2012年2月29日水曜日

第四百四十八段 ボイコット是か非か?

先日、大衆居酒屋チェーンワタミ従業員の自殺が労災認定され、その遺書から浮かび上がった当該企業の労働環境がかなり過酷なものなのではないかということで人々の注目を浴びた。案件の概要は以下の通りである。
居酒屋チェーン「ワタミフードサービス」の新入社員の女性が2008年6月に入社2カ月で自殺したのは、連夜の過重労働で精神障害を負ったことが原因だったとして、神奈川労働者災害補償保険審査官は21日までに、労災を認定した。09年7月の横須賀労働基準監督署の決定は過労と自殺との因果関係を認めず、遺族が審査請求していた。決定は14日付。

 遺族代理人の弁護士によると、同社元社員の森美菜さん=当時(26)=は08年4月に入社後、同社が経営する横須賀市内の居酒屋に勤務。深夜の勤務や残業が連日続き、休日も研修やリポート作成を余儀なくさせられ、極度の睡眠不足の状態だったという。

 森さんは同6月12日、同市内で自殺。両親は同年8月、横須賀労基署に労災申請を行ったが、同労基署が棄却したため、09年7月に審査官に審査請求を提出した。

 審査官は、森さんが居酒屋で勤務し始めた08年4月からの約1カ月間で、時間外労働が140時間を超えたと認定。慣れない調理業務に従事させられた上、研修などで休憩や休日を十分に取得できる状況になく、「業務による強い心理的負担が原因で精神障害を引き起こした」とした。

 森さんの父親(63)は「自殺が会社に責任のあったことが認められたことは、娘の一番の供養になる。これを機に会社の労働状況が改善されることを願う」と話した。弁護士は後日、遺族への謝罪と損害賠償、再発防止策の提示を求める要望書を同社に提出するという。

 ワタミは「審査官の決定内容を把握していないため、コメントは差し控えます」とした。

2012年2月21日 神奈川新聞

この件を受けて、例えばツイッター上では「こんな酷い環境で労働者をこき使うワタミは、飲み会等で利用しないことにしよう」という、所謂ボイコット運動の呼びかけがなされ、それに賛同する声もあがっている(注1)。
確かに企業、特に今回話題になったワタミのような個人消費者向けの事業を行っている企業にとって、消費者の当該企業に抱くイメージや直接的な消費行動が経営戦略上重要な意味を持っているであろうことは想像に難くない。その意味で、今回話題となったワタミの労働環境等に憤りを覚える人々が当該企業に対する異議申立手段としてボイコットやその呼びかけを選択するというのも理解できる。そしてボイコットやその呼びかけによってワタミの労働環境が改善されたとしたなら、それは社会正義の実現という点で意義のあることなのだろうとも思う。

しかし、しかしである。人の世の難しさとは、ある行動によってもたらされた結果の良否とその行動を起こすに至った動機の素晴らしさ(場合によっては悪辣さ)とは必ずしも一致しない点にあるのではないか(注2)。そうした斜に構えた視点でワタミ・ボイコットを見てみると、そこには一種の陥穽というか毒が潜んでいるような気がしてならない。

どういうことかと言うと、ボイコット呼びかけの結果としてワタミの収益低下が予想される若しくは実現したとする。ボイコットを呼びかけた人々やそれに応じた人々は、これによってワタミ経営陣が「消費者に戻ってきてもらうには従業員の労働環境を改善するしかない」と判断して実行に移ることを期待しているのであろうし、その目論見は確かに成功するかもしれない。
しかし、ワタミ経営陣の立場になって考えてみると、ボイコットの結果として収益低下が予想される若しくは実現した場合、「収益の減少にはコスト削減で対応しよう。従って今いる従業員を一部削減し、残った従業員には更に頑張ってもらおう」という選択肢もあることに気付くのはそう困難なことではない。
ワタミ経営陣がボイコットやその呼びかけによってもたらされるであろう事態に対してどのような決断を下すかは外部の人間にとって窺い知れる所ではないが、もし仮に彼らが後者の判断を採ったとしたならば、「ワタミ従業員の労働環境改善」を目的として行われたボイコットやその呼びかけが、皮肉なことにワタミのある従業員には解雇、残った従業員には人手減少で更に過酷化した労働環境をそれぞれもたらしてしまうことになる(注3)。

