇がそれを飼料として生産される鶏肉の価格にも波及して国民の不満を昂ぜしめ、政府が鶏肉価格抑制に乗り出さねばならない事態となっている(注5)。そんな所で、インドが雨量不足による不作を理由に穀物等農産物の輸入削減に踏み切った、そしてイランは新たな代替輸入先を見つけられないでいる、という事態が現出したならどんなことになるか。
様々な可能性を考えることができようが、ただ少なくとも、「湾岸地域から世界への安定的なエネルギー供給」にとってプラスになることは何一つ起こらないという予測だけは自信を持って下せる。
ひょっとすると、極端な話、ある人はフランス・ブルボン朝の王妃マリー・アントワネットがこぼした「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」という一言が食糧難に喘ぐパリ市民たちを激昂せしめフランス革命に火をつけたという有名な小話(注6)を思い出し、また別のある人は「中国天安門事件やエジプトのムバラク政権崩壊の影に食料品価格高騰があったのだ」という説に頷く、といったようなことになるかもしれない。

無論、今後の巡り合せ次第でこれら全てが単なる杞憂に終わる可能性もある。だが世界のエネルギー庫ともいえる湾岸地域が、インドの降雨状況という普段意識することも殆どないであろう要素によってもその安定を左右されかねない脆弱性を抱えた地域なのだということには注意が必要だろう(注7)。

注釈
注1.2004年時点のデータを確認してみると、インドの全原油輸入量に占める中東の割合は67%となっている。これが3年後の2007年には西アフリカ等からの輸入量増等を背景に47%強まで落ちてくるのだが、国別輸入量で見るとサウジやクウェート、UAEといった湾岸地域諸国が上位を占めている傾向に変化はない。
注2.たとえば世界第3位のコメ輸入国にたるイラン(2008年時点)にとって、インドは最大の輸入先となっている。
注3.なお湾岸地域諸国の食料自給率を見てみると、2007年時点でイランが84%、サウジアラビアが26%、UAEが0%となっている。もう少し枠組み を拡大して中東諸国となると、トルコが89%、シリアが72%、エジプトが69%、イスラエルが7%といった塩梅である。
注4.企業Aが外国企業Bから物を買った場合、AにBから「X銀行の口座に代金を振り込んでくれ」という請求が来る。そこでAは自分の取引先銀行Yに「今口座にある資金の中からX銀行にあるB口座に支払代金を振り込んでくれ」と依頼する。そこで銀行YはAの口座から代金に該当する金額を引き落とし、次にコルレス契約を締結しているZ銀行に対して「AとBが行った売買取引代金の決済を行うので、そちらに開設した弊行(Y銀行)の口座から代金相当額を引き落として同じ国のX銀行にあるB口座に振り込んでくれ」という旨の連絡を行う。この連絡を受けたZ銀行は言われたとおりにY銀行の口座から代金相当額を引き落としてX銀行にあるB口座にそれを振り込む、という手順で取引が完了する。
SWIFTとはベルギー・ブリュッセルの近郊ラ・ウルプに本拠を置く国際銀行間通信協会が運用する情報システムで、上述の例で言うとY銀行とZ銀行の間で行われる連絡を担っている。これを利用することで決済に伴う事務手続きを大幅に簡略化することができる。そのため、再び上述の例で言えばY銀行からZ銀行に連絡が行った日の翌日にはX銀行のB口座にAからの代金に相当する金額が振り込まれることになる。
この便利なSWIFTから追放される、つまり当該システムを使えなくなるということは、Y銀行がZ銀行に連絡を郵便等で行って実際にX銀行のB口座に代金が振り込まれるまで何日も何日も余計な時間を要するということである。その間、郵送した振込通知が事故に巻き込まれる等して紛失したり、Bで現金が必要になる事態が急に生じたり、或いはX銀行やZ銀行が倒産してしまったならどういうことになるか。恐ろしや、恐ろしや・・・・
なお、2010年時点ではイランの19銀行(中銀含む)、25金融機関がSWIFTに加盟しており、利用件数は年間200万件にのぼっていた。
注5.イランの鶏肉騒動については、Al Arabiyaの2012年7月29日「Iran lowers prices as ‘chicken crisis’ becomes simmering political issue」を参照のこと。なお2004年時点でイランは中東最大のトウモロコシ輸入国であり、その大半が鶏肉生産のための飼料に回されているとされる。
注6.どうやらこの小話は歴史的事実とは到底言えないフィクションの類のようである。ただ、「革命」というものが如何なる理由で起こるのかをこれ以上ない端的さで伝える小話ではあろう。
注7.そうこう書いているうちに、インドEconomic Timesが8月7日付で「インド政府は、民間業者による小麦輸出を禁止するようだ」というニュースが流れてきた。詳細は同紙2012年8月7日「Wheat exports by private traders may be banned」を参照のこと

参考資料
・Al Arabiya 「Iran lowers prices as ‘chicken crisis’ becomes simmering political issue」 2012年7月29日
・Bloomberg 「インド株:総じて安い、雨不足を懸念-マヒンドラ下落 」 2012年7月17日
・Economic Times 「Wheat exports by private traders may be banned」 2012年8月7日
・ロイター 「経済制裁受けるイラン、インド産コメ輸入代金が不払いに」 2012年2月8日
・安全保障貿易情報センター 「CISTEC Journal」2012年5月号 2012年5月
・川島博之 「世界の食料生産とバイオマスエネルギー―2050年の展望」 2008年5月
・日本エネルギー研究所 「インドのエネルギー情勢・政策動向」 2006年7月
・同上 「海外エネルギー動向 インド」 2011年5月
・日本農林水産省 「世界の食料自給率」

2012年7月29日日曜日

第四百六十五段 推進剤は大体中東

最近のニュース・サイト等を見ていると、中東では従来からのイラン核問題に加え、シリア・アサド政権が化学兵器の保有を明言して外国の軍事介入に対してはこれを使用して反撃する姿勢を示した他(注1)、トルコがICBMの開発に乗り出すことを明らかにする(注2)といった具合に大量破壊兵器やそれに関連した動きが活発化している。

これは危険と言えば間違いなく危険な動きなのだが、一方で大量破壊兵器等の国際的な拡散を防止するための枠組み(レジーム)というのは、以下に詳述するように、主に中東の危機を推進剤として強化・充実が図られてきたという歴史を有している。

1.AG等の発足
第一次大戦で本格的に使用されて以来、化学兵器に対してはその非人道性から1925年のジュネーブ議定書を始め幾つかの国際的な規制が敷かれた。だがそれは必ずしも有効に機能したわけではなく、1980年に勃発してあしかけ8年にわたって戦われたイラン・イラク戦争でイラク軍が実際に化学兵器を使用した。これは直接的な敵であるイラン軍のみならず、そのイランとの内通を疑われたイラク国内のクルド人勢力(サダム・フセイン政権を構成していたアラブ人と民族は異なれど、法律上は同じ「イラク国民」である)に対しても行使されたという点が特徴的であった。
こうした化学兵器の国際的な拡散と実際の行使という事態を受けて、1985年に発足したのがオーストラリア・グループ(AG)である(注3)。当該レジームの発足により、生物化学兵器の原材料及び汎用製造設備、関連技術にも輸出規制の網がかけられることとなった。

2.キャッチ・オール規制の始まりとNSG、MTCR規制内容の拡充。
ワッセナー・アレンジメント(注4)、原子力供給国グループ(NSG)、AG、ミサイル技術管理レジーム(MTCR 詳細は後述)という4つのレジームからなる現在の国際輸出管理体制は1987年に確立されたものだが、その信頼性は早くも3年後に大きな試練にさらされることとなった。
ことの発端はまたしてもイラク。かの国を率いる独裁者サダム・フセイン大統領がその豊富な油田とペルシャ湾への出口を求めてクウェートに侵攻し、これに米国を中心とした国際社会が反撃する形で湾岸戦争が勃発する。戦争自体は多国籍軍の主力となった米軍の力もあって1年とたたず多国籍軍側の圧勝に終わったのだが、問題はその後である。
1991年4月、国連安保理は国際連合安全保障理事会決議687によってイラクに和平条件としてクウェートからの軍撤退に加え、保有する大量破壊兵器やその開発技術・設備の廃棄を求めた。敗戦国イラクはこれを受諾し、早速UNSCOMやIAEAから成る専門チームによって監視・査察が開始されたのだが、そこで各国を驚愕させたのが、イラクが従来の国際輸出管理体制で用いられてきたリスト規制、つまりある程度以上の機能やスペックを有する機器・技術をターゲットとした規制には抵触しない汎用品・技術や低スペック品(注5)を導入・転用することで大量破壊兵器の開発・生産を進めてきたという事実であった。
つまり、一応形の上では通常兵器から核兵器、化学兵器、生物兵器、ミサイルまでをカバーし、大量破壊兵器の拡散と通常兵器の過剰な蓄積の防止を期待されていた国際輸出管理体制には、汎用品や低スペック品の転用という大きな大きな穴が開いていたのである。イラクで明らかになったことは、これをそのままにしておいては国際輸出管理体制の存在する意味がないということであった。そこで各国は新たな対応策をとった。
まずは従来のリスト規制に加えてキャッチオール規制の導入が米国を先頭として行われた(注6)。このキャッチオール規制とは、リスト規制対象を除いた物品・技術のうち、食料品や木材等のごく一部を除いた物品・技術を対象として、「需要者は誰か?」「どのような用途に供されるのか?」という点に着目して規制の網をかぶせるものである。これによって、湾岸戦争後に明らかになったイラクのように汎用品・技術や低スペック品を転用した大量破壊兵器の開発を防止しようとしたのである。
また1992年には、核拡散防止を目的とするNSGの輸出規制対象範囲が、従来の核原料物質等や専用設備から核開発に使用される可能性のある汎用品・関連技術にまで拡大され(注7)、従来は核兵器の運搬手段となるミサイルやその関連技術の輸出規制を目的としてきたMTCR(注8)もまた、その規制範囲を生物・化学兵器を含む大量破壊兵器を運搬可能なミサイル(無人機含む)及び関連汎用品・技術へと拡大した。

以上のような国際輸出管理体制の歴史を顧みた時、現在中東で進行している冒頭で述べたような事態が、当該体制に対して今後どのような影響を及ぼしていくのか、実に興味深い所である。

注釈
注1.シリア・アサド政権の化学兵器保有明言についてはロイターの2012年7月24日「シリアが化学兵器保有認める、軍事介入への使用示唆も」等を参照のこと。
注2.トルコのICBM開発計画については、Hürriyet Daily Newsの2012年7月24日「Turkey begins work on ICBM 」を参照のこと
注3.何故当該レジームを”オーストラリア”・グループというかというと、それはオーストラリアが当該レジームの設置を提案し、その後は参加国会合議長国を務めているからである。なお当該レジームへの参加国は現在40ヵ国となっているが、アジアからは日本、韓国、トルコが参加しているに過ぎない。
注4.ワッセナー・アレンジメント(WA)。それは地域紛争防止やテロ組織への対策という観点から、通常兵器及び関連技術の過剰な蓄積の防止を目的とした輸出管理レジームである。冷戦終結でその役目を終えたココムの流れを引き継いで1996年に西側諸国のみならずロシア等の旧東側諸国も参加して発足した。現在41カ国が参加しており、アジア圏からは日本、韓国、トルコが参加している。名称は、1995年にココム後の新たな輸出管理体制の構築について各国の協議が行われたオランダ・ワッセナー市に因んでいる。
注5.念のため付記しておくが、ここで言う「低スペック」というのは、あくまでリスト規制の対象となる様な機器等と比較してのものである。
注6.主要国・地域のキャッチオール規制の導入は1991年の米国に始まり、その4年後にはEUもこれを導入した。なお日本での当該規制導入はこれらにやや遅れて2002年になってからであった。
注.ただし、このキャッチオール規制をあまり厳格に適用しようとすると、貿易に携わる企業等の事務負担が過剰となって貿易を委縮させ、ひいては一国の経済の健全な発展を阻害しかねない。そこで、国際輸出管理体制における4レジーム全てに参加してそれに対応した規制法規の整備及び厳格な運用を行っている国に対しては輸出する際は規制当局最高責任者(日本で言えば経済産業大臣)の許可を不要とする等、一定の条件の下で貿易に携わる企業等の負担を軽減するための措置も採られている。
注7.なお核拡散防止条約を補完する目的でNSGを発足させたのは、74年のインド核実験によって世界に湧き上がった核拡散への恐怖であった。現在46カ国が当該レジームに参加しているが、当ブログを書いている段階で当該レジームは4レジームの中で中国が参加する唯一のレジームでもある。
注8.なおMTCRの発足は1987年。

