2012年9月30日日曜日

第四百六十九段 そりゃないわー

日本と中韓との領土問題。たまにドミノ理論よろしく「竹島で譲歩すれば、次は対馬で譲歩することになり、最後に九州が狙われる」或いは「尖閣で譲歩すれば、次は沖縄で譲歩することになり、最後に九州が狙われる」といった反応を示す人がいる(注1)。

そんな反応を見聞する度、自分は思ってしまうのだ。そりゃないわー、と

何故そう思うのかというと、現在日本国が周辺諸国との間で抱えている領土問題の歴史を顧みるに、中国(特に現在の中華人民共和国)や韓国が対馬や沖縄は兎も角、九州にまで拡大の手を伸ばすのは、あまりに無理筋というか天に唾する行為というか、自爆のリスクが高い行為だと考えられるからである。

そもそも現在日本が周辺諸国との間で抱えている領土問題だが、その歴史はそんなに古いものではない。直接的な淵源に限れば、せいぜいがここ50~60年ぐらいの話なのである。

まず20世紀初頭の日露戦争が終結して間もない頃、当時の大日本帝国は、その支配圏を祖宗興隆の地ともいうべき日本列島(注2)以外に琉球列島から台湾一帯、マンチュリアの一部や朝鮮半島樺太南部や千島列島にまで広げていた。
その中で、尖閣諸島や竹島、北方四島といった現在の係争地はいずれも大日本帝国の支配下にすっぽりと収まっていた。従ってこの状態が現在まで続いていれば、少なくとも尖閣諸島や竹島、北方四島が係争地としての性格を纏うことはなかったと考えられる。

だが現実は違った。1939年において勃発した第二次世界大戦において大日本帝国はナチス・ドイツと提携して英米率いる連合国(注3)と敵対する道を選び、最終的に1945年、ソ連のスチームローラーの如き極東軍の猛攻と米軍が放った二発の原爆の威力の前にノックアウトされ(注4)、米英、後にソ連や中華民国も参加して練り上げた戦後国際秩序構想に則って解体されてしまったのである。

というわけで、以下、米英が初めて第二次大戦後の国際秩序に言及した大西洋憲章から、ポツダム宣言に至るまで、連合国側の大日本帝国処分構想に係る部分を見ていきたい。
1941年8月14日大西洋憲章(英米共同宣言)
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・

三、兩國ハ一切ノ國民カ其ノ下ニ生活セントスル政體ヲ選擇スルノ權利ヲ尊重ス。兩國ハ主權及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主權及自治カ返還セラルルコトヲ希望ス。

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
ここでまず、「暴虐比類なき枢軸国」によって侵略された人々の主権・自治の回復(=枢軸国解体)を目指す旨の宣言が出される。
1943年11月27日カイロ宣言(日本国ニ関スル英,米,華三国宣言)
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲,台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
次に米英に加え極東で大日本帝国と激しくやり合う中華民国が参加したカイロ宣言で、第二次大戦後の大日本帝国の領域から、第一次世界大戦時に獲得した南洋諸島、日清戦争の結果等で清王朝から獲得した台湾一帯やマンチュリア、朝鮮半島がそれぞれ除去されることが決定される。
1945年2月11日ヤルタ協定
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・
二 千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルベシ

(甲)樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」聯邦ニ返還セラルベシ

・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・

三 千島列島ハ「ソヴィエト」聯邦ニ引渡サルベシ

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
そして欧州戦線でナチス・ドイツ降伏が視野に入ってきた情勢下、アジア・太平洋戦線で未だ頑強に粘る大日本帝国との戦いにソ連を味方戦力として参戦させたい米英の利害と、かつてロマノフ朝が極東に有していた植民地的権益の復活に関心を示していたソ連の利害が一致し、ソ連は対日参戦の戦利品として南サハリン及び千島列島その他諸々を獲得することが認められる。
1945年7月26日ポツダム宣言
・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・

 八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・
既にナチス・ドイツを屈服させ、ソ連の対日参戦も確定、マリアナ諸島も米軍が陥落させてB-29による東京直接空爆が可能になるという万全の包囲網を敷いた上で、連合国は大日本帝国に「戦後、お前の手に残る領土は本州、四国、九州、北海道とそれらの周辺島嶼だけだ」という通告を含んだ降伏要求を突き付けてきた。
冒頭部で述べたように色々あって抵抗の意思をへし折られた大日本帝国政府はこれを受容し、今まで見てきたような各宣言や構想、協定に従って大日本帝国は解体され、その領土は後継国家日本国や周辺国に分与されたのである。