そんなことをつらつら考えていて思い出してしまったのが、「日経サイエンス」2006年5月号に掲載されていた米カリフォルニア大バークレー校の経済学者プラナバ・バータン教授の「グローバリゼーションは貧困を救うか」という論文の一節である(注4)。
九三年、児童労働によって生産された製品が米国で輸入禁止となることを見越して、バングラデシュの衣料品企業では約五万人の子どもが解雇された。国連児童基金(ユニセフ)と現地の援助団体は、これによる影響を調査した。子どもたちのうち約一万人は学校に戻ったが、残りの四万人は砕石作業や児童買春など、より劣悪な仕事に流れることになった。

業としては合法な別の転職先、或いは各種学校等といった転職を望んだり失業に直面した場合の各種受け皿、再出発のチャンスの整備が比較的進んでいない新興国の児童労働と今回話題になった日本のワタミの件を単純に比較するのは、我ながらやや乱暴な見方だとは思う。思うのだが、労働問題について外部の人々が善意や正義感に基づいて起こした行動が、その動機とは裏腹に、救おうとした人々の首を絞めて更なる窮状に追い込んでしまうこともあるという冷厳な実例を目の当たりにしてしまうと、やはり自分は甚だしく惑ってしまうのである。「ボイコット是か非か?」と(注5)。

注釈
注1.なおツイッター上で「ワタミでのまない会」と検索をかけると次のような意見が見られる。→https://twitter.com/#!/search/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%81%A7%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BC%9A
注2.「一致しない」というか、全く無関係なようにも思えるのは気のせいか?
注3.無論、明暗二者択一というわけではなく、「一部従業員を解雇して浮いたコストを残った従業員の労働環境改善に充てる」、「従業員全体の労働環境を改善し、それによるコスト増大やサービスの質の低下等は消費者に負担してもらう」といった中間的な選択肢も存在するであろう。
注4.なお、自分が当該論文の存在を知ったのは、現代中国経済を主な研究対象とする梶谷懐氏の著作「「壁と卵」の現代中国論 リスク社会化する超大国とどう向き合うか」によってであったことを付記しておく。
注5.すごく単純に、ボイコット云々以前に「まず労働基準法等をきちんと遵守しなさいよ!」という気もするが、そこから考えを進めて「法律を遵守した結果生じるであろう従業員の労働環境改善に伴うコストは、じゃあ誰が負担すればいいの?」となると、あまり企業にのみ押し付け過ぎると事業自体の継続性や従業員増員へのインセンティブを削ぐことになってそれはそれで既存従業員やこれから就職しようとする人によろしくないだろうし、かといって(注2)でも触れた価格やサービスの低下(端的に言えば「不便」)という形で消費者側に回す方策も、それを鷹揚に受け入れられるほど金銭的或いは精神的に余裕のある人なんてそう多くは期待できないだろうし・・・・となって考えはまとまらない。


参考資料
・プラナバ・バータン 日経サイエンス2006年5月号「グローバリゼーションは貧困を救うか」 2006年3月
・神奈川新聞 「「過労自殺」入社2カ月ワタミ新入社員、労災審査官認定/神奈川」 2012年2月21日

2012年2月19日日曜日

第四百四十五段 ネオ・オスマン朝vsネオ・ビザンツ-十字軍国家?

最近、トルコという国が有卦に入ったかのような印象を抱くことがある。というのも、東を向けば、パレスチナ問題等を巡って長年の友好国であったイスラエルとは関係が冷却傾向にあるものの、旧来より関係良好なアゼルバイジャンに加えて、クルド人問題を梃にイラクへの影響力を強め、湾岸諸国やイランとの関係改善も進み、西を向けば、外需は勿論、約6千万人という人口がもたらす内需によって堅調な経済成長が続いてきたこともあってバルカン諸国との関係も強まり、ルーマニアとは戦略的パートナーシップ確立で合意した他(注1)、ボスニア・ボシュニャク人(90年代の内戦時には「モスレム人」或いは単純に「イスラム教徒勢力」と報じられた勢力)有力者からは「積極的なボスニア情勢への関与」を呼びかけられる(注2)と言った具合に、東からも西からも慕う声が引きも切らない有り様となっているからだ。
こうしたバルカン半島から中東にかけての一帯におけるトルコの存在感の強まりは、かつてのオスマン帝国の領域を彷彿とさせるものであり、これを評して「ネオ・オスマン主義」という声が出てくるのも宜なるかなと言った状況である(注3)。

