2012年9月26日水曜日

第四百六十八段 中国海洋進出の3要因

当ブログでも度々取り上げているが、昨今のユーラシア極東部では、中国とその周辺国との間で海洋権益を巡る対立が顕著なものとなっており、かつての中国指導者鄧小平が提示したテーゼ「韜光養晦」は益々その存在感を弱めている。

では中国は、何故そこまでして海に出張ってくる若しくは出張ってこれるのだろうか?

自分はその要因として以下の三点を挙げることができると考えている。

1.オイル・ルート保持の必要性 
2.急速な経済発展を背景とした軍事予算の増大
3.北方の脅威の消滅

1.オイル・ルート保持の必要性
1980年代、鄧小平が開始した改革開放政策によって中国が急速な経済発展に成功し、2000年代には「世界の工場」と呼ばれるまでに台頭したことは世に広く知られた通りである。そのサクセス・ストーリーの軌跡をグラフで示すと次のようになる。

名目GDPの推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

上記グラフが示す高度経済成長をより具体的に見ていけば、そこには各種産業の生産活動活発化や人々の生活水準向上があり、それは同時に、社会が必要とするエネルギー・資源の量の拡大を意味した。その中でもとりわけ重要なのが、発電所や各種交通運搬器具の燃料を始めとして社会の様々な場面に用途が広がる石油である。
元来中国はマンチュリアの大慶油田や新疆のタリム盆地等で原油を生産してきたが、それだけでは豊かさを目指して疾走を始めた国内の需要を満たすには足りず、以下のグラフに明らかなように、経済成長と軌を一にして急速に海外からの石油輸入を拡大してきた。

原油輸入額の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

そんな中国の主な石油輸入先内訳は、2009年時点で大きい順に中東約50%、アフリカ約30%、欧州・CIS約10%といった構成になっている(注1)。このうち、パイプラインによる輸送が可能なのは欧州・CISぐらいなもので、太宗を占める中東やアフリカからの輸入はどうしても海上輸送に頼らざるを得ない。
では一大産油地帯である中東やアフリカから中国までどのような航海ルートで石油が運ばれるのか。簡単に言うと、生産地-インド洋-マラッカ海峡-南シナ海-東シナ海-中国沿海部、というルートなのだが、とくにマラッカ以東のルートを地図で示すと以下のようになる。


ここで注目したいのが西沙・南沙諸島の位置である。もし両諸島一帯が中国に敵対的な勢力の支配下に置かれた場合、中国は常に、自国の安定と豊かさを支える大動脈がいつ封鎖されるか知れたものではないという悪夢にうなされることになる。それが嫌ならどうするか? 少なくとも、自ら海に出張って睨みを利かせる、又は両諸島一帯において他国がやるよりも先に自らの支配を確立してしまえばよい、という発想が出てきても何ら不自然ではあるまい(注2)。


2.急速な経済発展を背景とした軍事予算の増大
無論、幾ら必要性があるからと言って、所詮先立つものが無ければ何もできないことは国家であれ個人であれ、何ら変わる所はない。では中国政府、ひいては中国軍部の懐具合は如何なものなのであろうか?
まず、中国経済が近年急速に拡大していることは既に述べた通りである。となれば、それに応じて政府の歳入も税収増等を通じて増えていくというのが自然な流れであろう。実際、中国政府の歳入は同国の経済成長を歩調を合わせる形で拡大している。

歳入の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

そして斯くの如く政府の歳入が増えると、よほど厳しい制限でもない限り、防衛予算もまた増大することになる(単純な話、予算に占める防衛予算の割合がよほど厳しく絞り込まれない限り、、パイ自体の成長に伴って予算額は増大する)。
日本防衛省が公表した平成24年度版「防衛白書」に掲載されている中国国防費推移(公表分についてのみ)を見ると、中国の経済成長とそれに伴う歳入の拡大に連動する形で同国の防衛予算額も拡大を続けていることが分かる(注3)。

つまり、現在の中国政府ひいては中国軍の懐具合は、「オイル・ルート保持」のための行動に対して、制約要因というよりは、寧ろ支持・推進要因として機能していると考えられる。


