2013年1月14日月曜日

第四百七十七段 マリ情勢

ここ最近、マリを巡る情勢が俄かに風雲急を告げている。

各種報道等から事態の推移を大まかにまとめると、1990年代前半に巻き起こった北部でのトゥアレグ族独立運動が1996年に一旦沈静化するものの、2000年代に入って周辺諸国のイスラム過激派と一体化する形で独立運動が再発し、マリ政府のクーデター等による混乱、周辺国の「アラブの春」に伴う混乱に起因した国境管理、武器取締の弛緩に力を得て、独立派がマリ北部の大半を掌握し(この過程で、トンブクトゥ等においてイスラム過激派による聖者廟の破壊等が発生している)、更に最近になって南下の構えを見せたことから、「マリ政府単独で立ち向かうには荷が重すぎる」と判断したECOWAS諸国やフランス等が同国政府に対する軍事支援を開始・決定したというのが事態の流れ(注1)。

このマリ政府やその支援国・機構と独立派との攻防の舞台となっているマリ北部について、アフリカ西部にしてサハラ砂漠の南縁部・・・・というと、何やら交通もろくに発達していない絶界の話のように思えるが、さにあらず。
歴史的に見るとマリ北部は、周辺地域から孤立していたどころか、北アフリカから黄金と奴隷を求めて南下してきたイスラム商人と塩(岩塩)と金属製品を求める西アフリカの人々が出会う商売の最前線として、殷賑を極めたこともある地域なのである(注2)。
この両者の出会いを可能としたのが、諸々のオアシス都市を繋ぐキャラバン・ルートの存在であった。メッカ巡礼の途中でカイロに立ち寄り、黄金の大盤振舞によって同地の黄金相場を暴落させたマリ王国のマンサ・ムーサ王の逸話は、マグリブ(注3)やエジプトと西アフリカ世界とがキャラバン・ルートによって活発な交易を行っていた時代の雰囲気を今に伝えている。またキャラバンが行き交う道を使って、イブン・バットゥータがマリ旅行を行い、モロッコ・サアド朝のサハラ遠征が敢行された(注4)。

こうしたキャラバンルートを図示したものが以下の地図である。


サハラ砂漠という、一見すると峻厳広大な障壁の隙間を縫うようにして、網の目のような交通路が存在し、それによってマリ北部は他地域とも密接に結びついている(いた)のだ。

次に、このキャラバンルート地図に現在の国際情勢を重ねてみたのが、以下の地図である。


それぞれ楕円で囲われた地域での出来事、即ち、橙色楕円で囲ったマリ北部での独立運動を奇貨するイスラム過激派の勢力伸長。緑色楕円で囲われたアルジェリア南部からニジェール北部(注5)にかけての一帯におけるAQIM(イスラーム・マグリブのアル・カーイダ機構)等イスラム過激派組織の跋扈、黄色楕円で囲われたチュニジア及びリビアにおける「アラブの春」後の国内情勢の不安定化継続(注6)が、決して独立独歩の動きではなく、寧ろ相当程度連動した動きであることは容易に想像がつこう(注7)。

愚考するに、フランスやECOWAS諸国がマリ政府支援の介入に踏み切った又はそうした決定を下したのは、マリにおけるイスラム過激派の成功が、単にマリ一国内で完結するものではなく、歴史的に結び付きの深い北アフリカは勿論、イスラム教過激派組織ボコ・ハラムが蠢動するナイジェリア(注8)を始めとしたギニア湾沿岸部諸国にも波及し、それぞれの地域をより不安定で危険に満ちたものにしかねないという危機感によるものであろう。
また、西側諸国による軍事介入には地域を問わず基本的にいい顔をしない中国だが、西アフリカにおけるイスラム過激派勢力の拡大によってナイジェリアやガボンといった友好国政権が不安定化する危険性を考慮するならば、フランスやECOWAS諸国によるマリ介入に反対することもないだろう(注9)(注10)。

