2012年1月28日土曜日

第四百四十段 音速の遅い読書「大清帝国への道」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。



「史記」や「三国志」が取り上げる時代に比して、いまいち日本では一般の注目が集まらない清王朝の時代だが、現代の中華人民共和国にほぼ継承されたその領域と異民族統治の問題、そして産業革命と軍事革命を背景に帝国主義への道を歩み始めた西欧諸国との接触等、そこで起きたことの多くが、現代の中華人民共和国の有り様、ひいては日中関係にも直接的間接的問わず大きな影響を及ぼしている。

そんな現代にも大きな影響を与えている清王朝について、1583年の始祖ヌルハチの挙兵(注1)から、康煕帝、雍正帝、乾隆帝の三代によって現在の中華人民共和国の領土をすっぽり包む広大な領域の支配者となるに至り、やがて政府制度の老朽化と内憂外患に苦しめられ続けた挙句に1911年の辛亥革命によって滅亡するまでの歴史を扱ったのが本書である。

この本書の中で個人的に最も興味深く感じたのが、清王朝が中華本土のみならずモンゴル高原やタリム盆地、チベット高原に広がる一大領域を支配するに至った理由やその意義である。かつて中華本土を含むユーラシア大陸を広く支配したかつてのモンゴル帝国の拡大の背景には、「通商路・拠点」の確保という経済的な側面が強く影響していたようである。では、清王朝の領土拡大は如何なる動機によってもたらされたものなのだろうか。

本書は次のように述べている(抜粋及び中略はブログ著者による)。
第4章 199~201ページ
ことの始まりは、清朝の対モンゴル政策にある。別に述べたように、第一段階の内モンゴル併合は、アイシン国が南進によって獲得した明の領地(遼東の漢族の農耕地域)の支配を西側から脅かす、内モンゴル世界の軍事脅威に対処する点にあった。清朝は、アイシン国の時代からその経済基盤を漢族農耕社会に求めようとしていた。中国内地支配も、その延長上に位置する経済基盤獲得のための政策にほかならない。それゆえモンゴル世界の強大な軍事力は常に無視できなかった。内・外モンゴルの服属化とは、この軍事上の脅威を解消させることだったのである。
・・・・(中略)・・・・
さらにモンゴル族がチベット仏教徒であることから、チベット仏教の本拠地であるチベット、とりわけその教主であるダライ=ラマとパンチェン=ラマを何らかの形で清朝の統治体制に組み込まなければならなかった。
・・・・(中略)・・・・
すなわち、清朝のチベット政策は、もともとモンゴル政策に関連して起こった宗教政策であり、チベット民族を直接の対象とする民族政策ではなかった。清朝のねらいはあくまでも、ダライ=ラマの宗教的権威を利用してモンゴル族を懐柔する点にあったのである。
・・・・(中略)・・・・
清朝は、天山山脈の南北両地域をモンゴルの安寧とチベットの保持のために征服し、後に新疆と命名した。この地域は、モンゴル族ジュンガル部の本拠として遊牧社会を形成していた北路(北地域)、ジュンガル部の支配下でウイグル族オアシス農耕社会を形成していた南路(南地域)、漢・ウイグル族の複合農耕社会を形成していた東路(南地域の東部分)からなる複雑な様相を呈していた。
・・・・(中略)・・・・
結局のところ、新疆の征服は、モンゴルの「辺患」を除去するためであった。乾隆帝がバルハシ湖以西の中央アジア(西トルキスタン)にまで進軍させなかったのは、あくまでその窮極の目的がモンゴル族を服属させる点にあったからである。

第5章 237ページ
たしかにその結果として、モンゴル・チベット・ウイグルを併合し、清朝の経済基盤である中国内地を取り囲む外壁となる藩部を完成することになった。しかし、外壁を築くことが大きな目的であったかにみえる点からして、守りの姿勢ではなかろうか。


つまり、モンゴル高原やタリム盆地、チベット高原への清朝の拡大は、彼らにとって最大のドル箱たる中華本土の支配を確実なものとするための、謂わば安全保障上の必要性に基づいた行動というわけである。このあたり、「通商の利益」が領土拡大の大きな要因の一つとなったモンゴル帝国とは対照的と言えるかもしれない。

そして、この中華本土を安定して経営するために外縁たる藩部を支配するという図式は、現代の中華人民共和国における経済的に繁栄する沿海部と外敵に対する戦略的縦深、核兵器の実験場、そして石油や天然ガス、鉱物資源等の原材料供給地といった役割を背負わされている新疆や内モンゴル、チベットとを比較して見る時、決して過去の遺物ではないことに気づかされるのである。

注釈
注1.なお、当該段で取り上げている清王朝は、その誕生の初めから「清」という国号を称していたわけではなく、初代ヌルハチの時代には12世紀の女真族王朝「金」に因んで「後金(アイシン)」と称し、二代目ホンタイジの頃に国号を改めて「清」と称するようになったものである。

2012年1月20日金曜日

第四百三十九段 カタールとイスラエルとの微妙な重なり

21世紀初頭において中東は大きく動いている。例えば2003年のイラク戦争によるサダム・フセイン政権の崩壊、湾岸地域のみならずイラクやパレスチナ問題でも存在感を強めるイラン、長年友好関係にあったイスラエルとトルコとの関係冷却化、そして何より2010年末のチュニジア・ジャスミン革命に端を発する「アラブの春」によって等のチュニジアは勿論、エジプトやリビア、イエメンでも既存体制が倒壊し、シリアではアサド(息子)政権が非常な苦境に立たされていることは日々の報道でも報じられている通りである。

そんな激動の中東とその隣接地域において、イスラエルとカタールが微妙な重なり具合を見せている。

ギリシャ
全世界を揺るがす債務危機の発火点となったギリシャだが、カタールは債務危機が取り沙汰される中でも、SWF等を通じてLNGターミナル建設や金鉱山権益の獲得、ギリシャ大手銀の合併支援と積極的な投資姿勢を示している(注1)。
一方のイスラエルは、ギリシャとの安全保障面での関係強化を進め、両国軍による合同演習やイスラエル国防相による初のギリシャ訪問が行われている(注2)。また、イスラエルはギリシャ系住民を主体とするキプロスとも安保面は勿論、海底ガス田開発等でも協力を進めており、これも注目に値しよう(注3)。