この時、住民の分布状況、各国本土からの距離、関係諸国間パワー・バランス等々諸般の事情から、 日本国に領有が認められた「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島」に含まれるのか否かについて解釈の余地のある(悪意のある言い方をすれば「いちゃもんをつける余地のある」)地点が発生した。これが現在の尖閣諸島であり、竹島であり、やや特殊な事情があるものの北方四島なのである。

一方、九州は連合国が掲げた一連の戦後構想の中で明確に日本の領土と認められている。それに挑戦して九州を自国の支配下に組み込もうとすることは、つまり連合国の戦後構想やそれをベースとした現在の国際秩序の在り方に異議を唱えることとほぼ同義の行いとなる。
これは韓国にとっては、カイロ宣言で明言された「朝鮮半島が日本や中国、ロシアや米国といった域外国の支配下に入るのではなく、あくまで地元の独立国によって統治される」ことの必然性に疑義を挟み得る余地を自ら作り出すことになる。
また中華人民共和国(若しくはU.N.を追放される前の中華民国)とっては、米英ソと肩を並べて安保理常任理事国の座に収まり、正式な核保有国としての地位にあることを正当化する「連合国の一員としてファシスト大日本帝国と戦い続け、その世界構想実現のために多大な尽力をした、いわば戦後世界の元勲だから」というストーリーを自ら毀損することになる。

果たして現在の韓国や中国に、自国が独立国として存在することの正統性や、国際社会において有する数々の特権・ステータスの根拠を揺るがし或いは傷つける危険を背負ってまで九州を支配下に置かねばならない切羽詰まった理由があるのだろうか?
自分にはとてもそうは思えない(注5)。
だから「領土問題で中国(若しくは韓国)に譲歩すると、最終的に九州が狙われる!!」的な反応を見る度、自分はこう思うのである。

そりゃないわー

注釈
注1.ただ、不思議とロシアに対しては「北方四島で譲歩すれば次は北海道が狙われる」という話を聞かない。単に自分の見聞きする範囲が狭いだけであろうか? 
注2.ここでの「日本列島」とは、具体的には北海道、本州、四国、九州を指す。
注3.なお連合国を英語表記すると「United Nations」という。これを母体に、第二次世界大戦後の国際情勢に一定の法と正義に基づく秩序をもたらすため設置された国際機関こそ、現在のUnited Nationsである。現在の日本国では「国際連合」という言葉をわざわざ作ってその訳語に充てているが、対照的に、中国語においてはUnited Nationsは現在でも「連合国」と訳されている。その組織の来歴と性格を考えるに、中国語訳の方が遥かに適切な気がしてしまうのは気のせいか?
注4.大日本帝国首脳部をポツダム宣言受諾、即ち降伏に追い込んだ「最後の一押し」が、ソ連の対日参戦だったのか、それとも米国の原爆だったのかは議論のある所であるが、たとえば長谷川毅氏(カリフォルニア大学サンダーバーバラ校歴史学部教授)は、日米露の広汎な一次資料を渉猟して書き上げた著作「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」の中で、大日本帝国を降伏に追い込んだ最終的な力・衝撃としてソ連の対日参戦を重視している。
注5.将来的に、韓国や中国等の経済状況如何によっては、それら各国と九州地域との経済的繋がりが一層強化され、結果として九州地域と東京にある日本国中央政府との間で中国や韓国に対する認識・利害について齟齬が生じる可能性はある。ただし、その齟齬が調整不可能なほど深刻なものになる可能性はまずないであろうし、係る事態が発生したとしても、それは九州が韓国や中国の政府の支配下に入る、具体的に言えば中国や韓国の政府が行使する行政権や司法権の統制下に入るということとは別次元の話であろう。

参考資料
・参謀本部所蔵 「敗戦の記録」 1989年2月 原書房
・田中明彦研究室 「戦後国際政治の基本文書」
・長谷川毅 「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」 2006年2月 中央公論新社

2012年9月26日水曜日

第四百六十八段 中国海洋進出の3要因

当ブログでも度々取り上げているが、昨今のユーラシア極東部では、中国とその周辺国との間で海洋権益を巡る対立が顕著なものとなっており、かつての中国指導者鄧小平が提示したテーゼ「韜光養晦」は益々その存在感を弱めている。

では中国は、何故そこまでして海に出張ってくる若しくは出張ってこれるのだろうか?

