2012年1月28日土曜日

第四百四十段 音速の遅い読書「大清帝国への道」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。



「史記」や「三国志」が取り上げる時代に比して、いまいち日本では一般の注目が集まらない清王朝の時代だが、現代の中華人民共和国にほぼ継承されたその領域と異民族統治の問題、そして産業革命と軍事革命を背景に帝国主義への道を歩み始めた西欧諸国との接触等、そこで起きたことの多くが、現代の中華人民共和国の有り様、ひいては日中関係にも直接的間接的問わず大きな影響を及ぼしている。

そんな現代にも大きな影響を与えている清王朝について、1583年の始祖ヌルハチの挙兵(注1)から、康煕帝、雍正帝、乾隆帝の三代によって現在の中華人民共和国の領土をすっぽり包む広大な領域の支配者となるに至り、やがて政府制度の老朽化と内憂外患に苦しめられ続けた挙句に1911年の辛亥革命によって滅亡するまでの歴史を扱ったのが本書である。

この本書の中で個人的に最も興味深く感じたのが、清王朝が中華本土のみならずモンゴル高原やタリム盆地、チベット高原に広がる一大領域を支配するに至った理由やその意義である。かつて中華本土を含むユーラシア大陸を広く支配したかつてのモンゴル帝国の拡大の背景には、「通商路・拠点」の確保という経済的な側面が強く影響していたようである。では、清王朝の領土拡大は如何なる動機によってもたらされたものなのだろうか。

本書は次のように述べている(抜粋及び中略はブログ著者による)。
第4章 199~201ページ
ことの始まりは、清朝の対モンゴル政策にある。別に述べたように、第一段階の内モンゴル併合は、アイシン国が南進によって獲得した明の領地(遼東の漢族の農耕地域)の支配を西側から脅かす、内モンゴル世界の軍事脅威に対処する点にあった。清朝は、アイシン国の時代からその経済基盤を漢族農耕社会に求めようとしていた。中国内地支配も、その延長上に位置する経済基盤獲得のための政策にほかならない。それゆえモンゴル世界の強大な軍事力は常に無視できなかった。内・外モンゴルの服属化とは、この軍事上の脅威を解消させることだったのである。
・・・・(中略)・・・・
さらにモンゴル族がチベット仏教徒であることから、チベット仏教の本拠地であるチベット、とりわけその教主であるダライ=ラマとパンチェン=ラマを何らかの形で清朝の統治体制に組み込まなければならなかった。
・・・・(中略)・・・・
すなわち、清朝のチベット政策は、もともとモンゴル政策に関連して起こった宗教政策であり、チベット民族を直接の対象とする民族政策ではなかった。清朝のねらいはあくまでも、ダライ=ラマの宗教的権威を利用してモンゴル族を懐柔する点にあったのである。
・・・・(中略)・・・・
清朝は、天山山脈の南北両地域をモンゴルの安寧とチベットの保持のために征服し、後に新疆と命名した。この地域は、モンゴル族ジュンガル部の本拠として遊牧社会を形成していた北路(北地域)、ジュンガル部の支配下でウイグル族オアシス農耕社会を形成していた南路(南地域)、漢・ウイグル族の複合農耕社会を形成していた東路(南地域の東部分)からなる複雑な様相を呈していた。
・・・・(中略)・・・・
結局のところ、新疆の征服は、モンゴルの「辺患」を除去するためであった。乾隆帝がバルハシ湖以西の中央アジア(西トルキスタン)にまで進軍させなかったのは、あくまでその窮極の目的がモンゴル族を服属させる点にあったからである。

第5章 237ページ
たしかにその結果として、モンゴル・チベット・ウイグルを併合し、清朝の経済基盤である中国内地を取り囲む外壁となる藩部を完成することになった。しかし、外壁を築くことが大きな目的であったかにみえる点からして、守りの姿勢ではなかろうか。


つまり、モンゴル高原やタリム盆地、チベット高原への清朝の拡大は、彼らにとって最大のドル箱たる中華本土の支配を確実なものとするための、謂わば安全保障上の必要性に基づいた行動というわけである。このあたり、「通商の利益」が領土拡大の大きな要因の一つとなったモンゴル帝国とは対照的と言えるかもしれない。

そして、この中華本土を安定して経営するために外縁たる藩部を支配するという図式は、現代の中華人民共和国における経済的に繁栄する沿海部と外敵に対する戦略的縦深、核兵器の実験場、そして石油や天然ガス、鉱物資源等の原材料供給地といった役割を背負わされている新疆や内モンゴル、チベットとを比較して見る時、決して過去の遺物ではないことに気づかされるのである。

注釈
注1.なお、当該段で取り上げている清王朝は、その誕生の初めから「清」という国号を称していたわけではなく、初代ヌルハチの時代には12世紀の女真族王朝「金」に因んで「後金(アイシン)」と称し、二代目ホンタイジの頃に国号を改めて「清」と称するようになったものである。