リビア

西隣のチュニジア及び東隣のエジプトにおける反体制運動が波及する形で、長年カダフィ大佐の独裁下にあったリビアでも、2011年2月に反カダフィ派の蜂起が開始された。カダフィ政権は蜂起に対して強硬な攻撃策を採用し、同年3月中頃には反カダフィ派の最大拠点たる東部都市ベンガジを陥落間際まで追い詰めることに成功する。これを受けて英仏が音頭を取る形でNATO軍のリビア介入(カダフィ政権攻撃)が決定・実施されることになるのだが、カタールは当初から対カダフィ政権強硬派の英仏に同調し、軍事介入においても空軍や特殊部隊を派遣した(注4)。そして、英仏を中心とするNATO軍とカタール等協力国による空爆によってカダフィ政権軍の消耗が加速され、遂に8月下旬になって首都トリポリが反カダフィ軍によって制圧されることとなり、更に2カ月後には首都を脱出していたカダフィ大佐の身柄拘束及び殺害によってリビア全土は反カダフィ勢力の支配下にはいることとなったのである。
イスラエルとリビアとの関係を見ると、カダフィ政権はイスラエルに対して長く敵対的な姿勢を採り、PLOやアブ・ニダル・グループに武器・資金援助や訓練地を提供してきた。対照的にリビアの新たな支配者となった反カダフィ派は、イスラエルとの関係改善についても前向きな姿勢を示している(注5)。

シリア

前述のように「アラブの春」の波及によって苦境に立たされているシリア・アサド(息子)政権だが、カタールは早い段階からアサド政権の反体制派弾圧に批判的な立場を示し、ハマド首長の口からはシリアに対する「アラブ諸国軍の介入による事態鎮静化」を訴える発言も飛び出している(注6)。現時点では他にハマド首長発言を積極的に支持する国は出ていないようだが、かつてバーレーン政府の反体制派デモ押さえ込みにカタールを含むGCC諸国が軍や警察の部隊を派遣して協力したこと、そしてカタールは英仏に呼応してリビア・カダフィ軍への空爆に兵力を派遣した実績を有することを考えると、ハマド首長発言には「単なる苛立ち」や「ブラフ」の一言で済ますことのできない重みがあると思われる。
なお、イスラエルとシリアとの対立関係は周知の通りで、2000年にアサド(父)前大統領が死去して現大統領政権が発足した当初は「両国関係打開」に一時的な期待も集まったが、結局、さしたる変化もないまま2011年1月のシリア動乱勃発に至っている。

以上、ギリシャ、リビア、シリアを舞台としたカタールイスラエルの微妙な重なり、たまたまと言えばそうなのかもしれないが、それが今後の中東情勢にもたらし得る結果を考えると実に興味深いものがある。

何故なら、第一に、今後もし仮にカタールがその成立の一翼を担ったリビア新体制が親イスラエル的な外交スタンスを確立し、シリアではカタールが批判的立場をとってきたアサド(息子)政権が崩壊して新体制が成立した場合、イスラエルに強硬な立場をとるイスラム主義者が政権を担うであろうエジプトは背後に親イスラエル的なリビアを抱え、イスラエルは新体制成立の渦中にあって外事に関わる余裕をなくした(ひょっとしたならアサド親子政権よりイスラエルに抑制的な態度をとるかもしれない)シリアを背後に擁するという形勢の出現が予測される。
そして第二に、ギリシャやギリシャ系住民が多数を占めるキプロスがカタール又はイスラエルとの協力関係を梃子、きっかけとして経済的にも軍事的にも安定・強化されることになれば、それは、最近、イスラエルから距離をとり始めたトルコに対してまたとない牽制役となろうと考えられるからである。

注釈
注1.カタールの対ギリシャ投資については、Gulf Timesの2010年5月4日「Qatar govt eyes $5bn investment in Greece」、同2011年8月29日「Qatar ‘to inject 500mn euros in Greek banks’ merger’」、miningne.wsの2011年10月3日「Qatari wealth fund on gold buying spree」等を参照のこと
注2.イスラエルとギリシャの接近については、EMGの2011年9月7日「Greece, Israel reaffirm strategic alliance, sign cooperation agreement」、defencegreece.comの2011年12月16日「Joint exercise between the HAF and the IAF in Israel」、同2012年1月7日「Israel’s Defense Minister to visit Greece」等を参照のこと
注3.イスラエルとキプロスの接近については、Jerusalem Postの2011年8月25日「Cyprus wants Israeli support in offshore drilling spat」 、Haaretzの2012年1月19日「Netanyahu headed to Cyprus to boost cooperation on security, offshore drilling」等を参照のこと
注4.カタールの対リビア介入や反カダフィ派支援については、Gulf Timesの2011年3月18日「Qatar, UAE ‘to join international forces’」、RIA Novostiの2011年3月28日「Qatar becomes first Arab country to recognize Libyan National Council」、Gulf Newsの2011年4月1日「Libyan opposition says it has oil deal with Qatar」、CNNの2011年8月24日「Foreign forces in Libya helping rebel forces advance」等を参照のこと
注5.リビア新体制がイスラエルに対して友好的な声明を発表したことは、Haaretzの2011年8月24日「Rebel spokesman to Haaretz: Libya needs world's help, including Israel's」を参照のこと
注6.ハマド首長のシリアに対する発言については、Gulf Newsの2012年1月14日「Arab troops must be deployed to Syria, Qatar Emir says」等を参照のこと。