注釈
注1.マリ情勢の全般的な流れについては、BBCの2013年1月12日付「Mali crisis: Who's who?」等がコンパクトにまとまっている。またマリ政府に対する各国の支援については、例えば、同じくBBCの2013年1月13日付「Mali: RAF C17 cargo plane to help French operation」や同年月日付「France Rafale jets target Gao in eastern Mali」の他、ロイターの2013年1月12日付「West Africa's ECOWAS to send troops to retake north Mali」等を参照のこと
注2.サハラ砂漠を縦断する形で西アフリカ地域と北アフリカ地域との間で行われた交易は、後年の歴史学者から「サハラ交易」と名付けられた。西アフリカ側から は黄金や黒人奴隷が輸出され、北アフリカ側からは主に岩塩が輸出された。一時は岩塩と金が同じ重さで取引されたことから、「塩金交易」とも呼ばれる。
注3.アラビア語で「日の没する地域」という意味。現在のチュニジア、アルジェリア、モロッコからなる一帯で、場合によってはこれにリビアやモーリタニアが含まれる。
注4.16世紀末にモロッコ・サアド朝は、サブ・サハラ地域の黄金権益独占を目指して、サハラ砂漠を縦断する形でトンブクトゥやガオ等を押さえるソンガイ王国への遠征を実施した。この時進撃路として利用されたのが、シジルマからタウデニ、トンブクトゥを経てガオやジェンネへ至るキャラバン・ルートであった(地図で言うと、5-4-1-2,3ルート)。
注5.日本ではあまり注目を浴びることのないニジェールだが、2010年時点では世界5位のウラン鉱生産国である。そんな同国からイラクが核兵器開発目的でウランを購入したという情報が米英の情報機関ひいては政府を躍らせ、対イラク開戦の理由の一つとなったことはまだ記憶に新しい(念のためにいうと、結局、当該情報はガセネタであった)
注6.「アラブの春」後のリビアの混迷を示すものとして、過激派組織による米国大使の殺害は世界に大きな衝撃を与えたが、その後も治安機関幹部の暗殺が続いた他、今年に入ってからはイタリアのベンガジ総領事の乗った車が現地で銃撃を受けるという事態も発生している(ただし、防弾装備がなされていたため、死傷者はなし)。また、チュニジアにおいても国内情勢は依然として不安定のようである。
注7.もっとも、こうした地域情勢の不安定化に対してマリ政府等が全く手を拱いていたというわけではなく、例えば、2011年11月にはEurasia Review等によってマリやニジェール、モーリタニアと言った国々が軍事力強化のため、フランスからの武器購入に動いていたことが報じられている。
8.ナイジェリアというと、南部デルタ地帯や沖合を中心とした産油国としての一面は日本でもよく知られている。
9.ナイジェリアやガボンと中国との最近の関係については、例えば、アジア経済研究所の「アフリカにおける中国—戦略的な概観」の7章「アフリカにおける中国のエネルギー政策の軌跡」等を参照のこと。
注10.このようなことを書いていたら、早速中国外務省が、マリ反政府勢力を非難し、マリ政府国土統一を回復するよう国際社会は支援すべきだとの声明を発表した」とのニュースが報じられた。 

参考資料
・BBC 「Italian consul in Benghazi escapes shooting unhurt」 2012年1月12日
・同上 「Mali crisis: Who's who?」 2013年1月12日
・同上 「France Rafale jets target Gao in eastern Mali」 2013年1月13日
・同上 「Mali: RAF C17 cargo plane to help French operation」 2013年1月13日
・Eurasia Review 「Mauritania, Mali And Niger Increase Military Power Buying Arms From France」 2011年11月5日
・アジア経済研究所 「アフリカにおける中国—戦略的な概観」 2009年10月
・アル・ハヤート 「リビア:治安機関幹部の暗殺が相次ぐ」 2012年11月24日 石塚慎平訳
・ロイター 「West Africa's ECOWAS to send troops to retake north Mali」 2013年1月12日
・家島彦一 「イブン・バットゥータの世界大旅行 14世紀イスラームの時空を生きる」 平凡社 2003年10月
・時事通信 「米領事館襲撃で大使ら4人死亡=預言者冒涜の映画に反発-リビア」 2012年9月12日
・私市正年 「サハラが結ぶ南北交流」 山川出版社 2004年6月
・那谷敏郎 「紀行 モロッコ史」  新潮社 1984年3月
・野口雅昭 中東の窓「チュニジア情勢」 2013年1月14日
・中国军网 「外交部:中方谴责马里反政府武装采取新军事攻势」  2013年1月14日

2013年1月6日日曜日

第四百七十六段 世界の大雑把な見取り図

 冷戦という分かり易い枠組みが崩壊して既に20年以上。その間、その後の世界を把握する枠組みとして様々な考えが提示された。例えば、米国の政治学者であるサミュエル・ハンチントンが提唱した、世界を宗教とそれを背景にした幾つかの文明に塗り分け、同じ文明に属する国々との間では連携が進み、異なる文明圏に属する国家間の対立はより熾烈になるとする「文明の衝突」は江湖に大きな反響を呼び、日本からは、国際政治学者田中明彦が、世界を主権国家以外の非国家主体も大きな影響力を行使する「新しい中世圏」、依然として主権国家が決定的な影響力を保有する「近代圏」、そもそも近代国家形成に失敗してアナーキーが跋扈している「混沌圏」に分類する「新しい中世」論を提示した。

「こうした先哲に倣って、世界の見取り図という大風呂敷を広げてみたい」と言うと、「身の程をわきまえない愚挙」とのお叱りを受けそうだが、これも新年早々の高揚感がなせるものとよろしく御寛恕頂きたい。

