2012年5月10日木曜日

第四百五十九段 天気晴朗デモナク浪高シ

2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故をきっかけとしてエネルギー問題を巡る議論が盛り上がり、それと連動する形で石油・天然ガスの一大産地であるペルシャ湾の安定に「イラン核問題」が及ぼす影響に注目が集まる中、割にその文脈の中では等閑視されている、「間の海域」にまつわる話。

そもそも現在の日本国という国家の枠組みは、南関東から東海、近畿中央部、山陽を経て北九州に至る産業・人口集積地(所謂「太平洋ベルト」)で富を生み出し、それを中央政府が徴収してその他の地方に分配する(地方交付税交付金等の直接的な再分配以外に防衛等各種公共サービスに変換した形での再分配も含む)ことで維持されている。

そんな日本国にとっての造血器官ともいえる太平洋ベルトへの各種産業や人口の膨大な集積を可能としているのは、当該地域と中東や豪州、南米、北米といった天然資源・農産物の一大生産地とを結ぶ海路の存在である。この海路によってもたらされる物資がそこに住まう人々に豊かな食生活と快適な空調環境をもたらし、企業等の活発な経済活動を支えているのだ(注1)。
そして世界中の豊富な資源に十分にアクセスできない状態で日本列島に生きることがどういうことであるかは、食料を含む全ての生活必需品を列島内における自給で賄っていた江戸時代(特に人口が3000万人前後で頭打ちを迎える1700年以降)や米国の通商破壊作戦で資源供給地たる海外植民地・征服地との連絡を絶たれた太平洋戦争後半期の日本列島の在り様がこれ以上ないほどの雄弁さで物語っている(注2)。

「国際法の父」とも呼ばれる17世紀オランダの人グロティウスは著書「海洋自由論」の中で「海は国際的な領域であり、全ての国家は、海上で展開される貿易 のために自由に使うことができる」旨を主張した。この「海洋の自由」こそが現在日本国に生きる人々にとって文字通り死活的な要素であり、同時に日本国が日米安 全保障条約という形で世界中の海に決定的な影響力を及ぼしている米国と同盟を結んでいる根本的な理由なのである(注3)。

だが、日本と世界各地を結ぶ海路の現状は、決して「日米安保があるから大丈夫♪」と太平楽を決め込んでいられるほど安定したものではない。冒頭でも簡単に触れたが、原油の一大生産地であるペルシャ湾と外洋(ひいては日本)を繋ぐホラズム海峡の政治的不安定さは「イラン核開発問題」を巡る各種報道でも盛んに取り上げられた通りであるし、日本と欧州を繋ぐ最短航路についてもアデン湾やアラビア海・紅海ではソマリア等を根城とする海賊が依然として跋扈し続けている他、エジプト・スエズ運河もムバラク政権崩壊後の治安状況悪化に晒されている。更に言えばインド洋自体が、従来からの主役である米国、そして急速な経済成長を背景に政治的プレゼンスを拡大させ、空海軍力の近代化・増強に勤しんでいるインドと中国との間で新たな勢力均衡を模索する時期に差し掛かっているのだ。

斯様な事態の先行き不透明さは大洋の東側でもさして変わらない。

マラッカ海峡から北は台湾島にまで広がる南シナ海一帯を見れば、中国は急速な空海軍力の増強・近代化を背景に西沙・南沙諸島領有権問題で武断的振舞いを強めて他の領有権主張国との緊張を激化させ、ASEAN諸国に海軍戦力強化への強力な誘因を提供している。
他方で、米国は印中の台頭を最大の要因とするインド洋及び西太平洋地域のパワーバランス変化に対応するため、両大洋地域を「インド太平洋」という一つの戦略的まとまりとして捉え、その結節点ともいうべき位置にあるオーストラリアとの防衛協力を活発化させている(注4)。
ここで気になってくるのが、もう一つのインド洋・西太平洋結節点たるインドネシアの存在だが(注5)、同国もまた好調な経済成長と前述したような南シナ海一帯での緊張の高まりを背景に、韓国との潜水艦購入契約の締結、沿岸警備を名目とした高速ミサイル艇の増強、米国からのF-16戦闘機購入といった具合にハード面を中心とした防衛力の強化に勤しんでいる(注6)。一方で外交上の動きを見れば、南沙諸島問題では中国寄りの姿勢を採り、その中国とは防衛等5分野での二国間協力強化で合意したことも報じられた(注7)。インドネシアの地理的位置からして、この国の外交・安全保障上の重点が北京とワシントンのどちらに置かれるのかは、必然的にインド太平洋地域の勢力均衡に大きな影響を与えることになる(注8)。その意味でインドネシアと中国との接近を伝えるニュースが最近続くのは気になる所である。