参考資料
・CNN 「Foreign forces in Libya helping rebel forces advance」 2011年8月24日
・defencegreece.com 「Joint exercise between the HAF and the IAF in Israel」 2011年12月16日
・defencegreece.com 「Israel’s Defense Minister to visit Greece」 2012年1月7日
・EMG 「Greece, Israel reaffirm strategic alliance, sign cooperation agreement」 2011年9月7日
・Gulf News 「Arab troops must be deployed to Syria, Qatar Emir says」 2012年1月14日
・Gulf News 「Libyan opposition says it has oil deal with Qatar」 2011年4月1日
・Gulf Timesの「Qatar govt eyes $5bn investment in Greece」 2010年5月4日
・Gulf Times 「Qatar, UAE ‘to join international forces’」 2011年3月18日
・Gulf Times 「Qatar ‘to inject 500mn euros in Greek banks’ merger’」 2011年8月29日
・Haaretz 「Rebel spokesman to Haaretz: Libya needs world's help, including Israel's」 2011年8月24日
・Haaretz 「Netanyahu headed to Cyprus to boost cooperation on security, offshore drilling」 2012年1月19日
・Jerusalem Post 「Cyprus wants Israeli support in offshore drilling spat」  2011年8月25日
・miningne.ws 「Qatari wealth fund on gold buying spree」 2011年10月3日
・RIA Novosti 「Qatar becomes first Arab country to recognize Libyan National Council」 2011年3月28日
・パトリック・シール 「砂漠の殺し屋アブ・ニダル」 1993年8月 文藝春秋 石山鈴子訳

2012年1月18日水曜日

第四百三十八段 イラクを巡るアナトリアとイラン高原の因縁

昨年12月18日を以て2003年のイラク戦争以来、8年もの間イラクの地に駐屯してきた米軍が完全に撤退した。かといってそれがそのまま同国の平和に繋がるわけでもなく、死者が二桁に及ぶテロ事件の続発が、今後のイラクの先行きに不気味な影を落としている。

現在のイラクの不安定さは、主に中部南部に住むアラブ人と北部に住むクルド人、アラブ人分布地域の中でもバグダッドを中心とした中部のイスラム教スンニー派地域とバスラを中心とした南部のシーア派地域といった具合に地域、宗教、民族を中心として幾重にも走る断層線に起因している(注1)。

このイラク国内における断層線は、100年やそこらで俄に形成されたものではない。大体13世紀後半から始まる、黒羊朝、白羊朝、オスマン朝といったアナトリアを押さえる勢力(大まかに言って宗派としてはスンニー派)とティムール朝やサファヴィー朝、アフシャール朝というイラン高原を根拠地とする勢力(大まかに言って宗派的にはシーア派)の熾烈な領土争いとその結果を受けて形成されてきたものなのだ。
そこに、20世紀、アナトリア、イラン高原両勢力弱体化によって生じた間隙を衝いてペルシャ湾からイギリスが乱入し、強引にスレイマーニヤやモスルを中心としたクルド人地域、バグダッドを中心としたスンニー派アラブ人地域、バスラを中心としたシーア派アラブ人地域を単一の領域に押し込め、アラブの名門ハーシム家(注2)を国王家とするイラク国家を成立させたのである。爾来、クルド人地域、スンニー派アラブ人地域、シーア派アラブ人地域は同じイラク国家という枠組みの中でハーシム王制の開始とその崩壊、バース党政権の登場からサダム・フセイン独裁政権確立、そして2003年の米英軍によるサダム・フセイン政権打倒という歴史の荒波に揉まれて今日に至るのである(注3)

そんな経歴を歩んできたイラクにおいて、現職の首相が以下のような発言を行ったことは注目に値しよう。
Iraqi Prime Minister Nouri al-Maliki has harshly criticized Turkey for its what he said “surprise interference” in his country’s internal affair, claiming that Turkey’s role could bring disaster and civil war to the region something Turkey will itself suffer.

"We... did not expect the way they (Turkey) interfere in Iraq," Maliki said in an interview with the Al-Hurra TV station on Friday, AFP news agency reported on Friday.

He said “we recently noticed their surprise interventions with statements, as if Iraq is controlled or run by them," adding that Turkey’s latest statements interfered in domestic Iraqi affairs.

“And we do not allow that absolutely,” Maliki underlined.

Maliki’s remarks came two days after he was warned by Turkish Prime Minister Recep Tayyip Erdo an that his actions are taking Iraq back from democracy and urged him to take steps that would reduce tensions in the war-torn country following a series of bombings in the capital of Baghdad after Maliki issued an arrest warrant for his Sunni Vice President Tariq Hashemi last month.

Many attacks in recent days in Iraq have targeted the country's Shiite majority, increasing fears of a serious outbreak of sectarian violence following the withdrawal of US troops last month.

Large-scale sectarian fighting pushed the country to the brink of civil war in 2006-2007. Well-armed Sunni insurgents and Shiite militias continue to operate in the country.

The increase in violence comes as Iraq's leaders remain locked in a political crisis that is stoking tensions between the Shiite majority now in power and the country's Sunnis, who benefited most from ousted dictator Saddam Hussein's rule.

The leaders of Iraq's rival sects have been locked in a standoff since last month, when the Shiite-dominated government called for Hashemi's arrest on terrorism charges, just as the last American troops were completing their withdrawal from the country. Hashemi, Iraq's highest-ranking Sunni politician, remains holed up in the semiautonomous Kurdish region in the north, out of reach of state security forces.

“If it is acceptable to talk about our judicial authority, then we can talk about theirs, and if they talk about our disputes, we can talk about theirs," Maliki said in the interview, claiming that Turkey is playing a role that might bring disaster and civil war to the region, and that Turkey itself will suffer because it has different sects and ethnicities.

During his phone conversation with US President Barack Obama on Friday, Erdo an also talked about the latest situation in Iraq, where two leaders agreed that a broad-based and inclusive government is necessary for stability in the country.