だが一方で「好事魔多し」とでも言おうか、上述の如きトルコの台頭に対し、関係冷却化の進むイスラエル、そして従来より民族問題やエーゲ海を巡ってトルコと対立関係にあったギリシャ、キプロス(注4)を中心にこれを牽制するかのような動きも目立ってきた。具体例を挙げていくと、イスラエルとギリシャ、ブルガリアとがそれぞれ進める二国間防衛協力強化の動き(注5)、キプロスとイスラエルとの防衛分野及び東地中海ガス田開発協力の動き(注6)、イスラエル-キプロス-ギリシャ送電線網接続計画の浮上(注7)、キプロスとギリシャによるセルビアのEU加盟交渉支援の動き(注8)(注9)、ギリシャとアルメニアの防衛協力強化の動き(注10)等がある
まるでアナトリア等に勢力を拡大するイスラム諸王朝を牽制するため、バルカン半島のビザンツ帝国やキプロス、レバントに拠る十字軍国家が連携した12~13世紀の構図を想起させるような動きである(注11)


このように、トルコの政治的経済的影響力の拡大とそれを快く思わない諸国間の連携が東欧や東地中海、中東といった地域を超えて展開されるようになってくると、それに伴って、従来であれば別個の問題として捉え対処することが可能であった、アルバニアからコソボ、マケドニア北部、ボスニアにかけて広がるイスラム教徒住民が多数居住する地域の不安定化、東地中海の油田・ガス田を巡るトルコとギリシャ-キプロス-イスラエルとの対立、そして中東情勢を巡るトルコとイスラエルの対立といった問題群が連鎖して発火する可能性もまた高まってくる事になるだろう。

注釈
注1.トルコ-ルーマニア戦略的パートナシップの締結についてはWorldBulletinの2011年12月12日「Turkey, Romania sign strategic partnership document」を参照のこと。なお、同時にルーマニア大統領は「トルコのEU加盟」に対する支持を鮮明にした。
注2.ボスニア大統領評議会ボシュニャク人メンバーの一人たるバキル・イゼトベゴヴィッチ議員によるトルコへの「ボスニア情勢への一層の関与を」呼掛けについては、B92の2012年2月16日「Turkey urged to "increase engagement in Bosnia"」を参照のこと。
注3.もっとも、トルコの近隣諸国ではバルカンか中東かを問わず、現国家体制の正当性やナショナリズムが「オスマン帝国への隷従から輝かしい独立へ」という「物語」に強く規定されている国が多い。こうした周辺諸国の事情を慮ってか、現時点でトルコ共和国政府首脳部は自国の対外行動が「ネオ・オスマン主義」と呼ばれることをあまり歓迎していない。
注4.なお、実態として、現在キプロス島はギリシャ系住民を主体とする南キプロス政府とトルコ系住民を主体とする北キプロス政府によって二分された形となっている。ただし、北キプロスを独立した政府として認めているのは現時点でトルコ共和国のみであり、単に「キプロス」といった場合は南キプロス政府を指すのが一般的である。
注5.イスラエル-ギリシャの防衛分野における接近について、最近の動きとしてはdefencegreece.comの2012年1月11日「Israeli Deputy PM Ehud Barak on Greek visit」を参照のこと。またイスラエル-ブルガリアの防衛分野における接近については、同じくdefencegreece.comの2012年1月17日「Israel, Bulgaria Sign Arms Industry Deal」を参照のこと
注6.イスラエル-キプロスの防衛分野及び天然ガス開発における協力強化については、defencegreece.comの2012年2月7日「Israel eyes Cyprus for military air base」及びJerusalem Post の2011年8月25日「Cyprus wants Israeli support in offshore drilling spat」、Globesの2012年2月16日「Israel and Cyprus upgrade ties」等を参照のこと
注7.イスラエル-キプロス-ギリシャ送電線網接続計画については、CyprusMailの2012年1月31日「Israel plans preparatory works on power cable」を参照のこと
注8.ギリシャによるセルビアEU加盟支援についてはdefencegreece.comの2012年2月16日「Greece and Serbia Sign Memorandum of Cooperation in Belgrade」、キプロスのそれについてはFamagusta Gazetteの2012年2月16日「Cyprus President supports start of EU-Serbia accession negotiations」をそれぞれ参照のこと。
注9.中世セルビア王国がオスマン帝国のバルカン半島征服に激しく抵抗した末にマリツァの戦い(1371年)及びコソボの戦い(1389年)で粉砕された遠い歴史、そしてユーゴスラビア解体後に発生したおけるセルビア人勢力とイスラム教徒たるボシュニャク人・アルバニア人勢力との血塗れの抗争という近い歴史を踏まえれば、当該支援が決して漠然とした「近隣国のよしみ」や「統一欧州の理念」に基づくものではないことがよくわかる。
注10.ギリシャ-アルメニアの防衛協力強化の動きについては、New.Azの2011年12月16日「Armenian-Greek military cooperation discussed」を参照のこと
注11.もっとも、ビザンツ帝国も十字軍国家も常に手を携えてイスラム諸王朝に対抗していたと言うわけではなく、自分たちの勢力維持・拡大に都合がよければ、イスラム諸王朝側と手を結ぶことも稀ではなかった。


