2012年8月31日金曜日

第四百六十七段 極東領土紛争情勢

現在極東部において繰り広げられている領土問題についての管見。

中国 現時点での勝ち組
清朝時代に完成した東は遼東から西はカシュガルという広大な領域の大半を引き継いで成立した中華人民共和国だが、それゆえに隣接する国も多く、同時に国境を巡る紛争・対立も決して少なくはなかった。特に重要なのが、清朝の時代から度々北や西の国境で紛争を繰り広げてきたロシア勢力との対立で、特に中ソ対立以後は外モンゴルに駐留したソ連の機甲部隊が北京を伺い、その恐怖が晩年の毛沢東をして米国や日本との関係修復・強化に走らせたのである(注1)。
だが、1989年の冷戦崩壊、1991年のソ連崩壊という戦略環境の大規模な変動を経た後の世界において、中華人民共和国とソ連の後継国家たるロシア連邦共和国は長らく両国間紛争の火種となってきたアムール川中洲等の配分にけりをつけ、2004年に中露国境協定を締結した(注2)。これによって北方の憂いを除いた中華人民共和国は、急速な経済成長が作り出す「市場・投資先としての魅力」と近代化されつつある海空軍力を梃に日本や韓国、ASEAN諸国への影響力を強め、東・南シナ海における領有権争いで優位なポジションを築くことに成功した。
この結果、各国政府では中国を経済的沃野とみなすか安全保障上の脅威とみなすかで共通した見解を示すことができなくなり(場合によっては同一政府部内ですら中国にたいする共通したコンセンサスを形成することが困難になっている)、中国に「各個撃破」のチャンスを与えている。
中国にとって今後の焦点は、「市場・投資先としての魅力」が経済成長率の鈍化や賃金高騰、政治的不透明さで陰りを見せ、更に人口ボーナスの消失や少子高齢化の進展といった長期的なマイナス材料を抱える中、今まで築いた東・南シナ海問題で築いた優位をどこまで維持・伸長していけるかだろう

ロシア 解決済みの国境と聖域の防壁
ロシア勢力がウラル山脈を越えて遠くシベリア東部にまで領土を広げたのが大体16、17世紀。その頃から20世紀後半の中ソ対立の時期まで清朝、中華民国、中華人民共和国といった中国勢力との国境紛争が度々繰り広げられてきたが、21世紀に入ってそれにけりをつけたのは上述の中国の項で述べた通り。
残る北方四島問題だが、ロシア側にとって所謂「北方四島」のうち国後、択捉の両島は、ロシアが現状で米国に唯一ほぼ対等に張り合える核戦力分野において、オホーツク海をSLBM原潜の聖域たる「閉じられた海域」とする上で非常に重要な意義を有している。従ってその領有に多少歴史的、法的瑕疵があったとしても、ロシアが両島を無条件で日本に引き渡すことはまずないと考えてよいだろう(以下の地図参照)。


ただロシア側にとっては幸いなことは、北方領土問題がいくら白熱化したとしても、日本の現状を見る限りそれが軍事紛争にまでエスカレーションする可能性は極めて低いことである。ロシア側としては、スーツの下からちらちらと鎧を見せて日本政府を牽制しつつも、LNGやその他資源開発等極東の振興に繋がる経済マターでは日本の政府や企業との協力を深めるという方向を今後も追求することになるだろう。
そして、こうしたロシアの動きは、日本側からすると、ナショナリスティックな面子・プライドという点では極めて不満が残るものの、LNGや石油等エネルギー資源の安定供給及びそれらの中東依存率の低減という実利の面では実に好ましい点もあり、そのジレンマには強く悩まされることになるだろう。

韓国 三つのフロント・ライン
韓国が抱える国境紛争について、現在の日本では「竹島問題」に注目の眼が集まっているが、同国は他にも国境紛争の前線を抱えている。一つは言わずと知れた北朝鮮との38度線、もう一つは中国との蘇岩礁である(以下の地図参照)。