参考資料
・Hürriyet Daily News 「Turkey begins work on ICBM 」 2012年7月24日
・安全保障貿易情報センター 「STC Associateへの道」(第3版) 2011年9月
・日本外務省 「オーストラリア・グループ(AG:Australia Group)の概要」  2011年8月
・日本外務省 「原子力供給国グループ(NSG)の概要」 2012年6月
・日本外務省 「通常兵器及び関連汎用品・技術の輸出管理に関するワッセナー・アレンジメント」 2012年2月
・日本外務省 「ミサイル技術管理レジーム」 2011年7月
・ロイター 「シリアが化学兵器保有認める、軍事介入への使用示唆も」 2012年7月24日

2012年7月8日日曜日

第四百六十四段 引退と政権交代

各国の選挙情勢を見ていると、国政選挙で「×××候補(若しくは×××党)が選挙で勝利しました」という発表がその国の選挙管理委員会等から発表された場合、日本や西欧、北米ではその結果が粛々と受け入れられ、結果によっては政権交代に向けた手続きが進んでいく。
対して、アフリカや中東、旧ソ連圏等々の国では、×××候補(若しくは×××党)とは競争関係にあった○○○候補(若しくは○○○党)から「選挙結果は不正なものであり、これを受け入れることはできない」という声明が出されて国内情勢が不穏化、双方の支持者が衝突し、結局どちらの組織が暴力面で強いのか、或いは軍や警察といった国家の実力機関の支持を得ているのかで事態の帰趨が定まるということが珍しくない。

この両者を分ける分水嶺について、昔から漠とした関心を抱いていたのだが、最近、「その答えは”引退”という生き方が権力者に許されていたか否かにあるのではないか」という気がしている。

どういうことかというと、まず、「権力者の生涯」と言った時、単純に、絶大な権勢を保持し続けて栄光に包まれたまま生涯を終えるか、さもなくば権力闘争での敗北後零落したり処刑されて終わるか、の二者択一的な、まさに「Power or Die」的なイメージを抱いてしまうが、それは地球上の多くの地域の多くの時代において単なる印象論を超えた事実であった。
だが、ざっと日本の歴史や中世以後の西欧の歴史をおさらいしてみるならば、そこでは権力者にとって「Power or Die」とは別の「第三の道」が存在していたことに気付かされるだろう。それが「引退」である。そこでは、元権力者はそれなりの財産や名誉を保持したまま、仏門や修道院に入る等して政治の表舞台から去り、現権力者の方でも、元権勢者が反乱を企てるといった特殊な事態を除けば、元権勢者の生命や財産を侵害することはなかった。
つまり、世界を大まかに二分すると、日本や西欧のように元権力者が権力という強大な力を手放しても身の安全や(ある程度の)生活水準は享受できる慣習が存在し続けてきた地域と、権力を一旦失えば後は身の破滅しかない地域に分けることができるのだ。

ここで話を冒頭の選挙の話に戻すと、日本や西欧、そして西欧からの多大な影響下で成立・発展してきた北米で「誰が権力を握るのか?」を決定する選挙結果が大きな社会動乱を引き起こすことなく受容されるのは、「引退」という慣習等によって「権力の喪失が身の安全・財産の喪失までを意味するわけではない」という一種の安心感が権力者層を含めた社会全般に広く根付いているからであり、逆に「引退」という慣習がなく「権力の喪失=身の安全・財産の喪失」という時代が長く続いてきた社会・地域に成立した国家では、権力者交代をもたらしかねない選挙やその結果発表は、対立する候補・陣営間での「生存を賭けた闘争」開幕の号砲にしかならない(そして勝った方が敗者を徹底的に弾圧する)、というのが現時点での自分の見立てなのである。




2012年7月1日日曜日

第四百六十三段 音速の遅い読書「日本中世に何が起きたか」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。



著者の網野善彦氏(故人)と言えば、中世日本における商人や職人、遍歴する宗教者等の非農業民の役割の大きさに光を当て、日本中世史研究に大きな足跡を遺した人物であり、同時に当該分野に係る様々な文庫や新書を通じて一般にも馴染みの深い研究者であった。

本書もそうした一般向けに著された作品群の一つであり、内容は「都市と宗教と「資本主義」」という副題が示す通り、時宗や浄土真宗、法華宗といった所謂「鎌倉新仏教」が京や鎌倉等の都市住民を中心に大きな訴求力を持ったこと、そして、その創始者や担い手が同時に金融や交易に大きく関与して中世日本における「資本主義」の確立に大きな影響を与えていたことを明らかにするものとなっている。

そこに聖と賤といった価値観の動揺、東国と西国との相違、マージナルマンの問題が絡んできて非常に知的好奇心を刺激される仕上がりとなっているのだが、個人的に一番興味を持ったのが以下の記述である(中略及び注は当ブログ著者による)。
それから、金融という行為もやはり、古くは神仏との関わりなしには、成立し得なかったと思います。これは人間社会にかなり共通していることで、他の民族の場合も、神殿が金融機関であったという事例が古く見出されるようですが、日本の社会の場合、物を貸して利息を取るという行為の最も初原的な形態は「出挙」です。これについては議論もいろいろありますが、初穂として神に捧げられ、神聖な倉庫にしまわれていた稲を種籾として農民に貸し与え、秋に神への感謝、御礼の意味をこめて、若干の利息をつけて、倉庫に戻す。これがおそらく「出挙」の源流だと思います。
この習俗が律令国家の制度に組織されて、「公出挙」という形になっていくのだと思います。しかし、「私出挙」がこれと並行して行われていたように、こうした方式はその後も引き続き、日本の社会で行われています。じっさい中世になりましても、金融の行為は「出挙」と呼ばれるのが普通ですし、金融業者である「借上」(注:「かりあげ」ではなく、「かしあげ」と読む)や「土倉」の金融の仕方をみても、それが出挙と同じ考え方に基づいていることは明らかです 。
・・・・・(中略)・・・・・
おそらく、利息はどの民族でも、農業ないし、牧畜などの生産との関わりで生まれてくるのではないかと私は考えております。
実際、日本はおろか、中華文明やインド文明、そして古代ローマやイスラム以前の中東においても「利子」「利息」という考え方は広く認められるものである。そして、その緒元に、一粒蒔いてそれが順調に育てば2倍3倍どころか何十倍にもなる穀物農業等の在り方があるのだという考え方は実に納得し易いものである。

しかし、広い世界を見渡すと、中には利子・利息に対して否定的な見解を示す考え方も存在する。有名所を挙げていけば、アリストテレス、そしてイエス・キリストやムハンマドといった人物の考え方である。ここですぐに気付くのは、彼らが実生活上農業とは縁遠い都市部出身であったことだ。
例えば、アリストテレスは都市国家アテネ出身の学者であったし、イエス・キリストも教団の主催者として名を挙げるまでは宗教都市として繁栄していたエルサレムの下層民(大工をやっていたとか)、そしてムハンマドが交易都市メッカに拠点を置く有力商人の一族として生を受けたことも有名であろう。

農業等を基盤として生まれた「利子」「利息」という考え方を、都市部出身の思想家が否定する。何とも興味深い構図ではある。

2012年6月12日火曜日

第四百六十二段 もしも明日が介入ならば

チュニジアやエジプト等での反体制運動、所謂「アラブの春」に触発されて2011年1月に勃発したシリア動乱だが、アサド政権側、反体制側、いずれも決め手を欠き事態収束に向けた方向性も見えないまま、ずるずると悲惨さの度合いだけを増しつつ1年と半年近くの時が経過している(注1)(注2)。

最近では、シリア動乱について沈黙を守ってきたイスラエルからも、「アサド政権による虐殺」を非難する声(注3)や、内戦の激化によってシリア国内に存在する生物・化学兵器に対するアサド政権のハンドリングが甘くなり、それがテロ集団等に流出することを懸念する声があがり(注4)、加えてシリア反体制派組織国民評議会議長に選出されたアブドルバセト・シダ氏が国際社会に向けて武力介入を求める声明を発表するといった新たな動きも出てきた(注5)。

こうした事態に触発されたというわけでもないが、ここで、もし仮にアサド政権打倒も視野に入れた外国軍のシリア介入が現実のものとなった場合というのを考えてみる。リビアやアフガニスタンの事例、そして欧米の経済的疲弊といった要素をもとにして考えるに、恐らく介入軍の陣容としてはトルコ、GCC諸国(+ヨルダン)のどちらか又は両方が主力を務め、米国をはじめとしたNATO諸国は海上封鎖や航空支援といった補助的な立場に立つだろう。

では実際にシリアに兵力を展開させるとなったらどのようなルートがあり得るのだろうか?

まずシリアの地理的状況を考えると、東地中海沿岸部から内陸に進入するルートが考えられる。だが、その際に上陸拠点となるであろう同国の主要港湾都市の状況を確認するに、レバノン国境にも近いタルトゥースはアサド政権擁護の姿勢をとっているロシアの海軍拠点となっていること、もう一つの港湾都市であるラタキアはそのタルトゥースからさして遠くない上にそこが父アサドの出身地ということ、これらを考えればシリア現政権の行動抑止(場合によっては引導を渡すことまで)を目的とした介入軍が採用するには問題の多いルートだと言えよう。

となれば、やはり実現性が高いのは陸路からの進入ということになろう。そこで浮上してくるのは、トルコ領を起点にシリアへ南下する「北方ルート」、イラク領を起点にシリアへと西進する「東方ルート」、ヨルダン領を起点にシリアへと北上する「南方ルート」である。歴史的に見れば、北方ルートが「チンギス・カンの再来」と恐れられたティムールのシリア侵攻経路、東方ルートがフレグ率いるモンゴル帝国征西軍のシリア侵攻経路、南方ルートが正統カリフ時代イスラム軍のシリア侵攻経路にそれぞれ該当する(以下の地図参照)


この3ルートのうち、東部ルートはイラクから米軍が撤退し、そのイラク自体も未だ治安の安定には程遠い現況にあることを考えれば、現時点で採用の可能性は低いだろう。南ルートを採用した場合はいきなりアサド政権のお膝元たるダマスカスを衝くことになり、ここを主力ルートとするのはややリスクが高いと思われる。となると消去法で残るのは北部ルートとなる。
従って、もし仮に外国軍のシリア介入が現実のものとなれば、恐らくはこの北部ルートが主要進行路となり、南部ルートは主にアサド政権軍への牽制・陽動に用いられる副次的な存在となるだろう。

