2012年7月29日日曜日

第四百六十五段 推進剤は大体中東

最近のニュース・サイト等を見ていると、中東では従来からのイラン核問題に加え、シリア・アサド政権が化学兵器の保有を明言して外国の軍事介入に対してはこれを使用して反撃する姿勢を示した他(注1)、トルコがICBMの開発に乗り出すことを明らかにする(注2)といった具合に大量破壊兵器やそれに関連した動きが活発化している。

これは危険と言えば間違いなく危険な動きなのだが、一方で大量破壊兵器等の国際的な拡散を防止するための枠組み(レジーム)というのは、以下に詳述するように、主に中東の危機を推進剤として強化・充実が図られてきたという歴史を有している。

1.AG等の発足
第一次大戦で本格的に使用されて以来、化学兵器に対してはその非人道性から1925年のジュネーブ議定書を始め幾つかの国際的な規制が敷かれた。だがそれは必ずしも有効に機能したわけではなく、1980年に勃発してあしかけ8年にわたって戦われたイラン・イラク戦争でイラク軍が実際に化学兵器を使用した。これは直接的な敵であるイラン軍のみならず、そのイランとの内通を疑われたイラク国内のクルド人勢力(サダム・フセイン政権を構成していたアラブ人と民族は異なれど、法律上は同じ「イラク国民」である)に対しても行使されたという点が特徴的であった。
こうした化学兵器の国際的な拡散と実際の行使という事態を受けて、1985年に発足したのがオーストラリア・グループ(AG)である(注3)。当該レジームの発足により、生物化学兵器の原材料及び汎用製造設備、関連技術にも輸出規制の網がかけられることとなった。

2.キャッチ・オール規制の始まりとNSG、MTCR規制内容の拡充。
ワッセナー・アレンジメント(注4)、原子力供給国グループ(NSG)、AG、ミサイル技術管理レジーム(MTCR 詳細は後述)という4つのレジームからなる現在の国際輸出管理体制は1987年に確立されたものだが、その信頼性は早くも3年後に大きな試練にさらされることとなった。
ことの発端はまたしてもイラク。かの国を率いる独裁者サダム・フセイン大統領がその豊富な油田とペルシャ湾への出口を求めてクウェートに侵攻し、これに米国を中心とした国際社会が反撃する形で湾岸戦争が勃発する。戦争自体は多国籍軍の主力となった米軍の力もあって1年とたたず多国籍軍側の圧勝に終わったのだが、問題はその後である。
1991年4月、国連安保理は国際連合安全保障理事会決議687によってイラクに和平条件としてクウェートからの軍撤退に加え、保有する大量破壊兵器やその開発技術・設備の廃棄を求めた。敗戦国イラクはこれを受諾し、早速UNSCOMやIAEAから成る専門チームによって監視・査察が開始されたのだが、そこで各国を驚愕させたのが、イラクが従来の国際輸出管理体制で用いられてきたリスト規制、つまりある程度以上の機能やスペックを有する機器・技術をターゲットとした規制には抵触しない汎用品・技術や低スペック品(注5)を導入・転用することで大量破壊兵器の開発・生産を進めてきたという事実であった。
つまり、一応形の上では通常兵器から核兵器、化学兵器、生物兵器、ミサイルまでをカバーし、大量破壊兵器の拡散と通常兵器の過剰な蓄積の防止を期待されていた国際輸出管理体制には、汎用品や低スペック品の転用という大きな大きな穴が開いていたのである。イラクで明らかになったことは、これをそのままにしておいては国際輸出管理体制の存在する意味がないということであった。そこで各国は新たな対応策をとった。
まずは従来のリスト規制に加えてキャッチオール規制の導入が米国を先頭として行われた(注6)。このキャッチオール規制とは、リスト規制対象を除いた物品・技術のうち、食料品や木材等のごく一部を除いた物品・技術を対象として、「需要者は誰か?」「どのような用途に供されるのか?」という点に着目して規制の網をかぶせるものである。これによって、湾岸戦争後に明らかになったイラクのように汎用品・技術や低スペック品を転用した大量破壊兵器の開発を防止しようとしたのである。
また1992年には、核拡散防止を目的とするNSGの輸出規制対象範囲が、従来の核原料物質等や専用設備から核開発に使用される可能性のある汎用品・関連技術にまで拡大され(注7)、従来は核兵器の運搬手段となるミサイルやその関連技術の輸出規制を目的としてきたMTCR(注8)もまた、その規制範囲を生物・化学兵器を含む大量破壊兵器を運搬可能なミサイル(無人機含む)及び関連汎用品・技術へと拡大した。

以上のような国際輸出管理体制の歴史を顧みた時、現在中東で進行している冒頭で述べたような事態が、当該体制に対して今後どのような影響を及ぼしていくのか、実に興味深い所である。

