2014年4月6日日曜日

第四百九十段 音速の遅い読書「現代トルコの政治と経済―共和国の85年史(1923‐2008)」

今回の音速の遅い読書で取り上げるのは、以下の作品。




内容をざっくりいうと、著者の左派的な経済観をベースにオスマン帝国崩壊の中からトルコ共和国が産声を上げ、21世紀に至るまでの通史を書き上げた作品である。

ビザンツ帝国の昔から名高いダーダネルス・ボスポラス両海峡の地政学的重要性、そして近年注目の高まる「天然ガス回廊」としてのアナトリアの意義、そして経済的新興国としての発展とその一方で行われる現政権の軍に対する統制のやネット規制の強化等、様々な観点から興味深いトルコ共和国だが、その通史を扱った一般向けの日本語書物というのは数が少なく、その意味で本書は貴重な一冊と言えるだろう。

だが、自分が本書の中で一番興味をひかれたのは、その波乱万丈のトルコ共和国史というより、著者あとがきにある以下の記述である。

「資本主義者」の歴史観もヨーロッパの歴史であり、世界史ではない。「所有権」が基本的人権と強弁され、個人主義と私的所有が礼賛されているが、「私的所有」という形態はヨーロッパですら資本主義の歴史が生まれるまでは存在しなかったのだ。世界の他の地域を含めて、人類史の大半は「社会的所有」の歴史であった。例えば、オスマン国家やその前身であるセルジュク朝は「国家的所有」の歴史を持たない。マルクスはエンゲルスに「東方の秘密の鍵を見つけた。それは国家的所有である」とまで書き送っている。
官僚制国家という点で言えば、中国、日本、そしてロシアでさえも、その経済史は「国家的所有」の歴史である。所謂「未開のアフリカ」も含めて、世界各地の集団は「社会的所有」という概念に親しんできた。

この記述を目にした時、真っ先に頭に思い浮かんだのが、「東洋的専制主義」の成立と展開に鋭く迫ったウィットフォーゲルの議論である。
彼はその大著「オリエンタル・デスポティズム」 の中で、西欧やその他のユーラシア諸地域を対比させ、前者では中央政府の恣意的収奪から独立した経済的基盤を教会や封建諸侯、都市や大商人が保持し得たことで、権力・権威が中央政府以外にも分散された多元的権力社会が成立・展開し、やがて立憲主義へと繋がっていく一方、中央政府が「資本家企業を有利な果樹園のように取扱い、最悪のばあいには、資本制企業の茂みを刈りこみ、はぎとって、丸裸にしてしま」うことが通常化した後者では、中央政府の権力を牽制し得る勢力が一切存在しない「社会よりも強力な国家」が定着し、それが「いかなる法律によっても制約されぬ権力」を行使する共産党その他による独裁政権を受容する社会的下地になった旨を論じている(注1)。

話を「現代トルコの政治と経済―共和国の85年史(1923‐2008)」に戻すと、当作品の著者はあとがきで上記引用部分に続いて「こうしてみると、人類の歴史は元来「社会的所有」の歴史なのであり、資本主義とは偶発的で例外的な現象なのだ。」と述べ、

「資本主義の時代」は人類史の中では「例外的な」ものであろう。未来の世代を含む別の視点から見てみれば、我々が生きている時代を含むこの数百年は、長い人類の歴史の中で「異常で風変わりな」時代であったと評価されることになるに違いない。

と締め括っている。

この著者の見方に自分は基本的に賛成なのだが、その「資本主義の時代」に対する評価については些か異なる意見を持っている。彼の意見をもじって言えば、自分の考えは次のようなものである。

「資本主義の時代」は人類史の中では「例外的な」ものであろう。未来の世代を含む別の視点から見てみれば、我々が生きている時代を含むこの数百年は、長い人類の歴史の中で「異常で風変わりな、だがその前後と比較してまだマシな」時代であったと評価されることになるに違いない。

注釈
注1.このあたりは、当ブログ第四百五十六段 音速の遅い読書「オリエンタル・デスポティズム」 を御参照頂きたい。