注釈
注1.なお先代、父アサドの時代を振り返ると、父アサド政権と反体制派組織ムスリム同胞団(現在のシリア動乱でも反体制派の一角を占めているとされる)は、1976年からシリアの支配者の地位を賭けて活発な抗争を繰り広げており、80年には父アサド自身に手榴弾が投げつけられ、彼のボディーガードが手榴弾に覆い被さって爆発を最小限に抑えたことで辛くも死を免れるという一幕もあった。こうした抗争劇のクライマックスが1982年の「ハマ事件」である。当該事件において父アサド政権はムスリム同胞団を支援していたハマ市民3千人~2万人(数にはシリア政府発表や反体制派発表等によってばらつきがある)を殺害することで、ムスリム同胞団等反体制派の反抗心をへし折ることに成功し、シリア国内を安定化させた。
注2.現アサド政権が反体制派対処に強硬策一本槍で臨む理由について、前注でも触れた「ハマの成功例」や権力を失った場合に加えられるであろう報復への恐怖が取沙汰されることが多いが、高橋和夫教授はJOGMEC「石油・天然ガスレビュー」Vol.46 No.1の「アメリカとイランの対立構造とアラブの春」の中でバシャール・アサド大統領と実弟マーヘル・アサド将軍との緊張関係に触れ、「マーヘルが代表するのは軍、そして数万人の要員を擁する治安当局の意向である。それゆえ、バシャール大統領も弟を無視できない。抗議行動への対応が手ぬるいとしてクーデターを起こされる可能性も排除できない状況のようだ。」と述べている。
注3.イスラエルのモファズ首相代理兼無任所相によるアサド政権批判については、MSN産経ニュースの2012年6月10日「「大量虐殺」イスラエルがシリア政権批判」を参照のこと。
注4.シリア内戦に伴う化学兵器流出懸念の声については、最近のものとしてはRIA Novostiの2012年6月11日「Syria’s Chemical Weapons May End Up in Terrorist Hands – Israeli General」を参照のこと。また、以前アラブ諸国による平和維持軍のシリア展開が取沙汰された折、米国の支援と訓練を受けたヨルダン軍がシリアにおける大量破壊兵器の安全確保を担当するという話もあった。なお当該ブログ執筆時点でシリアは化学兵器禁止条約未署名国である。
注5.アブドルバセト・シダ氏の発言については、ロイターの2012年6月11日「シリア反体制派組織の新議長、国際社会に武力介入を要請」を参照のこと。

参考資料
・Global Security News 「Jordanian Troops May Secure Syrian WMD in Event of Peacekeeping Mission」 2012年3月9日
・JOGMEC 「石油・天然ガスレビュー」Vol.46 No.1 2012年1月
・MSN産経ニュース 「「大量虐殺」イスラエルがシリア政権批判」 2012年6月10日
RIA Novosti 「Syria’s Chemical Weapons May End Up in Terrorist Hands – Israeli General」 2012年6月11日
・ロイター 「シリア反体制派組織の新議長、国際社会に武力介入を要請」 2012年6月11日
・夏目高男 「シリア大統領アサドの中東外交 1970-2000」 2003年4月 明石書
・日本外務省 「化学兵器禁止条約(CWC)締約国・署名国一覧」
・本田實信 「<<ビジュアル版>>世界の歴史6 イスラム世界の発展」 1985年3月 講談社
・牟田口義郎編 「世界の戦争3 イスラムの戦争 アラブ帝国からコンスタンティノープルの陥落まで」 1985年6月 講談社

2012年5月31日木曜日

第四百六十一段 海のグレート・ウォール

2012年5月25~26日に沖縄県名護市にて太平洋島嶼国・地域の首脳を集めた第6回島サミットが開催されたが、その意義として日本の各マスコミは「中国牽制」という側面に注目してこれを伝えた。

その背景には、近年の急速な経済成長を原資に中国が海空軍の近代化・増強を進めて武断的な海洋権益拡大スタンスを採るようになってきたこと、そして各島嶼国への活発な経済援助や移民の拡大を通じて長らく「ANZUSの湖」であった南太平洋での存在感を高めつつあることがある。

こうした中国の参入によって風貌を変えつつある南太平洋のパワーバランスについて、アジア経済研究所が編集・発行している月刊誌「アジ研 ワールド・トレンド」の2012年3月号に大変興味深いレポートが掲載されている。

「浮上せよ! 太平洋島嶼諸国 ―海洋の「陸地化」と太平洋諸島フォーラムの21世紀」と題されたそれについて、個人的に特に強く興味・関心をそそられた個所を抜粋すると、以下のようになる(中略及び赤太字化は当ブログ著者による)。

メラネシア三国(当ブログ著者注:パプアニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツのこと)は、一九八八年三月、メラネシアン・スピアヘッド・グループ(MSG:メラネシア急先鋒グループ)を結成した。後にフィジーも加わり、メラネシア急先鋒グループは南太平洋フォーラム(当ブログ著者注:太平洋島嶼国及び豪、NZによって構成される地域機構)内の自立派として豪・NZのアンザス二国と対決してゆく。
・・・・(中略)・・・・
二一世紀に入ると、中国と太平洋の島嶼諸国の貿易は加速度を加え、年率三〇%の勢いで増大し続け、二〇〇一年に九一〇〇万米ドル(七二億円)であった貿易額は、二〇〇八年には一〇億米ドル(八〇〇億円)へと、一一倍にも増大したのだ。(Fijilive,2010.7.20)
これは、太平洋島嶼国のアメリカ、日本、EUとの貿易額を上回るばかりか、域内大国オーストラリアとの貿易額一億五〇〇〇万米ドル(一二〇億円)の六倍以上である。
すなわち、太平洋における中国の経済的プレゼンスはアンザス三国を完全に上回った!
・・・・(中略)・・・・
豪を北から東へぐるりと取り囲むメラネシア急先鋒グループが豪に離反すれば、豪はアメリカから完全に遮断されるのだ。
・・・・(中略)・・・・
最後に、中国が二一世紀に入って、集中豪雨的に援助を与えた国の名を挙げておこう。
東からクック諸島、トンガ、フィジー、パプアニューギニア、東チモール。
・・・・(中略)・・・・
中国にとってフィジーは「アンザスの湖」に打ちこんだ戦略的楔。ここにミサイル基地を配備すれば、オバマが宣言したポート・ダーウィンの海兵隊及びミサイル基地を背後から封殺できる。


当該レポートを読んでいてふと思ったのだが、もし仮に当該レポートで指摘されているメラネシア急先鋒グループにおける中国の軍事的プレゼンス確立の可能性が現実のものとなり、そこに加えて中国がフィリピンを屈服させる形で南シナ海の支配権をも手中に収めた場合、以下の地図に示すように、ベトナム沖合から南太平洋まで東西に延びる帯状の中国勢力圏、まさに「海のグレート・ウォール」が登場することになる。




もしこの「海のグレート・ウォール」が現実のものとなったなら、どのような事態を惹起することになるかを考えると、「浮上せよ! 太平洋島嶼諸国 ―海洋の「陸地化」と太平洋諸島フォーラムの21世紀」が指摘する米豪ラインの分断は無論のこと、米豪にとって重要な安全保障上のパートナーたる日韓と一大資源供給地たる中東や豪州とを繋ぐ海路にも中国の鋭い匕首が突きつけられることになる。この匕首の恐怖は日韓両国内において「米国につくか、中国につくか」という議論をより先鋭化させ、超党派的な安定した外交政策の実現を一層困難なものとし、中国の現状変更的な対外活動により多くのチャンスを提供することになるだろう(この辺り、当ブログの関連段として第四百五十九段第三百六十一段も御参照頂きたい)

参考資料
・塩田光喜・黒崎岳大 アジ研ワールドトレンド2012年3月号「浮上せよ!太平洋島嶼諸国」 2012年3月 アジア経済研究所
・日本外務省 「第6回太平洋・島サミット We are Islanders ~広げよう、太平洋のキズナ~」
・毎日新聞 「島サミット:海洋安保、中国にらみ…米の初参加で再構築」 2012年5月26日

改訂
・2013年5月23日、地図が小さいのでよりサイズの大きなものに差し替え

2012年5月30日水曜日

第四百六十段 ウクライナ外交を一皮むくとクリミア・ハン国が出てくる

ウクライナという国がある。地理的にはEUとロシアの境界地帯にあり、CIS諸国の中ではロシアに次ぐ人口や国民総所得を有し、鉄鉱石や石炭に恵まれていることを背景に重化学工業が早くから発展してきた他、肥沃な黒土地帯もあって農業も盛んという国である。
そんなかの国の外交政策は、親欧米と親露のせめぎ合いという形で一般に報じられ、その背景としては、前述の地理的配置と共に、かつてポーランド・リトアニアやオーストリアの支配下にあった歴史から親西側志向を有する西部地域とモスクワとの親露志向を有する東部地域との地域対立が語られる。

だがしかし、東部地域を主要な支持基盤とするヤヌコヴィッチ現政権や過去のクチマ政権もまた、広く報じられた「親露派」という見方にはそぐわず、エネルギーや安全保障等の諸分野でEUやNATO、米国との協力関係を維持又は強化している一方、ガス価格等やガス・パイプライン敷設等といった従来からウクライナ-ロシア間で対立が生じがちであった問題でも決して唯々諾々とロシアの”指示”に従っているわけでもない(注1)。
流石に欧米のNGOの強い支援を受けた政変劇(所謂「オレンジ革命」)で権力を掌握したユシチェンコ前政権ほど欧米一辺倒な外交姿勢ではないが、「親露派」というレッテルから一般に想像されがちな「ロシアと手を結んで欧米と対立」という姿とはかなりかけ離れた位置にある(あった)のがヤヌコヴィッチ現政権や過去のクチマ政権なのである。

このようなウクライナの外交姿勢を見ると、同国の外交スタンスについて一般に語られがちな「西と東の対立」というファクターはあまり重要性を有しないのではないか。寧ろウクライナ外交の骨格を掴みたいのならば、普段注目を集めないクリミア半島を中心とした南部地域の歴史に目を向ける必要があるのではないかと考えられる。

ではウクライナ南部地域は如何なる歴史を歩んできた地域なのかというと、そこはポーランド・リトアニアやオーストリアに属した西部地域ともモスクワ政権の影響力が強かった東部地域とも大きく異なり、モンゴルの英雄チンギス・ハンの長子ジョチの子孫を王家として頂くモンゴル帝国の後裔国家の一つであり、隣接する中東や中央アジアの影響でイスラム教やトルコ系文化が栄えたクリミア・ハン国によって18世紀後半まで統治されていた地域であった(注2)。

そのクリミア・ハン国は、黒海を挟んで対岸のアナトリア・バルカンを押さえるオスマン朝と結び(注3)、東のモスクワ大公国(後にロマノフ朝)とはウクライナ草原とボルガ川下流域の支配をかけて争い(注4)、西のポーランド・リトアニアとはモスクワ大公国を牽制するため同盟を結ぶという一種の「遠交近攻」外交を展開することで、往時の東欧国際政治における有力プレーヤーの一角を占め続けた
だが18世紀後半になり、競争相手たるモスクワの強大化と提携相手であったポーランド・リトアニアやオスマン帝国の弱体化によってこの「遠交近攻策」が通用しなくなると、クリミア・ハン国はその独立を失ってロマノフ朝ロシアの支配下に組み込まれたのである。

以上の「クリミア・ハン国が展開した外交と現在のヤヌコヴィッチ現政権の外交――「親露派」とされる割にはロシア一辺倒ではなく寧ろ安全保障やエネルギーといった国の独立に大きな影響を及ぼす分野では米国やNATO、EU、更にはトルコやアゼルバイジャンとの協力関係強化に積極的――を見比べた時に気付かされる両者の相似は、「西や南の勢力と結んでモスクワに対抗する」ことこそが現在ウクライナと呼ばれている地域に位置する国家が独立を維持していく上で奏でなければならない主旋律であり、「親露か否か」というのはその中でのささやかな揺らぎ、アドリブに過ぎないことを物語っているのではないか。





そして西や南との連携が効果を失うと同時に独立をも失ったクリミア・ハン国の末路は、米国やEU等からの支援・協力を失うことがウクライナという国家において何を意味するのかを黙示するものだと言えよう。