参考資料
・B92 「Turkey urged to "increase engagement in Bosnia"」 2012年2月16日
・CyprusMail 「Israel plans preparatory works on power cable」 2012年1月31日
・defencegreece.com 「Israeli Deputy PM Ehud Barak on Greek visit」 2012年1月11日
・同上 「Israel, Bulgaria Sign Arms Industry Deal」 2012年1月17日
・同上 「Israel eyes Cyprus for military air base」 2012年2月7日
・同上 「Greece and Serbia Sign Memorandum of Cooperation in Belgrade」 2012年2月16日
・Famagusta Gazette「Cyprus President supports start of EU-Serbia accession negotiations」 2012年2月16日
・Globes 「Israel and Cyprus upgrade ties」 2012年2月16日
・Jerusalem Post  「Cyprus wants Israeli support in offshore drilling spat」 2011年8月25日
・New.Az 「Armenian-Greek military cooperation discussed」 2011年12月16日
・WorldBulletin 「Turkey, Romania sign strategic partnership document」 2011年12月12日

2012年2月12日日曜日

第四百四十四段 「北虜南倭」の中国近現代史

「北虜南倭」という言葉を学生時代の授業等で耳にした、目にした方も多かろうと思われる。

要は、明王朝の時代、朝廷の頭痛のタネとなった、北方のモンゴル高原から首都北京や華北を脅かしたタタールやオイラートといった遊牧騎馬勢力(後にマンチュリアの女真族勢力「後金=清」が加わる)、そして九州やその周辺の島嶼部を拠点として江南沿海部を荒らした倭寇(注1)、という南北二大勢力を併称した言葉である。

だが、この「北の草原地帯からの脅威」と「南方海域からの脅威」は、ただ明朝の時代のみならず、後の清朝から現在の人民共和国の時代に至るまで、時の中華政権にとって切実な問題となり、その対外的な行動を規定してきた。

順を追って見ていくと次の通りである。

1.清王朝の時代
内モンゴルの遊牧勢力を征服又は懐柔して自身の勢力に取り込むことで軍事力を強化し、それを背景に中華本土を制圧した清王朝は、18世紀中頃、外モンゴルや新疆北部を拠点に強盛を誇っていたジュンガル部を苦闘の果てに討滅することで「北の患い」を取り除くことに成功する。そして「南の憂い」であった海上勢力もまた、16世紀から17世紀後半にかけて、清朝による台湾・鄭氏政権の撃破や日本列島をほぼ掌握下においた豊臣政権の「海賊停止令」や江戸幕府の鎖国政策によって勢いを失う(注2)。これによって清王朝は一旦、南北の患いに苦しめられることのない平穏を手にしたのである。
だが、19世紀になって清朝自体の力に衰えが目立ち始めた頃から俄に暗雲が立ち込めてくる。というのも、北方ではシベリアを支配下に置くロマノフ朝ロシアが新疆やモンゴル高原、マンチュリアへの勢力拡大を図り(注3)。また南方では蒸気船の威力を背景に欧米列強、そして明治維新によって近代国家への仲間入りを果たした大日本帝国が市場の開放と植民地を求めて押し寄せ、香港や広州、上海、台湾等をそれぞれ清王朝から切り取っていった。
この南北の新しい脅威に対して既に両面同時対処の余力を失っていた清王朝では、対応の優先順位を巡って「まずは南海から進出してきた勢力と結び、漠北から押し寄せる勢力を撃破すべき」とする塞防派と「まずは漠北の勢力と手を結んで、南海から押し寄せる勢力を追い払うべき」と主張する海防派との対立が生じ(注4)、それが更に外来勢力に付け入る隙を生むという悪循環にはまり込んでしまう。
結局、騎馬兵力と帆船からなる旧来の「南憂北患」を払い除けることには成功した清王朝であったが、産業革命を背景に火砲と蒸気船で武装した新たな「南憂北患」には抗し得ず、列強諸国によって半植民地化された挙句に1911年の辛亥革命で滅亡してしまった。