Today's Zaman(2012年1月14日より)


要するに、マリキ・イラク首相が、イラク北部を含んだクルド人地域で軍事活動を活発化させているトルコに対し、「我が国(イラク)に対して干渉を行っているが、我々はこれを容認しない。また、こうしたトルコの動きは内戦をもたらしかねないものだ」という旨の非難を加えたのである。歴史的にイラン高原と関係の深いシーア派アラブ出身であるマリキ首相がアナトリアを支配するトルコのイラクにおける影響力拡大の動きを非難するという今回の構図を見る時、自然と意識が13世紀後半以来繰り返されてきたイラクを巡るアナトリアとイラン高原の因縁に向いてしまうのは致し方ないことであろう。

無論、現状ではトルコとイランは歴史的にも珍しい良好な関係下にある。だが、件のマリキ首相発言は、「イラクの支配権を巡る争い」というトルコ-イラン両国間に横たわる歴史的地雷が今も決して解除されてはいないことを示しているのではないか。
そして今後もし仮に、イラクを巡ってトルコとイランの歴史的地雷が炸裂するような事態が発生した場合、かつてイルハン朝がマムルーク朝と対峙し、サファビー朝がオスマン朝と争いを繰り広げていた頃のように、イラン高原勢力がシリアやアナトリアと言った西隣の敵を牽制するため、その更に西にあるレバントの十字軍国家や西欧諸国と誼を通じていた時代が再来するのかもしれない。

注釈
注1.なお民族ではアラブ人とクルド人、宗教ではイスラム教のスンニー派とシーア派に注目が集まりがちなイラクだが、他にもトルクメン人やアッシリア人といった少数民族がおり、宗教面でもアッシリア東方正教会(所謂「ネストリウス派」)やローマ・カトリックに帰属するカルディア教会等のキリスト教諸派やヤズィーディーといった少数勢力が存在する。
注2.元々ハーシム家はイスラム教預言者ムハンマドの血脈に繋がる由緒の正しさでは折り紙つきの一族であり、10世紀以来、アラビア半島にて聖地たるメッカやメディナが属するヒジャーズ地方の太守を務めてきた。第一次大戦の勃発とその敗戦によってオスマン帝国が力を失うと、1917年、英国の後援を受けて独立を宣言するが、8年後にはリヤドを中心に急速に勢力を伸ばしたイブン・サウードによって支配地を奪われてしまう。その後、英国は流浪の身と化したハーシム家にトランス・ヨルダン地域とイラクをそれぞれ与え、新英政権の運営にあたらせた。このうち、イラクのハーシム政権は1958年のクーデターで崩壊してしまうが、トランス・ヨルダンのハーシム家はヨルダン王国王家として今も健在である。また、ハーシム家をヒジャーズ地方から追放したイブン・サウードが建立した国こそ、現在のサウジアラビアである。
注3.本文の記述のように、クルド人地域やスンニー派アラブ人地域、シーア派アラブ人地域を包摂したイラク国家という枠組みは20世紀にイギリスが作り出したものである。そして後年、サダム・フセイン政権が「イラク国家の統一」を守るためであればシーア派アラブ人への弾圧やクルド人への化学兵器使用も躊躇わなかったことを考えると、当該政権は一面ではイギリスが残した枠組みの最も熱心かつ容赦のない後継者・信奉者であったと言えるかもしれない。それが2003年に当のイギリス及びその同盟国たる米国の軍事力によって葬り去られ、結果、今まで当該政権によって強権的に押さえ込まれていたイラク国内の断層線が活発化して米英にも牙を剥いたことは、極めて皮肉な事態であろう。


参考資料
・BBC 「Turkey and Iran 'collaborating against Kurdish rebels'」 2011年10月21日
・BBC 「Last US troops withdraw from Iraq」 2011年12月18日
・BBC 「Dozens killed in co-ordinated Baghdad attacks」 2011年12月22日
・BBC 「Iraq suicide bomb kills 50 in Basra pilgrims attack」 2012年1月14日
・Today's Zaman 「Iraq’s Maliki slams Turkey, claims it can bring civil war to region」 2012年1月14日
・フランシス・ロビンソン 「ムガル皇帝歴代誌」 2009年5月 創元社 小名康之監修
・永田雄三 羽田正 「世界の歴史15 成熟のイスラーム」 1998年1月 中央公論新社
・菅瀬晶子 「イスラームを知る6 新月の夜も十字架は輝く―中東のキリスト教徒」 2010年6月 山川出版社
・中嶋猪久生 「イラン原油代金決済をめぐりバトルは続く」 2011年1月14日 JIME「中東動向分析」Vol.10 No.6所収
・那谷敏郎 「三日月(クレセント)の世紀―「大航海時代」のトルコ、イラン、インド 」 1990年5月 新潮社

2012年1月16日月曜日

第四百三十六段 湾岸情勢雑感

イランと欧米やイスラエルとの間で緊張が高まっている昨今、たまに「今回の危機は、兵器の売り込みや安全保障の傘の提供によって湾岸地域での影響力拡大を狙った欧米が煽り立てたものであり、湾岸諸国はそれに踊らされているに過ぎない」といった言説を目にすることがある。

確かに短期的に見れば、イランとの緊張激化が欧米の防衛企業が湾岸諸国政府から注文を獲得したり、軍事的な安心感を提供できる米国等の影響力が湾岸地域で高まると言ったように、欧米の利益に結びつくことは十分に考えられる。しかし一方で、「イランの脅威」が喧伝されることはGCC諸国政府にとっても以下のような利点を有するのではないか。

1.国内のシーア派住民や反体制派に対する統制・管理強化が正当化し易くなる。
GCC諸国内におけるシーア派住民や現政権に批判的な勢力への各政府の対応について、平時であれば、「人権問題」に敏感な西側世論を横目に見つつ対応策の幅が懐柔的・宥和的な方向に限定され易くなるが、現在のような「イランの脅威」がクローズアップされる局面では、政府はシーア派住民や批判的勢力について「奴らはイランに煽動された過激分子、テロリストだ」という理由を掲げ、外部の目をあまり気にせず、対応策を強硬な方向にも拡大し、時にはそれを実施することがより容易になると考えられる。

2.西側諸国から現政府に対する支持・支援が得易くなる。
前述のものとやや重複するが、現在のGCC諸国に対して西側諸国では、宗教的少数派や女性、反政府的な思想を持つ人物に対する権利保障のありようについて批判的な声が一定数存在する。平時であれば、西側諸国政府・議会は選挙や支持率を意識してそうしたGCC諸国に批判的な声に迎合し、「西側的価値観に近づくような改革を行え。さもなくばお前の国に対する我々の支持は望めないぞ」という姿勢を採ることがままある。しかし、現在のような「イランの脅威」がクローズアップされる局面では、西側諸国においても「GCC諸国の体制に多少人権問題等で難があったとしても、そこを執拗に突き過ぎては彼らをイラン側に追いやってしまいかねない。従って彼らに対する非難は控えるべきだ」という声が説得力を持ち易くなり、結果、GCC諸国政府は西側諸国政府からの支持・支援を得易くなると考えられる。