自分はその要因として以下の三点を挙げることができると考えている。

1.オイル・ルート保持の必要性 
2.急速な経済発展を背景とした軍事予算の増大
3.北方の脅威の消滅

1.オイル・ルート保持の必要性
1980年代、鄧小平が開始した改革開放政策によって中国が急速な経済発展に成功し、2000年代には「世界の工場」と呼ばれるまでに台頭したことは世に広く知られた通りである。そのサクセス・ストーリーの軌跡をグラフで示すと次のようになる。

名目GDPの推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

上記グラフが示す高度経済成長をより具体的に見ていけば、そこには各種産業の生産活動活発化や人々の生活水準向上があり、それは同時に、社会が必要とするエネルギー・資源の量の拡大を意味した。その中でもとりわけ重要なのが、発電所や各種交通運搬器具の燃料を始めとして社会の様々な場面に用途が広がる石油である。
元来中国はマンチュリアの大慶油田や新疆のタリム盆地等で原油を生産してきたが、それだけでは豊かさを目指して疾走を始めた国内の需要を満たすには足りず、以下のグラフに明らかなように、経済成長と軌を一にして急速に海外からの石油輸入を拡大してきた。

原油輸入額の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

そんな中国の主な石油輸入先内訳は、2009年時点で大きい順に中東約50%、アフリカ約30%、欧州・CIS約10%といった構成になっている(注1)。このうち、パイプラインによる輸送が可能なのは欧州・CISぐらいなもので、太宗を占める中東やアフリカからの輸入はどうしても海上輸送に頼らざるを得ない。
では一大産油地帯である中東やアフリカから中国までどのような航海ルートで石油が運ばれるのか。簡単に言うと、生産地-インド洋-マラッカ海峡-南シナ海-東シナ海-中国沿海部、というルートなのだが、とくにマラッカ以東のルートを地図で示すと以下のようになる。


ここで注目したいのが西沙・南沙諸島の位置である。もし両諸島一帯が中国に敵対的な勢力の支配下に置かれた場合、中国は常に、自国の安定と豊かさを支える大動脈がいつ封鎖されるか知れたものではないという悪夢にうなされることになる。それが嫌ならどうするか? 少なくとも、自ら海に出張って睨みを利かせる、又は両諸島一帯において他国がやるよりも先に自らの支配を確立してしまえばよい、という発想が出てきても何ら不自然ではあるまい(注2)。


2.急速な経済発展を背景とした軍事予算の増大
無論、幾ら必要性があるからと言って、所詮先立つものが無ければ何もできないことは国家であれ個人であれ、何ら変わる所はない。では中国政府、ひいては中国軍部の懐具合は如何なものなのであろうか?
まず、中国経済が近年急速に拡大していることは既に述べた通りである。となれば、それに応じて政府の歳入も税収増等を通じて増えていくというのが自然な流れであろう。実際、中国政府の歳入は同国の経済成長を歩調を合わせる形で拡大している。

歳入の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

そして斯くの如く政府の歳入が増えると、よほど厳しい制限でもない限り、防衛予算もまた増大することになる(単純な話、予算に占める防衛予算の割合がよほど厳しく絞り込まれない限り、、パイ自体の成長に伴って予算額は増大する)。
日本防衛省が公表した平成24年度版「防衛白書」に掲載されている中国国防費推移(公表分についてのみ)を見ると、中国の経済成長とそれに伴う歳入の拡大に連動する形で同国の防衛予算額も拡大を続けていることが分かる(注3)。

つまり、現在の中国政府ひいては中国軍の懐具合は、「オイル・ルート保持」のための行動に対して、制約要因というよりは、寧ろ支持・推進要因として機能していると考えられる。