2.中華民国の時代
辛亥革命による清王朝滅亡後を受けて中華本土の新たな支配者となった中華民国政府ではあったが、政治体制が変わっても対外状況は従前とそう変わらず、外モンゴルや新疆はロマノフ朝及びソ連邦の、江南沿海部の主要都市や台湾は英仏日等諸列強の、それぞれ植民地・勢力圏に留め置かれ続けた。ただ、マンチュリアの支配権が、日露戦争やその後の革命によるロシア本国の混乱と相俟って大日本帝国の手に移ったのは唯一目立つ変化ではあった。

3.中華人民共和国の時代

第二次大戦における大日本帝国の敗北と滅亡、中華民国の疲弊を奇貨として急速な勢力拡大に成功した毛沢東率いる中国共産党は、1949年、蒋介石率いる中華民国政府を大陸から放逐し、北京天安門において中華人民共和国(以降、単に「中国」と記す)の成立を宣言した。この時の中国を取り巻く状況は、北に外モンゴルを押さえるソ連があり、南海には日本列島・琉球列島を占領下に置く米国の海空軍力とその後援を頼みに「大陸反攻」を唱える台湾の蒋介石政権が存在するというものであった。これに対して中国は、イデオロギー的な近さから、北と結んで南に備える道を選択する。これが毛沢東の「向ソ一辺倒」宣言及び中ソ友好同盟相互援助条約締結の背景である(注5)。
やがてイデオロギー問題に新疆や外モンゴルを巡る歴史的地政的対立が加わって1960年代に中ソ対立が発生・激化してくると、中国は一時的に南北両方に敵を抱える苦境に立たされるものの、今度は長らく「南憂」とみなしてきた米国やその同盟国たる日本との接触を開始し、彼らと結んで北に対抗する道を選択した。これが1972年のニクソン訪中及び日中国交回復の背景である(注6)。
更に時が流れ、北の脅威であったソ連が1991年に崩壊すると、中国はソ連邦時代に比して弱体化したロシアとは国境画定交渉を進めてこれを妥結させ(注7)、急速な経済発展によって近代化された軍事力を後顧の憂いなく南海に集中させられる状況を作り上げた。これが胡錦濤政権下で目立つようになってきた南シナ海における中国の強硬な振舞い、そして日中間で2010年に発生した「尖閣問題」の背景である(注8)。

以上の歴史的流れを踏まえて今後の中国の動向を予測するに、北患の立ち位置にあるロシアが既に中華人民共和国との間で国境画定を済ませていること、そしてその人口動態や資源頼みの不安定な経済・財政事情を考えると、中国自体に大きな変動がない限り、中国は今後も南海にその力を集中し続けていくと考えられる。

注釈
注1.「倭」と記されてはいるが、九州等の日本人の他、李氏朝鮮や江南の海民・海商を含む雑多な民族集団から形成された武装密貿易団というのがその実態に近いとされている。
注2.なお、豊臣政権は二度にわたる朝鮮侵攻で明王朝にも李氏朝鮮支援による多大な負担を強いており、明王朝側では豊臣政権の朝鮮侵攻を「倭寇の最大版」として捉えていたようである。
注3.ロマノフ朝ロシア及びソビエト連邦の新疆、外モンゴルにおける勢力扶植の動きについては、ピーター・ホップカークの著作「ザ・グレート・ゲーム 内陸アジアをめぐる英露のスパイ合戦」及び「東方に火をつけろ―レーニンの野望と大英帝国」がそれぞれ詳しい。
注4.海防派の最大有力者が日清戦争でも有名な李鴻章であり、彼が同戦争前後に追求した「ロマノフ朝の威を借りて大日本帝国を牽制する」という方策は、露清同盟やロシアも一枚加わった三国干渉という形である程度奏功している。
注5.なお朱健栄の「毛沢東の朝鮮戦争 中国が鴨緑江を渡るまで」によると、朝鮮戦争勃発時、毛沢東や周恩来といった中国政府指導部は米国による「三路向心迂回」、即ち、朝鮮半島、台湾、インドシナ(当時はフランス植民地)という三方向からの中国本土進攻を強く警戒していたという。
注6.ソ連を共通の敵とする中国と日米の接近については、ジェームズ・R・リリーの「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」やヘンリー・キッシンジャーの「ヘンリー・キッシンジャー激動の時代1 ブレジネフと毛沢東」、服部龍二の「日中国交正常化 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦」等をそれぞれ参照のこと。