3.米国やイスラエルとの関係強化・改善がやり易くなる。
現状で約7500万人という中東トップレベルの人口を抱え、それを背景に総兵力52.3万人(陸軍35万、海軍1.8万、空軍3万、革命防衛隊12.5万)と見積もられているイランは、今回に限らず常日頃からGCC諸国にとって安全保障上大きな問題である(注1)。従ってイランの軍事力を相殺するためには、米国なりイスラエルなりとの関係が重要になってくることは言うまでもない。しかし、GCC諸国政府にとっては厄介なことに、米国やイスラエルとの関係は宗教や政治体制に係る価値観、パレスチナ問題等によって国民の間は勿論、政府機関内においても批判に非常に晒され易いものとなっている(特にイスラエルとの関係は)。GCC諸国政府の現実派にとっては歯痒いことこの上ない状況だが、そこで喫緊の課題として「イランの脅威」がクローズアップされてくることになると、「自国がイランに蹂躙・併呑されないようにするため」という反米派・反イスラエル派にも相応の訴求力を持った大義名分を掲げて米国やイスラエルとの軍事協力強化が進め易くなると考えられる。

以上のように、現状の「イランの脅威」がクローズアップされる状況がGCC諸国にとっても都合の良い一面を有していること(それが”発火”という大きな危険とも隣合わせであることは言うまでもないが)、そして何より二つの石油危機や湾岸戦争、イラク戦争といった大規模イベント発生時やその前後における湾岸諸国の立ち振舞いを見ていると、「イランの脅威を煽る欧米とそれに踊らされるだけのGCC諸国」という見方は、あまりにGCC諸国の自律性や判断力を過小評価した見方と言えるのではないか。

注釈
注1.なお「データブック・オブザ・ワールド」の2011年版によれば、GCC諸国の総人口と兵力は次の通りである(四捨五入のため、兵力と陸海空軍等の合計は必ずしも一致しない)。
・UAE:総人口470.7万人、兵力5.1万人(陸軍4.4万人、海軍2.5千人、空軍4.5千人)
・オマーン:総人口290.5万人、兵力4.3万人(陸軍2.5万人、海軍4.2千人、空軍5千人、王室近衛部隊6.4千人、その他2千人)
・カタール:総人口150.8万人、兵力1.2万人(陸軍8.5千人、海軍1.8千人、空軍1.5千人)
・クウェート:総人口305万人、兵力1.6万人(陸軍1.1万人、海軍2千人、空軍2.5千人)
・サウジアラビア:総人口2624.5万人、兵力23.4万人(陸軍7.5万人、海軍1.4万人、空軍2万人、防空軍1.6万人、国家警備隊10万人)


参考資料
・二宮書店編集部編  「データブック オブ・ザ・ワールド 2011 -世界各国要覧と最新統計-」 2011年1月 二宮書店

2012年1月14日土曜日

第四百三十五段 北朝鮮現体制に対する物凄く大雑把な感想

昨年12月に金正日総書記の死亡が報じられ、以来、不安定な過渡期にあると見られる北朝鮮現体制に対する物凄く大雑把な感想。

現在の北朝鮮を支配する金(キム)王朝体制というのは、結局古びたゴミ箱なのだろう。

古びたゴミ箱は所々綻びがあって、そこから、周辺諸国が鼻をつまんで目を背けたくなるような、核技術やミサイルの開発・拡散、難民(脱北者)といった異臭芬々たる問題が一部ちょこちょこと漏れ出している。そして漏れ出した問題群はそっくりそのままコストや危険として周辺国にのしかかっている。

こうした状況を積極的に肯定するような周辺諸国は恐らく存在しないだろう。かといって、漏れ出した厄介事に逆上して古びたゴミ箱を粉砕してしまえば、今度はその中に詰まっていた厄介事が何の制限もなく溢れ出すことになってしまう。

溢れだしたゴミを収めるために新しいゴミ箱を調達できればいいのかもしれないが、果たしてそう都合よく新しいゴミ箱が現れるかは疑問であるし、仮に首尾よく新しいゴミ箱が調達できたとしても、それが現在の古いゴミ箱よりもましな容量や耐久力を持っているとは全く限らない。

かくて周辺諸国は、漏れた異臭やゴミにしかめっ面を浮かべ、愚痴をこぼしつつも、「壊れて中身が無秩序に溢れだすよりはまだマシだ」と自分たちに言い聞かせ、古いゴミ箱が壊れて本当に駄目になるその時まで、時には限定的な食糧援助等のちょっとした弥縫策を施しながらこれと付き合い続けるのだろう。

2012年1月13日金曜日

第四百三十四段 シリアを巡るイランとヒズボラの不一致?

米無人偵察機のイラン軍による捕獲、ホルムズ海峡を巡る米・イラン両国の鞘当て、GCC諸国の米国からの兵器大規模購入、イラン国内における核専門家の爆殺等等で緊張の高まる中東情勢。結局当該ブログ第四百二十三段で提示した「イランと米国・イスラエルの緊張は意外に早く収束するのではないか?」という見方は完全に外れた形だが、それでも懲りずにまた中東についての将来予測的な要素を含んだ話を一つ・・・・。

昨年1月下旬から発生したシリア動乱を巡るイランとヒズボラの動きについて、最近2つの興味深い報道が流れた。

一つはイスラエル紙Jerusalem Postのサイトに掲載されたもので、イスラエル国防軍情報部長官が「イランとヒズボラが武器供給等でシリア・アサド政権を積極的に支援している」という見解を示したというもの。以下がその記事本文となる

Military Intelligence chief Maj.-Gen. Aviv Kochavi says "radical axis" becoming more actively involved in Assad's violent crackdown.