3.北方の脅威の消滅
「オイル・ルート保持」という必要性のため、予算的な裏付けもある上で進められている中国の海洋進出だが、それに拍車をかけている、或いは火に油を注いでいるのが、「北方の脅威の消滅」である。
当ブログの例えば第四百六十七段第四百四十四段等で度々述べてきたことだが、歴代の中華王朝にとって最大の脅威と言えば、それは匈奴以来の北方草原地帯から押し寄せてくる遊牧騎馬勢力であり、その北方の脅威のトリを飾るのが、世界の征服者として名高いチンギス・ハンの血統たるジョチ・ウルスの支配下で胚胎し、やがてそれを食い破る形で台頭したロシア帝国でありその後継国家たるソ連であった。
今まで書いてきた諸段の繰り返しめいてしまうが、沿海州から外モンゴル、西トルキスタンに展開し、実際に砲火を交えることもあったソ連軍の脅威こそ、毛沢東や周恩来をして米国、日本との関係改善に走らしめた最大の力だったのである(注4)。もっと言えば、かつての中国が尖閣問題等で米国と同盟を結ぶ日本国に対して強硬な姿勢を示さなかったのは、北と南で両面作戦を強いられるよりは、南で隠忍自重して北に全力を集中するという極めて実利的な判断が働いていたからなのである(注5)。従って、もし仮に今もなおユーラシア北部にソ連が健在であったなら、恐らく中国はその脅威から身を守るため、多大な資金と軍事力をマンチュリアや内モンゴル、新疆に張り付けざるを得ず、日本や米国との関係を荒立てるような振る舞いは極力自重していたことだろう。
だが現実には、冷戦の崩壊とそれに続くソ連の崩壊が中国を北方の脅威から解放せしめた。今や中国は北方の脅威に悩まされることなく、東や南の海に向かって全力投球で臨めるのである。


結語
以上、中国を積極的(強引ともいう)な海洋進出へと駆り立てる要因を見てきた。そこで列挙した3要因に大きな変化が無い限り、中国の海洋進出の動きはやむことが無いであろう。



注釈
注1.挙げた数字はJPECの「【中国レポート:第3回】 ~中国の原油輸入の現状と展望~」による。また、同レポートには量ベースでみた中国の原油輸入量推移(1993年~2009年)が掲載されているが、それも当該段に掲載している中国の名目GDP推移及び原油輸入額推移とほぼ同じ傾向を示している。
注2.無論、こうした自力救済的な考え方の他、現在の日本国に見られるように、大国の傘下に入る見返りとして自国へのエネルギー・ルートの安全を当該大国に確保してもらうという選択肢もある。ただし、中国の場合、1840年のアヘン戦争以来の諸外国による支配や収奪の歴史に起因する抜きがたい対外不信感が存在すること、そして世界最強の海軍国たる米国とは人権や民主主義といった理念の面、更には朝鮮半島や台湾海峡といった地政学的な面での対立面も多いこと等から、日本国のような選択をすることは極めて困難と考えられる。
注3.当該図表は冊子版の防衛白書の他、次のリンク先でも見ることができる。→防衛白書平成24年度版。
注4.この辺りの事情は、ニクソン政権下で中国との関係改善に活躍したキッシンジャーの諸著作や中国通として米外交サークルで長く活躍したジェームズ・リリーの回顧録「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」等が詳しい。
注5.もっとも、当時の中国が南では防御一辺倒であったかというとそういうわけでもなく、主敵たるソ連と結んでいたベトナムとは1979年の中越戦争を始め、陸上や西沙諸島で度々戦火を交えている。

参考資料
・JPEC  「【中国レポート:第3回】 ~中国の原油輸入の現状と展望~」 2010年3月
・ウィリアム・バー 「キッシンジャー[最高機密]会話録」 毎日新聞社 1999年9月初版 鈴木主税ら訳
・ジェームズ・リリー 「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」 草思社 2006年3月 西倉一暮訳
・ヘンリー・キッシンジャー 「キッシンジャー秘録第3巻 北京へ飛ぶ」 小学館 1980年3月 斎藤弥三郎ら訳
・同上 「キッシンジャー激動の時代1 ブレジネフと毛沢東」 読売新聞社 1982年6月 読売新聞調査研究本部訳
・日本防衛省 「平成24年版防衛白書」
・防衛省防衛研究所 「中国安全保障レポート2011」 2012年2月
・同上 「東アジア戦略概観」 2012年3月