注7.中露間の国境画定の動きについては、岩下明裕の「中・ロ国境4000キロ」等が詳しい。
注8.「北と手を結んで南に打って出る」という中国の最近の動きは、まさに清朝末期において海防派が主張した戦略そのものである。なお現在の中国を率いる胡錦濤主席の本籍が奇しくも清朝における
海防派の領袖であった李鴻章と同じ安徽省だというのも、偶然なのだろうが面白い一致ではある。


参考資料
・ジェームズ・R・リリー 「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」 2006年3月 草思社 西倉一喜訳
・ピーター・ホップカーク 「ザ・グレート・ゲーム 内陸アジアをめぐる英露のスパイ合戦」 1992年5月 中央公論新社 京谷公雄訳
・ピーター・ホップカーク 「東方に火をつけろ―レーニンの野望と大英帝国」 1995年12月 NTT出版 京谷公雄訳
・ヘンリー・キッシンジャー 「ヘンリー・キッシンジャー激動の時代1 ブレジネフと毛沢東」 1986年2月 小学館
・岩下明裕 「中・ロ国境4000キロ」 2003年3月 角川書店
・岡本隆司 「李鴻章 -東アジアの近代」 2011年11月 岩波書店
・朱健栄 「毛沢東の朝鮮戦争 中国が鴨緑江を渡るまで」 2004年7月 岩波書店
・石橋崇雄 「大清帝国への道」 2011年9月 講談社
・服部龍二 「日中国交正常化 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦」 2011年5月 中央公論新社

2012年2月6日月曜日

第四百四十二段 エジプト-アルメニアの接近

アルメニアは領土問題や歴史問題でトルコやアゼルバイジャンとの間に対立を抱え、これに対抗するためイランやロシアと手を結んできた。そしてトルコやアゼルバイジャンはロシアと対立関係にあるグルジアを友好関係を構築してきた。要するに南コーカサスから中東北辺にかけての一帯は、大まかに言ってトルコ-アゼルバイジャン-グルジア陣営とアルメニア-イラン-ロシア陣営が対峙する状況が今まで続いてきた。以上が当該ブログでもたびたび取り上げてきた構図である。

ここに新たなプレーヤーとしてエジプトが登場してきた。しかもアルメニア側の立場をとって。アゼルバイジャンの通信社News.Azは次のように伝えている。
Armenia and Egypt are set to sign an agreement on defense cooperation, the Cabinet Meeting decided. Defense Minister Seyran Ohanyan noted that the cooperation between Armenia and Egypt includes defense measures between the two governments. The sides will cooperate on defense planning, civilian control of the armed forces, military education, exercise, military medicine, military aviation, etc.
2012年2月3日

要は、エジプトとアルメニアが両国間各種軍事協力強化に係る合意文書調印に向けて動いているという記事である。

これは実に興味深いニュースといえよう。というのも、エジプトでは最近、長期にわたるムバラク政権が崩壊した後に行われた議会選挙でムスリム同胞団を中心としたイスラム主義勢力が議席のほぼ7割を占めるという大躍進を果たした。そしてムスリム同胞団の支持者が「反軍政」デモを行っていた人々に攻撃を仕掛ける等(注1)、ムスリム同胞団は軍とも協力関係を深めている。こうしたエジプト政治におけるイスラム勢力の影響力増大にも関わらず、何故か現エジプト政権は同じイスラム教徒が多数を占めるトルコやアゼルバイジャン(もっとも、トルコやエジプトと違ってアゼルバイジャンで多数を占めているのは、イラン同様にイスラム教のシーア派ではあるのだが)ではなく、キリスト教国アルメニアとの友好関係確立に動いたのだ。