従って、韓国政府の立場に立てば、一つの前線で攻勢に出ようとすれば他の二つの前線を極力安定させる必要性が出てくる。別の言い方をすれば、少なくとも二つの前線が安定していなければ残る一つの前線で攻勢にでることはできない(政府指導者が気でも触れない限りは)。一方、どこかの前線で韓国からの圧力を受けることになった国としては、他の二つの前線の緊張を高めることによって韓国が一つの前線に様々なリソースを集中させることができないようにすることが肝要となる。
そうした観点から現在の竹島問題を見ると、韓国の李明博政権が竹島で対日挑発行為を行い得たのは38度線と蘇岩礁の情勢が当面は安定的に推移すると踏んだからであり、韓国の強硬姿勢に直面した日本が北朝鮮との接触を活発化させているのも、実に自然な動きということができよう。

日本 紛う事なき負け組
現在の日本を俯瞰して見ると、長く続く経済的な停滞の中で、他国にとって市場や投資先としての魅力は近年とみに霞がちで、更に余裕のない財政状態の中ODA等対外支援予算も削られ、「日本の言動を支持しておけば、何かうちらにも得があるかもしれない」という他国の期待を形成する能力はかなり弱まっている。また、極東における日本の立ち位置を強力に規定・保障する日米同盟も民主党政権が成立してから軋みが目立つようになってきた。
こうしたいわば外政上の地力が衰えているところに加えて、領土問題は、「尖閣」「竹島」「北方四島」のうち、どれを優先してどれを後回しにするのかという順位づけがなされないまま、ロシアが北で強硬な振舞いに出れば「北方領土問題」が大きく取り上げられ、中国(場合によっては香港や台湾)が尖閣に船を派遣すれば「尖閣問題」に注目が集まり、韓国が竹島で挑発を行えば「竹島問題」で皆が激昂し、そして時間が流れると共に誰もが忘れていくという「アジェンダは他国にお任せ ~領土紛争は一瞬の煌めき」な状態と化している。
要するに能力・資源に係る制約は重くなる一方、それをどのような優先順位をつけて配分するかを決められないまま、余所の動向に振り回されるがままというのが現時点の日本の状態である。これを「負け組」と言ってしまえば酷かもしれないが、少なくとも個人レベルの生き方では決して参考にはしたくない部類の状態ではあろう。

 

注釈
注1.中国首脳の極東ソ連軍に対する恐怖、これが日本では割と見過ごされがちな「日中友好」の成立要因である。従って、それが消えたソ連崩壊後の世界において中国と日本との間で様々な摩擦・衝突が深刻化してくるのも当然と言えば当然の流れなのである。
注2.同様の国境画定交渉が旧ソ連中央アジア諸国や東南アジア大陸部諸国との間でも進められた。概していうと、中国は陸上国境を巡る交渉では妥協も排さない柔軟な姿勢で臨む一方、海上国境を巡る交渉では強硬な姿勢をとりがちと言えるようである。

参考資料
・Moscow Times 「China, Tajikistan Sign Border Agreement 」 2011年1月14日
・岩下明裕 「中・ロ国境4000キロ」 2003年3月 角川書店
・同上 「中ロ 国境秘話」 リテラ・ポプラ2005年冬号  北海道大学 2005年
・庄司智孝 「ベトナム・中国間の国境線画定・領土問題」 防衛研究所紀要第8巻第3号 2006年3月 防衛省防衛研究所
・日本外務省 「ODA予算・実績」
・津上俊哉 「岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁」 2011年2月 日本経済新聞出版社
・銭其琛 「銭其琛回顧録 中国外交20年の証言」 濱本良一訳 2006年12月 東洋書院
・大泉啓一郎 「中国の人口ボーナスはいつまで続くのか ―持続的経済成長の課題―」 RIM 環太平洋ビジネス情報2月号 2011年 日本総研