Iran and Hezbollah are actively assisting Syrian President Bashar Assad and providing him with weaponry as part of an effort to ensure that he survives in the face of growing resistance and protests, head of Military Intelligence Maj.-Gen. Aviv Kochavi said on Wednesday.

Kochavi spoke at the graduation ceremony for IDF intelligence officers.

“The radical axis is trying to retain its power and as time passes, Iran and Hezbollah increase their efforts to help the Assad regime survive by providing knowledge, weaponry and other capabilities,” Kochavi said.

The IDF intelligence chief said it was possible that in the long term the ongoing upheaval in the Middle East would have a positive outcome, but in the immediate term “the dangers are increasing.”

Kochavi’s comments came a day after Turkish customs officials intercepted four trucks suspected of carrying military equipment from Iran to Syria.

The governor of the Kilis province said the trucks were confiscated at the Oncupinar border crossing into Syria after police received information about their cargo, according to Dogan news agency.

Jerusalem Post 2012年1月11日より

そもそもアサド(父)前シリア大統領の時代から、シリアとイラン及びヒズボラは親密な協力関係下にあった。一方は社会主義経済とアラブ民族主義を掲げるバース党政権、もう一方はイスラム法学者による直接統治を掲げるイスラム革命体制とイデオロギー的には水と油とも言える彼らが手を結んだのは、反米意識の共有とサダム・イラク、イスラエル、トルコに対する警戒心(敵対心)によるものであった。
それを考えれば、国内反体制派の蜂起に手こずる現シリア政権に対し、イランやその影響下にあるヒズボラが支援を行うというのは至極当然の話のようにも思える。

しかし、2つ目に取り上げる記事では、シリアと実質的な同盟関係にあるイランから物心両面で強い影響を受けていると目されているヒズボラについて、上記のJerusalem Post記事と相反するような内容が記されている。それが以下に掲示するal bawadaの記事である。

Lebanese security sources have confirmed that "dozens of members of Shiite Hizbullah and Amal movement are involved in smuggling arms across the Syrian border to the rebels." These elements buy the weapons in Lebanon and Libya and smuggle it to the "Free Syrian Army", mainly to Damascus countryside and Homs.

The sources pointed out that "the leaders of Hizbullah in the southern suburbs of Beirut and the Bekaa, arrested a number of these cadres and seized some of the arms shipments." According to the sources, the smugglers use the same illegal border crossings used by Hizbullah for the past 10 years to smuggle Iranian arms for the Syrian regime

The sources noted that officers of the regime's Syrian army have been facilitating the entry of the smuggled arms to the rebels in return from money deducted from the profits generated by the Hizbullah smugglers.

Lebanese security sources revealed also that "military units loyal to the Syrian government killed over the recent period a number of smugglers trying to deliver arms to the rebels in the town of Zabadani, close to the Syrian Lebanese border. In one case near Lebanon's northern border, a number of Hizbullah members including a truck loaded with weapons were seized. In addition, Syrian forces arrested several Syrian officers, including one in the rank of colonel, who were involved in the operation.

In a related development, a former member in Amal movement conveyed that "there are senior political figures in the Syrian ruling Baath Party who are involved in the arms smuggling to the rebels. The main sources of these illegal weapons are Lebanon, Iraq, Jordan and Turkey. Senior bankers, businessmen and traders contribute to financing the purchase of weapons and smuggling into Syria. They choose to make this in order to secure their future in the event of the success of the revolution and the downfall of the (Syrian President) Bashar al-Assad. "

al bawada 2012年1月11日
シリアに隣接する「レバノン治安筋」を情報源とする当該記事は、ヒズボラやアマルといったレバノンにおけるイスラム教シーア派組織(両組織ともイランとの関係が深いとされる)に属するメンバーの多くが、国境を超えてシリア政府軍内応者の手引を受けつつ反アサド派組織「自由シリア軍」に武器を密輸していると伝えている。

この一見相反したJerusalem Post記事とal bawada記事の内容、どちらかが誤報虚報の類と考えれば話は単純で、前者のみが事実だとしたらヒズボラやその背後にいると目されているイランは依然としてアサド政権存続にベットし続けているのだと考えられるし、後者のみが事実だとすればイランとヒズボラ等はアサド政権の崩壊も視野に入れて動き始めたと考えられる。

では両報道が共に事実だということは、つまりイランとヒズボラは公式にはアサド政権支持を打ち出し、裏側ではヒズボラ等が反アサド派に武器を密輸しているということは果たしてあり得るのだろうか?

ここでイランとヒズボラの置かれた状況の違いを概観してみると、前者は中東でトップクラスの人口(約7500万人)と広大なペルシャ高原ほぼ全体を押さえる国民国家でシリアとはイラクという緩衝地で隔てられている。もう一方は小国レバノン(総人口約425万人)の一勢力であってしかもそのレバノンはシリアと直接国境を接している。
斯くの如く対照的とも言える両者の地政的状況の相違が、無条件にアサド政権を支持するイランと表立ってはアサド政権を支持しながらも裏で反アサド派とも気脈を通じようとするヒズボラといった具合にシリアへの対応を巡るシーア派勢力内の不一致を生んでいる可能性は十分にあると考えられる。

そしてこのイランとヒズボラ等とのシリアを巡る不一致は、今後の帰趨が不透明なシリア情勢において一種の両建て、リスク・ヘッジとして機能すると予測される。即ち、仮に今回のシリア動乱でアサド政権が生き残った場合には、公式にアサド政権支持を打ち出してきたイラン政府が反体制派への武器密輸でアサド政権の不興を買ったヒズボラの立場を取りなし、また逆に反アサド派が勝利した場合には、武器密輸を通じて彼らと気脈を通じてきたヒズボラが今までのアサド政権支持政策でシリア新支配者の不興を買ったイランの立場をとりなすといった具合に。(無論、それがイランやヒズボラがどこまで意図的に動いた結果なのかについては大いに議論の余地があろう)

参考資料
・al bawada 「Sources: Hizbullah, al Baath members involved in arms smuggling to Syrian rebels」 2012年1月11日
・Jerusalem Post 「'Iran, Hezbollah providing weaponry to Assad'」 2012年1月11日