では何故エジプトはアルメニアに接近したのか? まず気になるのが、南コーカサス~中東北辺におけるイスラエルとイランの立ち位置である。イランが今日に至るまでアルメニアと良好な関係下にあることは前述した。そして、そのイランと核開発問題やパレスチナ問題を巡って鋭く対立しているイスラエルは、トルコとアゼルバイジャンと良好な関係を築いている(トルコとの関係は最近冷却化が進んではいるが)。


次にエジプトの状況を俯瞰してみると、同国はイスラエルとの間で、1979年、第三次中東戦争で占領されたシナイ半島の返還と引換えに、アラブ諸国として初めて平和条約を締結した。これはエジプト国内、特にイスラム主義者の憤激を呼び、1981年、当該条約を締結したサダト大統領は彼らの凶弾に斃れた。だがサダトの後を襲ったムバラク大統領もまた前職者の遺志を継いでイスラエルとの平和的な関係に国益を見出し、両国関係は安定の時期を迎えた。それが2011年に大きな転機を迎える。この年、今までイスラエルとの和平関係を維持してきたムバラク政権が崩壊し、その混乱の中で両国の間にあるシナイ半島の治安が悪化してパイプラインへの爆破テロ相次ぐようになり(注2)、前述のようにムバラク政権崩壊後に強大な政治勢力として浮上してきたムスリム同胞団は、イスラエルとの平和条約についても「見直し」を強く主張している(注3)。

以上を踏まえて考えてみると、(今後イスラエルに対して対決的な姿勢をとると予測される)エジプトが(イランとの関係が良好な)アルメニアと軍事協力で合意したという件のニュースは、エジプトが、核開発問題で欧米との対立が鮮明となっている中で露骨にイランの与国とみなされることは避けつつも、将来的にイスラエルとの対決政策をとる際の提携先としてイランとの間にチャネルを開設しようとしていることを示している可能性があると考えられる。

注釈
注1.エジプトにおけるムスリム同胞団支持者と反軍政派との衝突事件については、Ahramの2012年1月31日「Brotherhood supporters clash with anti-SCAF protesters outside Parliament」を参照のこと。
注2.2012年に入ってからは中国人労働者やアメリカ人観光客といった外国人に対する誘拐事件も相次いでいる。今の所は、いずれも被害者が無事解放されているのが救いと言えば救いである。
注3.エジプト・ムスリム同胞団の「イスラエル-エジプト平和条約は見直しが必要」声明については、Haaretzの2011年12月9日「Muslim Brotherhood: Egypt-Israel peace treaty needs to be reviewed」を参照のこと


参考資料
・Ahram 「Brotherhood supporters clash with anti-SCAF protesters outside Parliament」 2012年1月31日
・BBC 「US tourists seized in Egypt's Sinai peninsula freed」 2012年2月3日
・News.Az 「Armenia, Egypt to cooperate on defense」 2012年2月3日
・Haaretz 「Muslim Brotherhood: Egypt-Israel peace treaty needs to be reviewed」 2011年12月9日
・THE DAILY STAR 「Bedouins kidnap Chinese workers in Egypt's Sinai: sources」 2012年1月31日

2012年2月4日土曜日

第四百四十一段 「熱海のさざ波、大洋を荒らす」のか?

「熱海」と書くと殆どの人が、日本の(あんまりよくない意味で)ひなびた温泉地を連想するかと思うが、当該段で取り上げるのはさに非ず。当該段の「熱海」とは、孫悟空を中心に諸々の妖怪・神仙が入り乱れて活躍する「西遊記」のモデルともなった玄奘三蔵法師の「大唐西域記」や幾つかの塞外詩によって記録され、現在はキルギス共和国のイシク・クルとして知られる湖のことである。

地図で確認すると一目瞭然だが、キルギスという国は東西南北、どちらに向かったとしても海からは遠く離れた内陸国である。そんな国の中にある熱海(イシク・クル)のさざ波が大洋を荒らすとは如何なることか?