ここで使用するのは、宗教や文化、イデオロギーというよりは、「政治体制における権力・権威の分散度」に注目したモンテスキューやウィットフォーゲルの見方である。彼らの顰に倣えば、世界の統治システムは大まかに二分することができる。
一つは多元的統治システムとでもいうべきものである。これは、現在の西側諸国で広く観察されるような権力分立を基調とした政治システムである。 この政治システムの下では、統治機構の権力や権威は行政府や議会、司法等に分割され、傘下の暴力機関を背景に最も強力かつ広汎に強制力を行使することが可能な行政府であっても、憲法や議会、司法機関等の有する「拒否権」によって無制限に強制力を行使することが許されない統治のあり方である。
もう一つは一元的統治システムとでもいうべきものであり、かつての中華諸王朝やロマノフ朝、イスラム諸王朝等或いは近現代史における共産主義国家のように、国家の頂点に立つたった一人の人物又は機関に権力と権威が全て集中する政治システムである。そこでは、権力と権威を独占する個人又は機関が、無制限に強制力を行使し、それに対する拒否権が不可侵的に保障された勢力は無論のこと、その支配から自律的な個人や組織は(「頂点」のお目こぼしが無い限りは)存在することが許されない統治のあり方である。

現在の世界は、一方に多元的統治システムが歴史的に強固に根を張った地域があり、もう一方には一元的統治システムが同じく歴史的に強固に根を張った地域があり、両者の狭間に、状況次第で多元的統治システムと一元的統治システムのどちらにも転びうる「第三世界」が存在するという情勢下にあると考えられる。

非常に大雑把な形ではあるが、上記の情勢を図示したのが以下の地図である。



多元的統治システム圏:黄色線で囲った一帯
・西欧(ピレネー及びロンバルディア以北、シュティッティン-トリエステ・ライン以西)
・北欧(ノルディック諸国、バルト三国)
・北米(米国、カナダ)
・豪州(オーストラリア、ニュージーランド)
以上の地域は、中世以来、国王、封建諸侯、教会、自治都市といった諸アクターの対立や交渉等を通じて多元的な権力・権威体制が構築され、それを母胎として権力分立を基調とした地域(西欧、北欧)、及びそこで構築されたシステムが在来の統治システムが何ら影響を受けることなく移植された地域(北米、豪州)である。

一元的統治システム圏:黒色戦で囲った一帯
・旧ソ連諸国(旧ロマノフ朝圏というべきか)
・東・東南アジア大陸部(ほぼ清朝及びベトナム歴代王朝の領域、李氏朝鮮の北半に該当。)
・中東(北アフリカ含む)
以上の地域では、全ての政治的権力や権威が皇帝、ツァーリ、スルタン・カリフ等と呼ばれるたった一人の人物に集中し、それを巨大な中央官僚群が輔弼するという政治体制が確立された。20世紀以後は類似した統治システムを持つ共産党政権やその他各種独裁・権威主義政権の統治下に入った。

第三世界:赤線で囲った一帯
・東アジア沿海部(日本、韓国、台湾)
・東南アジア(旧ベトナム王朝に属する大陸部分を除く)
・南欧(イベリア半島及びイタリア半島)
・中東欧(バルカン及びシュティッティン-トリエステ・ライン以東 また便宜的にトルコ含む)
・アフリカ(サハラ以南)
・中南米
以上の地域は、西欧とはやや異なるものの武士団、朝廷、寺社といった諸勢力の間で多元的な政治秩序が構築され、一方で一元的政治システムで運営される中華王朝から多大な影響を受けてきた日本、中華王朝の支配下や強い影響下にありながら、近代においては多元的統治システムを導入した大日本帝国の植民地とされ、その崩壊後は米国の強い影響下に置かれた韓国や台湾、長年西欧とイスラム世界、ロマノフ朝との接触面であった地中海からバルト海に至るまでの南欧、中東欧世界、植民地化を通じて西欧から影響を受けつつも土俗的な要素や他地域からの影響が消滅したわけでもない東南アジアやアフリカ、中南米といった具合に非常にバラエティに富んでいる。
ただ総じて言えるのは、状況次第で多元的政治システムと一元的政治システムのどちらにも転びうる反覆常ない地域であるということである。
つまり、多元的政治システムが富国強兵に好都合だということになれば多元的政治システムへの支持が集まり、逆に一元的政治システムが富と力への近道だということになれば一元的政治システムが希求される、そんな地域であるということだ。そして、旧システムから新システムへの切替は恐らく多大な混乱や流血を伴わずには済まないだろう。

果たして2013年後の国際情勢は、多元的政治システムを擁する国々と一元的政治システムで運営される国々、どちらが揺れ動く第三世界に対して訴求力を持ち得るのか、また、多元的政治システムや一元的政治システムを育んできた歴史的背景を無視したレジーム・チェンジがどのくらい発生してどんな悲喜劇を生みだしていくのか、非常に興味深い所である。

参考資料
・カール・ウィットフォーゲル 「オリエンタル・デスポティズム―専制官僚国家の生成と崩壊」 新評論 1995年1月 湯浅赳男訳
・サミュエル・ハンチントン 「文明の衝突」 集英社 1998年6月 鈴木主税訳
・モンテスキュー 「法の精神」上中下 岩波書店 1989年8月 野田良之訳
・田中明彦 「新しい「中世」―21世紀の世界システム」 日本経済新聞社 1996年5月