注釈
注1.寧ろクチマ政権時代を見れば、ウクライナ自身がEUや米国にすり寄ったにもかかわらず、西側的価値観に必ずしも一致しない当該政権の在り様をEUや米国の側が「強権的支配」「腐敗」といった言葉で非難してはねつけ、かの国をロシア側に走らせてしまったという事例も珍しくなかった。また、ヤヌコヴィッチ政権も2010年9月にブリュッセルを訪問して将来的なEU加盟の可能性も含めた協議をEU当局と行っている他、11月にNATOが地中海で展開中の「対テロ作戦」に自国海軍を参加を決定し(ロシアは7月に当該作戦への協力を中止していた)、一方でロシアとの国境線問題では自国国益を損なってまで国境画定に進む意思はないことを表明している。
注2.なおクリミア半島を中心としたクリミア・ハン国の領域がロシア(ロマノフ朝)の支配下に組み込まれたのは1783年からである。世界史で言えばジョージ・ワシントンがアメリカ合衆国初代大統領就任やフランス革命勃発があるあたり、日本史で言えば田沼意次が失脚して松平定信による寛政の改革が行われるあたりである。
注3.クリミア・ハン国は15世紀後半の王位を巡る内紛がもとでメフメト2世率いるオスマン帝国の従属下に入ったが、この従属はかなり名目的なもので、1502年に宗家ともいうべきジョチ・ウルスの都サライを陥落させてこれを滅亡に追い込み、ポーランド・リトアニアとモスクワ大公国が戦ったリヴォニア戦争では前者に与して1571年にモスクワを焼き払うといった具合に、クリミア・ハン国は依然として当時の東欧国際政治における独自の有力勢力であり続けた。なお15世紀後半クリミア・ハン国君主のメングリ・ギレイは自身の娘をオスマン帝国君主セリム一世の後宮に入れる一方、セリム一世の娘を息子サーデトの嫁に迎えるという通婚策をとっている。
注4.13世紀以来ロシアから中央アジア北部に至る広い領域を支配してきたジョチ・ウルスであったが、15世紀に入ると衰亡が愈々以て明らかとなり、従来の支配地は群雄割拠の様相を呈していく。
その中からクリミア・ハン国とモスクワ大公国がいわば二強として台頭し、両者はカザンやアストラハンといった他の割拠勢力に対する支配を巡って激しく対立することとなる。
注5.ウクライナ政府の対南外交ともいうべき動きとして最近報じられたものには、Strategic Defence Intelligenceの2012年3月14日「Ukraine, Turkey eyeing joint tank development with Azerbaijan」やNatural Gas Europeの2012年5月16日「Ukraine May Seek Interest in TANAP」等がある。

参考資料
・Natural Gas Europe 「Ukraine May Seek Interest in TANAP」 2012年5月16日
・NHK取材班 「大モンゴル3 大いなる都 巨大国家の遺産」 1992年9月 角川書店
・RIA Novosti 「Ukraine not to demarcate border with Russia at expense of national interests」 2010年8月26日
・同上 「Yanukovych to discuss Ukraine's EU entry bid in Brussels」 2010年9月6日
・同上 「Ukrainian warship joins NATO anti-terror operation in Mediterranean」 2010年11月7日
・Strategic Defence Intelligence 「Ukraine, Turkey eyeing joint tank development with Azerbaijan」 2012年3月14日
・W・E・D・アレン 「16世紀世界史におけるトルコ勢力の諸問題」 2011年8月 あるむ 尾高晋己訳

改訂
・2013年5月23日、地図が小さいのでよりサイズの大きいものに差し替え。

2012年5月10日木曜日

第四百五十九段 天気晴朗デモナク浪高シ

2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故をきっかけとしてエネルギー問題を巡る議論が盛り上がり、それと連動する形で石油・天然ガスの一大産地であるペルシャ湾の安定に「イラン核問題」が及ぼす影響に注目が集まる中、割にその文脈の中では等閑視されている、「間の海域」にまつわる話。

そもそも現在の日本国という国家の枠組みは、南関東から東海、近畿中央部、山陽を経て北九州に至る産業・人口集積地(所謂「太平洋ベルト」)で富を生み出し、それを中央政府が徴収してその他の地方に分配する(地方交付税交付金等の直接的な再分配以外に防衛等各種公共サービスに変換した形での再分配も含む)ことで維持されている。

そんな日本国にとっての造血器官ともいえる太平洋ベルトへの各種産業や人口の膨大な集積を可能としているのは、当該地域と中東や豪州、南米、北米といった天然資源・農産物の一大生産地とを結ぶ海路の存在である。この海路によってもたらされる物資がそこに住まう人々に豊かな食生活と快適な空調環境をもたらし、企業等の活発な経済活動を支えているのだ(注1)。
そして世界中の豊富な資源に十分にアクセスできない状態で日本列島に生きることがどういうことであるかは、食料を含む全ての生活必需品を列島内における自給で賄っていた江戸時代(特に人口が3000万人前後で頭打ちを迎える1700年以降)や米国の通商破壊作戦で資源供給地たる海外植民地・征服地との連絡を絶たれた太平洋戦争後半期の日本列島の在り様がこれ以上ないほどの雄弁さで物語っている(注2)。

「国際法の父」とも呼ばれる17世紀オランダの人グロティウスは著書「海洋自由論」の中で「海は国際的な領域であり、全ての国家は、海上で展開される貿易 のために自由に使うことができる」旨を主張した。この「海洋の自由」こそが現在日本国に生きる人々にとって文字通り死活的な要素であり、同時に日本国が日米安 全保障条約という形で世界中の海に決定的な影響力を及ぼしている米国と同盟を結んでいる根本的な理由なのである(注3)。

だが、日本と世界各地を結ぶ海路の現状は、決して「日米安保があるから大丈夫♪」と太平楽を決め込んでいられるほど安定したものではない。冒頭でも簡単に触れたが、原油の一大生産地であるペルシャ湾と外洋(ひいては日本)を繋ぐホラズム海峡の政治的不安定さは「イラン核開発問題」を巡る各種報道でも盛んに取り上げられた通りであるし、日本と欧州を繋ぐ最短航路についてもアデン湾やアラビア海・紅海ではソマリア等を根城とする海賊が依然として跋扈し続けている他、エジプト・スエズ運河もムバラク政権崩壊後の治安状況悪化に晒されている。更に言えばインド洋自体が、従来からの主役である米国、そして急速な経済成長を背景に政治的プレゼンスを拡大させ、空海軍力の近代化・増強に勤しんでいるインドと中国との間で新たな勢力均衡を模索する時期に差し掛かっているのだ。

斯様な事態の先行き不透明さは大洋の東側でもさして変わらない。

マラッカ海峡から北は台湾島にまで広がる南シナ海一帯を見れば、中国は急速な空海軍力の増強・近代化を背景に西沙・南沙諸島領有権問題で武断的振舞いを強めて他の領有権主張国との緊張を激化させ、ASEAN諸国に海軍戦力強化への強力な誘因を提供している。
他方で、米国は印中の台頭を最大の要因とするインド洋及び西太平洋地域のパワーバランス変化に対応するため、両大洋地域を「インド太平洋」という一つの戦略的まとまりとして捉え、その結節点ともいうべき位置にあるオーストラリアとの防衛協力を活発化させている(注4)。
ここで気になってくるのが、もう一つのインド洋・西太平洋結節点たるインドネシアの存在だが(注5)、同国もまた好調な経済成長と前述したような南シナ海一帯での緊張の高まりを背景に、韓国との潜水艦購入契約の締結、沿岸警備を名目とした高速ミサイル艇の増強、米国からのF-16戦闘機購入といった具合にハード面を中心とした防衛力の強化に勤しんでいる(注6)。一方で外交上の動きを見れば、南沙諸島問題では中国寄りの姿勢を採り、その中国とは防衛等5分野での二国間協力強化で合意したことも報じられた(注7)。インドネシアの地理的位置からして、この国の外交・安全保障上の重点が北京とワシントンのどちらに置かれるのかは、必然的にインド太平洋地域の勢力均衡に大きな影響を与えることになる(注8)。その意味でインドネシアと中国との接近を伝えるニュースが最近続くのは気になる所である。



次に視点をより北側の東シナ海とフィリピン海を中心とした海域、分かり易く図示すると大阪湾-南西諸島-バシー海峡、そして東京湾-硫黄島-グアム島をそれぞれ繋ぐ2本の線によって挟まれた、太平洋ベルトと世界中の市場・物資供給地とを繋ぐ日本国にとっての死活的重要海域海域に移すと、ここもまた中国の急速な強大化によって既存のパワーバランスが大きく揺さぶられている(注9)。
まず太平洋戦争終結後間もなく勃発した第二次国共内戦における蒋介石国民党政権の敗北とその台湾撤退以来当該海域の安全保障に大きな影を落としてきた台湾海峡だが、台北と北京との軍事バランスは後者有利の方向に傾き続け、更には台湾企業による中国本土への投資活発化を背景とした両者の相互依存関係も深化一辺倒となっており(注10)(注11)、台湾の戦略的転向がいつあってもそう不思議ではない状況となりつつある。
また琉球諸島近海では、宮古島-沖縄本島間の海域を主要航路とした中国海軍艦艇の西太平洋進出が活発化しているが(注12)、このことが日本国にとってどのような意味を持つのかは、以下の地図を見れば容易に想像がつこう(注13)。そして琉球諸島が明清朝に朝貢していた琉球王国時代から薩摩藩による征服、そして明治維新によって誕生した大日本帝国による「琉球処分」、太平洋戦争における沖縄戦と米国による占領統治といった歴史を背景に日本国において最も中央に対する遠心力が働き易い地域となっていることを踏まえた上で、そこに急速な経済成長によって周辺国を引き付ける強力な磁場と化した中国の影響力が作用し(注14)、日本国及びその同盟国たる米国が当該地域における軍事的プレゼンス(特に監視拠点や航空戦力の展開拠点)を失う又は大きく後退せざるを得なくなった事態を想定した時、中国と日本がそれぞれ享受することになるであろう結果も以下の地図から容易に見て取れよう。


以上述べてきたようにインド洋から西太平洋にかけての広大な海域で地域秩序や勢力均衡が再編の時期を迎えて流動化の度合いを強めつつある中、日本では去る5月5日深夜を以て原発全停止が現実のものとなった。この状態がいつまで続くのか、そしてそれがどういった正負の影響を及ぼすのか、現時点で断言できることは少ないが、短期的に見れば当該事象は日本にとって海路によってもたらされる化石燃料への依存度を強める効果があると考えられる。その海路を抱える大洋の政治的天候図がお世辞にも良好とはいえない状態での海外資源への更なる依存強化、果たして吉と出るのか凶と出るのか・・・・・?(注15)


注釈
注1.なお太平洋ベルトの人口は日本人口の約6割で大体7000万人強。明治初期の日本列島人口の2倍、1940年頃の大日本帝国内地における内地人人口総計に匹敵する数である。また経済面を見れば製造品出荷額等の約7割が当該地域で生み出されている。
注2.流石に「人肉相食む」窮状を呈した江戸三大飢饉は事例としてやや極端だし古過ぎる感もあるが、それでも注1で述べた程度の人口で「日本本土だけでは増加する人口を養えないので、移民や海外植民地獲得を積極的に行うべき」という声が朝野で盛り上がり、「からゆきさん」が存在し、「石油の一滴は血の一滴」という言葉が比喩というにはあまりに生々しかった時代が過去150年の大半を占めていたのである。
注3.そんな日本の在り様を端的に言い表したのが、当ブログ第二百四十八段でも取り上げた米国ニミッツ提督の以下の言である。
日本は、強力な海上力を持つことによって、あるいは、大きな海上力を有する強力な同盟国と手を堅く握ることによってのみ、その生存と繁栄を続けることができる。