次に視点をより北側の東シナ海とフィリピン海を中心とした海域、分かり易く図示すると大阪湾-南西諸島-バシー海峡、そして東京湾-硫黄島-グアム島をそれぞれ繋ぐ2本の線によって挟まれた、太平洋ベルトと世界中の市場・物資供給地とを繋ぐ日本国にとっての死活的重要海域海域に移すと、ここもまた中国の急速な強大化によって既存のパワーバランスが大きく揺さぶられている(注9)。
まず太平洋戦争終結後間もなく勃発した第二次国共内戦における蒋介石国民党政権の敗北とその台湾撤退以来当該海域の安全保障に大きな影を落としてきた台湾海峡だが、台北と北京との軍事バランスは後者有利の方向に傾き続け、更には台湾企業による中国本土への投資活発化を背景とした両者の相互依存関係も深化一辺倒となっており(注10)(注11)、台湾の戦略的転向がいつあってもそう不思議ではない状況となりつつある。
また琉球諸島近海では、宮古島-沖縄本島間の海域を主要航路とした中国海軍艦艇の西太平洋進出が活発化しているが(注12)、このことが日本国にとってどのような意味を持つのかは、以下の地図を見れば容易に想像がつこう(注13)。そして琉球諸島が明清朝に朝貢していた琉球王国時代から薩摩藩による征服、そして明治維新によって誕生した大日本帝国による「琉球処分」、太平洋戦争における沖縄戦と米国による占領統治といった歴史を背景に日本国において最も中央に対する遠心力が働き易い地域となっていることを踏まえた上で、そこに急速な経済成長によって周辺国を引き付ける強力な磁場と化した中国の影響力が作用し(注14)、日本国及びその同盟国たる米国が当該地域における軍事的プレゼンス(特に監視拠点や航空戦力の展開拠点)を失う又は大きく後退せざるを得なくなった事態を想定した時、中国と日本がそれぞれ享受することになるであろう結果も以下の地図から容易に見て取れよう。


以上述べてきたようにインド洋から西太平洋にかけての広大な海域で地域秩序や勢力均衡が再編の時期を迎えて流動化の度合いを強めつつある中、日本では去る5月5日深夜を以て原発全停止が現実のものとなった。この状態がいつまで続くのか、そしてそれがどういった正負の影響を及ぼすのか、現時点で断言できることは少ないが、短期的に見れば当該事象は日本にとって海路によってもたらされる化石燃料への依存度を強める効果があると考えられる。その海路を抱える大洋の政治的天候図がお世辞にも良好とはいえない状態での海外資源への更なる依存強化、果たして吉と出るのか凶と出るのか・・・・・?(注15)


注釈
注1.なお太平洋ベルトの人口は日本人口の約6割で大体7000万人強。明治初期の日本列島人口の2倍、1940年頃の大日本帝国内地における内地人人口総計に匹敵する数である。また経済面を見れば製造品出荷額等の約7割が当該地域で生み出されている。
注2.流石に「人肉相食む」窮状を呈した江戸三大飢饉は事例としてやや極端だし古過ぎる感もあるが、それでも注1で述べた程度の人口で「日本本土だけでは増加する人口を養えないので、移民や海外植民地獲得を積極的に行うべき」という声が朝野で盛り上がり、「からゆきさん」が存在し、「石油の一滴は血の一滴」という言葉が比喩というにはあまりに生々しかった時代が過去150年の大半を占めていたのである。
注3.そんな日本の在り様を端的に言い表したのが、当ブログ第二百四十八段でも取り上げた米国ニミッツ提督の以下の言である。
日本は、強力な海上力を持つことによって、あるいは、大きな海上力を有する強力な同盟国と手を堅く握ることによってのみ、その生存と繁栄を続けることができる。