まず熱海のさざ波から見ていこう。キルギスのイシク・クル沿岸ダスタンには、中央アジアで唯一のシクヴァル(VA-111)工場がある。シクヴァルとは「流体力学で説明される効果の一種で、物体や船体が高速の流体中を動くとき、その背後に水蒸気の泡が生じることによって起きる。物体が気泡に絶えず包まれると、表面の大部分が濡れないまま保たれる。この結果,水の粘性によって生じる摩擦抵抗が劇的に減り、速度を上げられる」スーパーキャビテーション現象を利用した魚雷のことで、従来の魚雷に比して極めて高速で動くことが可能とされている。米海軍が現在使用している各種魚雷と比較すると一層その速度の違いが引き立とう(もっとも、通常型魚雷と違ってシクヴァルの誘導能力は今だ開発途上とされている)。

・VA-111:200ノット(時速370km相当)
・Mk-46:40ノット(時速74km相当)
・Mk-48ADCAP:60ノット(時速111km相当)
・Mk-50:70ノット(時速130km相当)

ロシアは2008年に対キルギス債権と引換えに当該工場の経営権を取得したのだが、近年の経済成長とそれによる海外エネルギー資源への依存度の高まりを背景に海空軍の近代化を急ピッチで進めている印中両国もまた、当該工場に対して強い関心を示しているとされる。折も折、年間6000万ドルの使用料収入をキルギス政府にもたらしてきたマナス空軍基地の米軍使用期限が2013年いっぱいで切れることもあり、同国政府のダスタン工場の取扱が注目される(注1)。

次に大洋だが、視線を中央アジアから南下させれば、インド洋から東・南シナ海に至る広大な海域を舞台として覇権国米国と近年の急速な経済発展を背景に海空軍力の増強・近代化に勤しむ中国及びインドを中心に、日本やパキスタン、ASEAN諸国といった周辺国をも巻き込んだ激しいパワーゲームが展開されている(注2)(注3)(注4)。そのような状況下、もし仮にキルギスのシクヴァル工場が中国若しくはインドの手に渡ったとしたなら、そこの生産物は、インド洋~東・南シナ海海域のパワー・バランスをより不安定で熱を帯びたものに変えていくであろうことは想像に難くない。

つまり、中央アジア・キルギスにおけるシクヴァル工場の存在とそれに印中両国が寄せる関心、そして仮に印中どちらかが当該工場を手にした場合に予測されるインド洋~東・南シナ海におけるパワー・バランスの変化、これこそが「熱海のさざ波、大洋を荒らす」の謂いである

とりわけ、中国が当該工場を手にした場合、その中国との間で尖閣諸島や琉球諸島並びにその周辺海域の資源権益等を巡って火花を散らし、そして何より、海を通じて輸入された中東の石油、豪州の鉄鉱石や天然ガス、北米の農産物等を生存の基盤としている日本にとっては頭が痛いことになろう(注5)

注釈
注1.なお08年時点におけるキルギスの国民総所得は約41億ドル。
注2.2010年9月の「尖閣問題」は未だ記憶に新しい所だが、最近では日中両国間で係争中の「東シナ海ガス田」で中国側が開発を再開したとの報道がある。
注3.インド洋は兎も角、東・南シナ海では若干影の薄い感のあるインドだが、米国や日本と沖縄近海等で合同演習「マラバール」を開催している他、ベトナムを訪問したインド海軍の強襲揚陸艦Airavatが南シナ海において中国海軍を名乗る人物から無線で「領海侵犯」警告を受けると言った事案が発生している。
注4.最近はインド洋に浮かぶ島国セーシェルが、アデン湾一帯で対海賊作戦に従事する中国軍艦艇への補給基地提供を申し出て注目を浴びた。なおセーシェルは海賊やソマリアのイスラム過激派組織に対する米軍のUAV発進基地ともなっている。

注5.とは言いつつも、既に中国はロシアからVA-111を40発購入したとされている。

参考資料
・EURASIANET.org 「India To Use Torpedo Plant In Kyrgyzstan, But Where Are The Russians?」 2011年9月21日
・Financial Times 「China confronts Indian navy vessel」 2011年8月31日
・naval-technology.com 「India and US to Conduct Joint Naval Exercise」 2011年2月18日
・NHK 「東シナ海ガス田 中国が単独開発か」 2012年1月31日
・Today's Zaman 「US drone crashes at Seychelles airport」 2011年12月13日
・Wall Street Journal 「Chinese Military Considers New Indian Ocean Presence 」 2011年12月14日
・共同通信 「ロシア・東欧ファイル」 2011年8月31日
・共同通信 「ロシア・東欧ファイル」 2011年10月21日
・日経サイエンス編集部 日経サイエンス2001年8月号「謎の新兵器 超音速魚雷」 日本経済新聞出版社 2001年6月