注4.米海兵隊の豪ダーウィン駐留開始については時事通信の2012年4月3日「第1陣200人ダーウィン到着=米海兵隊の豪駐留開始」やDefense Newsの2011年11月11日「U.S. Marines to Be Based in Darwin: Report」等を参照のこと。なお最近の米豪防衛協力強化については「東アジア戦略概観2012」が詳しい。
注5.インドネシアに接するマラッカ、ロンボク、スンダの三海峡が仮に閉鎖されてしまった場合、インド洋から日本に向かうにはオーストラリア南方を大 きく迂回する航路を利用することになる。その場合の影響について、海洋政策研究財団の秋元一峰主任研究員は2011年1月28日の講演会「東アジア海域 の海洋安全保障を巡る状況」において「ごく荒っぽい試算だが」という前置きをしつつ、石油タンカーを例に「航程は約2週間の増となり、それを埋め合わせる ためにタンカーは80隻の補充が必要となるだろう」という見積りを示している。これは中国や韓国、台湾にとっても他人事として済ませられない問題である。
注6.インドネシアの防衛力増強の動きについては、naval-technology.comの2011年6月7日「Indonesian Navy Requires Ten Submarines」、朝鮮日報(英語版)の2011年7月1日「Korea to Export Military Vessels to India, Indonesia」、Jakarta Postの2011年10月5日「Defense budget up by 35% next year」及び2012年1月5日「Navy to procure 24 fast boats to patrol shallow waters」、時事通信の2011年11月9日「インドネシアにF16売却=軍事支援で中国けん制-米」等をそれぞれ参照のこと。
注7.中国とインドネシアとの間の防衛分野等での協力合意についてはCRIENGLISH.comの2012年1月17日「China, Indonesia Seek Stronger Relations
を参照のこと。また南沙諸島問題を巡るインドネシアの動きについては「東アジア戦略概観2012」の第4章がまとまっていて便利である。インドネシアと中国との経済関係については、ジェトロ・アジア経済研究所の「インドネシアからみた対中国経済関係」が詳しい。
注8.その意味で、仮に日本が中国に海洋での振舞いについて自制と慎重さを求めようとするなら、直接北京にアーダコーダと文句を言うより、インドネシアとの友好・協力関係強化に動いた方がより効率的なのかもしれない。
注9.大阪湾-南西諸島-バシー海峡、そして東京湾-硫黄島-グアム島にそれぞれ線を引いて、2線に挟まれた海域を日本の守るべき海上交通路とする考え方は中村悌次氏(第11代海上幕僚長)らの構想に基づくとされ、それに因んで前述の2線は「中村ライン」とも呼ばれている。なお同ラインがそれぞれ中国海軍の近代化に尽力した劉華清提督(
「中国のマハン」とも呼ばれた)らが中心となって打ち出したコンセプト「第一列島線」及び「第二列島線」と殆ど一致していることにも注目されたい。
注10.2008年の台湾総統選で、中国との良好な関係を重視する一方、歴史認識や尖閣諸島問題では日本に厳しい考えを有する馬英九候補(当時)が勝利したこと、そして中台両軍の退役将校団(両者とも上将レベルを多数含む)による大陸でのゴルフ交流会の活発化も海峡情勢の今後を暗示するものと言えよう。なお当該ゴルフ交流会は対中ビジネスを手掛ける台湾企業の支援の下2001年から始まったが、その後、中国共産党統一戦線部や国務院台湾弁公室などの協賛・支援を集めるようになり、2006年からは広州軍区、2011年からは黄埔同学会がそれぞれ主催を務めている。
注11.「JBIC台湾経済レポート」2011年1月号によれば、台湾企業による中国大陸への投資総額は台湾当局の公式発表では941.3億ドルだが民間の非公式見解では1800億~2300億ドルにのぼるとされる。
注12.数は少ないが、大隅海峡や津軽海峡を通航して太平洋に出た例も存在する。これについては「平成23年度 防衛白書」の第2章3節における図表I-2-3-4「わが国近海における最近の中国の行動」がよくまとまっている。
注13.この2本の中村ラインに挟まれた海域で、米海軍が潜水艦等を利用した通商破壊作戦を繰り広げ、大日本帝国の戦争継続能力に大きな打撃を与えた時代からはまだ100年もたっていない。
注14.中国と沖縄との接近という意味では、現状でハイテク製造業が集積しているわけでもなく、それが近い将来に実現するかなり強固な見込みがあるわけでもない沖縄の日中友好協会が中国内モンゴル自治区の対外友好協会との間で「レアアース安定供給」に係る協力で合意したというのも非常に気になる動きである。
注15.ひょっとしたら今後様々な幸運が作用して、インド太平洋の情勢変動が日本のエネルギー事情に悪影響を与えることはないのかもしれない。ただし、世の中には大地震の襲来とそれに伴う原発停止に踏み切った後で国際情勢の急変により化石燃料の輸入が途絶してしまったアルメニアという不運な前例も存在する。

参考資料
・CRIENGLISH.com 「China, Indonesia Seek Stronger Relations」 2012年1月17日
・Defense News 「U.S. Marines to Be Based in Darwin: Report」 2011年11月11日
・Jakarta Post 「Defense budget up by 35% next year」 2011年10月5日
・同上 「Navy to procure 24 fast boats to patrol shallow waters」 2012年1月5日
・naval-technology.com 「Indonesian Navy Requires Ten Submarines」 2011年6月7日
・ジェトロ・アジア経済研究所 「インドネシアからみた対中国経済関係」 2012年3月23日
・阿川尚之 「海の友情 米海軍と海上自衛隊」 2001年2月 中央公論新社
・共同通信 「チャイナ・ウォッチ」 2011年11月4日
・同上 「レアアース安定供給へ事業協力 沖縄と中国で草の根外交」 2012年1月29日
・国立社会保障・人口問題研究所 「人口統計資料集(2012年度版)」
・時事通信 「インドネシアにF16売却=軍事支援で中国けん制-米」 2011年11月9日
・同上 「第1陣200人ダーウィン到着=米海兵隊の豪駐留開始」 2012年4月3日
・秋元一峰 「東アジア海域の海洋安全保障を巡る状況」配布資料 2011年10月28日
・朝鮮日報(英語版) 「Korea to Export Military Vessels to India, Indonesia」 2011年7月1日
・日本政策金融公庫 「JBIC台湾経済レポート」2011年1月号
・防衛省・自衛隊 「平成23年度版 防衛白書」
・防衛省防衛研究所 「東アジア戦略概観2012」 2012年3月30日

2012年5月5日土曜日

第四百五十八段 中東一帯の原発動向 追補

当ブログ第三百七十七段で取り上げた中東及びその周辺諸国の原発事情だが、その後、色々な動きが出てきたので、追補的なものを一つ・・・・。

アルメニア
同国の電力の約40%を賄いながらも、老朽化や地震への懸念から新原発と交代する形で2017年の閉鎖が予定されていたメツァモール原発2号機だが、肝心の新原発の完成予定が2020年にずれ込んだことを受け、その閉鎖予定もまた2020年まで延長されることとなった(注1)。
なおメツァモール原発隣接地に建設予定となっている新原発の建設コストは、アルメニアの年間国家予算のほぼ1.5倍となる45億ドル程度と見積もられており、協力相手であるロスアトムやその背後にいるロシア政府からの資金援助が重要な位置を占めている。
また、メツァモール原発2号機稼働延長にしろ新原発稼働開始にしろ、「使用済み核燃料をどうするか?」という問題は避けては通れないが、国境線の8割を実質的な敵対国であるトルコやアゼルバイジャンと接し、残る2割のイランやグルジアもまた「使用済み核燃料の領内通過拒否」姿勢をとっている現状では、日本の関東地方の面積とほぼ同程度の狭い国土に使用済み核燃料が蓄積され続けることになろう(注2)

クウェート
2022年までの原発建設を計画していたクウェートだが、2011年の東日本大震災に伴って発生した福島第一原発事故を受け、同年7月に計画中止を決定していたことが判明した。これによって中東における原発建設断念国はイスラエルに加えて2カ国となった(注3)。

トルコ
黒海沿岸部のシノップに建設予定の原発について、これまで韓国電力公社や日本の東芝の名が受注候補として取沙汰されてきたが、4月9日のエルドアン首相訪中に合わせトルコ-中国両国間で原子力協定が成立したこと(注4)、そして、ユルドゥズ・エネルギー天然資源相がカナダとも原発建設に向けた交渉中であることを明らかにしたことにより(注5)、受注獲得レースの帰趨がより見通し難いものとなってきた。
仮にもし中国が当該案件を受注することになれば、同国にとってはパキスタンに続く2例目の原発輸出となる。

ヨルダン
アンマンから40kmほど北のマジデルにて建設が予定されている原発について、今までアレバと三菱重工の日仏連合、ASE(ロスアトム子会社)、カナダ原子力公社を中心としたカナダ連合が三つ巴の受注競争を繰り広げていると報じられてきたが、ここにきてカナダ連合のレース脱落が判明した(注6)。
なおヨルダンは自国内でのウラン鉱脈開発を進めているが、アレバがそのパートナーとなっている。

注釈
注1.News.Azの2012年4月17日「Ministry of Energy tries to extend life of Armenian NPP’s second power block」を参照のこと。
注2.こうした困難な問題の存在にもかかわらず、アルメニア政府・国民の原発支持は強く、環境保護団体エコルルのザラフヤン代表は共同通信のインタビューに答えて「(アルメニア)政府や国民は脱原発運動を敵視している」と述べている。この背景には、歴史・領土問題で激しく対立しているトルコやアゼルバイジャンがアルメニア原発の停止を要求していることへのナショナリズム的な反発に加え、1988年の大地震を受けて十分な代替電源の用意もないまま原発停止に踏み切ったことによる経済混乱や暖房用エネルギーの不足による冬期間の凍死者増加といった痛みの記憶が未だ生々しいことがあるようである。2011年の東日本大震災の結果としてエネルギー環境の急変に見舞われた日本国の今後を予測する上で興味深い先例といえよう。
注3.共同通信の2012年2月22日「クウェート、原発計画を中止 福島事故受け、昨年7月」を参照のこと。
注4.Hurriyet Daily Newsの2012年4月9日「Turkey PM oversees nuclear agreements with China」を参照のこと。
注5.Sankeibizの2012年4月21日「トルコ原発、カナダも交渉 日中韓と競合」を参照のこと。
注6.ロイターの2012年4月30日「ヨルダン、原発発注先候補に三菱重・仏アレバ連合とロシア社を選定」を参照のこと。


参考資料
・Hurriyet Daily News 「Turkey PM oversees nuclear agreements with China」 2012年4月9日
・News.Az 「Ministry of Energy tries to extend life of Armenian NPP’s second power block」 2012年4月17日
・Sankeibiz 「トルコ原発、カナダも交渉 日中韓と競合」 2012年4月21日
・共同通信 「クウェート、原発計画を中止 福島事故受け、昨年7月」 2012年2月22日
・同上 「ロシア・東欧ファイル」 2012年3月13日
・ロイター 「ヨルダン、原発発注先候補に三菱重・仏アレバ連合とロシア社を選定」 2012年4月30日

2012年4月19日木曜日

第四百五十七段 音速の遅い読書「インド対パキスタン」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。



内容としては、表題が示す通り、印パ両国がどのような歴史的経緯を経て1998年に核実験をそれぞれ実施し、世界に衝撃を与えるに至ったかを次のような構成で論じたものである。

「カシミール問題などよりも、インドの存在そのものがわれわれに大変な恐怖を与えているという歴史的事実に注目してほしい」というパキスタン側関係者の言葉を引いて、そのパキスタンのインドに対する恐怖がどのようにして形成されてきたのかを扱う第一章と第二章。

インドが自身の核武装を正当化する際の論拠の一つとしてきた「中国の核の脅威」がどの程度まで妥当な見方なのかを、中国の核兵器保有状況とその運用思想を踏まえて検討した第三章。

印パ両国の核開発の歴史を扱った第四章と第五章。

核兵器開発の開始から核兵器保有国となるまでの過程をより技術的な側面に注目して説明する第六章と第七章。

前述の各章を踏まえた上で「何故、印パ両国は98年に核実験を行ったのか? その狙いは那辺にあるのか?」を論じた第八章。

最後の第九章では、印パへの核拡散の流れに大きく影を落とす米国等主要国の失敗とそれらが今後の事態改善に向けて今後何をし得るのかを扱っている。

そんな本書の中で個人的に興味深かったものが二つある。

まず第二章で紹介されている元パキスタン陸軍参謀長ミルザ・アスラム・ベグ将軍の「汎イスラム同盟」構想である。本書によればその骨子は次のようになっている。
①パキスタンがインドに対抗するには「戦略的縦深性」を持たねばならない。
②そのためには、イランをはじめとするアフガニスタン、イラク、トルコ、さらにはウズベキスタン、カザフスタンなどの旧ソ連中央アジア諸国のイスラム圏(以上は、かつてのムガール帝国の版図)との間で、イスラム教を共通基盤とした戦略的連携、「汎イスラム同盟」を結成すべきだ。
③米国の”善意”を当てにした従来の”対米従属外交”から脱し、核兵器保有を公然と宣言することによって、対等な対米関係に修正すべきだ。
④中国が米国に代わって通常兵器、ハイテク兵器の供給国として期待できる。