注4.米海兵隊の豪ダーウィン駐留開始については時事通信の2012年4月3日「第1陣200人ダーウィン到着=米海兵隊の豪駐留開始」やDefense Newsの2011年11月11日「U.S. Marines to Be Based in Darwin: Report」等を参照のこと。なお最近の米豪防衛協力強化については「東アジア戦略概観2012」が詳しい。
注5.インドネシアに接するマラッカ、ロンボク、スンダの三海峡が仮に閉鎖されてしまった場合、インド洋から日本に向かうにはオーストラリア南方を大 きく迂回する航路を利用することになる。その場合の影響について、海洋政策研究財団の秋元一峰主任研究員は2011年1月28日の講演会「東アジア海域 の海洋安全保障を巡る状況」において「ごく荒っぽい試算だが」という前置きをしつつ、石油タンカーを例に「航程は約2週間の増となり、それを埋め合わせる ためにタンカーは80隻の補充が必要となるだろう」という見積りを示している。これは中国や韓国、台湾にとっても他人事として済ませられない問題である。
注6.インドネシアの防衛力増強の動きについては、naval-technology.comの2011年6月7日「Indonesian Navy Requires Ten Submarines」、朝鮮日報(英語版)の2011年7月1日「Korea to Export Military Vessels to India, Indonesia」、Jakarta Postの2011年10月5日「Defense budget up by 35% next year」及び2012年1月5日「Navy to procure 24 fast boats to patrol shallow waters」、時事通信の2011年11月9日「インドネシアにF16売却=軍事支援で中国けん制-米」等をそれぞれ参照のこと。
注7.中国とインドネシアとの間の防衛分野等での協力合意についてはCRIENGLISH.comの2012年1月17日「China, Indonesia Seek Stronger Relations
を参照のこと。また南沙諸島問題を巡るインドネシアの動きについては「東アジア戦略概観2012」の第4章がまとまっていて便利である。インドネシアと中国との経済関係については、ジェトロ・アジア経済研究所の「インドネシアからみた対中国経済関係」が詳しい。
注8.その意味で、仮に日本が中国に海洋での振舞いについて自制と慎重さを求めようとするなら、直接北京にアーダコーダと文句を言うより、インドネシアとの友好・協力関係強化に動いた方がより効率的なのかもしれない。
注9.大阪湾-南西諸島-バシー海峡、そして東京湾-硫黄島-グアム島にそれぞれ線を引いて、2線に挟まれた海域を日本の守るべき海上交通路とする考え方は中村悌次氏(第11代海上幕僚長)らの構想に基づくとされ、それに因んで前述の2線は「中村ライン」とも呼ばれている。なお同ラインがそれぞれ中国海軍の近代化に尽力した劉華清提督(
「中国のマハン」とも呼ばれた)らが中心となって打ち出したコンセプト「第一列島線」及び「第二列島線」と殆ど一致していることにも注目されたい。
注10.2008年の台湾総統選で、中国との良好な関係を重視する一方、歴史認識や尖閣諸島問題では日本に厳しい考えを有する馬英九候補(当時)が勝利したこと、そして中台両軍の退役将校団(両者とも上将レベルを多数含む)による大陸でのゴルフ交流会の活発化も海峡情勢の今後を暗示するものと言えよう。なお当該ゴルフ交流会は対中ビジネスを手掛ける台湾企業の支援の下2001年から始まったが、その後、中国共産党統一戦線部や国務院台湾弁公室などの協賛・支援を集めるようになり、2006年からは広州軍区、2011年からは黄埔同学会がそれぞれ主催を務めている。
注11.「JBIC台湾経済レポート」2011年1月号によれば、台湾企業による中国大陸への投資総額は台湾当局の公式発表では941.3億ドルだが民間の非公式見解では1800億~2300億ドルにのぼるとされる。
注12.数は少ないが、大隅海峡や津軽海峡を通航して太平洋に出た例も存在する。これについては「平成23年度 防衛白書」の第2章3節における図表I-2-3-4「わが国近海における最近の中国の行動」がよくまとまっている。
注13.この2本の中村ラインに挟まれた海域で、米海軍が潜水艦等を利用した通商破壊作戦を繰り広げ、大日本帝国の戦争継続能力に大きな打撃を与えた時代からはまだ100年もたっていない。
注14.中国と沖縄との接近という意味では、現状でハイテク製造業が集積しているわけでもなく、それが近い将来に実現するかなり強固な見込みがあるわけでもない沖縄の日中友好協会が中国内モンゴル自治区の対外友好協会との間で「レアアース安定供給」に係る協力で合意したというのも非常に気になる動きである。
注15.ひょっとしたら今後様々な幸運が作用して、インド太平洋の情勢変動が日本のエネルギー事情に悪影響を与えることはないのかもしれない。ただし、世の中には大地震の襲来とそれに伴う原発停止に踏み切った後で国際情勢の急変により化石燃料の輸入が途絶してしまったアルメニアという不運な前例も存在する。

参考資料
・CRIENGLISH.com 「China, Indonesia Seek Stronger Relations」 2012年1月17日
・Defense News 「U.S. Marines to Be Based in Darwin: Report」 2011年11月11日
・Jakarta Post 「Defense budget up by 35% next year」 2011年10月5日
・同上 「Navy to procure 24 fast boats to patrol shallow waters」 2012年1月5日
・naval-technology.com 「Indonesian Navy Requires Ten Submarines」 2011年6月7日
・ジェトロ・アジア経済研究所 「インドネシアからみた対中国経済関係」 2012年3月23日
・阿川尚之 「海の友情 米海軍と海上自衛隊」 2001年2月 中央公論新社
・共同通信 「チャイナ・ウォッチ」 2011年11月4日
・同上 「レアアース安定供給へ事業協力 沖縄と中国で草の根外交」 2012年1月29日
・国立社会保障・人口問題研究所 「人口統計資料集(2012年度版)」
・時事通信 「インドネシアにF16売却=軍事支援で中国けん制-米」 2011年11月9日
・同上 「第1陣200人ダーウィン到着=米海兵隊の豪駐留開始」 2012年4月3日
・秋元一峰 「東アジア海域の海洋安全保障を巡る状況」配布資料 2011年10月28日
・朝鮮日報(英語版) 「Korea to Export Military Vessels to India, Indonesia」 2011年7月1日
・日本政策金融公庫 「JBIC台湾経済レポート」2011年1月号
・防衛省・自衛隊 「平成23年度版 防衛白書」
・防衛省防衛研究所 「東アジア戦略概観2012」 2012年3月30日