3.北方の脅威の消滅
「オイル・ルート保持」という必要性のため、予算的な裏付けもある上で進められている中国の海洋進出だが、それに拍車をかけている、或いは火に油を注いでいるのが、「北方の脅威の消滅」である。
当ブログの例えば第四百六十七段第四百四十四段等で度々述べてきたことだが、歴代の中華王朝にとって最大の脅威と言えば、それは匈奴以来の北方草原地帯から押し寄せてくる遊牧騎馬勢力であり、その北方の脅威のトリを飾るのが、世界の征服者として名高いチンギス・ハンの血統たるジョチ・ウルスの支配下で胚胎し、やがてそれを食い破る形で台頭したロシア帝国でありその後継国家たるソ連であった。
今まで書いてきた諸段の繰り返しめいてしまうが、沿海州から外モンゴル、西トルキスタンに展開し、実際に砲火を交えることもあったソ連軍の脅威こそ、毛沢東や周恩来をして米国、日本との関係改善に走らしめた最大の力だったのである(注4)。もっと言えば、かつての中国が尖閣問題等で米国と同盟を結ぶ日本国に対して強硬な姿勢を示さなかったのは、北と南で両面作戦を強いられるよりは、南で隠忍自重して北に全力を集中するという極めて実利的な判断が働いていたからなのである(注5)。従って、もし仮に今もなおユーラシア北部にソ連が健在であったなら、恐らく中国はその脅威から身を守るため、多大な資金と軍事力をマンチュリアや内モンゴル、新疆に張り付けざるを得ず、日本や米国との関係を荒立てるような振る舞いは極力自重していたことだろう。
だが現実には、冷戦の崩壊とそれに続くソ連の崩壊が中国を北方の脅威から解放せしめた。今や中国は北方の脅威に悩まされることなく、東や南の海に向かって全力投球で臨めるのである。


結語
以上、中国を積極的(強引ともいう)な海洋進出へと駆り立てる要因を見てきた。そこで列挙した3要因に大きな変化が無い限り、中国の海洋進出の動きはやむことが無いであろう。



注釈
注1.挙げた数字はJPECの「【中国レポート:第3回】 ~中国の原油輸入の現状と展望~」による。また、同レポートには量ベースでみた中国の原油輸入量推移(1993年~2009年)が掲載されているが、それも当該段に掲載している中国の名目GDP推移及び原油輸入額推移とほぼ同じ傾向を示している。
注2.無論、こうした自力救済的な考え方の他、現在の日本国に見られるように、大国の傘下に入る見返りとして自国へのエネルギー・ルートの安全を当該大国に確保してもらうという選択肢もある。ただし、中国の場合、1840年のアヘン戦争以来の諸外国による支配や収奪の歴史に起因する抜きがたい対外不信感が存在すること、そして世界最強の海軍国たる米国とは人権や民主主義といった理念の面、更には朝鮮半島や台湾海峡といった地政学的な面での対立面も多いこと等から、日本国のような選択をすることは極めて困難と考えられる。
注3.当該図表は冊子版の防衛白書の他、次のリンク先でも見ることができる。→防衛白書平成24年度版。
注4.この辺りの事情は、ニクソン政権下で中国との関係改善に活躍したキッシンジャーの諸著作や中国通として米外交サークルで長く活躍したジェームズ・リリーの回顧録「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」等が詳しい。
注5.もっとも、当時の中国が南では防御一辺倒であったかというとそういうわけでもなく、主敵たるソ連と結んでいたベトナムとは1979年の中越戦争を始め、陸上や西沙諸島で度々戦火を交えている。

参考資料
・JPEC  「【中国レポート:第3回】 ~中国の原油輸入の現状と展望~」 2010年3月
・ウィリアム・バー 「キッシンジャー[最高機密]会話録」 毎日新聞社 1999年9月初版 鈴木主税ら訳
・ジェームズ・リリー 「チャイナハンズ―元駐中米国大使の回想 1916‐1991」 草思社 2006年3月 西倉一暮訳
・ヘンリー・キッシンジャー 「キッシンジャー秘録第3巻 北京へ飛ぶ」 小学館 1980年3月 斎藤弥三郎ら訳
・同上 「キッシンジャー激動の時代1 ブレジネフと毛沢東」 読売新聞社 1982年6月 読売新聞調査研究本部訳
・日本防衛省 「平成24年版防衛白書」
・防衛省防衛研究所 「中国安全保障レポート2011」 2012年2月
・同上 「東アジア戦略概観」 2012年3月