当該構想については「西側諸国との関係悪化」を中心的な理由とする慎重論も紹介されているのだが、本書出版から10年以上が経過した今、パキスタン外交の軸足は徐々にではあっても、この路線に近づいているように見える(注1)

次に印象に残ったのが、インドの核開発の歴史を扱った第四章である。そこでは当初平和利用から始まり、一時は「原子力平和利用の世界的見本」とも目されていたインドが、1962年の中印国境紛争敗北とその2年後に行われた中国の核実験に触発され、「核兵器は現に保有していないが、いざという時に備えて核兵器保有の選択肢と製造能力は維持しておく」というオプション・オープン政策を採用して74年の「平和目的の核爆発」実験を行うまでの過程、そして、こうしたインドの動きに無制限な核拡散の恐怖を覚えた米英ソによるNPT成立とそれに対するインドの強烈な反発(政府レベルのみならず、国民世論レベルでも(注2))が語られている。なお当該章では、核兵器開発に向けたインド首脳の発言が幾つか紹介されている。以下に引用するが、固有名詞を若干交換するだけで「某国首脳の今日の発言」と紹介されても全く違和感を感じさせないものになるのが面白い。
ジャワハルラール・ネルー(後のインド初代首相 1946年6月ボンベイでの演説会にて)
わたしはわが国の科学者が原子力を建設的目的に使用することを願うものだ。しかし、万一インドが脅威にさらされれば、可能なすべての手段を使って防衛に立ち上がるだろう。

インディラ・ガンジー(当時首相 1974年7月インド議会にて)
核実験に使われたすべての物質、装置と、このプロジェクトに携わった人員はすべてインド自身のものだった。

インドの核実験はいかなる国際法も、いかなる国家との間の義務や約束をも破ったものではない。

原爆の技術そのものが悪魔性を帯びているのではなく、その技術を使う国の意思によってその性格が決まるのであり、インドはこの技術に関するアパルトヘイト的原則には例外なしに反対する。

本書は初版が98年8月ということもあり、各国のミサイルの保持数や兵力といった個々の数字については読み手側で各自アップデートした上で読み進めていく必要があることはいうまでもない。しかし、印パや中国が核兵器を中心とした安全保障戦略が如何なる状況によって形成され、今後どのような展開を見せるのか?、という問い掛けに対して筆者が提示・紹介する分析や事例は些かも今日性を失っていない。恐らくそれは、あとがきの締めくくり(以下に引用)で端的に述べられている大局観の賜物なのだろう。
最後に、インド、パキスタンそして中国の政府関係者、研究者、知識人、軍関係者と直接話し合って感じたことは、いずれの国も長い長い西欧諸国による支配・植民地の屈辱を受けた歴史を持っているということだった。黄河文明しかり、インダス文明しかり。四〇〇〇年以上にわたる高度な文明国として世界をリードしてきた誇り高き民族心が、被支配・植民地による屈辱感とないまぜになり、米欧がリードする国際社会に対する挑戦的態度となって噴出する場面に何度も出くわした。二〇世紀半ばの第二次世界大戦をきっかけに長い被支配の歴史からようやく解き放たれたこれらアジアの大国、誇り高き民族はいま、内部からあふれ出る熱い思いに突き動かされて、長い屈辱の歴史を埋め合わせる過程に入ったのかもしれない。そのような大きな歴史の流れを感じられずにはいられなかった。

このあとがきが記されてから10年以上を経過した現在、印パに限らず世界各地で「長い屈辱の歴史を埋め合わせ」ようと誇り高き諸民族が復興・復権の道程を鼻息荒く邁進している。そしてその到達点若しくはマイルストーンとして彼らの心を掴んでいるものの一つに核兵器がある構図に変化はない。他方、良くも悪くも国際社会をリードしている西側諸国の人々が、幸運にも被支配・植民地といった不幸な歴史を経験せずに済んできたこともあって、こうした諸民族の「内部からあふれ出る熱い思い」を読み切れずに寧ろ翻弄すらされている構図にも変化はない(注3)。難儀な時代はまだ当分続きそうである・・・・

注釈
注1.③については国家レベルの連携というよりも、アフガン・タリバンやカシミールにおけるイスラム武装勢力、そして間接的なものではあったとしてもアル・カイーダ等の国際テロ組織といった非国家主体との連携強化という形で実現しつつあるように見える。また④についても中国のパキスタンにおける原発建設、そして中パ両国によるJF-17戦闘機の共同開発といった具合に具体化している。
注2.インドの74年核実験直前期の核開発に対する国民世論について、本書は次のように述べている。
六六年から七〇年にかけてインドの国立世論研究所が継続的に実施した世論調査では、インド国民の七三パーセントが「核兵器開発に賛成」と答え、七一年調査では八〇パーセントが「原爆開発に賛成で、そのためには寄付ないし税金の追加徴収にも応じる」と答えている。また、六八年に実施された別の世論調査でも、「原爆開発に賛成」と答えたインド国民は七九パーセントに達した。

注3.この辺り、本書が第九章に載せている、CIAが98年印パ核実験を察知できなかったことに対する特別調査委員会に参加した米ジェレマイヤー提督(退役)の発言(以下に掲載)が重い(発言内の赤太字化は当ブログ著者による)。
インドが核実験をやるはずがないという誤った思い込みによって、偵察衛星担当者がインド上空に注意を向けていなかった。米国はインド国民が持っている『民族のプライドと魂』の強さを、まったく理解できていなかった。

2012年4月15日日曜日

第四百五十六段 音速の遅い読書「オリエンタル・デスポティズム」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。



書名ともなっている「オリエンタル・デスポティズム(Oriental despotism)」、和訳すると「東洋的専制主義」という言葉、なかなか耳慣れないものではあるが、要は、東は北京から西はモスクワ、イスタンブールに至る広い地域で歴史上観察される、一人の絶対的主権者(地域によって「皇帝」と呼ばれたり、「スルタン」と呼ばれたり、「ツァーリ」と呼ばれたり・・・・)とそれを支える巨大な官僚組織から構成された中央集権型の支配体制のことを指している。

本書は、その「東洋的専制主義」がどのようにして成立、展開し、地域によっては現存する国家の在り様に多大な影響を与えてきたかについて、ドイツ生まれの米国人中国研究家カール・ウィットフォーゲルが自身の研究を集大成したものである(原書自体の初版は1957年、初の邦訳出版は1961年)。

そんな本書の中から、個人的に強く興味をひかれたテーマを以下に列挙する。

1.「東洋的専制主義」の成立
著者ウィットフォーゲルが「東洋的専制主義」の揺籃として注目したのは、土地自体は肥沃なものの気候的に雨にあまり恵まれない、しかし近くを大河が貫流しているという地域であった。そうした地域では大規模な灌漑工事を実施することで豊かな農業生産を実現することができる一方、大河の氾濫を抑制するために灌漑工事に負けず劣らず大規模な治水工事が生存上どうしても不可欠となってくる。
だが、重機を始めとした各種テクノロジーといった要素が未成熟若しくは全く存在しない前近代の世界にあって大規模な灌漑工事や治水工事を成功させるには、大量の労働力を徴収し、それをいつ、どこに投入するかを決定し、現場では労働者たちを食わせ、一糸乱れずに築堤等の働きをするよう管理していかねばならない。
この必要性にこたえるため、土地自体は肥沃なものの気候的に雨にあまり恵まれない、しかし近くを大河が貫流しているという地域では、早くから支配領域の労働力や食糧生産を把握・管理するための中央官僚群を要した国家が発達し、やがて、より大規模で複雑な統治機構を擁する「東洋的専制主義」国家へと発展していったのである。
本書50~51ページより抜粋(注及び中略、太赤字化は当ブログ著者による)
部族的水準を超えると、水力的活動(注:ここでは「水力=灌漑・治水」と捉えて頂きたい)は通常は広範なものとなる。水力農業の協業的側面に言及する大部分の記述者は、主に掘削、浚渫・築堤について考えている。これらの労働に含まれている組織的課題がいちじるしいものであることは確かである。大きな水力的事業の計画者が直面する問題はもっともっと複雑な種類のものである。何人ぐらいの人間が必要か。こうした人間はどこに見出すことができるか。以前作られた計画にもとづいて、計画者たちは割当てと選択の基準を決定しなければならない。選択に通告が続き、通告に動員が続く。集められた集団はしばしば軍隊を思わせる隊列をくんで行進した。目的地に到達するや水力的軍隊の二等兵たちは適当な数で、慣習的になっている分業(掘り込み、泥の運搬等々)にしたがって配分されなければならない。わら、まき、木材、石材といった材料が獲得されなければならないばあいは、それ以外の補助的な作業が組織される。もし作業集団が―全体としてか、一部としてか―食料と飲料が供給されなければならないばあいは、さらに他の調達、運搬、分配の手段が活用されなければならない。その最も単純な形態においても、農業水力的作業は相当な統括的活動を必要とする。そのより手の込んだヴァリエイションにおいては、それは広範で複雑な組織的計画を伴うのである。
・・・・(中略)・・・・・
こうした事業の効果的運営はその国の人口全部、あるいは少なくともダイナミックな中心部を包摂する組織網を伴う。したがって、このネットワークを管理する者が最高の権力をふるう絶好の用意ができているのである。


2.「東洋的専制主義」の特徴

では、「1」で見た灌漑農業・治水事業の全体的統括者として登場、発展した「東洋的専制主義」国家は、強大な中央官僚群の具備以外にどのような特徴を有しているのだろうか。本書が幾つか指摘する特徴のうち、個人的により重要性の高いと思われるのが、「国家権力を牽制する外部勢力の不在」と「脆弱な私的財産権」である。
レーニンはプロレタリアート独裁を「いかなる法律によっても制約されぬ権力」と定義したが、その際に彼が念頭に置いていたであろう「法律が権力を制約する」西欧諸国政府の在り方というのは、自身の権力と財力を強めようとする王政府とそれが逆に自身の権力や財産の縮小に結びつくことを恐れた封建諸侯、ローマ教皇を頂点とする教会、そして職人たちのギルドや都市を支配する大商人団との対立・衝突・相克、そして妥協の歴史の中で育まれてきたものであった(注1)。
しかし、大規模な水力事業の必要性から中央政府が支配領域の経済状態や労働力の分布情報並びに徴収権限を独占し、支配下にある側でも政府の統制下で行われる灌漑・治水事業の便益なしでは生存も覚束ない状態の長かった「東洋的専制主義」国家では、遂に西欧における封建諸侯や教会等に該当するような国家権力に対する牽制勢力は生まれず、文字通り「いかなる法律によっても制約されぬ権力」の支配が続いたのである(注2)。この状態をウィットフォーゲルは「社会よりも強力な国家」という言葉で表現した。
そして、こうした国家の下で民衆や非国家組織に認められる財産権は、正規の徴税・徴収は無論のこと、様々な政治的告発に伴う没収の危険性に常に晒された極めて脆弱なものとならざるを得なかったと論じている(注3)。

本書109ページより抜粋(注及び太赤字化は当ブログ著者による)
ヨーロッパ絶対主義の支配者も彼らの東洋の仲間と同様に残忍に陰謀をくわだて、無慈悲に人を殺した。しかし、彼らの迫害、収奪の力は土地所有貴族、教会といった、その自律性を独裁的君主が制約することはできたが、破壊することができなかった勢力によって制約されていたのである。それに加えて、この新しい中央集権的政府は動産の新しく勃興しつつある新しい資本家的形態を発展させることに決定的な利益を見出したのである。水力的方法では決して管理したり、搾取したりすることはできない農業秩序から生まれた西洋の独裁者たちは、進んで生まれたばかりの商工業資本家を保護したのであり、今度は資本家たちのますますの繁栄はその保護者たちの利益となったのである。
これと対照的に、水力社会(注:要は灌漑・治水を統括する中央政府が無制約の権力を振るう「東洋的専制主義」社会のこと)の支配者は彼らの国の農業経済の上に確固たる徴税の網を広げた。彼らは封建以後の西洋の支配者とちがって、都市資本家を育成する必要を感じなかった。最善のばあいでも、彼らは資本家企業を有利な果樹園のように取扱い、最悪のばあいには、資本制企業の茂みを刈りこみ、はぎとって、丸裸にしてしまった。