2012年8月10日金曜日

第四百六十六段 インドの雨不足で中東が荒れるかもしれない

北米、黒海沿岸部、カザフスタンといった北半球における大規模穀倉地帯で降雨不足が続き、コムギやトウモロコシといった各種穀物の生育に深刻な懸念が発生している今日この頃、インドでモンスーン到来遅延による雨不足が発生し、同様に農作物への影響が懸念されている。特にインドは米国やロシア等といった国々に比較して労働人口やGDPに占める農業の役割が大きく、干天による不作が景気に与える影響も一段と深刻なものとならざるを得ず、そのことを憂慮する声も当然あがっている。
だが、もし降雨量不足がインド農業に大きなダメージを与えることになった場合、その影響はインド一国に止まらず他の地域に及びかねないことはあまり語られない。
その「他の地域」に該当するのが、経済的にも安全保障的にも日本とは全く縁遠い国・地域ならばそれでも全く問題はないのだが、実はさにあらず、、寧ろ我々の住む日本以下多くの国々とって重要なエネルギー供給源となっている中東、湾岸地域だというのがなかなかに厄介な所だといえよう。

そもそもインドと中東湾岸地域との経済的繋がりを確認してみると、インドが原油・天然ガスの多くをサウジやUAEといった湾岸諸国やイランからの輸入に負っていることはイラン核開発問題における諸般の報道の中でも度々触れられてきた所だが(注1)、同時に、インドは湾岸諸国やイランに対するコメやコムギ等農産物の主要輸出国でもあるのだ(注2)。つまり大雑把にいって、インドと湾岸地域との間にはアラビア海を挟んで以下のような物の流れが存在しているのである。



最近の湾岸地域の情勢は、スンニー派政権とシーア派住民との緊張関係、若者人口の拡大と不十分な社会の受入枠組みといった長期的な問題群に、巷間よく知られたイラン核開発問題や「アラブの春」に影響された現政権への異議申立て活発化といった新たな課題が加わって不透明の度を増している。そこに加えてインドからの農産物流入が細る若しくは途絶することになった場合、それが食料品価格の上昇という形で貧困層の生活に打撃を与え、彼らの間で昂じた不満が前述の問題群とも絡まり合って各国ひいては地域の安定を大きく揺さぶるという未来絵図を描くことはさして困難ではない(注3)。

それでもひょっとしたら、サウジアラビアやUAE、カタールといった国々は不作のインドに代わる新たな穀物輸入先を確保に成功して上手く事態をやり過ごすかもしれない。だが、ペルシャ湾の油田・ガス田群と世界とを繋ぐホルムズ海峡の安定に決定的な重要性を持つイランはそうはいかないだろう。その要因は核開発問題に伴う国際的な各種制裁の存在だが、わけても中央銀行を含むイラン金融部門が国際的な資金決済支援システムSWIFTから放逐され資金決済の便宜を失ったことは、同国がインドの穴を埋める新規穀物輸入先を開拓する必要性が出てきた時に極めて大きな足枷となると考えられるからだ(注4)。

既にイランでは、経済制裁や世界の穀倉の一つである米国における天候不順等を背景としたトウモロコシの輸入価格上昇がそれを飼料として生産される鶏肉の価格にも波及して国民の不満を昂ぜしめ、政府が鶏肉価格抑制に乗り出さねばならない事態となっている(注5)。そんな所で、インドが雨量不足による不作を理由に穀物等農産物の輸入削減に踏み切った、そしてイランは新たな代替輸入先を見つけられないでいる、という事態が現出したならどんなことになるか。
様々な可能性を考えることができようが、ただ少なくとも、「湾岸地域から世界への安定的なエネルギー供給」にとってプラスになることは何一つ起こらないという予測だけは自信を持って下せる。
ひょっとすると、極端な話、ある人はフランス・ブルボン朝の王妃マリー・アントワネットがこぼした「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」という一言が食糧難に喘ぐパリ市民たちを激昂せしめフランス革命に火をつけたという有名な小話(注6)を思い出し、また別のある人は「中国天安門事件やエジプトのムバラク政権崩壊の影に食料品価格高騰があったのだ」という説に頷く、といったようなことになるかもしれない。

無論、今後の巡り合せ次第でこれら全てが単なる杞憂に終わる可能性もある。だが世界のエネルギー庫ともいえる湾岸地域が、インドの降雨状況という普段意識することも殆どないであろう要素によってもその安定を左右されかねない脆弱性を抱えた地域なのだということには注意が必要だろう(注7)。