2012年1月8日日曜日

第四百三十二段 琉球諸島プレイスメント

身に沁みるような冷風の吹き荒ぶ昨今、叶うならば常夏の南国にでも我が身を移したい衝動にかられるが、そんな「常夏の南国」というと日本で真っ先に思い浮かぶのが沖縄本島を中心とした琉球諸島である。この琉球諸島、亜熱帯気候に属し、殆どの島々で稲作に適した平野や河川の存在を欠くために生活の活路を海に見出さざるを得ない、日本本土(注1)や朝鮮半島、中国大陸や台湾と海路を通じて隣接していると言った地理的条件を背景に日本本土とは大きく異なる独特の文化・歴史を展開させて今日に至っている。

こう言うと、かつては独立の王国であった「琉球王国」やそれに対する大日本帝国の「琉球処分」、1945年の地上戦を経た上での米国による占領と1972年まで続くその統治等がすぐさま連想されるであろうが、それ以外にも、琉球諸島を巡っては現代の我々がよく知る今の形、即ち、「日本国沖縄県」という形とは異なる状態になり得た動きが数々存在したことはあまり知られていない。

琉球諸島の所属が現在の我々にとっては常識とも言える「日本国沖縄県」という枠組みとは異なる状態になり得た例として最初に挙げるのは、「分島改約案と琉球三分論」である。
長らく薩摩藩(日本)の実質的支配下にありながら清王朝への朝貢も続けるという状態を続けてきた琉球王国だが、明治維新(1867年)を経て誕生した大日本帝国は1879年、「琉球処分」を行って琉球王国とその支配下にあった琉球諸島の島々を自国の領域に組み込む。だがこれに長年琉球の朝貢を受け入れてきた清王朝が反発の構えを示したことから、両国はグラント前米国大統領(当時)の仲介によって琉球諸島の位置付けを確定するため、翌1880年(明治13年)に交渉を開始することになる。
この時、大日本帝国側が提示したのが「分島改約案」というもので、概略的に内容を述べると、「琉球諸島のうち台湾に近い宮古・八重山両島は清朝に割譲し(分島)、清朝はその見返りとして日清修好条約を改定して日本商人に西洋人と同様の中国大陸における通商権や大日本帝国に対する最恵国待遇を認める(改約)」というものであった。
一方の清朝側が提示した「琉球三分論」とは、「琉球諸島のうち、中部には琉球王国を復活させて日清両国がこれを保護する。そして北部の奄美諸島は大日本帝国領とし、南部の宮古・八重山両島は清朝領とする」というものであった。
両案の主張する所をそれぞれ地図で示したのが以下のものである(ただし、境界線は概略的なもの)。


日清両国の交渉は8回にわたって行われたが、清朝側で「琉球三分論」提唱者たる李鴻章の力が権力闘争で弱まったこともあり、交渉は大日本帝国側が提示した「分島改約案」をベースとして行われることとなった。そして1880年10月21日に「分島改約案」を概ね認める形で日清両国間合意が成立し、琉球条約案が両国全権の間で議定された。
このまま当該条約案が調印されれば宮古・八重山は清王朝の領有となり、ひいてはその後継国家たる中華人民共和国若しくは台湾(中華民国)の領有となっていたのであろうが、清王朝側で「分島改約案」に反対していた李鴻章が権力闘争で巻き返しに成功したこと、そしてその李鴻章によってロマノフ朝ロシアとの関係が改善されたことによって「我々に不利な分島改約案に則った条約なぞ調印する必要はない」という声が強まったことで、大日本帝国側の条約調印督促も空しく、琉球条約案は店晒し状態となってしまう。
結果、琉球諸島の帰属については日清両国間で確たる取り決めもないまま大日本帝国による実効支配が続き、やがて1894年の日清戦争において大日本帝国が勝利し清朝が敗北したことで、琉球内部の親清朝派の発言力が決定的に失われたこと、台湾・澎湖諸島までが大日本帝国領となったこと等により「琉球諸島全体が大日本帝国に属する」という見方がデファクト・スタンダードとなり、後の日本国にまで引き継がれていくのである。

二つ目に上げるのは、「大日本帝国琉球諸島放棄案」である。
時は1945年、ナチス・ドイツに与して太平洋戦争を開始したものの、既に「絶対的国防圏」と見なしていたマリアナ諸島が陥落して首都東京までもがB-29の猛爆に晒され、まさに大日本帝国が滅亡を前にした断末魔の叫びをあげていた時の話である。
繰り返しめいてしまうが、マリアナ諸島が陥落してそこを起点としたB-29の爆撃が日常化し、米潜水艦隊による通商破壊作戦が大日本帝国の兵站をずたずたに引き裂いていた1945年、大日本帝国上層部は「本土決戦で米軍に痛撃を与え、その後ソ連を仲介役として講和に持ち込む」という構想を未だ捨ててはいなかった。同年2月(4日~11日)のヤルタ会談にてスターリンが米英に対し対日参戦を確約していたことを知っている未来人の目からすれば狂気の沙汰としか言いようのない考えであるが、それを知らない当時の上層部は一縷の望みをソ連に託して疑わなかったのである(注2)(注3)。
斯くの如き事情を反映して参謀本部の種村佐孝大佐(当時)が1945年4月20日に提出した「今後ノ對「ソ」施策ニ對スル意見」には以下の如き記述があって注目される(太赤字は著者による)(注4)。
四 對ソ施策實施上我方ノ譲歩スベキ条件

前項目的ノ達成ノ為必要ナル条件ハ悉ク之ヲ停止シ譲歩シ解放シ断念スルニ吝カデアツテハイケナイ、換言スレハ「ソ」側ノ言イナリ放題ニナツテ眼ヲ潰ル、
日清戦争後ニ於ケル遼東半島ヲ還付シタ悲壮ナル決心ニ立換ツタナラバ今日日本ガ満洲ヤ遼東半島ヤ或ハ南樺太、台湾ヤ琉球ヤ北千島ヤ朝鮮ヲカナグリ捨テヽ
日清戦争前ノ態勢ニ立チ還リ、明治御維新ヲ昭和ノ御維新ニヨツテ再建スルノ覚悟ヲ以テ飽ク迄日「ソ」戦ヲ回避シ對米英戦争ニ邁進シナクテハナラナイ
結局、スターリンが既に対日参戦を決定していたこともあって、この種村大佐案が実を結ぶことはなかったのだが、もし仮に当時の大日本帝国が「日清戦争前ノ態勢」に立ち返ることに成功していたなら、放棄された各海外植民地及び琉球諸島がどのように分割されていたのか、非常に想像を掻き立てる題材と言えよう。