3.「東洋的専制主義」の伝播

「1」で見たように大規模な灌漑・治水事業の必要性の中から産声を上げた「東洋的専制主義」国家だが、歴史を振り返ると必ずしも灌漑・治水事業を必要とはしない地域でもその範疇に属する政治体制の国家を目にすることができる。例えばロシアのモスクワ大公国(後にはロマノフ朝)やギリシャ・アナトリアのビザンツ帝国やオスマン朝である。また西欧や日本列島のように「東洋的専制主義」国家がついぞ成立しなかった地域もある。
こうした事態を説明するのにウィットフォーゲルが用意したのが、中心と周辺、亜周辺という概念である。まず「中心」だが、これは黄河流域やメソポタミア、ナイル川下流域等のような「東洋的専制主義」の発祥地たる大規模灌漑農業地帯を指す。次に「周辺」だが、これは朝鮮半島やアナトリア・ギリシャ、ロシアといった中心に隣接してそこで発生した「東洋的専制主義」を受容した地域を指す。最後の「亜周辺」は中心や周辺との地理的距離や気候の違い(最大の相違点は灌漑に頼らずとも済むだけの雨水に恵まれているという点である)から「東洋的専制主義」が成立し得なかった西欧や日本列島等を指した。
そして、中心で成立した「東洋的専制主義」が周辺にもたらされる契機としてウィットフォーゲルは遊牧騎馬民族による征服活動を重視した。つまり、中心を征服した遊牧騎馬民族は大規模灌漑・治水事業の必要性から地域全土に徴収と情報の網を伸ばす「東洋的専制主義」を効率的な支配の道具として使用し続け、更に新たな征服地とした周辺においてもこれを適用したのである。そして遊牧騎馬民族という波が引いた後でも、中心は勿論のこと、周辺でも「東洋的専制主義」による支配の効率性を知ってしまった以上はこれを放棄することができなくなってしまうのである。
本書248ページより抜粋(注及び太赤字化は当ブログ著者による)
征服者は彼ら自身としては非水力的形態においてすら、意味ある程度まで農業を実践しているわけではないが、水力的国家(注:「東洋的専制主義」国家のこと)運営の組織的、収取的方法を使用し、伝播させる。遊牧民である彼らは主要な水力的地域の政治的、文化的境界をこえて遠くこれらの方法を運搬する

4.亜周辺としての西欧及び日本
「2」や「3」でも触れたように、無制約の権力を一元的に行使する中央政府を擁する「東方的専制主義」社会と異なり、様々な利害集団と中央政府とが権力を巡る相互に勝ったり負けたりの綱引きを繰り返す多元的分散的な権力分布が定着したのが西欧であった。それが可能となった要因についてウィットフォーゲルは、西欧が地理的に灌漑農業地帯たるナイル川下流域やメソポタミアから隔たっていたこと、豊かな土壌と雨水が中央政府に依存しない生存や富の獲得・蓄積を可能としたこと、以上の2点を挙げている。
この西欧の事情とある程度似た位置にあるのが日本列島である。そこでもやはり豊かな土壌と雨水が中央政府の統制と支配に依存しない生存を可能にし、西欧の封建諸侯に似た武士団の登場と各地での割拠をもたらした。一方で日本列島の諸勢力は隣接する中国大陸から長年にわたって多大な政治的文化的影響を受け続け、成功はしなかったものの、奈良時代から平安時代前期にかけては律令制に基づいたミニ中華帝国とも言うべき体制の構築を目指した努力が行われた。そして17世紀に成立した幕藩体制は、譜代大名や旗本からなる一大官僚組織江戸幕府が経済的軍事的要地を押さえる一方で各地に「藩」という形の封建諸侯割拠も認めるという日本土着の制度と「東洋的専制主義」国家制度の合いの子とも言うべき存在となった。こうした土着の分権的制度を維持しつつ中国大陸の「東洋的専制主義」国家からも看過しえない影響を受けてきた日本の在り方を、ウィットフォーゲルは「伝統的日本は西欧封建主義よりもずっと湿度の高い脚で立っていたのである」と表現している(注4)。

以上に挙げたトピックの他にも、東は北京から西はモスクワ、イスタンブールの辺りに至る広い地域で観察される膨大な官僚群を擁した中央集権国家の生成と展開等について鋭い考察・分析のメスを入れたウィットフォーゲルではあったが、彼の業績は長年日陰に置かれ続けてきた。
その要因としては「東洋的専制主義」国家生成の過程や各地域のそれがどこまで共通性を持った存在なのか、という点に対する実証主義的立場からの反論が強かったことも一つあったが(注5)、より大きかったのは以下の二つの指摘がマルクス主義に心酔しその普遍性と進歩性を些かの疑念もなく確信していた多くの知識人(先進国、途上国の別なく)からの憎悪を買ったことであった。

指摘1.西欧とは異なった環境的歴史的基礎の上で展開した中国等の「東方的専制主義」社会は、マルクスが西欧を観察・分析した上で提唱した『古代奴隷制→封建制→ブルジョワ民主制→社会主義』という発展段階説には適合せず、寧ろ西欧とは違った政治経済体制の下で生き続けるのではないか(そう考えると、中国やロシア等「東洋的専制主義」の下で生きてきた地域は結局西欧とは同じ政治経済体制にはならないのだし、ブルジョワ民主主義の成立とそこからの社会主義への移行も起こることはなくなるので、各国社会主義政権の支配の正当性にも大きな疑問符がつけられることになってしまう)

指摘2.ソ連や中華人民共和国で観察される共産党独裁政権は、人類の進歩を先導する前衛勢力どころか、前近代において観察される専制支配体制の焼き直しに過ぎないのではないか(注6)

だが、1980年代からの中華人民共和国の「改革開放」や1991年のソ連崩壊等を踏まえた21世紀初頭の世界に生きる自分の目からすると、もっと言うと、西欧や米国、日本といった「民主主義+市場経済」で生きる国々(所謂「西側諸国」)から経済制度やテクノロジーを選択的に導入して経済的に多大な成功を収めながらも、政治制度やそれに係る価値観、運営の在り方については西側諸国のそれと殆ど収斂する気配を見せずに生き続けている今日の中華人民共和国やロシアを目の当たりにしている自分の目からすると、ウィットフォーゲルが本書で示した分析や指摘はかなり腑に落ちるのである。

そして本書の読後に思ったのだが、もし仮に西欧や日本と違って立憲主義や議会主義、強い私有権といった分権的諸制度を生みだすような歴史的要因を悉く欠く中華人民共和国やロシアにおいて、今後、テクノロジーの発展による情報の波に影響された形で西側的な分権的諸制度のより広範な導入を求める動きが高揚した場合、その最終的な結果の不透明さは勿論、そこに至るまでの過程が長引き、かつ当該地域に大きな混乱・変動がもたらされることは想像に難くない。
さて、斯くの如き不幸な予測が実現してしまった場合、我々が日々便益を得ている経済や安全保障の体制は、こうした動乱を「民主化に向けた試行錯誤の一環」として鷹揚に受け止められるだけの余裕や堅牢性を示し得るのだろうか?


注釈
注1.そして現在、この西欧の歴史に根差した制度は、欧米諸国の経済的軍事的成功体験への憧れ、更にはそれによる軍事占領或いは植民地化の結果として、西欧とは異なった歴史展開を歩んだ地域にも広く輸出され、これまた様々な悲喜劇を今日に至るまで生み続けている。その中で、今自分が住んでいる日本国が”輸入国”として大きく成功した存在であることは大きな幸いである。
注2.本質的に「いかなる法律によっても制約されぬ権力」であった「東洋的専制主義」国家ではあったが、ウィットフォーゲルが「行政収益逓減の法則」という言葉を使って説明したように、中央政府の支配への脅威度と取締りに伴う財政的技術的負担との兼ね合いから民衆や非国家組織に自由・自治が認められる余地は存在した。しかし、それは中央政府の意向一つでどうなるかわからない砂上の楼閣的な存在でもあった。
注3.このあたりの事情が、津上俊哉氏が著書「岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁」で取り上げた、「国退民進」から「国進民退」への移行の遅れ、即ち、市場経済化を進めた筈の現代中国経済において、民間企業ではなく中国共産党の支配下にある政府や国有企業が審判役兼プレイヤーとして大きな経済的影響力を維持または拡大させているという問題の背景というか基底にあるような気がする。
注4.日本の歴史を土着の分権的勢力と中国大陸に影響を受けた中央集権的勢力のせめぎ合いとして見る見方は、與那覇潤氏が著作「中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史」で示した見方とも共通している。
注5.もっとも、全ての実証主義的立場からの研究が彼の議論を否定するものであったわけではなく、彼の議論を裏付け、または補完するものもあったことは言うまでもない。
注6.ロシア革命後に成立したソビエト政権においてレーニンが政治や経済における中央集権・統制を推進した際にブハーリンがそれに対して「アジア的専制の復古」をもたらす危険性を指摘しているが、その指摘が受け入れられることはなかった。そしてブハーリン自身もレーニン死後の権力闘争の中でスターリンによって敗死の憂き目に遭ったことは有名である。
なお本書の著者ウィットフォーゲルは、未だその身をドイツに置いていた1920年代前半にゾルゲと親交を結んでいた。そのゾルゲが前述のブハーリンに心酔し、後年大日本帝国首都東京からモスクワに向けて第一級のインテリジェンスを送るものの、スターリンからは「ブハーリン派残党の一人として」不信の目で見られたことでそれらがソ連の政策に上手く生かされず、ゾルゲ自身も大日本帝国官憲に摘発、死刑に処せられてしまう(所謂「ゾルゲ事件」)という一連の流れを見ると、何かしら歴史の奇縁というものを感じてしまう。


参考資料
・G・L・ウルメン 「評伝ウィットフォーゲル」 1995年1月 新評論 亀井兎夢訳

2012年3月31日土曜日

第四百五十五段 羅先地区開発続報

最近、何かと世間の耳目を集める北朝鮮の割に注目を集めない話題の話。

当ブログでも度々取り上げてきた北朝鮮・羅先開発地区の動向だが、共同通信の2012年2月16日付「ロシア・東欧ファイル」によれば、同開発地区の羅津港にて増設予定の4~6号埠頭について中国が建設及び50年にわたる使用の権利を獲得したという。この情報と当ブログ第三百七十段で取り上げた同港における埠頭の割当状況を合わせてみると以下のようになる。

・第1埠頭:中国に10年間の貸借。
・第2埠頭:スイスに貸借(期間不明)。
・第3埠頭:ロシアに50年間の貸借。
・第4~6埠頭:中国が建設し、完成後は50年にわたって貸借

なお
当該記事によると、中国は第4埠頭を7万トン級船舶の停泊が可能なものとして建設する他、羅津港隣接地域への空港、火力発電所建設を含めて総額30億ドルの投資を行う予定であるという(注1)。同港及びその周辺地域の開発についてはこの他、信憑性への疑問はあるものの中国による出力40万KW級原発建設計画があるという話も伝えられている(注2)。

また、今年後半にはロシア・ハサンと羅津港を繋ぐ鉄道(総延長54km)の商業運行開始が予定されており、北朝鮮は当該鉄道によって今年10万トンの石炭受入れを計画している(将来的には年300万トンまで拡大の見込み)(注3)。
鉄道を通じて同港に搬入された石炭の最終的な仕向け地として容易に想像されるのは中国だが(注4)、日本海を挟んで対岸に位置する日本においても東日本大震災に伴う各原発の停止によって火力発電への依存が進んでおり、日朝間に困難な政治マターが存在することを踏まえた上でも今後の展開が注目される(注5)。