注釈
注1.シリア・アサド政権の化学兵器保有明言についてはロイターの2012年7月24日「シリアが化学兵器保有認める、軍事介入への使用示唆も」等を参照のこと。
注2.トルコのICBM開発計画については、Hürriyet Daily Newsの2012年7月24日「Turkey begins work on ICBM 」を参照のこと
注3.何故当該レジームを”オーストラリア”・グループというかというと、それはオーストラリアが当該レジームの設置を提案し、その後は参加国会合議長国を務めているからである。なお当該レジームへの参加国は現在40ヵ国となっているが、アジアからは日本、韓国、トルコが参加しているに過ぎない。
注4.ワッセナー・アレンジメント(WA)。それは地域紛争防止やテロ組織への対策という観点から、通常兵器及び関連技術の過剰な蓄積の防止を目的とした輸出管理レジームである。冷戦終結でその役目を終えたココムの流れを引き継いで1996年に西側諸国のみならずロシア等の旧東側諸国も参加して発足した。現在41カ国が参加しており、アジア圏からは日本、韓国、トルコが参加している。名称は、1995年にココム後の新たな輸出管理体制の構築について各国の協議が行われたオランダ・ワッセナー市に因んでいる。
注5.念のため付記しておくが、ここで言う「低スペック」というのは、あくまでリスト規制の対象となる様な機器等と比較してのものである。
注6.主要国・地域のキャッチオール規制の導入は1991年の米国に始まり、その4年後にはEUもこれを導入した。なお日本での当該規制導入はこれらにやや遅れて2002年になってからであった。
注.ただし、このキャッチオール規制をあまり厳格に適用しようとすると、貿易に携わる企業等の事務負担が過剰となって貿易を委縮させ、ひいては一国の経済の健全な発展を阻害しかねない。そこで、国際輸出管理体制における4レジーム全てに参加してそれに対応した規制法規の整備及び厳格な運用を行っている国に対しては輸出する際は規制当局最高責任者(日本で言えば経済産業大臣)の許可を不要とする等、一定の条件の下で貿易に携わる企業等の負担を軽減するための措置も採られている。
注7.なお核拡散防止条約を補完する目的でNSGを発足させたのは、74年のインド核実験によって世界に湧き上がった核拡散への恐怖であった。現在46カ国が当該レジームに参加しているが、当ブログを書いている段階で当該レジームは4レジームの中で中国が参加する唯一のレジームでもある。
注8.なおMTCRの発足は1987年。

参考資料
・Hürriyet Daily News 「Turkey begins work on ICBM 」 2012年7月24日
・安全保障貿易情報センター 「STC Associateへの道」(第3版) 2011年9月
・日本外務省 「オーストラリア・グループ(AG:Australia Group)の概要」  2011年8月
・日本外務省 「原子力供給国グループ(NSG)の概要」 2012年6月
・日本外務省 「通常兵器及び関連汎用品・技術の輸出管理に関するワッセナー・アレンジメント」 2012年2月
・日本外務省 「ミサイル技術管理レジーム」 2011年7月
・ロイター 「シリアが化学兵器保有認める、軍事介入への使用示唆も」 2012年7月24日

2012年7月8日日曜日

第四百六十四段 引退と政権交代

各国の選挙情勢を見ていると、国政選挙で「×××候補(若しくは×××党)が選挙で勝利しました」という発表がその国の選挙管理委員会等から発表された場合、日本や西欧、北米ではその結果が粛々と受け入れられ、結果によっては政権交代に向けた手続きが進んでいく。
対して、アフリカや中東、旧ソ連圏等々の国では、×××候補(若しくは×××党)とは競争関係にあった○○○候補(若しくは○○○党)から「選挙結果は不正なものであり、これを受け入れることはできない」という声明が出されて国内情勢が不穏化、双方の支持者が衝突し、結局どちらの組織が暴力面で強いのか、或いは軍や警察といった国家の実力機関の支持を得ているのかで事態の帰趨が定まるということが珍しくない。

この両者を分ける分水嶺について、昔から漠とした関心を抱いていたのだが、最近、「その答えは”引退”という生き方が権力者に許されていたか否かにあるのではないか」という気がしている。

どういうことかというと、まず、「権力者の生涯」と言った時、単純に、絶大な権勢を保持し続けて栄光に包まれたまま生涯を終えるか、さもなくば権力闘争での敗北後零落したり処刑されて終わるか、の二者択一的な、まさに「Power or Die」的なイメージを抱いてしまうが、それは地球上の多くの地域の多くの時代において単なる印象論を超えた事実であった。
だが、ざっと日本の歴史や中世以後の西欧の歴史をおさらいしてみるならば、そこでは権力者にとって「Power or Die」とは別の「第三の道」が存在していたことに気付かされるだろう。それが「引退」である。そこでは、元権力者はそれなりの財産や名誉を保持したまま、仏門や修道院に入る等して政治の表舞台から去り、現権力者の方でも、元権勢者が反乱を企てるといった特殊な事態を除けば、元権勢者の生命や財産を侵害することはなかった。
つまり、世界を大まかに二分すると、日本や西欧のように元権力者が権力という強大な力を手放しても身の安全や(ある程度の)生活水準は享受できる慣習が存在し続けてきた地域と、権力を一旦失えば後は身の破滅しかない地域に分けることができるのだ。