また、手許に詳細な資料がないので3例目としては挙げなかったが、1949年の与那国町長選では「日本復帰派」、「与那国独立派」、「台湾(中華民国)帰属派」がそれぞれ擁立した3候補の争いとなり、「日本復帰派」候補が勝利したという事例もある。

これら諸事例が示すように、琉球諸島とは明治以降の日本において極めて国境線変更やそれに繋がりかねない事態が発生し易い、謂わば「柔らかい下腹部」であり続けてきたのだ。

ところで、地方が中央に期待するのは、基本的に中央が方々から集めた(収奪した)経済的利益の再配分と安全保障である。もしこの地方の希望を中央が果たせなくなれば、両者の間に共通の歴史や文化、宗教があろうがなかろうが、中央がよほど強権的な措置を取らない限り地方は独立して自ら権益と平和の確保に動こうとする(そのために外国勢力との提携に動くことも稀ではない)。
これには清朝末期から中華人民共和国成立までの中国大陸における地方軍閥の乱立、オスマン帝国におけるムハンマド・アリーらの動き、ムガル朝におけるシク教国や藩王国の割拠といった例があるし、これら軍閥やムハンマド・アリー政権、シク教国や藩王国との欧米列強(中国大陸においては大日本帝国がこれに加わる)との複雑な離合集散は近現代史に興味のある向きにはお馴染みのものであろう。
日本列島においても、足利義満より後から羽柴秀吉による統一政権樹立までの中央の地方掌握力が殆ど存在しなかった時代を見ると、対馬や北九州、山陰に蟠踞した諸大名は明や李氏朝鮮と独自に通商(往々にして密貿易だったりするが・・・・)やそれに伴う外交交渉を繰り広げていたし、ポルトガルからの軍事援助を期待して長崎港とその周辺地をイエズス会に寄進した大村純忠といった例が存在したことは有名である。

ここで話を現代の琉球諸島に戻すと、現状で当該地域を押さえる日本国は国内経済の不調とそれを反映した税収減少傾向の中(特に所得税と法人税)、単純に考えれば中央から地方への余剰分配は拡大が望みにくい状況下にあり(注5)、まして防衛費の増強は未だ根強い反戦世論等の非経済要因もあってなおのこと考えにくい(注6)。他方、それとは対照的に、中華人民共和国は目覚ましい経済成長によって台湾を含めた周辺諸国を引きつける強力な磁場を形成しつつあり(注7)、更には積極的に空軍力の近代化・増強に努めている。

さて、上述の如き形勢が仮に長く続いた場合、前述のように日本にとって「柔らかい下腹部」であり続けてきた琉球諸島がどのような動きを見せるのだろうか? 琉球諸島が日本の領土となっている現状が無条件で永久に続くものだと思い込み続けている者は、これから先、思わぬところで足元をすくわれることになるのではないだろうか?

注釈
注1.ここでは「日本本土」と言った場合、北海道、本州、四国、九州とそれらに近接した諸島嶼を指す。
注2.もっとも、駐在武官としてスウェーデンに派遣されていた小野寺信少将は欧州に張り巡らせた諜報網によってヤルタ会談とその主な内容を掴んでいた。それは妻の百合子氏の手によって本国に打電されていたのだが、本国の側にはその内容を検討したという記録はおろか、受信したという記録すら存在しない。まさに現代史のミステリーとも言える出来事である。
注3.そんな彼らの期待はヤルタ会談を受けたソ連の対日参戦(1945年8月6日より開始)によって盛大に粉砕されてしまうのだが、それはまた別の話。
注4.種村大佐の提言がなされた1945年4月20日時点、既にソ連は日ソ中立条約について「情勢が締結当時と一変し・・・・日ソ中立条約の意義は失われた」として「翌年期限切れとなるが延長しない」旨を日側に通告していた(1945年4月5日)。
注5.とは言いつつ、地方交付税の推移を見ていくと、平成14年度(2002年度)には18兆3722億円であったものが、平成21年度に14兆8710億円にまで減少した後、平成22年度に15兆8797億円、平成23年度に16兆4191億円(「子ども手当の支給等に関する特別措置法」の成立を反映した再計算額)と上昇傾向にある。この傾向が日本国内の経済事情に照らし合わせて持続可能なものなのかは、著者の浅学もあって俄には判断し難い。
注6.日本の防衛費については、1997年度から2004年度までは4.9兆円台が継続してきたが、2005年度から減少傾向にあって2010年度以降は4.6兆円台が続いている。
注7.なお「JBIC台湾レポート2011年2・3月合併号」によると、中国は福建省平潭総合実験区を中軸として中台協力による経済開発、所謂「海西経済区計画」を推進している。現状、台湾側はインフラの整備状況や計画窓口が北京中央ではなく福建省であること等から参加に慎重姿勢を示しているが、他方、日本では沖縄県を中心に同計画との連携に期待する声が強まっているという。


参考資料
・鹿島守之助 「日本外交史第3巻 近隣諸国及び領土問題」 1970年5月 鹿島平和研究所
・参謀本部所蔵 「敗戦の記録」 1989年2月 原書房
・手嶋龍一 「ライオンと蜘蛛の巣」 2006年11月 幻冬舎
・小野寺百合子 「バルト海のほとりにて  武官の妻の大東亜戦争」 1985年12月 共同通信社
・総務省 ホームページ「地方交付税」
・長谷川毅 「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」 2006年2月 中央公論新社
・国際協力銀行 「JBIC台湾レポート2011年2・3月合併号」 日本政策金融公庫
・防衛省 ホームページ「予算等の概要」