北朝鮮が関係する大規模開発事業については、上述の羅先開発計画に加え、当ブログ四百六段でも取り上げた露朝韓ガス・パイプライン計画が存在する。北朝鮮によるロケット発射を巡って朝鮮半島情勢が慌ただしくなっている現状だが、各種報道を見る限り、北朝鮮を含んだ6カ国協議諸国の中からこれら開発計画について「破棄」「凍結」「停止」の類の表明又はそれを求める声は出ていないようである(注6)。

愚考するに、北朝鮮の弾道ミサイルの標的となる可能性が現状で極めて低い中国とロシア、そして北朝鮮が既に実戦配備していると目される短距離・中距離弾道ミサイルの射程距離内に国土の殆どが存在する日本や韓国にとって今回のロケット発射が既定の安全保障戦略に与える影響はさほど大きくないこと、残る米国にとってもアフガニスタンやイラン核開発問題を抱えた状態で北朝鮮現政権の急速な崩壊が発生することは望ましくないであろうことから、恐らく北朝鮮政府が核実験にまで歩を進めない限り、これら開発計画が政治的理由によって停止に追い込まれる可能性は今後も極めて低いと思われる。

注釈
注1.共同通信の2012年2月16日付「ロシア・東欧ファイル」を参照のこと。
注2.共同通信の2012年1月20日付「ロシア・東欧ファイル」を参照のこと。
注3.共同通信の2012年3月2日付「ロシア・東欧ファイル」を参照のこと。
注4.2011年1月には羅津港に運び込まれた中国吉林省産石炭が上海へ向けて出荷されている。また、同港に隣接する中国琿春も韓国釜山との間に直結する輸送経路を開拓している。
注5.北朝鮮・羅津港から日本・新潟港までの直線距離は大体870km強といった所。なお、羅津から直線距離にして約130kmほど北にあるロシア・ウラジオストクでは伊藤忠、石油資源開発、丸紅等日本企業5社がガスプロムと合同でLNGターミナル建設計画を推進している。
注6.聯合ニュースの2012年3月31日「<核サミット>韓ロ首脳 北朝鮮のミサイル発射に反対」によれば、ロシア-韓国両国は「ロシアから北朝鮮経由で韓国に天然ガスを供給するパイプライン建設プロジェクトについては、協議を継続する」ことで合意したという。


参考資料
・共同通信 「ロシア・東欧ファイル」 2012年1月20日
・同上 「ロシア・東欧ファイル」 2012年2月16日
・同上 「ロシア・東欧ファイル」 2012年3月2日
・聯合ニュース 「<核サミット>韓ロ首脳 北朝鮮のミサイル発射に反対」 2012年3月31日

2012年3月29日木曜日

第四百五十四段 東欧原発事情 追補

当ブログ第四百二十五段で取り上げた東欧諸国の原発事情だが、その後、色々な動きが出てきたので、追補的なものを一つ・・・・。

スロバキア
既に出力470MWの原子炉2基が稼働しているモホウツェ原発だが、増設炉(出力800MWの原子炉が2基)が今年から来年にかけて順次稼働開始の見込みとなっている(注1)。

チェコ
テメリン原発拡張工事について昨年10月から入札手続きが始まっているが(期限は2012年7月2日、落札企業決定は2013年予定)、チェコ政府が地元企業への下請け発注に積極的な企業を選考する姿勢を見せていることを受け、アレバは地元企業14社と提携し受注額の70%を地元企業に下請け発注することを決定したが、その中でも既にWH、露ASE-チェコ・シュコダJS連合と協力関係を構築しているI&Cエネルゴは、今回のアレバとの提携成立によって落札企業がどこになっても確実に下請け発注を獲得できる状態となった(注2)。

ブルガリア
ブルガリア政府と露ASEとが組んで実現に動き出したものの、その後、建設コスト増大を巡る対立で停滞が続いていたベレネ原発建設計画(2008年建設工事開始 PWR:2基 総出力2000MW)だが、2012年3月28日、遂にブルガリア政府は当該計画の中止を決断した(注3)。
この政府の決断に対し、同国の右派(ブルガリア現政権の主な支持基盤、概してロシアに対しては反抗的)は賛意を示し、逆に左派(ベレネ原発計画を推進した前政権の支持基盤、概してロシアに対しては友好的)は批判的な態度をとっている(注4)(大まかに言って日本とは逆の光景というのが面白いところ)。
なお、ベレネ原発計画のために納入される原子炉は、かねてより拡張計画のあったコズロドイ原発(1~4号 機:VVER-440 5~6号機:VVER-1000)の7号炉として転用されることになっている(注5)。

ポーランド
CO2を多量に排出する石炭火力発電やロシアからの天然ガスに対する依存度を軽減するため、バルト海沿岸部のジェルノビェツ(最有力候補)等を建設候補地として原子炉2基からなる原発建設計画がある。2011年11月~2012年1月末にかけて入札を行い、2013年に落札企業が決定される予定である。
ただし、当該原発計画に対する国民の支持はそれほど高くなく、特に建設候補地の一つであるミエルノで実施された原発建設への賛否を問う住民投票では、有権者の57%に当たる2389人が投票して反対が95%という結果が出ている(注5)。
これを受けてトゥスク首相は、国民の原発計画に対する支持を拡大するため、3月1日から広報キャンペーンを開始した。同キャンペーンの期間は3年で予算は総額2200万ズロチ(525万ユーロ相当)が投じられるという(注6)。

注釈
注1.FBCの「東欧経済ニュース」No763を参照のこと。
注2.
FBCの「東欧経済ニュース」No765を参照のこと。
注3.ロシア国営通信社ITARTASSの2012年3月28日「Bulgaria refuses from Russian nuclear plant Belene project」を参照のこと。
注4.ベレネ原発計画中止を巡るブルガリア国内の右派と左派の反応については、同国メディアNoviniteの2012年3月28日「Bulgaria Rightist to PM: Congratulations for Scrapping Belene!」並びに同日付「Bulgaria Socialists Slam Quitting Belene N-Plant」をそれぞれ参照のこと。
注5.FBCの「東欧経済ニュース」No767を参照のこと。
注6.
FBCの「東欧経済ニュース」No764を参照のこと。なお、ポーランド全体では原発建設賛成派は4割程度とされているが、とりわけミエルノ住民投票で「原発建設反対」が多数を占めたのは、同地が住民の9割が観光業で生計を立てるリゾート地であり、原発の建設によってリゾート地としてのイメージが毀損することを恐れる声が強かったことによるようである。

参考資料
・FBC 「東欧経済ニュース」No763 2012年2月22日
・同上 「東欧経済ニュース」No764 2012年2月29日
・同上 「東欧経済ニュース」No765 2012年3月7日
・同上 「東欧経済ニュース」No767 2012年3月21日
・ITARTASS 「Bulgaria refuses from Russian nuclear plant Belene project」 2012年3月28日
・Novinite 「Bulgaria Rightist to PM: Congratulations for Scrapping Belene!」 2012年3月28日
・同上 「Bulgaria Socialists Slam Quitting Belene N-Plant」 2012年3月28日

2012年3月22日木曜日

第四百五十三段 南極情勢に変化の兆し?

「南極」というと厳しい寒さやペンギンやアザラシの類が生を謳歌する野生の王国といったイメージが一般的であろうが、最近中国やインドの急速な経済発展を背景に世の注目を集めだした「資源」という面から見れば、太古の昔、同じゴンドワナ大陸に属する陸塊であった南アフリカやインド、オーストラリアが貴金属類或いは鉄鉱石、石炭等の豊富な鉱物資源に恵まれていることから南極もまた相応の鉱物資源ポテンシャルを有していると想像されること、そして石油・天然ガスについても、70年代時点でアメリカ地質調査所西部大陸棚に石油450億バレル、天然ガス115兆立方フィートの埋蔵量を見込んでいる(注1)、といった具合に「次のフロンティア」としてもなかなか興味深い対象なのだ。

だが、こうした資源ポテンシャルにも拘らず、厳しい気候による開発コストの高さ、1961年に発効した南極条約による各国領有権主張の凍結や1991年にスペイン・マドリッドで各国が調印した「環境保護に関する南極条約議定書」(注2)を集大成とする諸々の環境保護に係る国際合意の存在が相俟って、南極大陸は資源開発における「永遠の処女地」となってきた。

そんな状況に、微かな変化を感じさせる動きが続いている。

まず厳しい自然環境がもたらす開発コストの高さだが、これは営々と続いてきた開発・探査技術の革新と気候変動による環境条件の緩和、そして中国、インドといった人口大国が経済発展に向かって走り出したことによる資源需要の高まりによって必ずしも乗り越えられない壁ではなくなってきている。南極と同じような課題を抱えながらも最近では資源開発のフロンティアと化している北極圏の状況を見れば、そのことがより実感できよう。

次に南極大陸を開発の手から遠ざけてきた国際合意についてだが、2011年10月26日付の共同通信「ロシア・東欧ファイル」が興味深い話を載せている。それによると、同年6月にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された第34回南極条約諮問会合において、ロシア代表団が南極大陸を「平和と学術に捧げる自然保護地域」と定めた「環境保護に関する南極条約議定書」(記事中では「マドリード条約」と表記)の放棄を提案する作業文書を提出したという。これに対して他の南極条約締約国48カ国(注3)は公式の論評や抗議を発することなく沈黙を守ったというのだ。

無論、ロシア代表団の提案に対して抗議や反発の姿勢を示さないことが必ずしも賛同と直結するわけではないが、上述のように資源開発コストの壁が着実に低下しつつある中、最近になってロシア国営通信社RIA Novostiが南極大陸に対する各国の領有権主張状況地図を掲載したこと、そして南極大陸領有権主張国たる英国とアルゼンチンとの間でフォークランドを巡って再び緊張が高まってきていること(注4)等を考え合わせると、なんとも気になる動きではある。

南極大陸における各国の領有権主張状況

注釈
注1.この数字を現在のデータと単純に比較してみると、南極にはリビアとほぼ同じ石油埋蔵量を期待できることになる。また当時のソ連は南極のガス・石油ポテンシャルについて「アラスカを上回る」との見方をとっていたようである。
注2.当該議定書は調印地に因んで「マドリッド議定書」等とも呼ばれる。当該議定書の調印国は、2008年時点ではアルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ベラルーシ、ブラジル、ブルガリア、チリ、中国、エクアドル、フィンランド、フランス、ドイツ、インド、イタリア、日本、韓国、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ペルー、ポーランド、ロシア、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、イギリス、アメリカ、ウルグアイ、ウクライナ、ギリシア、ルーマニア、チェコ、カナダの33カ国となっている。
注3.南極条約締約国数は第34回南極条約諮問会合時点でのもの。なお2012年1月時点での当該条約締約国数は、南極に基地を設ける等、積極的に科学的調査活動を実施してきているアルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、ブルガリア、チリ、中国、エクアドル、フィンランド、フランス、ドイツ、インド、イタリア、日本、韓国、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ペルー、ポーランド、ロシア、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、イギリス、アメリカ、ウルグアイ、ウクライナの28カ国(これら諸国は特に「南極条約協議国」と称される)とその他の締約国オーストリア、カナダ、コロンビア、キューバ、チェコ、デンマーク、エストニア、ギリシア、グアテマラ、ハンガリー、マレーシア、北朝鮮、モナコ、パプアニューギニア、ポルトガル、ルーマニア、スロバキア、スイス、トルコ、ベネズエラ、ベラルーシの21カ国、総計49カ国となっている。
注4.かつては英国・アルゼンチン両国のナショナリズム衝突の舞台となり、最近では沖合に海底油田の存在も確認されたフォークランド諸島だが、そこにはまた、イギリス本国とその南極観測基地を繋ぐ空港が存在している。

参考資料
・JOGMEC 「南極の地質と石油」 1980年2月
・MSN産経ニュース 「英国からの輸入停止要請 領土紛争でアルゼンチン」 2012年3月1日
・RIA Novosti 「Territorial claims in Antarctica」 2012年2月20日
・共同通信 「ロシア・東欧ファイル」 2011年10月26日
・同上 「「英が原潜派遣の情報」 アルゼンチン外相」 2012年2月11日
・日本外務省 「環境保護に関する南極条約議定書」 2008年12月
・同上 「南極条約・環境保護に関する南極条約議定書」 2012年1月