2012年1月16日月曜日

第四百三十六段 湾岸情勢雑感

イランと欧米やイスラエルとの間で緊張が高まっている昨今、たまに「今回の危機は、兵器の売り込みや安全保障の傘の提供によって湾岸地域での影響力拡大を狙った欧米が煽り立てたものであり、湾岸諸国はそれに踊らされているに過ぎない」といった言説を目にすることがある。

確かに短期的に見れば、イランとの緊張激化が欧米の防衛企業が湾岸諸国政府から注文を獲得したり、軍事的な安心感を提供できる米国等の影響力が湾岸地域で高まると言ったように、欧米の利益に結びつくことは十分に考えられる。しかし一方で、「イランの脅威」が喧伝されることはGCC諸国政府にとっても以下のような利点を有するのではないか。

1.国内のシーア派住民や反体制派に対する統制・管理強化が正当化し易くなる。
GCC諸国内におけるシーア派住民や現政権に批判的な勢力への各政府の対応について、平時であれば、「人権問題」に敏感な西側世論を横目に見つつ対応策の幅が懐柔的・宥和的な方向に限定され易くなるが、現在のような「イランの脅威」がクローズアップされる局面では、政府はシーア派住民や批判的勢力について「奴らはイランに煽動された過激分子、テロリストだ」という理由を掲げ、外部の目をあまり気にせず、対応策を強硬な方向にも拡大し、時にはそれを実施することがより容易になると考えられる。

2.西側諸国から現政府に対する支持・支援が得易くなる。
前述のものとやや重複するが、現在のGCC諸国に対して西側諸国では、宗教的少数派や女性、反政府的な思想を持つ人物に対する権利保障のありようについて批判的な声が一定数存在する。平時であれば、西側諸国政府・議会は選挙や支持率を意識してそうしたGCC諸国に批判的な声に迎合し、「西側的価値観に近づくような改革を行え。さもなくばお前の国に対する我々の支持は望めないぞ」という姿勢を採ることがままある。しかし、現在のような「イランの脅威」がクローズアップされる局面では、西側諸国においても「GCC諸国の体制に多少人権問題等で難があったとしても、そこを執拗に突き過ぎては彼らをイラン側に追いやってしまいかねない。従って彼らに対する非難は控えるべきだ」という声が説得力を持ち易くなり、結果、GCC諸国政府は西側諸国政府からの支持・支援を得易くなると考えられる。

3.米国やイスラエルとの関係強化・改善がやり易くなる。
現状で約7500万人という中東トップレベルの人口を抱え、それを背景に総兵力52.3万人(陸軍35万、海軍1.8万、空軍3万、革命防衛隊12.5万)と見積もられているイランは、今回に限らず常日頃からGCC諸国にとって安全保障上大きな問題である(注1)。従ってイランの軍事力を相殺するためには、米国なりイスラエルなりとの関係が重要になってくることは言うまでもない。しかし、GCC諸国政府にとっては厄介なことに、米国やイスラエルとの関係は宗教や政治体制に係る価値観、パレスチナ問題等によって国民の間は勿論、政府機関内においても批判に非常に晒され易いものとなっている(特にイスラエルとの関係は)。GCC諸国政府の現実派にとっては歯痒いことこの上ない状況だが、そこで喫緊の課題として「イランの脅威」がクローズアップされてくることになると、「自国がイランに蹂躙・併呑されないようにするため」という反米派・反イスラエル派にも相応の訴求力を持った大義名分を掲げて米国やイスラエルとの軍事協力強化が進め易くなると考えられる。

以上のように、現状の「イランの脅威」がクローズアップされる状況がGCC諸国にとっても都合の良い一面を有していること(それが”発火”という大きな危険とも隣合わせであることは言うまでもないが)、そして何より二つの石油危機や湾岸戦争、イラク戦争といった大規模イベント発生時やその前後における湾岸諸国の立ち振舞いを見ていると、「イランの脅威を煽る欧米とそれに踊らされるだけのGCC諸国」という見方は、あまりにGCC諸国の自律性や判断力を過小評価した見方と言えるのではないか。

注釈
注1.なお「データブック・オブザ・ワールド」の2011年版によれば、GCC諸国の総人口と兵力は次の通りである(四捨五入のため、兵力と陸海空軍等の合計は必ずしも一致しない)。
・UAE:総人口470.7万人、兵力5.1万人(陸軍4.4万人、海軍2.5千人、空軍4.5千人)
・オマーン:総人口290.5万人、兵力4.3万人(陸軍2.5万人、海軍4.2千人、空軍5千人、王室近衛部隊6.4千人、その他2千人)
・カタール:総人口150.8万人、兵力1.2万人(陸軍8.5千人、海軍1.8千人、空軍1.5千人)
・クウェート:総人口305万人、兵力1.6万人(陸軍1.1万人、海軍2千人、空軍2.5千人)
・サウジアラビア:総人口2624.5万人、兵力23.4万人(陸軍7.5万人、海軍1.4万人、空軍2万人、防空軍1.6万人、国家警備隊10万人)


参考資料
・二宮書店編集部編  「データブック オブ・ザ・ワールド 2011 -世界各国要覧と最新統計-」 2011年1月 二宮書店