ここで話を冒頭の選挙の話に戻すと、日本や西欧、そして西欧からの多大な影響下で成立・発展してきた北米で「誰が権力を握るのか?」を決定する選挙結果が大きな社会動乱を引き起こすことなく受容されるのは、「引退」という慣習等によって「権力の喪失が身の安全・財産の喪失までを意味するわけではない」という一種の安心感が権力者層を含めた社会全般に広く根付いているからであり、逆に「引退」という慣習がなく「権力の喪失=身の安全・財産の喪失」という時代が長く続いてきた社会・地域に成立した国家では、権力者交代をもたらしかねない選挙やその結果発表は、対立する候補・陣営間での「生存を賭けた闘争」開幕の号砲にしかならない(そして勝った方が敗者を徹底的に弾圧する)、というのが現時点での自分の見立てなのである。




2012年7月1日日曜日

第四百六十三段 音速の遅い読書「日本中世に何が起きたか」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。



著者の網野善彦氏(故人)と言えば、中世日本における商人や職人、遍歴する宗教者等の非農業民の役割の大きさに光を当て、日本中世史研究に大きな足跡を遺した人物であり、同時に当該分野に係る様々な文庫や新書を通じて一般にも馴染みの深い研究者であった。

本書もそうした一般向けに著された作品群の一つであり、内容は「都市と宗教と「資本主義」」という副題が示す通り、時宗や浄土真宗、法華宗といった所謂「鎌倉新仏教」が京や鎌倉等の都市住民を中心に大きな訴求力を持ったこと、そして、その創始者や担い手が同時に金融や交易に大きく関与して中世日本における「資本主義」の確立に大きな影響を与えていたことを明らかにするものとなっている。

そこに聖と賤といった価値観の動揺、東国と西国との相違、マージナルマンの問題が絡んできて非常に知的好奇心を刺激される仕上がりとなっているのだが、個人的に一番興味を持ったのが以下の記述である(中略及び注は当ブログ著者による)。
それから、金融という行為もやはり、古くは神仏との関わりなしには、成立し得なかったと思います。これは人間社会にかなり共通していることで、他の民族の場合も、神殿が金融機関であったという事例が古く見出されるようですが、日本の社会の場合、物を貸して利息を取るという行為の最も初原的な形態は「出挙」です。これについては議論もいろいろありますが、初穂として神に捧げられ、神聖な倉庫にしまわれていた稲を種籾として農民に貸し与え、秋に神への感謝、御礼の意味をこめて、若干の利息をつけて、倉庫に戻す。これがおそらく「出挙」の源流だと思います。
この習俗が律令国家の制度に組織されて、「公出挙」という形になっていくのだと思います。しかし、「私出挙」がこれと並行して行われていたように、こうした方式はその後も引き続き、日本の社会で行われています。じっさい中世になりましても、金融の行為は「出挙」と呼ばれるのが普通ですし、金融業者である「借上」(注:「かりあげ」ではなく、「かしあげ」と読む)や「土倉」の金融の仕方をみても、それが出挙と同じ考え方に基づいていることは明らかです 。
・・・・・(中略)・・・・・
おそらく、利息はどの民族でも、農業ないし、牧畜などの生産との関わりで生まれてくるのではないかと私は考えております。
実際、日本はおろか、中華文明やインド文明、そして古代ローマやイスラム以前の中東においても「利子」「利息」という考え方は広く認められるものである。そして、その緒元に、一粒蒔いてそれが順調に育てば2倍3倍どころか何十倍にもなる穀物農業等の在り方があるのだという考え方は実に納得し易いものである。

しかし、広い世界を見渡すと、中には利子・利息に対して否定的な見解を示す考え方も存在する。有名所を挙げていけば、アリストテレス、そしてイエス・キリストやムハンマドといった人物の考え方である。ここですぐに気付くのは、彼らが実生活上農業とは縁遠い都市部出身であったことだ。
例えば、アリストテレスは都市国家アテネ出身の学者であったし、イエス・キリストも教団の主催者として名を挙げるまでは宗教都市として繁栄していたエルサレムの下層民(大工をやっていたとか)、そしてムハンマドが交易都市メッカに拠点を置く有力商人の一族として生を受けたことも有名であろう。

農業等を基盤として生まれた「利子」「利息」という考え方を、都市部出身の思想家が否定する。何とも興味深い構図ではある。