注釈
注1.2004年時点のデータを確認してみると、インドの全原油輸入量に占める中東の割合は67%となっている。これが3年後の2007年には西アフリカ等からの輸入量増等を背景に47%強まで落ちてくるのだが、国別輸入量で見るとサウジやクウェート、UAEといった湾岸地域諸国が上位を占めている傾向に変化はない。
注2.たとえば世界第3位のコメ輸入国にたるイラン(2008年時点)にとって、インドは最大の輸入先となっている。
注3.なお湾岸地域諸国の食料自給率を見てみると、2007年時点でイランが84%、サウジアラビアが26%、UAEが0%となっている。もう少し枠組み を拡大して中東諸国となると、トルコが89%、シリアが72%、エジプトが69%、イスラエルが7%といった塩梅である。
注4.企業Aが外国企業Bから物を買った場合、AにBから「X銀行の口座に代金を振り込んでくれ」という請求が来る。そこでAは自分の取引先銀行Yに「今口座にある資金の中からX銀行にあるB口座に支払代金を振り込んでくれ」と依頼する。そこで銀行YはAの口座から代金に該当する金額を引き落とし、次にコルレス契約を締結しているZ銀行に対して「AとBが行った売買取引代金の決済を行うので、そちらに開設した弊行(Y銀行)の口座から代金相当額を引き落として同じ国のX銀行にあるB口座に振り込んでくれ」という旨の連絡を行う。この連絡を受けたZ銀行は言われたとおりにY銀行の口座から代金相当額を引き落としてX銀行にあるB口座にそれを振り込む、という手順で取引が完了する。
SWIFTとはベルギー・ブリュッセルの近郊ラ・ウルプに本拠を置く国際銀行間通信協会が運用する情報システムで、上述の例で言うとY銀行とZ銀行の間で行われる連絡を担っている。これを利用することで決済に伴う事務手続きを大幅に簡略化することができる。そのため、再び上述の例で言えばY銀行からZ銀行に連絡が行った日の翌日にはX銀行のB口座にAからの代金に相当する金額が振り込まれることになる。
この便利なSWIFTから追放される、つまり当該システムを使えなくなるということは、Y銀行がZ銀行に連絡を郵便等で行って実際にX銀行のB口座に代金が振り込まれるまで何日も何日も余計な時間を要するということである。その間、郵送した振込通知が事故に巻き込まれる等して紛失したり、Bで現金が必要になる事態が急に生じたり、或いはX銀行やZ銀行が倒産してしまったならどういうことになるか。恐ろしや、恐ろしや・・・・
なお、2010年時点ではイランの19銀行(中銀含む)、25金融機関がSWIFTに加盟しており、利用件数は年間200万件にのぼっていた。
注5.イランの鶏肉騒動については、Al Arabiyaの2012年7月29日「Iran lowers prices as ‘chicken crisis’ becomes simmering political issue」を参照のこと。なお2004年時点でイランは中東最大のトウモロコシ輸入国であり、その大半が鶏肉生産のための飼料に回されているとされる。
注6.どうやらこの小話は歴史的事実とは到底言えないフィクションの類のようである。ただ、「革命」というものが如何なる理由で起こるのかをこれ以上ない端的さで伝える小話ではあろう。
注7.そうこう書いているうちに、インドEconomic Timesが8月7日付で「インド政府は、民間業者による小麦輸出を禁止するようだ」というニュースが流れてきた。詳細は同紙2012年8月7日「Wheat exports by private traders may be banned」を参照のこと

参考資料
・Al Arabiya 「Iran lowers prices as ‘chicken crisis’ becomes simmering political issue」 2012年7月29日
・Bloomberg 「インド株:総じて安い、雨不足を懸念-マヒンドラ下落 」 2012年7月17日
・Economic Times 「Wheat exports by private traders may be banned」 2012年8月7日
・ロイター 「経済制裁受けるイラン、インド産コメ輸入代金が不払いに」 2012年2月8日
・安全保障貿易情報センター 「CISTEC Journal」2012年5月号 2012年5月
・川島博之 「世界の食料生産とバイオマスエネルギー―2050年の展望」 2008年5月
・日本エネルギー研究所 「インドのエネルギー情勢・政策動向」 2006年7月
・同上 「海外エネルギー動向 インド」 2011年5月
・日本農林水産省 「世界の食料自給率」